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第8話 夜行探偵社

 事故現場から走ることおよそ五分、マコトと鈴鹿を乗せた軽自動車の付喪神『テンちゃん』は、吉祥寺駅北口から少し東に離れた場所にある、五階建てのビルの前で止まった。

 そのビルの入り口内には『草壁蒼一郎』という名の郵便受けと、大きな宅配ボックスが置いてあることから、廃ビルではないことがうかがえる。だが看板などは一つも出ておらず、しかも古めかしいその佇まいは、取り壊し寸前と言われても誰もが疑わないようなビルであった。

 しかしその一階部分にあるサビだらけの大きなシャッターが、まるでテンちゃんの到着を待っていたかのように自動で上がっていく。その中はガレージとなっており、テンちゃんは二人を乗せたまま中へ入ると、静かにエンジンを止めた。


「ほら真琴ちゃん、着いたで? ……そない格好しとると、パンツ丸見えやで」


 テンちゃんの助手席で靴を脱ぎ、抱えた膝の間に頭を埋めていたマコトは、その鈴鹿の声を聞くとゆっくりと顔を上げた。

 マコトの後ろではサビ一つない綺麗なシャッターが、自動でガラガラと音を響かせながら降りていき、ガレージ内に入る明かりを徐々に遮っていく。だがそれと同時にガレージ内の明かりまでもが自動で灯ると、ビルのぼろぼろな外見にそぐわない綺麗な内壁と、整理整頓された整備道具の数々が並んでいるのがマコトの目に入る。


「あとそのブラウス、はよ脱ぎ。血のシミは時間が経つと、取れんようになるさかいな」


 目的地についたことを確認したマコトは、ダラダラとブラウスを脱いでキャミソール姿になる。その手からブラウスを奪い取った鈴鹿がガレージ奥に走り、そこにある洗い場でブラウスの胸元についた血を洗い流しはじめた。

 マコトは未だに自ら『マジカル・フォックス』と名乗ってしまったことから立ち直れないでいたが、大きなため息を一つ吐くと、過ぎたことだと気持ちを切り替え靴を履く。

 しかし車を降りようとしたマコトは、背中のリュック内でスマートフォンが鳴動していることに気付き、取り出して画面を見ると固まってしまった。

 そこにはマコトがインストールした覚えのないメッセージアプリが、『加奈』という相手からのメッセージ着信を表示していた。


【さっさと来いマジカル・フォックス(# ゜Д゜)】


 マコトにはメッセージの送信者にも勝手にアプリを入れた犯人にも心当たりがあり、追い討ちをかけられたような気分になり大きくため息を吐いた。


 その相手とは、夜行探偵社の情報処理を担当する『神代加奈』だ。


 そもそも妖怪は、映像に残ることはない。

 しかしだからといって、無警戒ではいられない理由がある。それは人化したときと、影だ。

 映像の中で何も無いところに影が動き、その場に突然人が現れたのならば、それは妖怪がその場で人化したという決定的瞬間となるのだ。つまりそれは、そこに現れた人間が妖怪だという、決定的な証拠ともなる。

 加奈はそんな映像を残さないよう、インターネット経由で各所の監視カメラに侵入し、映像データを消去または加工してまわっていると、マコトは聞いていた。


 そういうわけなので加奈が事故現場の映像を見ていたとしても、マコトが変身したマジカル・フォックスの姿も声も撮影されていないはずなので、マコトには加奈がマジカル・フォックスを知っている理由が理解できなかった。

 いずれにせよ男に戻った際に鈴鹿に連絡をしてくれたお礼が言いたかったこともあり、メッセージには返事をせずに直接聞くことにしたマコトは、自動で開いたテンちゃんのドアから足を踏み出した。


「テンちゃん、ありがとな」


 そうつぶやいたマコトは自動でドアが閉まった車体に手を振り、ザザッというカーラジオの音を背に流し台に向かうと、右手についたままだった血を洗い流す。

 マコトの隣ではブラウスを洗い終えた鈴鹿が、それを両手で広げて息を吹きかけていた。


「妖力使って平気なのか?」


「ふーーー。これくらいやったら、どうってことあらへんよ。ふーーー。生地が傷むからあんまやりたないんやけどな。ふーーー」


 その口から出ているのは、熱風。鈴鹿は妖怪の力をドライヤー代わりに使って、ブラウスを乾かしていたのだ。

 そしてマコトは鈴鹿から乾いたブラウスを受け取ると、その場で袖を通し鈴鹿と並んでガレージ横のドアへと向かった。


 二人はガレージ内のドアから入ったそのビルの、二階までしかない階段を上がると、窓から差し込む陽の光を浴びながら廊下を進む。

 そして埃一つ落ちていない廊下の奥、突き当たりにある部屋に入ると、揃って何も無い壁へと手を当てた。


「ほな『ぬりかべ』はん、よろしゅう」


「……さっきのテンちゃんもそうだけど、やっぱり妖怪の中に入るって、なんだか緊張するな」


「掃除せんで済むさかい、ウチは大歓迎やけどなあ。ウチらが住んどるマンションも、ぬりかべはんになってくれはったらええのに」


 『ぬりかべ』とは夜道で人間の歩行を阻むだけの、害の無い壁のような妖怪といわれている。だが壁を無理に壊そうとする者にはその巨体で覆いかぶさり、体の中に取り込んで全ての生命力を奪うこともある。

