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第38話 北条家

「命の礼は命で返す。それが北条家の家訓です」


 そう言って真摯なまなざしを向けてくる老人――北条芹奈・柚香の祖父である北条 康臣(やすおみ)の言葉に、マコトは頭を抱えそうになっていた。

 受けた恩は同等以上で返すのが北条家の習わしであると聞いてはいたが、マコトには精神的に重すぎた。


「感謝なら命より貢物で示し――びぎゃっ!?」


「タマ、ちょっと黙ってようか?」


 マコトは応接テーブルの上に現れふんぞり返ったタマの後頭部を握り、力を込めながら顔を上げる。

 タマが乗るテーブルの向こう側には、任侠映画に出てくる親分のような風体の康臣の他、北条姉妹の父親である北条 康秀(やすひで)と芹奈・柚香が並んで座り、揃いも揃って神妙な面持ちでマコトへ視線を向けていた。




 土曜日の昼下がりに訪れた北条の家は、広い敷地を全て高い塀で囲み、古い蔵のある広い前庭と純和風の高級旅館のような佇まいが印象的な、住宅街の一角にあるとは思えない静けに包まれていた。

 そして北条姉妹の父である康秀は元官僚で、現在は不動産業で財を成す資産家。北条姉妹の祖父である康臣は第二次世界大戦を生き延び、戦後には防衛庁の長官まで上り詰めた傑物であるという話をマコトが聞いたのは、北条家のお手伝いさんによって応接室に通された後だった。


 そんなマコトにとって『なんだかよくわからない偉い人』としか認識できない二人から、マコトは会って早々に頭を下げられたのだった。

 康秀も康臣も、マジカル・フォックスの正体がマコトであることを知っていたのだ。

 それは康臣こそが付喪神のシリュウとサイガの所有者で、マコトは芹奈と柚香には口止めはしていたものの、シリュウとサイガには口止めしていなかったことから、オカルト研究会での出来事はすべて康臣へと伝わっていたからであった。




「お狐様と朱坂様には感謝してもしきれんのです。ですから――」


「お礼と言うのでしたら、資料などを見せていただくだけで十分です」


 マコトは康臣の重すぎる言葉を遮り、女の子らしい柔らかな笑みを康臣へと返した。


「それと……これ以上正体について誰かに知られてしまうと困りますので、私のことは芹奈さん・柚香さんの友人の一人として、普通に接してもらえませんか? シリュウさんとサイガさんも、私のことは内密にお願いします」


 困り顔を浮かべたマコトを見た康臣がニカッと笑うと、ソファーの背もたれへと体を預けた。


「ではお言葉に甘えるとしようかな、朱坂さん。それにこの歳になると、背筋を伸ばしたままでいるのも億劫でなあ」


「私も友人の父や祖父から畏まられると、逆に緊張してしまいます。普通にしていただけると助かります」


「うむ。ところで一つ聞かせてもらいたい。……朱坂さんはなぜ、人助けをしておるのかな?」


 康臣の鋭く獰猛な、それでいて何かを探るような視線を受けながらも、マコトは動じることはなかったが、考えをまとめるため若干の間をおくと、軽く息を吐きだした。


「以前『助けたいから助けただけだ、他に理由が必要か?』と、テレビカメラの前でお話させていただきました。その言葉に偽りはありませんが、実は他にも目的があります」


「ほう? わざわざ打ち明けるということは、その目的とやらを教えてもらえるのであろうな?」


「悪い妖怪ばかりではないということを、より多くの人に知ってもらいたい。だから妖怪の姿で、人助けをしています。そして、もう一つ」


 鋭さを増した康臣の眼光を受けながら、マコトはタマの後頭部から手を放して抱き上げると、頭を押さえ涙目になっていたタマの毛皮を優しく撫でる。

 そしてタマからの恨みがましさを感じる視線を受けながら、マコトは再度康臣へと向き直る。


「失われたもの……この子にとって大事なものを、探しています」


 康臣はマコトとタマに探るような視線を向けるが、程なくしてニヤリと笑った。


「文献通りではない、ということか。くっくっく……かーっかっかっか!」


 そう言って康臣は豪快に笑うと、マコトへと手を伸ばしてきた。マコトは康臣の発言の意味がわからず戸惑いながらも、その手を握り握手を交わすと、康臣は表情を和らげて視線を伏せて目礼する。


