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第43話 追いつけない者、追いつきたい者、追いついた者

「……なんだこの有様は……」


 鷹人はマコト達が戦闘を繰り広げていた現場に到着し、周囲の惨状に眉根を寄せ呆然としていた。

 鷹人が目にしたのは、焦げた草木に抉られたような地面、それらが全て水浸しになっている光景であった。中でも異様だったのは地面に空いた巨大な穴で、溜まった水がヘッドライトの明かりを反射していた。

 車から降りた鷹人はぬかるむ地面に足を取られながら、注意深くあたりを見渡す。


「ここで何者かと戦っていたようですが……フォックスさんでしょうか?」


 助手席から出てきた小咲の声に、鷹人は頭を振って小さく息を吐いた。その視線の先には、水溜まりの反対側にある足跡と二本の溝があった。


「それはわからんが、少なくとも被疑者は逃亡したようだ。……くそっ」


 妖怪を追うべきか現場を調べるべきか、鷹人は判断に迷っていた。

 高速道や幹線道路であれば、警視庁の交通監視網『Nシステム』によって追跡は可能だが、山道を通られては直接追跡する他に手段はない。

 かといって二人で追えば、一般の警察官がこの場の調査を始めてしまい、妖怪の痕跡が失われてしまうだろう。万が一手負いの妖怪が残っていたとしたら、警察官が襲われる危険もある。

 だがこの現場に小咲を残して一人で追うのも、戦闘の痕跡を見る限り危険度が高過ぎる。

 警視庁には手をまわしているが、迷っている時間は少ない。山中から響いた轟音や遠くからでもわかる火柱によって、驚いた市民による通報が相次いでいるのは明白だったからだ。

 そして追跡を諦め現場の捜索に決断が傾きかけたその時、一台の車両が近づいてくる音を鷹人は捉えた。

 程なくして到着した車両から降りた男性を見て、鷹人は不機嫌さを隠そうともせずに大きく舌打ちをした。


「どうして貴様がここにいる、山崎警部補!」


 車両から出てきたのは山崎大介、警視庁捜査一課の刑事だった。そして運転席から降りてきた男性、青木とともに形だけの敬礼をすると、無造作に頭をぼりぼりと掻きながら鷹人へと近づいた。


「そりゃ、新宿の件で星を追ってるからですぜ」


「なら! ……相手がどんな存在か、貴様はよく知っているだろうが。上から『関わるな』と聞いているだろう」


 途中から山崎だけに聞こえるよう声を潜める鷹人に対し、山崎はおどけるように肩をすくめて辺りを見渡した。


「ですがね、そんなことより……随分と派手にやりやがったようですねぇ」


 言いたいことはいくつもあった鷹人だが、今の状況から己が最優先すべきことを選び出すと、見透かすような眼差しを向けている山崎をにらみ返した。


「……いいだろう。山崎警部補、現場保存を任せる。万が一の場合は貴様が指揮を執って、警官を逃がせ。いいな、これは命令だ!」


「「はっ!」」


 遠くから近付いて来るパトカーのサイレン音を感じながら、鷹人は敬礼する山崎と青木に背を向け車両へと乗り込んだ。

 そして小咲が乗り込むのが早いか鷹人は車両を動かし、水溜まりや大穴を避けながら山道の奥へと走らせた。


 そして山崎は、鷹人の乗る車両のテールランプが見えなくなると、敬礼と緊張を解き大きく息を吐いた。


「……うまくいったな。青木、あとは任せるぞ」





―――――






 北条家をあとにしたイブはマコトの家へ向かうが、まだマコトは帰宅しておらず、それどころか鈴鹿や鎌鼬三姉妹すらも不在であった。そしてやむを得ず自分の部屋へと戻り、窓から見えるマコトの部屋を眺めていた。