 このビルの二階までの床や内壁などはほぼ全てぬりかべでできており、ビルの監視者として働く代わりに、出入りする者の生命力を極々わずかに貰って生きているのだ。


 マコトとしては四六時中見られている感じがしそうで勘弁願いたいところだが、そもそも現在マコトの中にタマがいるせいで、プライベートも何も無いことを思い出し、軽くため息を吐いた。

 そのため息に反応するように壁が波立ち始めると、その波は一瞬にして大きくなり鈴鹿とマコトを飲み込み、そのまま壁の中へと引きずり込んでしまった。


 少しすると二人は壁から出て来くると、軽快な足取りで床へ降り立つ。

 先ほどまでと同じ壁に同じ床。しかし周囲の様子は、先ほどまでとは明らかに一変していた。

 床に埃一つ落ちていないのは同じだが、窓の外は薄暗く、太陽の光は届いていない。それどころか窓の外に見えた他の建物は全て姿を消し、辺りは鬱蒼と茂る木々に覆われていた。


 ここは人間界とは空間を隔てた、妖怪達が住む『隠れ里』と呼ばれる異世界の一つ。


 ぬりかべが入り口を守り、許可されたものしか立ち入ることの出来ない『草壁蒼一郎』の隠れ里、『夜行探偵社』である。


 その室内には人間界には無かった複数のデスクが並んでおり、その奥にある一際大きな机では、スマートフォンを耳に当てて座る、丸眼鏡に白髪交じりのオールバックの初老男性がいた。

 だがその肌は青く、額からは二本のツノが突き出ていることから、一見して人間ではないことがわかる。

 細身の体をスリーピースのスーツで包むこの男性こそが、夜行探偵社の社長にして『青鬼』の、草壁蒼一郎その人である。


 『鬼』とは恐らく日本では最も名の知れた妖怪だろう。「悪い物」「恐ろしい物」の代名詞としても使われる『鬼』は、その姿も力も性格も様々で、人間を食料としか見ていない者もいれば、人間と有効的な関係を築いている者もいる。


「ええ……はい……いえ、しかし……はい、承知しました。ではそのように……」


 眉間のしわを指で押さえながら電話をしていた草壁が、マコトと鈴鹿に気がつくと奥へ行くよう促し、くるりと背中を向けて電話を続けた。

 普段は庶務を担当する『神代音々』という女性もいるのだが今は姿が見えず、マコトは依頼の電話では無さそうな雰囲気を感じ取り、隣室へ繋がる厚い扉の一つを静かに開けて移動した。

 そこは応接スペースと休憩室と倉庫を兼ねたような雑多な部屋で、壁際には書類の詰まったいくつものローキャビネットが並び、その上には大きな液晶テレビが設置されている。

 そこに並ぶキャビネットの一つに、扉が壊れて開けっ放しになっているものがあり、マコトはそれを見てため息を吐いた。それは初めてマコトがここに来た際に、マコトが壊したものだった。


「ねえねえマコト! あれの弁償が終わったら、今度こそわたしにサトゥーのメンチカツを捧げなさいよね!」


「嫌だよ、あんな行列に混じりたくない」


 いきなりマコトの頭上に現れたタマが、ぴょんっと鈴鹿の肩に飛び乗ると、二本足で立ち上がってマコトを見下ろした。


 吉祥寺にある和牛の名店、サトゥー。そこのメンチカツは絶品で、日本全国からそれを求める客が訪れて長い行列ができる。なおメンチカツ以外も美味で、今朝食卓に並んだコロッケもまた、サトゥーのものであった。


「メンチ以外やったら、並ばんでも買えるんやけどなあ」


「油揚げで我慢しろよ」


「豆腐じゃなくてお肉揚げた奴がいいのよー!!」


 狐といえば油揚げというのが一般的なイメージだが、タマに言わせると実のところ『油で揚げたもの』なら、何でも好きなのだそうだ。

 そのためマコトはコンビニエンスストアで売っている『ハミチキ』や『カラアゲサン』という、レジ横で売っているホットスナックを何度か与えているのだが、マコトは先ほどのキャビネットを弁償しなければならないと考えていたため、タマへの貢物は最小限に抑えていた。


