第39話 逃げられると思うなよ
マコトは鈴鹿の力『火炎耐性』をリリースし、康臣に覆いかぶさるようにしてその身で庇う。
同時にイブや北条父娘らには、鈴鹿の『火炎操作』の力に加えて狐火の陰火を用い、青い炎で4人を守る。
その、つもりであった。
しかしそのどちらもが、ほんの一瞬、紙一重の差で間に合わなかった。
炎に巻かれながらマジカル・フォックスへと姿を変えていたマコトは、それを理解しているからこそ、全ての炎を陰火で鎮火させたあと、辺りを見渡して安堵の息を吐いた。
真っ黒に焼け焦げた芝生の中、自分の足元の他にニ箇所だけ、燃えずに緑をたたえたままの芝生が焼け残っていた。
緑の芝生の上にへたり込んでいたのは、きょとんとした顔のイブ。
もう一箇所の芝生には、きつく目を閉じたまま大事な者を抱えて背中を丸める康秀と、その康秀の胸に顔面を押し付けられ、もがくセリとユズ。
いずれも火傷どころか衣服にも焦げ一つ無く、炎に包まれる直前の姿そのままだった。
全員が無事であることを確認したマコトは、炭化した杖を放る康臣に手を貸して、皆の元へゆっくりと近付いた。
「みな無事のようだな? わしは、ちいとばかし服が焦げちまったが……畜生め、前に蔵ぁ開けたとき、妖怪ごと閉じちまってたようだな」
「「むぐー! むぐううーー!!」」
「……はっ!? 炎は? 妖怪は!?」
ようやく我に返った康秀がユズとセリの後頭部から手を離し、必死な表情で謝罪を始めた。
その様子を見て微笑を浮かべたマコトは、立ち上がりこちらに駆けて来るイブへと視線を移した。
「ちょーびびったし! 熱くなかったんだけど、これもマコっちゃんの力?」
「まあな。それより――」
燃える鶏が盗んでいったものに一瞬気が逸れるマコトだが、体の奥から感じるタマの想いは『先にすべきことがある』というものだったので、マコトは心の中でタマに感謝を告げつつ『すべきこと』の優先順位を頭の中で整理する。
マコトの背中から足元へとぱらぱらと落下する燃えカスも要対処案件の一つだが、最優先すべき問題はユズ・セリとその父親の視線の先にある、二つの人影にあった。
「シリュウ、サイガ……すまない、助かったよ」
「願わくば、主を害しようとした憎き物の怪に、せめて一突き食らわしてやりたかったのですが……」
「少なくとも……主やそのご家族を守るという、本懐を遂げることはできたでござるよ……」
そこに立つ人の姿を取っている二体の付喪神は、体が半分以上透けているだけではなく、指先から細かい粒子となって崩れ始めていた。
それはマコトが間に合わなかった刹那の時を埋めたことによる、大きな代償であった。
「妖力の使いすぎ、だな? ……シリュウ、そしてサイガ。体を張ってわしの孫を守ってくれたこと、感謝するぞ……よくやった」
「ははあっ……」
「勿体無きお言葉に、ござるよ……」
着物の袖口や裾を焦がした康臣が、ゆっくりと膝をついた二体の付喪神へとねぎらいの言葉をかけると、それぞれの肩に手を置いた。
イブと北条父娘が炎に巻かれる寸前、立ち塞がるシリュウとサイガがその身で炎の勢いを抑えてくれていなければ、マコトの火炎操作と陰火は間に合わず、四人は大火傷を負っていただろう。
「シリュウ!? 消えてはいけませんわ!! シリュウ!!」
「サイガ……勝手にいなくなるのは、だめですぞ……だめなのですぞ……」
消えゆく二体の付喪神にしがみつき涙を流すユズとセリだったが、その願いも虚しく、二人の腕をすり抜けるようにして、シリュウとサイガは光の粒子となり消えてしまった。
本体である槍と火縄銃のある部屋まで戻るしかないと考えたマコトだが、ユズとセリに出会った日の事を思い出し、呆然と膝をつくユズとセリの背に声をかける。
「シリュウとサイガの欠片が入ったお守りを出してくれ。まだ間に合うかもしれない」
驚愕に目を見開いた二人がマコトの元へ走り、差し出してきたお守りを受け取ると、マコトは焦る気持ちを抑えながら中身を取り出した。
