神殿を歩く
私は刈り揃えられた芝生の上に立っています。傍には澄んだ水を蓄えた池が有りまして、その向こうには石造りの立派な本殿が控えます。そう、私は久しぶりに聖竜様の神殿に帰ってきたので御座います。
聖竜様、聖竜様。あなたの愛しい巫女であるメリナが来ましたよ。さぁ、語りかけて下さい。
「メリナさん、そんな所に突っ立っていないで、私の執務室に急ぐのですよ」
私の願いは叶わずに、アデリーナ様の叱責だけが届きました。とても哀しいです。
先導するアデリーナ様の後ろを聖女イルゼさんと剣王が無言で続きます。私は最後尾でして、たまに擦れ違う知り合いの巫女さん達に会釈したりしていました。
一口に巫女さんと言っても、その役割は多種に分かれて分業しております。
まず、神殿の存在価値である聖竜様を奉る役目は礼拝部が担っておりまして、間違いなく神殿の花形部署です。
また参拝客と直接にお話をする、案内係や販売部の方々も大切な役目と見なされております。神殿の印象はその方々で決まりますからね。
参拝客がそんなに多くないのは、ここが極めて崇高で畏れ多い場所の為に簡単な心持ちでは訪問出来ないからなのだと思いますが、神殿を綺麗に保つための清掃部や施設工作部も重要ですね。
また、お金がないと組織は運営できないので経理部があったり、その上位には運営方針を大まかに決める経営戦略本部なんてのも有ります。
参拝客よりも巫女の方が多いとも評されています。それくらい巫女さんは数多く働いています。そうなると色々と雑務も増えまして、それらを解決するのが総務部です。色んな雑務をこなされています。アデリーナ様もそこに所属していまして、新人教育係なのですが、アデリーナ様は怖いので不適だと思います。新人の方々が震え上がると思うんです。心臓麻痺で死んでしまう人だっているかもしれません。
あっ、新人の巫女さんは巫女見習いと言います。私もそうでした。例外的に私は短期間で見習いが外れて正式な巫女となっていますか、普通は一年間の働きを見て見習いから巫女となります。もちろん、途中で諦めて見習いのまま去る人も居ますし、一年後に昇進できずに辞める人も居ます。そんな方々が路頭に迷わないように次の職を斡旋するのもアデリーナ様のお仕事だそうです。
この国の女王なのに地味な仕事もしているんですね。
さて、私は魔物駆除殲滅部です。いつ聞いてもおかしな名前です。暴力的なメンバーが何人かいるので、他の巫女さんからも恐れられる存在でして、私がそこに所属させられていることに納得していません。また、薬師処という薬関係のお仕事をしている部署もあります。こちらも聖竜様とは全く関係ないので、何故に設置されているのか意味不明な部署です。
知的な暴力集団が薬師処、暴力の上に暴力を振るうのが魔物駆除殲滅部と他部署の人が口悪く言っているのを聞いたことがあります。とても悲しかったです。
だから、巫女さん相談室に密告しました。ちゃんと仕事をしてくれたみたいで、次の日にその人達が部署の小屋へ謝罪に来られました。なので、私は巫女さん相談室が大好きです。
巫女さん相談室は何でも聞いてくれる優しい人達の集まりなのです。
アデリーナ様の執務室に入りまして、私はソファーに腰を下ろします。イルゼさんと剣王は立ったままでした。アデリーナ様は皆のためにドアを開けていたので、今は閉める動作をしていました。
「どうぞお掛けになってください。バカは一人で先に座っていますが」
「人を呼んでおいての罵倒、メリナはビックリです」
「主人でさえ座っていないのに、寛ぐ根性はお見それしましたよ」
アデリーナ様はそう言いながら人数分のお茶を用意していました。ここの部屋のお茶は香り高くて好きです。あと、私の主人はお前じゃない。
「さて、剣王よ。あなたには近くの軍部隊に入ってもらいます」
「ふん。今更、軍で学ぶ事なんて無いんだがな」
「そうで御座いますか? そこのメリナさんよりも強い人がいると言っても?」
「…………そんな化け物がまだ居るのか……」
私も初耳です。
アデリーナ様はカッヘルさんの下で働かせると言っていましたが、その強い人がカッヘルさんでないことは確実ですね。
「えぇ。正確には軍人ではないのですが、協力してもらっている方です。非常勤顧問という形で雇っておりまして、あなたには月に1、2回、その人やカッヘルの部隊とともに森を探索して頂きます」
「どれくらい強いんだ?」
そうですね。私も気になりました。
何だったら私もその探索に参加したいくらいです。
「メリナさんが戦う前から戦意を失って退散するくらいです」
……えー、大袈裟です。そんなの居ないですよ。どんな強敵でも私は絶対に尻尾を巻いて逃げ出したりしません。
「名前は?」
「ルー」
あっ、お母さんだ……。
私レベルでは絶対に勝てませんね。確かに勝ちを諦めました。聞いた途端に退散です。
「……そいつはお前より強いのか?」
剣王が横に座る私を向いて聞いてきました。
「世の中にあれくらい強い人は存在しないと思います……。私なんて指先一つでズタボロですよ」