「クレープに焼き鳥、おっきなソーセージでもいいわよ!」


「どっからそんな金が出てくるんだよ……」


「なによー! もっとマコトが稼げばいいじゃないの! この甲斐性無し!!」


 いい加減キャンキャンと騒ぐタマを静かにさせるべきかと考えていたマコトの、後ろに背負った小さなリュックの中身がブーン、ブーンと鳴動する。

 見るとそれはマコトの予想通り、カンナという相手からのメッセージ着信を知らせていた。


【俺様にも貢げ(●´ω`●)】

【小ざざの羊羹でいいぞ(*´﹃`)】


 連続でメッセージの着信を告げるスマートフォンにマコトが頬を引きつらせるていると、タマもその画面を覗き込んで首をかしげた。

 メッセージグループには鈴鹿も追加されており、その鈴鹿は自身のスマートフォンの画面を見ると、苦笑いを浮かべた。


「ビル内の会話は全部、上の階におる加奈ちゃんに聞こえるようになっとるんよ。せやから加奈ちゃんへの返事は、このまま話すだけでええよ」


【よろしく( ´∀`)b】

【小ざざはサトゥーの隣だ、ついでに買って来い(・∀・)】


 偉そうなメッセージにイラついた顔になるマコトの隣では、鈴鹿が苦笑していた。


「和菓子屋の小ざざ、なんやけどな……あっこの羊羹っていつ行っても売れ切れとるんよ。朝はようから並ばんと買えへんらしいで」


「……理不尽だ……買わないからな?」


「えー、メンチカツと一緒に買えばいいじゃん。もっとわたしを敬いなさいよー!」


 マコトとしてはいつものジョギングが終わってすぐに並べば買えそうだが、時間よりお金の問題で買うことは無いと考えていた。


「ああそうだ、昨夜は鈴鹿さんにオレのこと知らせてくれたんだって? ありがとな」


【仕事のついでだ気にスンナ。んなことより大変なことになっている自覚ないだろ、マジカル・フォックス ( ゜д゜) 、ペッ】

【俺様の仕事を増やした分、言葉じゃなくてゲンブツを貢いでもバチは当たらねえと思うぞ(´・ω・`)】


「なあ、何で加奈がその名前知ってるんだ? それに仕事を増やしたってのはどういうことだ?」


 マコトとしては山崎という刑事や近くにいた者には名前を知られた自覚があったため、 SNSに名前くらいは書き込まれたのだろうかと考え、加奈から詳しく聞こうと思ったその時、扉から入っている者がいた。


 スリーピースのスーツを着た初老男性、青鬼の草壁蒼一郎だった。


「それは僕の方から説明しましょう」


 指先で丸眼鏡をくいっと上げた草壁が、マコトと鈴鹿に応接ソファーへ座るよう促すと、対面になるよう腰掛けた。

 草壁は先ほど電話をしているときと違い、機嫌良さそうにニコニコと笑っているのだが、その笑みの中にマコトは若干嫌なものを感じていた。


「まずは加奈君、映像をお願いします」


 草壁の言葉に反応し、ローキャビネット上のテレビに電源が入ると、九分割された画面に映像が映し出された。

 その瞬間、マコトの目が大きく見開かれる。


「んなっ! な、何でオレが!?」


 分割された映像は全て、変身したマコトの姿である『マジカル・フォックス』を映し出していた。

 そのテレビモニターには事故の際に周辺にいた野次馬が撮ったと思われる、マコトが事故車のフロントガラスを破るシーンや、二人の少女を救い出したシーンなどの映像が、様々なアングルから映し出されていた。

 赤いミニスカートの裾から伸びる尻尾や、頭上でぴこぴこと動く狐耳にクローズアップされたものもあったが、やがて分割された画面の全てに、大きく開いた胸元にズームした映像と、跳び上がったマコトを下から撮った映像が映し出された。

 そしてその状況が理解できず呆然とするマコトと、おろおろしながらマコトを見る鈴鹿の、手に持ったままのスマホが鳴動する。


【もうSNSや動画サイトにどんどん上がってるから諦めろ┐(´д`)┌】

【俺様はもう諦めたぜorz】

【つーかスカートの中身や乳首が見えないよう細工してるくせに、何だって姿を映像に残してんだよ。そういう趣味か?(*´艸`*)】


 そのメッセージを見たマコトが顔を上げテレビモニターをよく見ると、確かにどの映像も上着の襟の奥やスカートの中は不自然な影で隠されていて、乳首はもちろん下着すら一切見えていないことに気付いた。

 だがその分割された映像の一つは動画視聴者がコメントを投稿できるサイトのもので、『マジカル・フォックス(笑)』『ネーミングセンス皆無www』という文字列を覆い隠すように、『エロ狐prpr』『謎の影邪魔wwww』『BD版では消えますか?』などという多数の文字列が、まるで弾幕のように画面の左へ向けて流れている。

 それを見たマコトは自分が男性に性的な目線で見られ、しかもその動画が拡散されていることを知り、両手で頭を抱えてうずくまった。

 マコトの隣ではタマもショックを受けたようにうなだれていて、聞こえないほど小さな声で何やらぶつぶつとつぶやいていた。


「……タマ?」


「……ねえ、マコト……わたしのつけた名前……そんなにダサかったの……」


「そっちかよ! 滅茶苦茶ダセエよ! つーか問題はそこじゃねえ! 何でオレが映ってんだよ!!」


「知らないわよ! それに一千年近く眠ってたわたしが、現代の機械にどう映るかなんて解るわけないじゃない!!」


「……理不尽だああああ!!」


 そのマコトの叫びは室内に響き、部屋の会話をスピーカーで聞いていた加奈からの苦情で、マコトのスマートフォンはしばらく鳴り止むことは無かった。

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