第40話 ジェンダーフリーってなんだっけ
北条家から逃げたヒザマを追っていたマコトは、程なくして大きな公園にたどり着く。
そこは池の畔に小さな神社があり、親子連れがくつろぐのどかな公園であった。
そのベンチの一つに大きな石を抱えて座る、目付きの鋭い中年男性の姿を発見したマコトは、素知らぬふりで男性の風下を通り過ぎ、離れた場所で様子を窺う。
その男の近くには親子連れどころか誰もおらず、その辺りだけまるで人避けの結界でも張っているかのようで、周囲の人々は男の方を見ないよう明らかに視線を逸していた。
マコトはその男からヒザマの匂いを感じ取ると、その場を離れ人気のない場所を見つけると、身を隠して透明化と変身を解除する。
「さっき盗まれたって聞いた服を着ていたし、あいつがヒザマで間違いないな」
ヒザマが着ているTシャツの正面には、半裸美少女のアニメ絵が大きくプリントされていた。幸いにもその服装のおかげでヒザマに近づく者はいなかったが、流石にここで仕掛けることはできない。また人払の護符はヒザマに気づかれる可能性が高いため、今は監視するしかない。
そう考え離れて様子を見ることにしたマコトだが、タマからの返事が無いことに気がついてブラウスのボタンを一つ外し、その中にあるノーブラの胸を覗き込む。
「タマ?」
マコトの呼びかけに応えるように、マコトの胸元からタマの小さな頭が姿を表す。
しかしその表情にいつもの無邪気さはなく、不安と悲しさがない混ぜになった複雑なものであった。
「……マコト、無理してない?」
「心配ないわ。傷も火傷ももう治ってるからね、タマの力のおかげよ」
マコトはそう言って、自分の背中に手を回して軽く叩く。
そこは康臣を庇った際に壊れた扉が激突し、更にヒザマの炎によって焼かれた箇所である。
マコトはその傷を見られないように変身して幻の外見で隠し、治癒の力を放つ右手をさり気なく自身に触れることで、誰にも気づかれないよう全快させていたのだ。
「あ、そういえば髪は……」
後頭部の髪も焼けたのではないかと手を伸ばしたマコトの指に、いつもどおりの柔らかいウェーブの掛かった髪が触れた。
「蜃の幻を常時発動してなきゃいけないかと覚悟してたけど、焼けてなくて良かったわ……ん?」
髪があることに安堵したのも束の間、マコトの視界に気持ち悪いものを見たような顔をしたタマの顔が飛び込んできた。
「マコト……最近いつもの口調と女言葉が混じってて、なんだか気持ち悪いわ!」
無言でタマの頭を握ったマコトは、タマが小声で上げる悲鳴を聞きながら、ヒザマのいる公園へと足を向ける。
そのままヒザマの姿がかろうじて見える木陰に身を隠し、機会を窺うつもりであったが、マコトは監視を始めて間もなく過ちに気がついた。
ヒザマの背中側にある公園の入口から二名の警官が姿を表し、ベンチに座るヒザマへと足を向けたのだ。
日中の公園で、半裸の女性アニメキャラがプリントされたTシャツを着た男性が、赤ん坊の頭ほどもある石を抱えて一人ベンチに座っている。
通報されるのも当然の案件であった。
しかしこのままでは警官が危険だと感じたマコトは、変身して飛び出すべきかと考えるが、警官を追いかけるように駆けてきた男性を見つけ踏みとどまる。
浅黒い肌にドレッドヘアーのその男性は、マコトもよく知る人物だった。
「なんで鷹人がここに?」
警察庁警備局特殊公安課の対妖怪特殊部隊『Anti Chaos Troops』、通称ACTの剣持鷹人は、警官に追いつくと手帳を見せ、小声で何やら話しながらヒザマから離れるように移動した。
