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嵐の前の静けさ

 あぁ、私は帰ってきたのです。聖竜様の御座す聖殿に。

 シャール近くの地下にあるらしい聖竜様のお住い。床も正方形に切り揃えた石が敷き詰められていますし、よく見たら模様や色の違うものが規則正しく置かれていまして、幾何学模様を象っております。

 きっと、私なんかでは理解できない世界の深淵が表現されているに違い有りません。



「……ふぅ、相変わらず耐え難い悪臭ね……」


 ふーみゃんを抱いたままのアデリーナの呟きが、本当に小さな呟きが私の耳に入ってきました。


「うふふ、アデリーナ様、それはあなたがここに居る資格がないだけで御座いますよ。さぁ、お帰りなさい。何だったら、この世から去りますか?」


「メリナさん、地獄耳で御座いますね。すみません、帰ったらすぐにシャワーを浴びますので、我慢致しますわ。耐え難きに耐える。人の上に立つ者としては当然のことでしょう」


「は? お前、耐え難いと表現していることを問題視しているんですよ。選ばれた存在である私なら、この芳香だけでパンを10本は食べられます!」


「臭いがなくても、それくらい普通に食べているでしょう」


 キー! アデリーナは聖竜様に対して敬虔さが足りないです! 竜の巫女に相応しくないです!


「はいはい。二人ともスードワット様が起床されるわよ。でも、ノイジー過ぎるから黙ってね」


 むむむ、ルッカさん。あなたはここまで来るための道具みたいな物なのですよ。まるで聖竜様との取り次ぎをやってるみたいに、私に指示をするのはおかしいと思います。



 体を少し震わされた聖竜様に私は目を遣ります。

 広い室内の幅いっぱいに横たわる聖竜様の体は貴族学院の校舎よりも大きくて、また、真っ白いお体には一片の曇りも御座いません。純白でして、もう何て言うか、明らかに、誰が見ても聖なる竜だと断言するお姿です。


 長い首がゆっくりと上がり、双眼を私達に向けます。



『メリナよ、久しいな』


 うふふ、ルッカさんやアデリーナ様も居るのに、真っ先に声を掛けられたのは私です。当然ですが嬉しいです。


「はい。聖竜様のために、このメリナ、異国の地においても勉学に励んでおります」


『そうであるか。人は知識の継承に長けておる。竜はその長命であることから自己で知識を完結しようとしてしまう。それは良き事ではなかろう。我はメリナの努力を称賛しようぞ』


 うわぁ、誉められました。学校に行って良かったです!


『して、どの様な学問を習得しようとしているのだ?』


「…………」


 私は笑顔のまま聖竜様を見詰めます。


『ん……あれ? メリナさん? あれ?』


「ちょっと巫女さん。どうしたのよ。スードワット様が質問されたわよ。アデリーナさんもヘルプお願い」


「仕方ないで御座いますわね。ほら、メリナさん、聖竜様にお答えなさい。どうせ、何を言ってもバレないと思いますわよ」


 ……アデリーナ、貴様、助け船を出したと思わせてのそのセリフ。私がどういう答えをしても、最早、嘘だと言っているような物じゃないですか。


「き、幾何学です……」


 しかし、私は口から出任せを言いました。そんな模様が目に入ったからです。


『ほう……。あのメリナがそんな難しそうな学問を……。ふむ、人間の成長とは早いものよのう』



「アデリーナさん、今の本当? 巫女さん、算数出来るの? 私、アンビリバボー」


「数の計算は早かったと存じ上げております。しかし、幾何学と言っても範囲が広いですからね。メリナさん、幾何学の何の分野でしたっけ?」


 っ!?

 アデリーナ!!!

 お前、この場で私を嵌めてきたのか!?


 ……しかし、怒ってはなりません。聖竜様に良いところを見せないといけませんから。

 幾何学って図形でしたよね。図形の分野かぁ。


「さ、三角形の面せ――」


「複素多様体論で御座いましたかね、メリナさん。それともトポロジー最適化だったかしら」


 …………言葉自体を初めて聞いたレベルなのですが、それ。「はい」って答えても「うふふ、実は、そんな分野は御座いませんでした。メリナさんはおバカで御座いますね」って恥を掻かされるヤツではないでしょうか。


 私は聖竜様のご様子を伺うことにしました。表情を読んで最適なリアクションを取るのです。戦闘で言うところの、先を取らせてからのカウンター、後の先的なヤツですね。


 でも、聖竜様は竜でして、眉はないし、頬も動かないし、顔色も真っ白いままです。それでも、私はじっと見詰めます。

 うふふ、恋の駆け引きは闘いと同じです。食うか食われるかですよね。



『こ、怖い……』


 うし、勝った!! いや、違うっ!


「チッ」


 アデリーナ、その舌打ちは許しませんよ。私を罠に投げ入れてばかりのお前ですが、今回の大罪はこれまでに比類なき極悪なものです。私と聖竜様との仲にヒビを入れようとしたのですから。


「巫女さん、本当にクレバーなのね。私、全く何の学問か分からなかったわ」


 ふん、ルッカよ、白々しい。私の魔力の増大を感じ取って、仲裁に入ろうとしたのでしょう。そんなものに引っ掛かる私ではない!!