ユズのお守りからは錆付いた小さな釘が、セリのお守りからは片側が焦げて解けかけた細い縄が出てきた。
釘は『目釘』と呼ばれる、穂先を柄に固定するためのもの、そして細い縄は火縄銃の火薬に着火するための、火縄そのものであった。
しかしその目釘は見る見るうちが錆が広がり、火縄はどんどんと解け崩れていっていた。
マコトは目釘と火縄を掌の上に並べると、五人の視線を浴びながらも、躊躇すること無く口付けをする。
そして唇へと意識を集中させてわずかに吸った妖力を解析し、すぐさま自分の妖力をシリュウとサイガのものへと変化させ、目釘と火縄へ注ぎ込む。
程なくして二体の欠片から唇を離したマコトは、その手にあるものを見て安堵の息を吐く。
「……うん、ちゃんとシリュウとサイガの存在を感じる。もう大丈夫」
そう言ってマコトは、錆一つ無い真っ白な目釘をお守り袋の中へと戻し、ユズへと手渡す。
次いで蝋がしみこんでいるような艶を放つ火縄をお守り袋の中へ戻し、セリへと手渡した。
そしてお守り袋を抱きしめながら感謝の言葉を繰り返すユズとセリに、念のため本体を見てくるように薦めたマコトは、右の手のひらを腰に当てて大きく一息つくと、小走りで母屋へ戻る姉妹とその父親の背を見送った。
「くくくっ……これで北条家の者は全て、命を助けられたわけか……礼を言うぞ、朱坂さん。いや……マジカル・フォックスと言うべきか?」
「今はフォックスの方でお願いします。それとシリュウとサイガを確認しに行かなくて良いんですか?」
「おう。そんなもん、フォックスが大丈夫だと言うんなら間違いねえだろ。しかしまあ……改めて見ると、ずいぶんと別嬪さんじゃねえか。その可愛らしい服や体も焦げてねえようで、一安心だぜ」
マコトは今の自分を眺める康臣の視線から逃れるようにすり足で後ずさりしつつ、康臣をこの場から立ち去らせる別の手段を思案しつつ、場合によっては助けを求めることになると考えイブの姿を探す。
するとそのイブはマコトの背後に回っており、地面に散らばる焼け焦げた布の切れ端を、青い顔をしながら拾っていた。
そしてマコトの視線に気がついたイブが、泣きそうな顔をしながらマコトに詰め寄る。
「ねえマコっちゃん……あたしたちって服も焦げてないのに、なんでおじーちゃんだけ裾とか焦げてるの?」
何か言おうとするマコトだったが、康臣の視線に気付くと、言葉に詰まり目を伏せた。
そこにイブが、一歩近付いた。
「ねえマコっちゃん……変身したときマコっちゃんが着てた服って、どこ行くの?」
更にマコトへと一歩近付いたイブの手には、焼け焦げて崩れ落ちた布の切れ端――マコトが着ていた洋服の一部が乗せられている。
「ねえマコっちゃん……なんでさっきから、一歩も動いていないの?」
「あ、いや、それは……あ」
イブの言動と表情に動揺して一歩引いてしまったマコトの、赤い袴のようなスカートの裾から、端が黒く焦げた白い布がひらひらと地面に落ちた。
その布に、マコトとイブと、そして康臣の視線が突き刺さる。
「……わ、わあああ!」
慌てて足元の布――パンツの切れ端を拾ったマコトは、康臣の視線から隠すようにパンツを抱きしめて一歩下がった。
しかしそれまで腰を抑えていた右手を離してしまったことによって、今度は元々穿いていたスカートの、前半分がバサッと落下した。
さらに追い討ちをかけるように、スカートを拾おうと手を伸ばしたマコトの上半身から、ブラジャーとブラウスの前半分がはらりと落ちる。
「「……あ」」
「み、見るなあああ!」
妙に揃った康臣とイブの声で我に帰ったマコトは、顔に感じる熱を気取られないよう俯きながら、地面に広がる衣服の残骸を全て拾って抱きしめる。
「リリース! べとべとさん!!」
そのまま姿を消したマコトは、扉が破壊され開け放たれた蔵の入り口をくぐり、すぐ横の物陰へと身を隠した。
しかし足音を頼りに追いかけてきたのか、間をおかずしてイブの気配がマコトに迫る。