「ほう、面白そうだな。分かった。森の探索の途上で、機会があれば一戦求めても良いんだろ?」
「えぇ。そして、絶望を身に刻み付けなさい」
いやー、剣王さん、本当にヤバイですよ。お母さんの肩書きが顧問になっていますが、森のかなり奥地まで案内されるのだと思います。一時の油断も出来ない場所で極限まで鍛えられるでしょう。精神を磨り減らすのは間違いないです。
「ふん。終わったら、この化け物とも再戦させろよ。それから、王。お前ともだ」
「うふふ。私達二人を同時にお相手されても良いですよ。ねえ、メリナさん」
「そうですね。アデリーナ様が味方なら楽が出来そうです」
これで剣王の処遇は伝え終わりました。皆はお茶に口をやります。
「それでは、イルゼ。宜しくお願い致しますね」
「はい。ラナイ村に転移しまして、カッヘルさんに事情を説明して、また戻ってくれば宜しいんですね?」
アデリーナ様は頷きまして、イルゼさんは剣王とともに消えました。
彼女は悩みを吹っ切ったみたいで、声の張りが戻っていましたね。良かったです。
「さてと、メリナさん。聖竜様の所へはルッカが連れて行ってくれます。ただ、まだ神殿に戻ってきて居ないようですね」
なるほど。久しくお顔を拝見していなかったものですから、聖竜様は私が恋しいのですね。うふふ、分かりました。勿論、移動手段であるルッカさんをお待ちしますよ。
「メリナさんの魔力感知の範囲はどれくらいでしょうか?」
「最大で神殿の敷地よりちょっと広いくらいですかね」
「分かりました。それではルッカを感知したら、ここにお戻り下さい。私は仕事を致しますので、メリナさんは外へ出て頂けますか。邪魔ですので」
「えぇ、了解しました。私もアデリーナ様が視野に入ると、非常に目障りですから」
お互いにニッコリしました。
「……お相手しませんよ。私は忙しいのですから」
はいはい。アデリーナ様の立派な机の上にたんまり書類が有りますから、ちょっとくらい手伝ってやろうかと思いましたが、素直に出ていってやりましょうかね。
「では後程ですね」
「気楽な立場は羨ましいわね」
「王様なんか辞めてしまえば良いんですよ? そんなの居なくても、皆は暮らしていけますよ」
「それはそれで気に食わないのよ。私の上に誰かが位置するなんてね」
「我が儘ですね」
そこで会話は終わって、私は寮の外へと出ました。向かう先は本部です。巫女長という神殿で一番偉い人は外部の人との交渉事も有るので、巫女さんじゃない人も立ち入ることの出来る中庭近くにある事務所にお勤めなのですが、本部は巫女さん業務地域に建てられています。そこには各部長が集まる会議室があったり、人事権を持つ副神殿長が居たりと、この竜神殿の中枢なのです。本部の近くには調査部や保安部の立派な建物があって、魔物駆除殲滅部は何故に木板で造られた掘っ建て小屋なのか、いつ見ても部署間格差に愕然とします。
「あっ、メリナ! 久々だな!」
ぶかぶかの巫女服を着ている児童に声を掛けられました。小さいのに言葉だけは生意気なこの人は調査部のエルバ部長です。逆成長の呪いを掛けられているそうで、実年齢は巫女長クラスだとも聞きましたが、見た目は一桁後半から半ばの歳です。
服の裾を引き摺っていて、以前よりも背が縮まれたご様子です。
「お久しぶりです。部長に用はないので、さようなら」
私は本部に急いでいるのです。
「おい、待てよ!」
引き留める部長。
「何ですか?」
「お前な、私は偉大なエルバ・レギアンスだぞ。私から話し掛けられた事をもっと有り難った上で、畏れを持って貰いたいものだ」
ちんちくりんが何を申すかと思えば、矮小な虚栄心でしたよ。小さいのは外見だけではなかったとガッカリです。
このエルバ部長ですが、0歳まで逆成長をすると、今度は普通の成長に戻るらしいです。ただ記憶もなくなるそうでして、それは悲しいことではないでしょうか。
私はそれを解決しないのか聞いた事があるのですが、エルバ部長は「それを覚悟しているからこそ、エルバ・レギアンスだ」と謎の決意を申されました。
「メリナ。お前、諸国連邦の学校に通っているそうじゃないか。私はシャールの魔法学校で教壇に立っている。お前が良ければ、私に師事させてやろう」
「いや、要らないです。部長、弱いし」
「なっ! いや……確かにお前と比べたらそうだが――」
「失礼しますね」
私は部長を振り切って歩きます。本部の建物はもう少しです。
「メリナっ! 言い方は悪いがお前は磨けば光る原石なんだ! 私に任せろ!」
「磨かなくても光る宝石ですよ、私は。キラッキラです」
私は優しい。無視しても良いところをちゃんと立ち止まって、しかも振り向いて答えてあげました。
「お前、狂犬だとか野人だとか言われ放題で苦にならないのか!?」
…………えっ、野人は初めて聞きましたよ。
「言われたくはないですが、それ、完全に悪口ですよね。酷いです」
私はダッシュで本部へと向かいました。
巫女さん相談室に相談する案件が一つ増えまして、一刻も早く対処してほしいと願った為です。