 ……いや、でも、何だか嬉しいですね。


「そ、そうかな?」


「えぇ、とってもインテリジェントだわ」


「えへへ、そうかなぁ。私、知的な女性になってきました?」


「なってませんよ。ショーメから報告も受けておりますので。それを明らかにしない私の慈悲に感涙をお流しなさい、メリナさん」


 この女め。女王だからって調子に乗ってるんじゃ有りませんかね。また毒でも盛られて幼児言葉でも発してろっつーんです。


 アデリーナは私の殺気を受け流しましたが、その眼は少し鋭くなっていて、ルッカさんに向いていました。



「ルッカ、メリナさんを追い詰める策には乗らないと言う訳で御座いますね」


「そうだよ、アデリーナさん。巫女さんが可哀想じゃない。ちゃんとエクスプレインしないとダメだと私は思うな。スードワット様もそうでしょ? だから、怖いなんて言ったんじゃないかな」


『う、うーん――あっ、いや、そうであるな。ルッカの言うことにも一理ある。……マイアも酷いよね』


 ふむ、全く状況が読めませんね。聖竜様の口振りだと、この面会を提案したのはマイアさんですか。


 私が考えていると、その張本人であるマイアさんがやって来ました。もちろん、転移魔法です。魔力の気配的にヤナンカもご一緒です。



「ちゃんとワットちゃんも自分で判断できたね。それで良いのよ」


 マイアさんは聖竜様に優しく語りかけてから、私を見てきました。


「それじゃ、本題です。メリナさん、昨日に見せてもらった映像からして、あの白と黒の化け物はあなたに憑いた精霊の一つ」


「そうなんですか……」


 どうでも良いですとはお答えしませんでした。だって、聖竜様はその件で私をお呼びになったと推察されますから。投げ槍に答えては、聖竜様に対して、大変な失礼になってしまいますからね。


「転移の腕輪を使いすぎなのですよ。その点については、メリナさんが悪いんじゃない。制作者のフォビの罪です」


 フォビと言うのは大昔に聖竜様の背に乗っていた騎士のことです。マイアさんやヤナンカと共に大魔王と闘った者です。


「だよねー。フォビは何を考えているか、昔から不思議だったもんねー」


 ヤナンカが相槌を打った後、マイアさんが続けます。


「あの腕輪は転移の度に、使用者の魔力を大幅に増大させています。そして、メリナさん、あなたはその魔力量が精霊の顕現する閾値を越えようとしています」


「それ、二度目ですよね。ガランガドーさんの時もそんな事を聞きました」


 思い出しますね。懐かしいです。

 あの時のガランガドーさんは体が出現したと同時に私を裏切り、体を奪いやがったのです。きつくお仕置きをしたものです。


「はい。そうでしたね。あの死竜を仕留められなかった私が言うのも何ですが、今回こそは倒します」


 精霊の討伐。それが目的ですか。ようやく理解しました。


「あれ? ガランガドーさんの時は私の体が変化したんですよね。今回も同じなら、倒したら私の体もズタボロになりませんか?」


「善処します。メリナさん、その為のこのメンバーなんですよ」


 確かに、シャール近郊で最強の方々です。居ないとしたら巫女長くらいですか。アシュリンさんとパウスさんは不信心なので、この高貴な聖竜様のお側に来る資格はないと思いますし。



「マイアはメリナを騙し討ちにしようとしたんだよー。ワットちゃんが言う通りー、残酷だよねー」


「私はメリナさんを殺すつもりはないです。ただ、こちらが勘付いていることを精霊に知られたくなかっただけです」


「うーん、どうだかねー」


 ヤナンカは白い顔で笑いますが、邪気が無さすぎて、逆に気味の悪さを感じました。私でなくマイアさんを責めているにも関わらずです。



「アデリーナ様、私は助かりますか?」


「メリナさんは殺しても生きているかもで御座いますね」


「もう大袈裟ねぇ。巫女さん、大丈夫よ。スードワット様をビリーブよ」


 おぉ! ルッカさんはいつも良いことを言うなぁ。


「はい! そうでしたね! 聖竜様、私を宜しくお願いします!」


『ふむ。任せるがよい』



 聖竜様の頼もしいお言葉の後に、皆が私を囲みます。少し距離を取られたのが何だか嫌われ者みたいで気になりました。

 恐らくは戦闘になるので、間合いを取っただけなのだとは理解できますが。



 マイアさんが何だか長い詠唱を始めます。でも、距離があるので聞こえません。



 誰も動かないので、まだ時間は有るようです。私はヤナンカに聞きます。


「でも、本当に精霊が出てくるんですか?」


「マイアが言うなら、ホントだよー。アデリーナもそう思ってるよー」


「そうなんですか?」


「はい。メリナさんをからかって怒らせようとしましたが、次に取る方法は確実で御座います」


 私が怒ったら精霊が出るって、そんな訳ないじゃないですか。アデリーナ様はおバカです。


「だってー。ヤナンカには理解できないー」


「巫女さん、事情を伝えたんだから、事が終わったら水に流してよ」


「奇襲が良いと私はマイアとともに主張したので御座いますけどね」


 私達の会話はまだ続きます。サッサッとやってもらいたいのですが、マイアさんの魔法詠唱が終わらないんです。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 通学を頑張るメリナさんには カリキュラムの内容など、取るに足らない些末なことですもんね 説明できないのは仕方ないですね!
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