そして公園内の家族連れの方へ目をやると、スーツ姿の女性が静かにかつ速やかに、家族連れを避難させている姿があった。その女性は大埼小咲。鷹人と同じくACTの捜査官だ。
「小咲まで……ヒザマを追っているのか?」
「ちょっと動きが早すぎじゃない? ヒザマが蔵から出て騒ぎを起こしてから、まだ一時間位よ?」
なぜACTがこんなにも早くヒザマに辿り着いたのかマコトにはわからなかったが、もしここでACTとヒザマが戦闘になったならば、マコトは場合によってはACTに手を貸す腹積もりを決める。
幸いにもヒザマは静かな避難に気がついた様子はなく、苛ついたような顔で公園脇を走る道路を睨みつけていた。
そして間もなく全ての避難が終わろうかという頃、跳ね上がるように立ち上がったヒザマが道路へと走った。
そこには一台の黒塗りの車が止まっており、後部座席へ滑り込むようにヒザマが乗り込むと同時に、車両は静かに発進しそのまま走り去った。
反応が遅れた鷹人は必死に追いかけるものの追いつけるはずも無く、悔しげに悪態をついてスマートフォンを取り出した。
「不審車両の照合と追跡だ。黒のト○タ車で4ドアのセダン、ナンバーは品川333―し―4444で、善副寺を南に……偽造ナンバーだと? ……それに新宿の件で一課が……ちっ、警官は抑えろ! 絶対に接触させるな!!」
そう言って踵を返した鷹人を尻目に、マコトは人の目が無いことを確認すると透明化し、変身して走り出す。
そして公園を出たマコトは、電柱の上やトラックの荷台を飛び移りながら、ヒザマが乗る車両の追跡を始める。
ヒザマを乗せた黒塗りの車両は高速道路を西へ向かい、多摩川を越えて程なくして一般道へ降りると、そのまま八王子市の北西へと進んだ。
周辺は都内とは思えないほどの自然が広がっており、日が沈みかけた黄昏時ということもあってか、車通りも人通りもまばらになっていた。
そして道路がアスファルトから山道へと変わり、草木の茂る野原に差し掛かったその時、車両が停止して後部のドアが開いた。
そこから不敵な笑みを浮かべたヒザマが顔を覗かせると、走って追いかけていたマコトがいる方角へと顔を向けてきた。
「……ちょろちょろとついてきてんじゃねえぞ、おらあ!」
「陰火!」
ヒザマが突然吐き出した炎にあわせ、マコトは青い炎で壁を作る。
互いに打ち消しあった炎が消えると、口元からこぼれた炎で自らを火達磨にしたヒザマが、人型から鶏へと姿を変えていた。
そして透明化が解除されたマコトは、ヒザマに尾行が気付かれていたことと、誘い込まれた事実に目を細める。
「もしかしててめえ、マジカル・フォックスとかいうクソ狐か? けっけっけ、俺にもツキが回ってきたらしいな!」
「どういうことだ?」
「頭を下げて尾行を詫びるなら、教えてやるよ!!」
再度ヒザマが吐き出した炎を、マコトは陰火で即座に打ち消す。
しかし炎によって奪われた視界の向こうから、マコトへと飛び掛ってくる気配を感じ、その場から軽く後方へと飛びのいた。
『ドゴァッ!!』
「な……にいっ!?」
炎のカーテンを突き抜けてきた人影が、寸前までマコトがいた空間へ拳を振り下ろしていた。
恐るべきはその威力で、地面をえぐり小さなクレーターを作り出していたのだ。
「あらぁ、あっさり避けちゃうのねえ? 流石はフォックスちゃんだわぁ」
その声に反応し視線を向けたマコトは、思考が停止して固まってしまった。
そこにはゴシックロリータ調のメイド服を着た、プロレスラーのような巨躯の男性がいた。
マコトは一度ヒザマへと視線を移し、もう一度前を確認する。
やはり身長二メートルを超える大男が、ゴスロリメイド服を着て立っていた。
幻覚や見間違えを疑いマコトは軽く瞼をこするが、やはりメイド服のレスラーが消えることはなく、現実であることを認識して軽く眩暈を起こす。