「改めて、孫の命を救ってくれたこと、礼を言わせてもらおう。そして孫の友人として、北条家は朱坂さんを歓迎する。……もちろん、願念さんも、な」


「は、はい! ありがとうございます!」


 ここにきて突然名前を呼ばれたイブが、ビクンッ! と背筋を伸ばして返事を返した。

 話題に一切関係のないイブは、この時までは康臣の視線から逃れるためか身動き一つせず、借りてきた猫のようにしていたのだった。




「(なんかもー、チョー背中痛いし)」


「(緊張しすぎじゃないか?)」


「(いやだって、ユズとセリのおじーちゃん、どー見ても親分さんだし! むしろマコっちゃん堂々としすぎじゃね?)」


 広い廊下で背中を伸ばしながら小声で話すイブの言葉で、マコトはイブの度が過ぎた緊張の理由にようやく気がついた。

 先頭を歩く康臣と康秀は、確かに任侠映画に出てきそうな風貌であった。


「(そう言われてもなぁ……)」


 以前のマコトであれば、たしかに畏怖や緊張で体が強張ることもあっただろう。

 しかし強烈な悪意や殺意を真正面から受けた経験が、マコトにとって康臣は危険度の低い相手であると認識させていた。

 しかしマコトはその事実――いつどこで、悪意や殺意を真正面から受けたのかを思い出せず首を傾げたところで、振り返り鋭い視線を向ける康臣と目が合った。


「シリュウとサイガが、お狐様だけではなく朱坂さんにも敬意を払っておったが……そういうことか。なかなかの修羅場をくぐっておるようだな?」


 マコトは返答に困り曖昧な笑みを返すが、その隣ではイブが更に小声で「耳良すぎじゃね?」と呟いていた。

 康臣はそのつぶやきも聞こえていたようで、ニヤリと笑いながらイブを一瞥すると、廊下に面していた襖に手をかける。


「まずは北条家の当代守護者、シリュウとサイガを紹介しよう」


 開けられた襖の向こうは和室となっており、壁の一面には古い書物や巻物が並ぶ書棚が置かれ、別の一面には刀剣や槍、火縄銃などが飾られていた。

 その飾られている槍の一本に柚香が、小型の火縄銃には芹奈が手を伸ばし、それぞれ手に取るとマコトの前に立った。

 すると槍と火縄銃から薄っすらと妖気が立ち上り、程なくしてそれは半透明の人型を成すと膝をつき、マコトとその頭上に鎮座するタマへと頭を垂れた。


「このような形で失礼いたします。私は槍の付喪神で、名を子龍(シリュウ)と申します」


「拙者は火縄銃の付喪神、才賀(サイガ)と申す。柚香様と芹奈様、そして康秀殿をお救い頂いたこと、改めて感謝致しますぞ」


 シリュウは細身の体を着流しで包み、後頭部で一本に結った長髪が特徴的な、目鼻立ちの整った好青年姿だった。

 サイガはシリュウとは対象的に野生的で、着崩した着物から上半身を剥き出しにした、短めに揃えた髪と堀の深い顔立ちが特徴的な青年姿である。


 マコトはその二体の付喪神を立ち上がらせると、挨拶を交わして握手をする。

 シリュウもサイガも恐れ多いと傅こうとしていたが、マコトはそれを無言の笑みで制する。

 何度もお礼を言われることもそうだが、歳上にしか見えない相手に傅かれるのは居心地の悪いものであると、マコトは痛感していた。

 改めて『人助けは正体を隠して行う』ことを、マコトが心に決めた瞬間でもあった。


「ねね、もしかしてシリュウはユズちゃん、サイガはセリちゃんが名前つけたとか?」


 その時イブが二体の付喪神と挨拶を交わし終え、付喪神と北条姉妹との間で視線を行き来させた。

 北条姉妹はイブの言葉に驚いたような、それでいて感心したような表情を浮かべると、口の端を上げて深くうなずいた。


「よくわかったわね、イブ。そもそもシリュウもサイガも、私とセリが丁寧にお手入れしていたから付喪神として目覚めたのよ」


「そうですぞ。でも自分も姉上も未成年ですからな、銃砲刀剣類登録証の名義は御祖父様なのですぞ」


「すまんのう、柚香、芹奈。おんしらが成人するまでは、正式に譲り渡すことはできぬのだ」


 自我のある付喪神を所有物扱いしていることに、マコトは若干の戸惑いを覚えるが、その表情から察したのか、シリュウがすかさずフォローを入れてきた。

 曰く、付喪神は主人に仕えることこそが使命であり、幸福なのだという。そもそもこれまで康臣や、柚香に芹奈が丁寧に愛情を持って手入れをしてくれたからこそ、自分たちは目覚めることができ存在が許された。主のために在ることこそが、付喪神の使命。