「ま……マコっちゃん?」
破壊された入り口から顔を覗かせるイブの声に顔を上げたマコトは、既に透明化を解除しており、左手に抱えた服で胸元を、右手はスカートを抑えるようにして下腹部を隠す体勢だった。
そしてイブから視線を離したマコトは、下を向き大きな溜息を吐き出した。
「マジカル・フォックスのときに着ている服って、全部幻なんだよ……だから……本当は今……裸、なんだ……」
「……へ?」
「火炎耐性の力って、効果があるのは身体だけなんだよ……脚の間にパンツが挟まってるのわかって、スカートも切れそうなベルトだけでギリギリ繋がってるだけだったから、なるべく動かないようにしてたのに……」
情けなさなのか恥ずかしさからなのか、マコトは瞳を潤ませながら、蔵の中で立ち尽くしていた。
「じゃさ、火傷とかしてないんだよね!?」
「……ああ、もちろん。それより全裸に幻だけの状態で、外に出たくないんだけど……」
「わかった、チョット待ってて!」
マコトは言い終わるより先に蔵を出て駆けていったイブを見送り、右手から流す治癒の力に集中する。
程なくしてイブの連絡でユズとセリが持ってきた着替えのうち、ぎこちない動きでブラジャー以外を身に着けたマコトは、変身したままの姿で蔵の外へ出る。
マジカル・フォックスの見た目としては何一つ変化は無いのだが、服の上から纏う幻と、全裸で纏う幻では、マコトが感じる羞恥心に大きな差がある。
そして再度腰に右の手のひらを当てたマコトは、燃える鶏が飛び去った方角を睨みつける。
「……まだ匂いも残ってるし……そう遠くまで行ってない気がする」
「むう? まさか、追いかけるつもりか?」
「もちろんよ。ところで盗まれた石だけど……取り返したら、少しだけ貸して欲しいんだけど、いい?」
「好きにしろ、元々やるつもりで連れて来たんだ。……あれが、必要なのだろう?」
ニヤリと笑う康臣の視線を受け、マコトは柔らかい微笑を浮かべて頭を下げた後、瞳に強い意志を宿らせて顔を上げる。
「康臣さん、感謝します」
「良いってことよ。最もあの程度じゃ、わしや孫達の命の対価にもなりゃしねえがな」
そう言って笑う康臣の側には、いつの間にか戻ってきていた康秀が真新しい杖を手に立っており、煤けた表情で遠くを見ていた。
そしてマコトは康秀の手から康臣が杖を奪うのを横目で見ながら、背中から降ろしていたおかげで焼け残っていたカバンからスマートフォンを取り出し、夜行探偵社の加奈へとメールを送る。
『妖怪に襲われた。鶏みたいな妖怪について教えてくれ』
【今日は友達んとこ遊びに行ったんじゃねえのかよ何やってんだ。それに鶏みたいな妖怪なんざ”波山”に"火喰鶏"に"火玉"等々、たくさんいすぎてキリがねえ。kwsk (# ゜Д゜)】
早すぎるほどの返事に戦々恐々とするマコトは辺りを見渡すと、ちょうどこちらを向いている監視カメラの存在に気が付いた。
しかしもし加奈が監視カメラ越しにこちらの様子を覗いていたとしても、妖怪の姿はカメラに映らないため妖怪を特定することは出来ない。そのためマコトは目で見た特徴を伝えるべく、蔵から出てきた鶏妖怪の姿を頭に思い浮かべる。
『火を噴く奴』
【もっとkwsk ( ゜Д゜)】
『派手で羽毛が燃えてた』
【もっとだ。もっとkwsk。羽毛のどの辺が燃えていた。色は。鶏冠は (゜皿゜)】
【できる子だって信じてるからもっとkwsk! (゜∀゜)】
【さあ! さあ!! さあ!!! (。A。)】
返信の早さに驚いたのも一瞬のことで、今マコトのこめかみにはくっきりと青筋が浮かんでいる。
鶏妖怪の姿はマコトの脳内に鮮明な像を描いているのだが、それを上手く伝える言葉が浮かばないもどかしさよりも、連続で加奈から送られてくる文面に対する苛立ちの方が強かったのだ。
そこでマコトは映像を送れれば手っ取り早いのにと考えたその時、最近新たに手に入れた力の存在を思い出し、スマートフォンのカメラを起動させると目を閉じて一つ深呼吸した。