 一人になったイブの胸中には、得も言えぬ恐怖感がのしかかっていた。


 それは妖怪に対する恐怖感ではない。


 マコトが怪我をする、それどころか生命の危険すらあるという事実と、直面してしまったからであった。


 これまでのイブはマコトに対し、何があっても大丈夫という絶対的な信頼があった。

 しかし今回、イブは気がついてしまったのだ。


 焼け焦げて崩れ落ちたマコトの衣服についた血痕と、マコトからかすかに漂う肉の焦げる匂い。

 そして恐らくは治療するためであろう、常に自身の体に触れていたマコトの右手。


 イブはヒザマを追おうとするマコトを止めるべきか、マコトが塀を越える寸前まで悩んでいたのだ。

 しかしタマにとって大事なものを探していると言ったマコトの、決意に溢れた横顔を思い出し、邪魔はできないと踏みとどまったのだった。


「……いいなー、シリュウとサイガってば……アタシにも力があればマコっちゃんの邪魔をするんじゃなくて、手助けできたりとかさー……」


 そう呟いて深いため息を吐き出したイブは、初めてタマに会ったときに聞いた言葉を思い出していた。


 イブ自身もマコトと同様、妖怪の血を引いている。


 先祖がどのような妖怪なのかイブには見当もつかなかったが、もしそれがマコトの手助けになる可能性があるならば、調べてみる価値はあるのだろうかと考えていた。


「そんで、マコっちゃんのピンチにアタシがズバッと現れて、『今度はアタシが助ける番』なんて言っちゃったり? そんでマコっちゃんに感謝されて、『イブ、ありがとう。オレにはオマエが必要なんだ』なんて言われちゃったり? きゃあああっ!」


 茹でダコの如き様相と化した顔面をクッションに押し付け、イブは奇声を上げながらクッションごと頭を振った。

 しばらくの間そうやって妄想にふけっていたイブだったが、突如顔からクッションを離すと小さなため息を吐き出し、北条家で聞いてしまった言葉を思い出す。


『妖怪の存在を近々公表することになります』


 思い出してしまったその言葉は、妄想によって忘れかけていたイブの恐怖と不安を、再度胸の内へと深く鋭く突き刺したのだった。

 その言葉を放った男は、マコトと入れ替わりで北条家を訪れた。


………

……


「出ていった妖怪に心当たりはないのですね?」


「ああ、どうせ蔵の宝を狙ったこそ泥だろうよ。宗貴も知っての通り、あの蔵は俺の許可がねえと開かねえからな。おおかた、腹いせに燃やそうとしたんだろうよ」


 男が通された応接間の(ふすま)に張り付き、イブはユズ・セリ姉妹とともに盗み聞きをしていた。

 北条家で爆発事故と聞き飛んできたというその男は、土御門宗貴(つちみかどむねたか)と名乗った。

 その男こそACTと呼ばれる警察庁警備局特殊公安課の課長、その者であった。


「では怪我人や、盗まれた物も無いのですね?」


「おう。だいたい宗貴は心配性なんだよ、ちょいとボヤが出ただけじゃねえか」


「いやあボヤどころか、爆発したって通報でしたよ? ちょうど新宿でも爆弾騒ぎがあって、妖怪が絡んでいる可能性があるとして調査しようとしていた矢先でしたからねえ。部下と一緒に、慌てて飛んできたんですよ?」


 このときイブは、対応している康臣がマコトに関することは隠し通すつもりであることを感じ、康臣のことをただの怖いお爺さんではなく、怖いけど筋の通った格好いいお爺さんであるとして、評価を大きく変えていた。


「それに北条さんの蔵には、色々と危険な呪具もしまわれていますから。……国の管理下に置くことをお勧めしたいのですが……」


「断る。んなことより、新宿で何かあったのか?」


「ですよねぇ……二丁目のゲイバーで爆発、建物が全壊しています。その件で受けた通報の中に……一人の巨漢が拳一つで建物を破壊した、というものがありましてね」


「……それが事実なら、人間業じゃあねえな」


 その後土御門が部下からの電話を受けたあとは話題を切り替え、久しぶりに会ったらしくお互い近況を伝えあっていた。

 そして話題は、唐突に切り替わる。


「……実は先日、アメリカの田舎町が一つ、まるごと地上から消えたそうです。そこには妖怪――向こうでは悪魔や魔物と呼ばれていますが、その研究施設があったと聞いています」


「『空亡(そらなき)』……か」


「ええ、間違いないかと。また、その前後に多数の悪魔・魔物の目撃情報に合わせ、それらによると思われる多数の死者・行方不明者も出ています。……もはや、避けられない流れでしょう」


 そして土御門は一息置いて、言葉を続けた。


「少なくとも日本においては、妖怪の存在を近々公表することになります。世界の中で最も危機に対する警戒心が薄いのが、日本人ですからね……。目の前に人を食らう妖怪が現れたとしても、誰一人として逃げること無く、犠牲者が出てもなおドッキリや撮影を疑い避難しない。……それではいけないのです」


