第42話 陰陽師と玉藻前
「芦屋……道満?」
「ほっほう! 今ようやく確信したわい……久しいのう、白面。いや、玉藻前よ」
道満の鋭い視線を受けたマコトは、反射的に右手を前に出すと、間髪入れずに妖力を右手に送る。
「リリース・かまい――うあああああああ!!」
道満がスッと右手を上げると同時に『ゴウッ!』という風切り音が響き、マコトの右手に激痛が走った。
マコトの右手を中心に発生した小さな竜巻が、マコトの右手をずたずたに切り裂いていたのだ。
しかもいつの間にかマコトの周りにはいくつもの小さな竜巻が浮いており、逃げ道を完全に塞いでいた。
「傷を治す程度なら大目に見てもよいが、下手に動かぬことじゃな。能力も戦い方も、全て見させてもらったからのう、おぬしの底は見えておる」
「くっ……リリース、タマ……」
一撃で決して浅くはない傷を負ったことでマコトは冷静さを取り戻し、手の治療に専念する。
幸いにも骨に達するほどの傷はなかったが、逆にそれが道満による手加減であることを感じたマコトは、道満と自身の力の差に大きな隔たりがあることに戦慄する。
「エイジ、いつまで寝ておる。車に戻れ」
「が、はっ……も、申し訳ありません、道満様……それと……ワタシのことは、エリザベスと、お呼び……ください……」
完全に人の姿に戻っていたエイジが苦しげに起き上がり、ふらつく足取りで車両へと歩みを進めた。
途中で振り向きマコトに向けたエイジの顔には、どことなく申し訳無さそうな表情が浮かんでいた。
そして道満はエイジの訴えに返答することも無いまま、開けっ放しになっている車両の後部座席に手を伸ばすと、片手で子供の頭ほどもある石を鷲掴みにし、マコトによく見えるように前に掲げた。
「探しものは……これであろう?」
その石こそが、北条家の蔵からヒザマが盗み出したものであった。
そしてその石をマコトが追っていた理由は、北条家から盗まれたため、というだけではない。
「殺生石――妖力を封じられ石にその身を変えた、玉藻前の死骸の一部じゃ」
タマ――玉藻前の、力の結晶。
マコトがタマに本来の力を取り戻させるため、探し求めているものだった。
「……それをどうするつもり?」
「普通の殺生石であれば加工次第で優秀な呪具になるでのう、使いみちは色々じゃ。しかし玉藻前の死骸ともなれば、おいそれと加工はできぬが…こうしておぬしを釣りあげることもできる。とはいえあまりにも早うに釣れてしもうたでな、このワシですら驚いたぞ、玉藻前よ」
マコトは考えを巡らせ、隙を見て殺生石を奪取する術を探りながら、道満の様子をうかがう。
道満はどこか歓喜にも似た表情を浮かべつつ、殺生石をマコトに見せびらかすためか、片手で軽々とお手玉のようにして弄んでいた。
「昔に比べ動きも悪く、八門遁甲も児戯に等しきものであったが……それでもエイジを退けるほどの力、さすがは玉藻前と言ったところじゃ。まずは褒めてやろう」
車両からエイジの「エリザベスよ」という声が聞こえてきたが、道満は完全に無視して言葉を続ける。
「おぬしの状況を見るに、力を取り戻そうとしておるのじゃろう? そのために殺生石を求めておる。そうじゃな? ……わしに力を貸せ。そうすれば、殺生石はくれてやる」
「……犯罪者に手を貸すつもりはないわ。それに私は、あなたを信用しない」
マコトは道満が何を提案しようとも、一切聞く耳はなかった。それはマコトの内に在るタマの激しい憎悪が、道満に向けられていることを感じていたためであった。
「犯罪? ふん……そんなもの、大事の前の小事に過ぎぬ。過去のことを水に流せ、とも言わぬ。じゃがわしに手を貸さぬというのであれば……過去の悲劇が繰り返されるだけじゃ」
マコトはその瞬間、タマの感情――怒りに飲み込まれ、全身の毛を逆立てた。
同時にタマの記憶の断片が、マコトへと流れ込んだ。
「芦屋道満。あの人に毒を盛った貴方を……私は、絶対に! 許さない!!」
玉藻前が平安の世で出合った男性は、とても綺麗な笛の音を奏でる、優しい人だった。
やがてその男性は病に伏してしまい、その原因は玉藻前の妖気によるものとされた。
玉藻前に罪を被せるため、男性に毒を盛っていた者がいたのだ。