「リリース……蜃」
マコトの手から現れたもやが渦を巻き一塊になると、徐々にその姿を変えていく。
下部から太い鶏の脚が生え、両脇からは翼が飛び出し、上部がどんどん伸びて長い首と頭部を造形し、各所から炎を吹き上げる鶏の姿を象った。
それをスマートフォンのカメラで撮影するとメールに添付し、加奈へ送信した。
【おお? どうやったんだこれ Σ(゜Д゜)】
『蜃の能力で作った幻影を撮ってみた。ちゃんと写ってるようで安心したよ』
能力を得てからまともに試す時間が無かったマコトは、実際に上手く使えていることに安堵する。
【こんな便利な能力あるなら、最初から使えや(・∀・)】
【こいつは火玉と書いて「ヒザマ」と呼ぶ、九州地方の妖怪だ ( ー`дー´)】
【一部地域では邪神扱いされる土地神の類で、妖怪としての格は高いぞ (´・ω・`)】
【で、ヒザマと喧嘩か? つーか何で襲われてんだよ ( ´Д`)=3】
『友達の家に遊びに来たら、そこにヒザマが泥棒に入ってたらしく、逃げる際に火をつけられた』
【何だかんだで、妖怪に縁がある奴だな。追いかけるんだろ? ……おっと、手伝ってやりてえところだが……ちっ】
『何かあったのか?』
ここでマコトは少しの間加奈の返信を待つが応答はなく、いつもと違って文末に顔文字もつけられていないことに不安を覚えながらも、スマートフォンをボロボロのカバンにしまう。
必要なら連絡があるだろうし、自分は自分にできることをやるだけだ。そう決意して顔を上げたマコトの前に、今にも泣き出しそうな表情をしたイブが、燃えカスとなったマコトの衣服を握り締めて立っていた。
「マコっちゃん……」
「大丈夫だよ、イブ。悪いけど先に帰っててくれ。柚香さん、芹奈さん、また今度ゆっくり遊びに来ても良いかな?」
声をかけられたユズとセリが、お守り袋を大事そうに抱きしめながら、マコトの元へと近付いてきた。
その顔にはイブと対象的に、決意にも似た強い意志を感じられる表情が見て取れた。
「……さっきの妖怪、ヒザマ? 追いかけるのよね? お願い、シリュウを連れて行って」
「サイガも連れて行って欲しいのですぞ。二人の望みを叶えてほしいのですぞ」
そう言ってユズとセリは訝しげに首を傾げたマコトの手を取り、半ば無理やりお守り袋を握らせる。
マコトはそのお守り袋から、シリュウとサイガの想いを感じ取った。
それはマコトに対する感謝、そして己に対する怒りと不甲斐なさだった。
するとその様子を見ていた康臣が、神妙な顔をマコトへ向けた。
「こいつらは先代と違って武器の付喪神だからな、舐められたままでは気が済まんのだろう。わしからも頼む」
「先代って?」
「北条家の先代守護者は銅鏡の付喪神でな、先の戦争でわしと両親を庇って力尽きちまった。こいつらも同じように、俺等のことを守りたいと思っておるようだが……守るより、攻める方が性質として合っているのだろうよ」
マコトはお守りからさらなる闘争心を感じ取り、康臣にうなずきを返すと二つのお守りを自らの首へとかける。
「お守りは月曜に学校で返してくれれば良いわ」
「月曜日の部室で、マコト殿からの良い報告を期待するのですぞ」
マコトはユズとセリの目を見てしっかりとうなずくと、三本の尻尾をなびかせながら踵を返す。
「ただの泥棒ならまだしも、みんなを焼き殺そうとしたからな。そんな理不尽な妖怪は――マジカル・フォックスが、喰らい尽くす」
そう言って能力で姿を消したマコトは、ヒザマを追うため高い塀を飛び越える。
そこでマコトはパトカーと消防車が鳴らす、けたたましいサイレンの音が近づいてきているのが耳に入った。
更に耳を澄ますと、北条家で爆発が起きたと119番した近隣住民の声や、洗濯物を盗まれて110番したという近隣住民の声が聞こえた。
マコトはその内容を聞きながら、ヒザマが逃げた方向へと住宅街を静かに駆け抜けた。