「むう……しかし全てが、危険な妖怪というわけではないぞ?」


「もちろん。以前北条さんのお孫さんを助けたマジカル・フォックスの存在があったこそ、公表に踏み切れるのです。多くの妖怪は人類の敵、もしくは無関心。しかしマジカル・フォックスのように、そうでない存在もいる。……私の部下にも半妖がいますし、北条家も付喪神と有効な関係を築いています。この国に住まう人間のみならず、妖怪もまた我々公安部が守るべき国民であると考える以上、国家と国民を第一に考えた結果の決断です」


 深い沈黙が流れる中、イブはユズやセリと視線をかわすと、自分たちに訪れるであろう変化を想像しようとしていた。

 しかしその時、襖を隔てた室内にいるはずの土御門の声が、非常に近く聞こえてきた。


「おっと、これはまだオフレコですよ?」


 直後開け放たれた襖の向こうから康臣の怒声が響き渡り、イブは盗み聞きをしていた罰として、ユズとセリとともに別室で二時間ほど正座させられることとなった。


……

………


「はぁ……マコっちゃん、無事だよね……」


 イブは未だに明かりのつかないマコトの部屋に視線を向けながら、嫌な想像を頭から追い出すように首を振る。

 そして北条家で三人並んで正座しながら話し合った、『妖怪の存在が常識になった世界』について思いを馳せる。

 イブの身近には『良い妖怪』ばかりだが、そうではないことも知っている。

 人間の姿に化けることができる、人間を食べる妖怪もいるという。

 もしそんな存在がいることが明るみに出たならば、人間同士で疑心暗鬼に陥り、世界は大混乱に見舞われるだろうというのが、イブ・ユズ・セリの共通の意見だった。


 マコトに早く会いたい。会って土御門の言葉を伝え、マコトの意見を聞きたい。


 イブは初めそのように考えていたが、日付が変わってもなお明かりのつかないマコトの部屋を見て、考えが変わっていた。


 無事で帰ってきてほしい。


 イブは特に神を信仰しているわけではないが、この時ばかりは神に願っていた。


 マコトが無事であって欲しいという一念だけを、強く、ひたすらに強く、願っていた。





―――――





 マコトは何度も頬に当たる生暖かい感触を感じ、意識をわずかに覚醒させる。

 同時に全身から激痛がマコトへと襲い掛かるが、うめき声すらも上げられず弱々しく吐息を漏らすことしかできなかった。

 その耳元で、甲高い音が響いた。


「きゅいっ! きゅいいっ!」


「こっちか!? ……うお、こいつはひでえな……桃恵さん、嬢ちゃんは大丈夫なんだな?」


「きゅいっ!」


 獣の鳴き声と男性の声に気づき、マコトはうっすらと目を開ける。だが同時にバサッと布状の物を被せられ、視界が奪われてしまう。

 そのままマコトはタバコの匂いがする布に包まれ、男によって抱き上げられた。

 その拍子に、マコトの意識は一気に覚醒する。


「ならとっととここを離れるぜ。桃恵さん、案内は頼んだ!」


「きゅいっ!」


 その男性の声に、マコトは聞き覚えがあった。

 刑事の山崎大介。

 それがなぜここにいる。そしてなぜ、桃恵さんと共にいるのか。

 タバコ臭い山崎のコートに包まれたマコトは、それらの疑問を口にする力はなく、自身の傷を癒すべく能力を行使するのが精いっぱいであった。

 そして山崎が走るのに合わせて感じる揺れの中、マコトは空気が二度変わったのを感じた。

 それは桃恵の先導で山崎が隠れ里に入り、そして桃恵の力で別の隠れ里へと移動したことによるものだった。


「真琴ちゃん!」


 悲鳴のような鈴鹿の声の声が聞こえ、それに応えようとしたマコトだが左手をわずかに動かすことしかできなかった。

 そしてその場に寝かされたマコトは、かろうじて動く左手で、顔を覆っていた布――山崎のコートをめくる。

 だが同時に涙目の鈴鹿に抱きしめられ、マコトは激痛によって意識を手放すことになった。




 目が覚めたマコトは、涙目で正座ししょんぼりする鈴鹿と、その隣で同じく正座し涙目のタマ、そして鈴鹿とタマの前に立ち「きゅいいきゅいい!」と怒声を上げるように鳴く桃恵を目にした。