妖怪『烏天狗』。
それが芦屋道満、その者だった。
「あれはそもそも、おぬしが悪いのじゃぞ? 妖怪が人間の、それも時の権力者と結ばれようなどと、許されるわけなかろうが」
呆れたような表情に変わった道満に対し、怒りの表情に変わったマコトは無言で妖力を開放する。
リリースと口に出さないことで通常よりも大量の妖力が失われるが、マコトは怒りに身を任せるかのようにして能力を発動させた。
「む? 玉藻前よ、わしは動くなと言ったはず……何じゃとっ?」
マコトは周囲に浮かぶ無数の小さな竜巻に対し、風の刃をぶつけて相殺する。次いで炎の竜巻を生み分裂させながら、他の自身の能力に加え、シリュウ・サイガの力をも発動させる。
「芦屋道満! おまえの行ってきた数々の理不尽……このマジカル・フォックスが、喰らい尽くす! うおおおおおお!!」
空中に浮かぶ数十本の槍が飛び、数十丁の短銃が銃弾を放ち、そして身体強化を最大にしたマコトが道満へと間合いを詰める。
槍が、銃弾が、マコトの右拳が、道満へと肉薄した次の瞬間だった。
下から吹き上げる幾本もの竜巻が轟音を響かせ、全ての槍を粉々に砕き、全ての銃弾を逸して銃をへし折り、そしてマコトを吹き飛ばした。
直後に道満目掛け殺到した三体の炎龍は、全て竜巻に飲み込まれて消滅していた。
「三本しか龍を出せぬようでは、到底わしには届かぬぞ?」
炎龍を飲み込んだ竜巻は一本に纏まり、牙を剥く風の龍へと姿を変え鎌首をもたげると、まるで嘲るような笑みを浮かべた。
その視線の先には全身を切り裂かれ、うつ伏せで血の海に横たわるマコトの姿があった。
特に右腕の傷は深く、拳に至っては傷口から骨が覗いているほどであった。
「ふむ? やりすぎたようじゃのう、しかし生きてさえおれば……む?」
そのときマコトの体に変化が起きた。
背中まで伸びていた銀色の頭髪が肩までの黒髪になり、纏っていた巫女服が消え傷だらけで血に染まる肌が露になる。
マジカル・フォックスへの変身が解け、マコト本来の姿へと戻っていたのだ。
その直後、うつ伏せに倒れるマコトの前に銀色の輝きが生まれる。
まるで道満からマコトを守るかのように現れたその光は、程なくして女性の姿をとった。
銀色の長い髪を揺らし、豊満な肉体を巫女服に包む、三本の尾を揺らすその女性――タマは、肩で息をしながら道満をにらみつける。
「ほっほ、ようやく本性を現しおったか、白面。じゃが……銀毛とはのう、妖力が足りておらぬのではないか? それにしてもその娘、お主が憑いておっただけじゃったか」
「……殺生石は諦めるから、引いてくれないかしら?」
タマの表情は怒りと屈辱に耐えるかのように歪み、その声もまた感情を抑え込むような低い声だった。
常人なら向けられただけで意識を失いかねない重圧を受け、それでもなお道満はどこ吹く風とばかりの様子を見せる。
「ほっほっほ、そうはいかぬ。その娘、並みの妖狐ならいざ知らず、白面を内包できるほどの器。俄然、興味が湧いてきたぞ!」
そう言いながら一歩踏み出した道満の前に、タマが立ちふさがると、獣のように四つん這いになって牙を剥いた。
「やらせない! わたしの大事な人に……もう指一本たりと、触れさせるものか!!」
爪を伸ばし道満へと飛び掛かるタマ。
その両隣に、たくましい肉体を持つ男が二人現れた。
長槍を持つシリュウと短銃を構えるサイガが、無言のままタマと並んで道満へと襲い掛かったのだ。
「やれやれ、槍と銃の付喪神じゃな? よくもまあ次から次と……しかし、無駄じゃよ」
シリュウが繰り出す槍の穂先も、サイガの放つ銃弾も、タマの振り下ろす鋭い爪ですら、道満が正面に張った風の壁を超えることができなかった。
さらに道満の腕の一振りで生み出された風の刃で、タマと二体の付喪神は体を上下に分断されてしまう。
タマは怒りと憎しみの、シリュウとサイガは無念の声を上げながら、光の粒子となって消えていった。
「今は時間が無いでのう、話ならあとでゆっくり聞こうではないか。エイジ、その娘を捕まえて車に……むうっ?」
その時マコトの両手が地面を掴み、力が入るのを道満は見逃さなかった。
