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第36話 毛皮もお肌もお手入れは大事

 買い物を終えた帰り道、一度自分のアパートに戻ったイブが、大きな袋を抱え満面の笑みを浮かべながら合流した。

 袋の中身は全て、基礎化粧品の類だという。


「今使ってるやつと、あたしに合わなかったの持ってきたよ! すずっちに聞いて、良いってゆったらマコっちゃんに使い方教えるね!」


 体に塗る基礎化粧品なのだから、裸になる必要があることに考えが至ったマコトは、平常心を保とうと心に言い聞かせ、いやらしい気持ちを心の奥に押し込める。


 意識すれば不審者、堂々としていれば普通の女性。


 マコトは自分自身にそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせながらイブと共に帰宅する。

 そして玄関のドアを開けると、そのまま思考を停止させた。


 玄関から上がった廊下に、火車本来の姿を表した鈴鹿がお座りの姿勢を取り、揃えた前足の手前には三匹の鎌鼬が勢揃いという、四匹の獣によるお出迎えを受けたのだ。


「……すずっち?」


「あら、イブちゃんようわかったなあ」


「ちょ! すずっちチョーかっこいいんだけど! さっきマコっちゃんが動物に好かれやすい体質だって話してた時、すずっちの名前が挙がったからさ、もしかしてって思ってたんだよね! あたしってばチョー冴えてる!」


「あ」


 ここで初めてマコトは自身の失言に気がついたが、後の祭りであった。

 いくら鈴鹿が気にしていない様子とはいえ、気をつけなければいけないと心に留める。


「改めて、二人共おかえりなさい。はよ入り」


「「「きゅいっ!」」」


「ただいま! って待って待って、こっちのイタチ? フェレット? も、チョー可愛い! ねえねえマコっちゃん、もしかしてこの子達も妖か――」

「わ、わー!!」


 マコトはイブの口を手で押さえ、慌ててイブと共に室内に入るとドアを閉めた。

 そして外の気配を探りながら、誰かに見られたり聞かれたりしていなかっただろうかと心配するが、そんなマコトをよそに一足先に玄関を上がったイブが、物怖じすることなく鈴鹿の毛皮に指を走らせ、その毛並みを堪能していた。


「わあ! ヤバイこれチョー気持ちいい!!」


「……ただいま」


 イブたちの様子にどっと疲労を感じたマコトは、靴を脱ぐと同時に頭上に現れた重量の原因をつまみ上げ、胸の前で抱き直すと銀色の毛皮を撫で付ける。

 するとタマが優越感に浸るような顔で鎌鼬を見下ろしたのが気に食わなかったのか、鎌鼬三姉妹が次々とマコトの体を駆け上がり、両肩と頭上からマコトに頬ずりし始めた。

 それを見たイブが鎌鼬の深月に手を伸ばそうとして威嚇され、タマはマコトの頭上へ飛び上がり双葉とにらみ合いを始めた。

 そんな獣達のやり取りを眺め、マコトは小さくため息を吐いた。


「……みんなのブラシ買ってきたんだけど、仲良くしてくれないと使えないかなあ」


 マコトがそうつぶやくのと同時に、鎌鼬三姉妹とタマの耳がピン! と立ち、一斉に威嚇を止めた。

 そして深月は大人しくイブに抱かれ、双葉とタマは一緒にマコトの頭上から降りて腕に移動すると、並んでマコトに抱かれながら上機嫌な表情を見せた。

 マコトはその毛皮の感触を堪能しながら、仲良くさせる手段を得たことに内心ほくそ笑んでいた。


「ねね、マコっちゃん。この子達は名前なんて言うの?」


「こっちの一番尻尾が立派で控えめな子が、長女の風早市華。一番細くて前足の毛艶が綺麗な甘えん坊が、次女の双葉。イブが抱いてる目が大きくて一番ふわふわした毛のおっとりした子が、三女の深月だよ」