 その光景に思わずクスリと笑ったところで、背中を向けようとする山崎の姿が視界に入ってきた。


「桃恵さん。嬢ちゃんも目を覚ましたことだし、その辺で勘弁してやりな」


「きゅいっ!?」


「マコト!!」「真琴ちゃん!!」


 マコトは思うように動かない体に鞭打ち上体を起こそうとすると、駆け寄ってきた鈴鹿が、今度こそと言わんばかりに優しく腕を差し出し、起き上がる補助をし体を支える。

 見渡すとそこは夜行探偵事務所の中であり、マコトは簡易ベッドの上にいた。

 そして体にかけられたタオルケットの下は包帯でぐるぐる巻きにされていたが、傷のほとんどは既に塞がっていることも感じていた。


「真琴ちゃん、さっきは堪忍なぁ……ウチ……」


「鈴鹿さん、こっちこそ心配かけてごめん」


 そうして涙を流す鈴鹿に優しく抱きしめられていると、今度はタマが涙目でマコトの膝に乗ってきた。


「マコト、ごめん……ごめんねぇ……マコトが無茶したのって、きっとわたしの憎しみに引っ張られたせいよね……」


「……つらかったね、タマ。大丈夫……私にとっても、道満は敵だよ。こっちこそごめんね、タマの力をちゃんと使えなくて。それに、治療ありがとう。鈴鹿さんと一緒に、手当してくれたんだよね?」


 マコトは左手を伸ばしてタマを撫で、そのまま抱き寄せる。

 その胸の中で静かに泣くタマを、マコトは撫で続けた。




「ところで……なんでここに山崎さんが?」


「おう、いろいろあってな。ひとまず俺も相棒の青木も、今は夜行探偵社の協力者だ」


「は? えええ? ちょ、ちょっと待ってどういうこと?」


「まあ詳しいことは、加奈さんからでも聞いてくれ。俺はそろそろ現場に戻らなきゃいけねえんでな、桃恵さん頼んだぜ」


 困惑するマコトを尻目に、山崎は背中越しに手を振り歩き出した。

 その背に深々と頭を下げる鈴鹿とタマを見て、マコトは何があったのかを思い出し、理解した。


「山崎さん、助けてくれてありがとう。桃恵さんも、助かったよ」


「きゅいいっ」


「……気にすんな。嬢ちゃんたちから受けた恩を返すにゃあ、まだまだ足りねえんだからよ」


 そう言って山崎は軽く振り返り、視界の端でマコトたちの姿を確認すると、頭をボリボリと掻きながら部屋を後にした。そのあとを桃恵が、ぴょんぴょんと跳ねながら追いかけていった。

 そして桃恵が部屋を出ると鈴鹿が思い出したかのように、マコトのボロボロになったカバンとスマートフォン、そして二つのお守りを取り出した。

 これも山崎と桃恵が見つけ、一緒に持ってきていたのだった。


 そしてスマートフォンの割れた画面に、加奈からのメッセージが映っていた。


【ったくよお、たまーにああいうガチの『刑事(デカ)』ってのがいるんだよな ┐(´д`)┌】


「山崎さんはどういう経緯でここに? てか、いまいち状況がつかめないんだけど?」


【説明してやってもいいが、明日な。今日はゆっくり寝て傷を治しやがれ (# ゜Д゜)】


「せやねえ。タマちゃんも真琴ちゃんの怪我治すのに、ようさん力つこうたさかい、ゆっくり休まんとあかんよ? 妖力は足りとる? ウチのやったら、いくら吸ってもええんよ?」


 そう言ってマコトの手を自身の胸へと押し当てる鈴鹿だったが、マコトは柔らかいその感触を感じた次の瞬間、大事なことに気が付いた。

 マコトは体のあちこちに包帯が巻かれているが、その他は何一つ身に着けていなかったのだ。


「……ありがとう、気持ちだけ貰っておく。でも少しだけ休むね」


 山崎がずっと背中を向けていた理由、そして助けられた際に自身が全裸であっただろうことに思い当たったマコトは、そっと横になるとタオルケットを頭まで被り、火照る顔面を隠すことしかできなかった。

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[一言] ヘタに裸より隠れてる方がエッチ( ˘ω˘ )
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