第37話 そうか、無いんだよな……
マコトは火車姿の鈴鹿の巨体を、たっぷりと泡のついた両手で撫で回していた。
そのマコトの眼前ではイブも同様に、泡のついた両手で鈴鹿の体を撫で回している。
視線を上げたマコトは、泡だらけになったイブの両手の向こうに、大きな乳房がぶるんぶるんと揺れているのを目にする。
そしてそのままマコトは視線を下に向け、自分の乳房もぶるんぶるんと揺れていることに気がついた。
マコトはイブの乳房に対して胸の高まりを覚えていたが、自分にもほぼ同じものがあることに改めて気がつくと、その高まりが徐々に霧散していくことに気がついた。
同じ乳房なのに乳首や乳輪の色や大きさ、揺れ具合から想像できる柔らかさなど、人によって違いがある。マコトはその違いに対して興味を覚えるものの、確かめるわけにもいかないと顔を上げる。
そしてイブに視線を向けたマコトは、イブの視線が自分の胸に注がれていることに気付くと、とたんに笑いがこみ上げてしまった。
「え、あ、ごめんマコっちゃん! なんか、ものすごい揺れてたから、つい……」
「いや、良いんだ。イブもオレと一緒だなって思って、笑っちゃっただけだから」
イブもおそらく自分と同じく、自分のおっぱいと他者のおっぱいの違いが気になったのだろう。そう考えたマコトは笑顔を浮かべながら、視界の端で揺れるイブの乳房から意識を外す。
「へー。マコトったらイブの裸を見ても動じないなんて、どういう心境の変化かしら?」
「別に……普通だろ? 女同士だし」
マコトは湯を張った洗面器に入って大の字になっているタマの、ニヤけ顔を一瞥してこともなげに言い放った。
今のマコトには不審者扱いされないように堂々としていよう、という想いしか無い。
そのためか裸のイブを目の前にしている今、照れや恥ずかしさは感じているものの、以前男に戻った夜にイブの裸を見て感じたほどの興奮はマコトには無かった。
そのことが違和感として頭の隅に引っかかっていたものの、今は鈴鹿のシャンプーを終わらせないといけないと考え、尻尾の付け根や足の先まで泡まみれにすると、シャワーで洗い流す。
「これだけ大きいと、洗い甲斐があるね!」
「うふふ、真琴ちゃんイブちゃん、おおきに。ほなうちは――」
「鈴鹿さんはそのまま浴槽に入るとお湯があふれちゃうから、人化して入れば良いんじゃないか?」
満足げな顔のままそそくさと風呂場を出ようとした鈴鹿だったが、マコトの一言で固まってしまった。そしてそのままためらうような表情を見せたあと、鈴鹿が人の姿へと変化した。
その細い手足にくびれたウエスト、大きく張りのある乳房に突き出たお尻に、イブが目を奪われ感嘆の息を吐いていたが、マコトは前回一緒にお風呂に入ったときほどはまじまじと見ることはなかった。
興味そのものが無いわけではないのだが、視線を下に向けるだけでほぼ同じものがあると考えるだけで、見たいという欲求はどんどん薄れ、気にならなくなっていた。
そして浴槽の中で泳いでいた市華を抱き上げてイブに渡し、マコトはタマを洗面器から出してシャンプーを始める。
そのマコトの様子にショックを受けた様子の鈴鹿に対し、なぜかドヤ顔を向けていたタマは、マコトの手によってすぐにその顔ごと泡の中へと埋もれていった。
「すずっち、お風呂入らないの?」
イブの言葉に振り向いたマコトの正面に、浴槽に片足を入れようとして固まる鈴鹿の姿があった。
マコトの視線は真正面にあった鈴鹿の股間に向けられたが、それも一瞬のことですぐに視線を上げ困惑顔の鈴鹿を見る。
その鈴鹿は軽くため息を吐くと浴槽に入るのを諦めるように足を引っ込め、マコトと鈴鹿へと視線を向け小さく首を横に振った。
「……うちな、猫の妖怪でしかも火の妖怪でもあるさかい、シャワーくらいならええけど……水に長時間入ると、妖気が流れて消えてしまうんよ」
「え、何でそんな無理して入ろうとしたのさ!?」
「みんなと仲良うお風呂入りたかったんよぉ……でもこのへんで堪忍な」
そう言ってそそくさと風呂から出ていく鈴鹿の表情には、悔しさがにじみ出ていた。