 マコトの言葉に驚いたのか、鎌鼬三姉妹が一斉に顔を上げマコトの方を見た。

 その三姉妹をイブがさまざまな角度から確認し、感嘆の息を吐いた。


「ホントだ、みんな微妙に違うんだね。マコっちゃんすご!」


「見たら解るだろ? それより鈴鹿さんのブラシも買ってきたし、みんなで毛づくろいしようか。イブも手伝ってくれる?」


「りょ! ってか、むしろやらせて! こんな可愛い妖怪なら大歓迎だし!!」


 毛づくろいと聞いてタマと鎌鼬が色めき立ったが、鈴鹿は余裕の表情で尻尾をピンと立ててゆっくりと揺らした。


「うふふ、真琴ちゃんおおきに。……タマちゃん堪忍な、このあとウチは晩御飯の支度があるさかい、一番は譲らへんよ?」


「くっ……やるわね、鈴鹿。御飯を盾にされると逆らえないじゃない」


「「「きゅいぃ……」」」


 マコトは残念そうな表情を浮かべるタマたちを一通り撫でると、鈴鹿には日頃の感謝を込めて丁寧にブラッシングしようと心に決め、リビングへ向かう。

 何より普通の動物を避けなければいけない理由ができた今、目の前に広がるもふもふ天国に対して容赦をするつもりはなかった。

 しかし既に毛だらけになってしまった自分とイブの制服に目をやり、終わったらしっかり掃除もしないとな、と苦笑するのであった。




 赤毛の虎にも似た姿の火車・鈴鹿のブラッシングは大変だったが、普通の動物であったなら決して触れることのできない大きさの獣に触れられるというのは、マコトのみならずイブにとっても幸福な体験だったようで、イブは終始上機嫌だった。

 途中鈴鹿の左わき腹の傷に気付いたイブが、医者だ病院だと大騒ぎする場面もあったが、概ね順調にブラッシングを終えることができた。

 なお順調だった理由の一つに、マコトが鈴鹿のお腹や胸に腰回りなど、これまでなら触れようとしなかった部分も遠慮なくブラッシングしたことがあった。

 これは鈴鹿が一切抵抗しなかったことと、マコト自身が鈴鹿を『異性』として意識しないよう留意したことが要因である。


 このあと自室で人化し服を着て戻った鈴鹿が夕食の準備を始めると、マコトはイブと手分けしてタマと鎌鼬三姉妹のブラッシングを行う。

 そして幸福感で満たされながらブラッシングを終えると、赤と黄褐色の抜け毛の塊が山となっていた。マコトはその山に名残惜しさを感じつつ、片付けるために掃除機を引っ張り出そうとするが、そこへ鈴鹿から静止の声がかかった。


「真琴ちゃん、うちらの毛は掃除機で集めたらあかんよ? 動物の毛と違うて妖怪の毛は、抜けて半日もすれば妖気に変わってのうなるんよ。せやから密閉された掃除機の中で大量に妖気に変わると、掃除機に良うないんよ」


「じゃあドレインすれば消えるってことか?」


 マコトは鈴鹿の言葉を受け、抜け毛の山に左手を当てドレインを行う。

 すると全て綺麗に消え去ったことに気分を良くしたマコトは、次いで自分の制服に付いた毛もドレインで吸収するため、布の表面からのみドレインするよう力をコントロールする。