「ねえフォックスちゃん、『夜行』なんか抜けてウチに来ない? 待遇良いわよお? なんならお望みの品だって、働き次第では……ねえ?」
その男の言葉で、マコトの思考が復活する。
夜行そのものは、妖怪なら知っていてもおかしくない。
しかしマジカル・フォックスと夜行の関係を知る者は、そう多くないはずなのだ。
「あなたは妖怪? それとも半妖?」
「半妖よ? フォックスちゃんと同じ、ね」
マコトはメイド服レスラーのウインクを受け、脱力感を抑えながら夜行や自分のことをどこまで知られているのかと警戒する。
「何を馴れ合ってやがるエイジ!!」
「あらやだ短気ねえ、カルシウム食べて落ち着きなさいよ。伊勢海老食べる?」
そう言ってエイジと呼ばれたメイド服の男は、懐から大きな伊勢海老を二尾取り出し、うち一尾に頭からかぶりつきながら、もう一尾をヒザマへと差し出した。
「殻ごとかよ! 食わねえよ!! つかどっから出した!?」
「乙女のひ・み・つ。それとワタシのことはエリザベスって呼んでって言ったじゃない、いやあねえ」
「呼ばねえよ! ……ああクソ、何なんだよこいつは……」
疲れた顔で炎混じりの溜息を吐くヒザマに、マコトは若干の共感を覚えるものの、溜息と共に吐き出し無かったことにした。
そして毒気を抜かれたマコトは気力を奮い立たせると、バリバリと音を立てて伊勢海老を咀嚼するエイジから目を逸らたい気持ちをこらえつつ、濃いアイシャドーの奥にあるエイジの瞳を真っ向から睨みつける。
「頭を下げるつもりも、仲間になるつもりもない」
マコトがそう言い終るが早いか、一瞬のうちに間合いを詰めたヒザマが鉤爪の生えた脚を高く上げ、踵落としのように振り下ろしてきた。
『ガキッ!』
しかしヒザマの鋭い鉤爪は、マコトの体に届くことは無かった。
その攻撃を受け止めたマコトの右手には、いつの間にか現れた一本の短槍が握られていた。
「てめえ!? いったいどこから……ぐうっ!」
『パンッ!』
マコトはヒザマを押し返し短槍を一閃させると同時に、左手に現れた拳銃をヒザマへと向け引き金を引いていた。
短槍はヒザマの胸部に一文字の傷を刻み、銃弾がヒザマの腹部に穴を穿った。
どちらの傷からも炎のように燃える血液が勢い良く噴き出させているヒザマが、怒りの眼差しをマコトではなく、少し離れた位置で様子を覗うように立っているエイジへと向いた。
「手ぇ貸しやがれ、このクソオカマ野郎!」
「あむ、んぐ。……ごくん。あらあ、ワタシもあんな太ぉい槍で貫かれちゃうのかしら! でも銃も硬くて勢いも良さそうねぇ、どっちも捨てがたいわぁ……」
伊勢海老を食べ終えたエイジから、舐め回すような視線が短槍と拳銃に向けられた。
マコトは右手に持つシリュウと左手に持つサイガから、怯えや恐怖といった類の感情が流れ込んでくるのを感じながらも、二人の姿を維持するため首から提げたお守りへ妖力を送り続ける。
妖力さえあれば、本体と同じか近い形なら顕現させられるということを、マコトはお守り袋を通して二人から聞かされていた。
そのためマコトはシリュウを片手で扱いやすい短槍に、サイガを以前触ったACTの大埼小咲の持つ拳銃の形を取らせ、それぞれ顕現させていたのだ。
「気色悪いこと言ってんじゃねえよクソオカマ野郎! だいたいてめえその口調は何なんだよ!!」
何か心にちくりと突き刺さる感覚を覚えたマコトは、思わずエイジとヒザマから視線を外して空を見上げた。
夕暮れ時を過ぎた空には、ぽつぽつと星明りが見え始めていた。
「大人の女性なんだから、普通の口調じゃないかしらあ?」