 そう言ったシリュウとサイガであったが、その顔には悲しさと悔しさがにじみ出ていた。


「いざというときに主を助けられないようでは、付喪神の名折れです」


「ですから不急の際は最低限の実体化に抑え、妖力を蓄えているでござるよ」


 どうやら妖力が少なく、本体がある屋敷内であれば妖術で実体化できるが、それ以外は欠片を通して会話をするのが精一杯だという。


「では失礼ながら、これにてお暇させていただきたく存じます。……これからも康臣様・芹奈様・柚香様を、どうかよろしくお願いいたします」


 そう言って姿を消した付喪神の言葉の後、マコトは引っかかりを覚えて視線を動かした。その先にいる康秀は指先で頬を掻きながら、悲しげな顔でマコトから視線を逸した。


「私は入婿でして……彼らの手入れをしたことが無いもので……は、ははは……」


 マコトは康秀の悲しげな独白を聞かなかったことにして、記憶から消し去ることにした。




 サイガとシリュウが置かれた部屋を出たマコトたちは、何やら企んでいるような笑みを浮かべる康臣に連れられて庭へ出ると、敷地内に立つ古い蔵の前へと連れてこられた。

 その蔵は全ての窓という窓は締め切られ、古びた外観も伴って不気味さを醸し出していた。

 しかしマコトはその蔵から漂う『気配』に、何か覚えのある違和感を感じ取っていた。

 それはタマも同様だったようで、マコトの頭上で三本の尾をまっすぐに立て、蔵の入口を凝視していた。


「先程の部屋にあった文献はもちろん、この倉庫内にある物も朱坂さんの好きにして構わぬ。()()()()もこの中にあるぞ?」


「……蔵が、隠れ里になっている?」


「ほう? そこまで解るか。わしは妖怪、中でも妖術を得意とする鬼に知り合いがおってな。其奴から作り方を教わったのだ」


 それは康臣が付喪神やタマという妖怪に対して、普通に接していた理由であった。

 しかしマコトはその言葉に含まれる意味を考える余裕はなく、蔵の扉の向こうから漂う馴染みの深い妖気へと、全ての意識が向けられていた。


「マコト……ここに、()()


「……ああ。なんとなくだけど、オレにもわかる」


 そう言ってマコトは背負っていた黒い小さなカバンを降ろすと、中から小さな石を取り出した。

 その石――殺生石の欠片が、まるで共鳴するように震えているのを感じ取ったマコトは、石を強く握りしめ蔵の扉へと視線を向ける。

 マコトの目には大きな期待が、表情には強い緊張が浮かんでいる。


「ふむ……柚香、芹奈。願念さんも、ちいと下がっていてくれんか」


 そう言って康臣は三人に蔵から離れるよう視線で促し、康秀にはしっしっと追い払うような仕草をする。

 そして不安げな表情を浮かべる三人の少女と、肩を落とす一人の中年男性が距離をとったことを確認すると、康臣は蔵の扉に手をかけた。


「この中にはな……扱い次第では一級品の呪具にもなる、ちーっとばかし危険な石をしまってある」


 そして悪戯を仕掛けているような笑みをマコトに向ける康臣が、焦らすように蔵の扉をゆっくりと開いた。


 しかし蔵の扉が猫が通れるほどまで開けられたその瞬間、隙間から炎が吹き出すとともに、扉が内側から爆発するような勢いで開け放たれた。


「危ない! ……ぐうっ!?」


 壊れた扉から間一髪で康臣をかばったマコトだったが、その扉が背中を直撃したことで息を詰まらせる。

 だがすぐに体勢を立て直し扉の残骸を押しのけたマコトだったが、その視界には甲高い声による悪態をつきながら蔵から出てきた、人の背丈ほどもある鶏のような姿が映る。


「このクソジジイがあっ! 俺様を何ヶ月も閉じ込めやがって!!」


 その鶏に似た何者かは体のあちらこちらから炎を上げ、尾に至っては炎そのものであった。

 そして太く鋭い鉤爪の付いた片足には、人の頭ほどもある石がしっかりと握られていた。


「死ね、燃え尽きて死ねえっ!!」


 蔵から現れた燃える鶏が、嘴から炎を吐き出した。

 その瞬間マコトは、鈴鹿の力『火炎耐性』をリリースし、康臣に覆いかぶさるようにしてその身で庇う。

 同時にイブや北条父娘らには、鈴鹿の『火炎操作』の力に加えて狐火の陰火を用い、青い炎で4人を守る。


 その、つもりであった。


 しかしそのどちらもが、ほんの一瞬、紙一重の差で間に合わなかった。


 マコトは背に炎を浴び、辺り一面が炎に包まれる。


「うああああっ!!」


「きゃああっ!」


 燃える鶏はマコトとイブが上げた悲鳴が止むと、ふんっと鼻息を一つ噴出して、翼を広げ北条家の敷地の外へと飛び去った。


 そこには炎に包まれたマコトと康臣、そして紅蓮の絨毯に佇む六つの炎柱が残されていた。

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[一言] 燃える鶏? 丸焼きかな( ˘ω˘ )
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