その背中にかける言葉をマコトは思いつかず、代わりに入念にブラッシングすることを心に決める。
その後双葉と深月もイブと手分けしてシャンプーしたマコトは、自身もさっと洗うため泡立てたボディタオルで体をこすった瞬間、その手をイブがガシッと掴んだ。
「ちょ、マコっちゃん! いっつもそんなガシガシ洗ってんの!? それお肌にチョー悪いし!」
「え? 強くこすった方が綺麗になるだろ?」
「そんなことないし! タマちゃんたち洗うときだって優しくやってたっしょ、それと一緒だし!」
そのままイブに手を引かれ座らされたマコトは、泡をたっぷりと付けたイブの手によって洗われることになった。
女同士なんだから、と考えて抵抗しなかったマコトだったが、イブの手が背中から脇、脇から腕、腕から胸へと優しく触れられる感触に、背中がむずむずするのを感じていた。
「ふーん。マコトったら、何で顔を赤くしてるのかしらー?」
タマの声に振り向いたマコトの前に、人化し不機嫌そうな顔でマコトを見下ろすタマがいた。
鈴鹿に勝るとも劣らない均整の取れたスタイルに、抜けるような白い肌。
胸を張るように突き出しているためより大きく見える胸の膨らみと、くびれたウエストの向こう側に揺れる三本の尻尾。
マコトはこれまでまじまじと見ることが無かった人化したタマの裸を、特に興奮を抱くことなく視界に納めていた。
「え、ちょ、もしかしてタマちゃん? うわ、チョー綺麗! マコっちゃんが変身したときの顔って、タマちゃんの顔だったんだ!」
「そうよ! イブあんた、見る目があるわね!」
「あるわね、じゃねえよタマ。手間かけさせるなよ」
マコトは顔と同じ高さにあるタマの下腹部も全く意に介さず、視線を自分の左手へと移し妖力を譲渡する準備を始める。
その様子を見ていたタマが、ドヤ顔から一転し悲しげな表情へと顔つきを変えた。
「え……マコト? わたしの裸を見ても、何とも思わないわけ?」
「別に。だいたい女同士なんだから堂々としてろって言ったのは、タマじゃないか」
「そ、それは、マコトが他の女を見ていやらしい気持ちにならないようにって……はっ!? しまった!!」
マコトにはタマが何を言っているのか理解できなかったが、言い終わるのが早いかボフンと煙を発しながら半透明になりヘロヘロになったタマへ、即座に妖力を譲渡して復活させる。
しかしタマはブツブツと「こんなはずじゃ……」とつぶやきながら、マコトの中へと消えていった。
「あ、あはは……ねえ、マコっちゃん。マコっちゃんって、女の子が好きなんだよね?」
「へ?」
マコトは当たり前だという言葉を寸前で飲み込んだとき、背中に柔らかい二つの塊が押し付けられるのを感じ取った。
それはイブの乳房で、マコトは後ろから抱きついてきたイブの顔が、すぐ後ろにあることに気が付く。
その顔は真っ赤に染まり、マコトはイブの胸からの早い鼓動を背中で感じていた。
イブによる突然の奇行に思考が停止し、鼓動が高まりゆくのを感じていたマコトだったが、体の一部にあるべき感覚が無いことに気づき、急激に冷めていった。
「……何してんだよ、イブ」
ゆっくりと振り返ったマコトは、茹で上がったような顔をしたイブと至近距離で見つめ合う。
マコトもまた顔どころか全身真っ赤なのだが、その態度からは緊張や興奮が感じられない堂々としたものであった。
「あー……すずっちやタマちゃんが、がっかりしたような顔してた理由ってこれかぁ……」
「何のことだ?」
「うーん、なんていうか……マコっちゃんが慌てたり照れたりしないのも、なんかつまんない的な?」
「なんか物凄い理不尽なことを言われている気がするぞ?」
ゆっくりと離れていくイブの顔と乳房に寂しさを感じながら、マコトは自身の股間へと目を向ける。
これまでに感じたことのないむずむずとした違和感はあるものの、脈打ちそそり立つべき本来のマコト自身が、そこには無い。
マコトはここでようやく、違和感の正体に気がついた。
女性の裸に対し、性的な興奮を覚えない理由である。
男として性行為を行うための『モノ』が無いのだ。