「普通じゃねえよ、てめえは男だろうが! それにその格好は何なんだよ!」
「あら、時代はジェンダーフリーよお? 男が女の格好をするのだって、男を好きになるのだって、何だって自由なのよ?」
「ジェンダーフリーを履き違えてんじゃねえ! つか男って自分で言ってるじゃねえか!? 男なら男らしくしやがれ!!」
マコトはジェンダーフリーって何だっけなどと考えつつ、久しぶりに見る星空を眺めながら、何故か溢れそうになる涙をこらえていた。
「気持ち悪いんだよ、ホモ野郎が!!」
マコトは少しだけこぼれていた涙を拭って視線を下ろすと、困ったような顔をしたエイジの姿が目に入る。次の瞬間短槍を持ったまま自身の胸に右手を当て、騒ぐたびに体のあちこちから炎を上げるヒザマを睨みつけた。
「ちょっと言いすぎじゃないかな?」
「ああ!? だいたいてめ……え……え?」
目を丸くして言葉を失うヒザマの視線の先には、宙に浮く十本の槍と十丁の短銃の中心に立つマコトがいた。
それらは全てシリュウとサイガ本来の姿であり、マコトとマコトの妖力を得た二人の持つ能力でもあった。
「仲間割れをしている場合? 今は男だとか女だとか、関係ないよね」
マコトは、自身もまた性別の境界線上に存在していることを想い、エイジと自分はある意味では同類なのではないかと感じていた。
ただしマコトとエイジには女性として生きる理由と、現在置かれている立場に大きな隔たりがあった。
「私にとってヒザマもエリザベスも、敵であることに変わりはないわ」
マコトは宙に浮く全ての槍をヒザマに向けて射出し、同時に全ての銃口から弾丸を発射する。翼を広げ飛び退ろうとしたヒザマだったが、脚と翼を撃ち抜かれ体勢を崩したところに槍が降り注いだ。
「ぎえええええええっ!? ……き、消える、消えちまうううう!!」
全ての傷口から炎を吹き上げるヒザマがみるみるうちに小さくなっていき、その存在自体が希薄になり姿が透けていく。
「ぼ、ボケっとしてねえで、助けやがれ! エイジ!!」
マコトは槍で地面に縫い付けられもがくヒザマに近寄ると、シリュウとサイガの能力を全て解除し左手を伸ばす。
「理不尽の代償、その身で贖え。ドレイ……くっ!?」
しかしマコトの左手がヒザマの体に触れる直前、間合いを詰めたエイジの岩のような拳が、マコトの眼前を通り過ぎた。
飛び退いたマコトは再度短槍と拳銃を生み出そうとするが、目の前の光景に驚愕し言葉を失っていた。
地面をえぐるエイジの一撃は、ヒザマの胴体を貫いていたのだ。
悲鳴すら上げる間もなく、ヒザマの体は光る粒子となって消え、炎が全て消えたことにより辺りは薄闇と静けさに包まれる。
「エリザベス……そいつ、仲間だったんじゃないのか?」
「あらぁ、仲間じゃないわよぉ? ただ上司が同じってだけ。それに……フォックスちゃんに吸収されたり封印されたりしちゃうよりも、一時的に死ぬ方がマシよ? ヒザマって実体の無いタイプの妖怪だから、何年かすれば故郷の沖永良部島で復活できるものね」
「……随分と私のことを知っているようね。……狐火」
マコトは映像に残されている場面で、ドレインを使用したことはない。
『夜行』がマコトの情報をどれだけの妖怪に共有させているのか、後で草壁に確かめる必要があると考えながら、マコトは明かりを作り出しエイジと対峙する。
「あなたには色々と聞きたいことがあるわ」
「奇遇ねえ、ワタシもフォックスちゃんとゆっくり話がしたいと思ったところなのよぉ。でもまずは……」
「ええ、そうね」
エイジがスッと目を細め、腰を落として両腕を広げる。
マコトは女になってしまった男として、女になりたい男と向き合い、拳を固めた。