 そうやって自分の制服を綺麗にしてスッキリしていると、イブからの羨望の眼差しに気がついた。


「イブの制服も……やろうか?」


「うん! マコっちゃん、お願い!!」


 イブのなぜか前のめりで、それでいて若干の緊張を感じさせる態度が少しばかり気になったものの、マコトはすぐに考えること止めて無心になる。

 そして堂々とスカートの硬い布地越しに、イブのお尻や太ももを左手で撫で回す。

 次いで薄いブラウス越しに、イブの背中やお腹、そして大きくて張りのある胸も撫で回し、付着したすべての毛をドレインで吸収した。


 このときマコトは、女性に触れてもいやらしい気持ちにならず、平常心を保つことができた。

 これなら不審な態度ではないだろうと、試練を乗り越えたような思いで顔を上げたマコトだったが、対象的に顔を赤くしてもじもじしていたイブと目が合ってしまう。


「な、何で顔が赤いんだよイブ、こっちまで恥ずかしくなるだろうが」


「ご、ごめん、マコっちゃん、何でかな?」


 マコトはそんなイブを見て顔が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らす。

 そこに鈴鹿が準備する夕飯に気を取られ、尻尾を揺らしているタマがいた。

 その時マコトはふと脳裏に引っかかるものを感じ、タマへと手を伸ばす。

 そしてこっそり毛を一本抜いてみると、それはまたたく間に妖気となり散っていった。その妖気に意識を向けていたマコトは、散った妖気がマコト自身へと吸い込まれるように消えていくのを感じていた。

 タマの毛だけが、これまで制服などについていなかった理由である。

 疑問が一つ消えすっきりしたマコトだったが、同時に涙目のタマと目があってしまった。


「あああタマごめん、痛かった?」


「ううう……ひどいわマコト……謝罪はいらないから晩御飯のおかずちょーだい」


「やらないよ?」


 マコトはタマの舌打ちを聞き流しながら、夕食の支度が終えられたダイニングテーブルへ向かう。

 そこには三人と四匹分の食事が並べられており、美味しそうな香りを振りまいていた。

 献立は以前鈴鹿がイブから教わったという、オーブンで調理する白身魚とサーモンの揚げないフライだった。


 ふわっとした食感ととろけるような旨味に舌鼓をうち、幸福感に包まれながらタマとおかずの攻防戦を行うマコトだったが、結局白身魚とサーモンを一つづつ奪われながらも食事を終える。

 そして片付けが終わり一息ついたところで、イブが持ってきた袋の中身をテーブルへ並べ始めた。


「ねえすずっち、マコっちゃんから基礎化粧品使ってないって聞いたけど、なんか理由あるの?」


「基礎化粧品? ってなんやろ?」


「へ? すずっち普段化粧とかどうして……あ」


 イブが鈴鹿の顔をまじまじと見て、何かに気付いたような素振りを見せた。

 つられてマコトも鈴鹿の顔を覗き込むが、いつもと変わらない鈴鹿の顔であるとしか気が付かなかった。


「すずっち……お化粧してるように見えるけど、もしかしてすっぴん!?」


「人化の術で見た目は整えられるさかい、うちらはお化粧してへんよ? それでイブちゃん、基礎化粧品ゆうんは、化粧品とどう違うんやろ?」


「お肌の乾燥を防いでツヤとか潤いとかを保つとか、健康で美しい肌を保つことが目的の化粧品……って、ちょ!?」


 説明をしていたイブのもとへ、鈴鹿のみならず鎌鼬三姉妹までもが詰め寄り、その圧に驚いたイブが後ずさりをした。


「イブちゃん、詳しゅう説明して貰えんかな?」


「「「キュイッ!」」」


「え、ちょ……えっと、化粧水とか乳液とかあって、こっちが――」


 イブがテーブルに並べた化粧品を手に取りながら説明を始める中、タマだけがどこ吹く風と言わんばかりの態度で、自分の毛づくろいをしていた。

 そしてマコトの視線に気づいたタマが、淋しげな顔で頭を横に振る。


 タマはどんなに汚れてもマコトの中に戻ればリセットされ、次に出てくるときはいつもと変わらない姿だ。

 それはつまりいくら美容液を塗ろうとも、マコトの中に戻ればリセットされるということだ。

 それどころか今のタマの体は、全て『マコト自身の妖力』でできている。

 マコトはその事実に思い至ると、無言でタマを撫でる。

 そこへイブから基礎化粧品の説明を聞き終わった鈴鹿が、悪戯を思いついたような目をマコトに向けて口を開いた。


「せっかくやし、みんなでお風呂入ろか?」


「は?」


「お風呂上がりに使うのが良いらしいんよ。お風呂は苦手やけど、美容のためならどうってことあらへん!」


「「「きゅい!」」」


 イブと一緒にお風呂、そう考えただけでマコトは顔面に熱が集まっていくのを感じていた。

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