改めてその事実に考えが至ったマコトは、深い溜め息と共に緊張や照れくささを全て吐き出すと、理不尽を甘受し悟りを開いたかのような境地にたどり着く。
「イブ、後ろ向いて。今度はオレが背中洗ってあげるよ」
「ちょえ、まっ……マジ? いいの??」
マコトは問答無用といわんばかりの態度で、両手に泡を大量につけるとイブへと手を伸ばす。
慌てて後ろを向いたイブの背を、マコトはイブにしてもらったように優しく洗い、脇や肩、そして乳房までも洗っていく。
イブの乳房は自分の乳房よりも柔らかいことには気付いたものの、やはりそれだけだった。
今のマコトにとって女性の体とは、性的興奮を覚える対象ではない。
女性同士なのだから、当然だろう。
そう考えていたからこそマコトは、イブが自分以上に緊張し体を硬くしている理由が理解できなかった。
風呂から上がったマコトは、イブと鈴鹿の三人で下着姿のまま、イブによる基礎化粧品講座を聞くことになった。
イブがいくつもの化粧水や乳液をマコトと鈴鹿の腕に少しずつ塗って様子を見ており、痒くなったりしないか一つ一つ確認していたが、マコトにとってはどれも同じに感じ、違いはわからなかった。
鈴鹿はイブに教わりながら様々な基礎化粧品を試し始め、鎌鼬三姉妹はその様子を羨ましそうに眺めていた。
するとそこにタマが姿を表し、どこかやさぐれたような顔を鎌鼬三姉妹へと向けた。
「あんた達、そんなに気になるなら人化して一緒に使えばいいじゃない」
「「「キュイッ!?」」」
「え……って、妖怪だもんな、人化できてもおかしくないか」
驚きと焦りが入り交じる表情でタマとマコトへ視線を行き来させる鎌鼬を見て、マコトは鎌鼬たちが意図的に人化できることを隠していたことに気がついた。
同時にタマが、なぜわざわざそれを暴露したのかも気になり、タマの顔をじっと見つめた。
「マコトがあたしたちの体に触れるの恥ずかしがってた理由って、人化した姿を知ってるからじゃない? 今のマコトはそんなこと気にしないわよ。けっ」
タマのその言葉をきっかけに、鎌鼬三姉妹が困惑したような表情で互いに顔を見合わせると、マコトの前で横一列に並び、後ろ足で立ち上がり深く頭を下げた。
「……マコトさん、黙っていて申し訳ありませんでした」
「イブも、ごめん」
「ごめんねえ、なんか言い出しにくくなっちゃってえ」
「うわ、言葉まで……って……え」
鎌鼬三姉妹は頭を下げたまま見る見るうちに巨大化し、やがて人間の女性へと姿を変える。
程なくしてマコトの前には、三人の美女が全裸で並ぶこととなった。
市華は引き締まった体つきで、胸も程よく膨らんでいるが全体的に筋肉質な裸体。
双葉は細身で小柄、胸も平らで三姉妹の中では最も幼く見える裸体。
深月は肉感的で、くびれたウエストと大きなお尻と胸の対比が激しい健康的な裸体。
それぞれ本来の鎌鼬姿が感じられる、それでいて女性らしい美しさを持っており、マコトは思わずその裸体に見とれてしまった。
「あ、あの……マコトさん、そんなにまじまじと見られると……」
「ちょっと、照れる」
「あ、ごめん! 初めて見るから、つい……」
「でも悪い気はしないわよお。むしろ嬉しいわあ」
慌てて視線を外したマコトだったが、その顔をイブが不思議そうな表情で覗き込んだ。
そしてわずかに首を傾げたイブが、マコトにニッコリと微笑んだ。
「マコっちゃん、初めて見る裸には見惚れるんだ? ……あたしの裸を見るの、今日が初めてじゃなかったっけ?」
「あ、いや……」
下着姿でにじり寄るイブに、マコトは以前窓から覗いてしまったことを謝るべきか考えるうち、顔が熱くなっていくのを感じていた。
助けを求めるようにイブから視線を外したマコトだが、今度は半目でマコトをじっと見つめるタマと目が合ってしまう。
「……マコト? 何か怪しい態度じゃない?」
「な、何のことだ? それよりイブ、市華たちも化粧水に興味があるようだから、使ってもいいかな?」
タマが寝ている間に、事故とはいえ覗きをしてしまった事実は知られたくない。
そう考えたマコトは、イブとタマと更には鈴鹿からも向けられる不信の目に気づかないふりをして、とにかくごまかすことにした。