そしてゆっくりと起き上がろうとする様子に、道満は感嘆の息を吐く。
「やれやれ、まだ立ち上がるとはしぶといのう……むうっ!?」
どこか小馬鹿にしたような表情の道満が、俯いたままのマコトへと一歩踏み出したその瞬間。
道満は感じたことのない強大な気配に戦慄し、目を見開いた。
「な、なんじゃこの妖気は!?」
地響きとともに地面が揺れてひび割れ、その隙間から大量の水が噴き出す。
その水は一か所だけではなく、マコトと道満を囲むようにそこかしこから溢れ真上へと噴出した。
そして慌てて飛びのいた道満の目は、噴出した水がそのまま空中に留まり、いくつもの水龍へと姿を変えるのを見る。
しかもその水龍達はゆらゆらと揺れると牙を剥き、程なくしてその冷たい視線を道満と風龍へと向け突撃する。
巨大な風龍は何体もの水龍に噛みつかれて動きを止め、残る水龍が道満へと迫る。
その道満は咄嗟に風の障壁を張り巡らせ、激流と化した水龍を受け流すが、その足元にもまた亀裂があり、隙間からわずかに水があふれだしていた。
「むっ!? し、しまっ――」
直後、その足元から噴き上がった濁流が道満を飲み込み、風の障壁を内側から突き破った。
そして風龍を食い破った水龍と共に上空へ舞い上がると、全ての水龍が絡み合いながら一地面へと向きを変え、一気に瀑布となって降り注いだ。
それは立ち上がろうとした態勢のままだったマコトのみならず、エイジが乗っていた車へも襲い掛かり、荒れ狂う濁流は辺りの全てを飲み込んだ。
―――――
「やれやれ、酷い目に遭うたわ」
エイジの運転する車両の後部座席で、芦屋道満は深い溜息を吐く。
その掌には大きな石――殺生石が乗っていた。
「フォックスちゃんったら、まだあんな大技を隠し持ってたなんてねぇ。でも良かったんですの? フォックスちゃんを探さなくって」
壊れて全開になった窓から吹き込む風に負けないよう、エイジは大声で道満へと問いかけた。
「殺生石がこちらにある以上、また向かってくるじゃろう。それにACTの小僧が向かってきておったからのう、更なる面倒ごとは御免じゃ」
「あらぁ、フォックスちゃんがACTと協力することになったら、余計に面倒になるんじゃないかしら?」
「……問題なかろう。どちらに転んでも、目的は達せられる」
その時車両が「ガタン!」と大きく揺れ、そのままエンジンが停止した。エイジはキーを捻り再始動を試みるが、キュルキュルキュルという音もどんどん弱くなり、ほどなくして完全に沈黙すると道満は再び大きな溜息を吐いた。
「やれやれ……まあよい。隠れ里まではもう少しじゃ、歩くとしようかの」
エイジが返事とともに車を降り、素早く回り込んで後部座席のドアを開けようとした。
しかし歪んだドアは開きにくくなっており、エイジが力を入れるとドアごと外れてしまう。
「不完全な八門遁甲じゃったとはいえ、中々の威力であったのう」
「完全な八門遁甲……想像したくないわねぇ」
「白面が用いる本来の八門遁甲はのう、全ての門から別々の龍が襲い掛かるという代物じゃ。しかし水龍だけとはいえ、よくもまあ八体も操れたものじゃ」
そう言いながら車から降りた道満はエイジに目を向けることなく、ボロボロになった車両に目をやり頭を振った。
そして通ってきた山道を振り返り、マジカル・フォックスとの戦闘を思い出す。
「しかし……最後に感じたあの禍々しい気配は一体……」
道満を畏怖させた強大な妖気は、道満が平安の世で相対した、玉藻前すら上回っていたようにも感じていた。
そもそもあの水龍は八門遁甲だったのか、という疑念もあった。
それを憑かれていただけの器、それも白面の抜け殻に近い状態の小娘から感じたという事実に、腑に落ちないものを感じていた。
「……わしの駒となりえるか、それともあのお方の駒に留まるか。いずれにせよ、あ奴にはもっと力を付けてもらわねばのう」
「あら、道満様もフォックスちゃんに興味湧いちゃったのかしらぁ? ところで神殺しって何です?」
「それをお主が知るのはまだ早いのう。……さて、ゆくぞエイジ」
「いやあねえ、道満様。エリザベスって、呼・ん・で♡」
道満はパンツ一枚のエイジを無視して走り出した。




