第34話 ビビッときた
オカルト研究会の部室、テーブルに広げられたスクラップブックの上に仁王立ちするタマへ、その場にいる四人の視線が突き刺さっていた。
やがてそのタマの真後ろからマコトが手を伸ばし、タマの小さな後頭部をむんずと鷲掴みにして持ち上げた。
「ぴぎゃー! 潰れる、潰れちゃうううう!!」
「な・に・し・て・ん・だ! タマああ!!」
タマが手足と尻尾をバタバタと振り回したためイブは慌てて湯呑をどかすが、その間にテーブル上のスクラップブックや本が薙ぎ払われ大半が床に散らばった。
「学校では出てくるなって言ってるのに、まさかポテチに釣られたんじゃないだろうな?」
「つ、ぶれるぅ…………がくっ」
「ちょ、マコっちゃん締めすぎ! タマちゃん白目剥いてるってば!!」
「大丈夫だよ、これくらいじゃ死なないから。それに本当に気絶してたら、オレの中に勝手に戻るだろう……し……」
そのときマコトの視線がだらんと脱力したタマではなく、顎が外れんばかりに大きく口を開けていた芹奈の方へと向けられ、次いで同じような反応を見せる柚香へと向いた。
「あ、ちょ、セリちゃん、ユズちゃん、これね、あー……しゃべる、ぬいぐるみ的な?」
北条姉妹へ向け苦しい言い訳をしつつ、イブはこの場をどうやって切り抜けるか考えていた。
そして隣のマコトの方に目を向けると、片手でタマをぶら下げ、残った片手は自分の顔を覆うようにして深いため息を吐いていた。
「すまない。実はオレ、狐憑きってやつなんだ。それでこいつのこととか妖怪のこととか知りたくて、ここに来たんだ」
イブにはマコトの嘘のほうがもっともらしく聞こえ、先程自分で発した言い訳の幼稚さに赤面しつつ、話を合わせることにする。
「そ、そうなの! びっくりしたかもしれないけど、騒がれるとほら、さっきセリちゃんが言ってたACTってやつが来ちゃうかもしれないし、それにタマちゃんも悪い妖怪じゃないから、内緒にしてくれると嬉しいっていうか……」
「……はっ!? ……狐、憑き? ……え? ちょっと待って欲しいですぞ、サイガ……」
「狐憑き、ですって……え? ちょっとシリュウ……はい?」
我に返った様子の北条姉妹がそれぞれイブたちに聞き覚えのない単語をつぶやくと、背中を向けてぶつぶつと独り言を話し始めた。
この独り言が芹奈を奇人として有名たらしめる理由の一つであるだが、常識人と言われていた姉の柚香まで同じ行動をとったことに驚き、イブはマコトが向けている怪訝な表情に気付いていなかった。
そしておもむろに振り返った二人が、それぞれ首から下げたお守りを胸元から取り出し、マコトへと近づき両手に乗せて差し出した。
「狐様のことは、誰にも話さないのですぞ。何より自分達は狐様に返しきれない恩があるのですぞ」
「そうか、それは助かるよ。ところでそのお守りは何?」
「朱坂さんなら、触れれば理解できると思いますわ」
完全にいつもの口調に戻っているマコトに、イブは指摘するかどうかほんの一瞬考えるが、既に手遅れであるためこちらもやめた。
怪訝な表情を浮かべているマコトはそんなイブの心配を知ってか知らずか、一言も発せずに二人が持つお守りを見ていた。
程なくしてマコトの眉間にシワが寄り、ぐったりするタマをテーブル上に置いてお守りへと左手を伸ばし、優しく触れた。
その直後マコトが目を見開いて、北条姉妹と視線を交わした。
「声が聞こえた……中に入っているのは付喪神の一部だね」
「そうですぞ。自分も妖怪と関わりのある身ゆえ、秘密は守るのですぞ」
「わたくしのは槍の、セリのは火縄銃の付喪神ですの。でも声まで聞こえるなんて……素晴らしいですわ」
「ちょマ? あたしも触っていい?」
イブも二人が持つお守りに手を伸ばしそれぞれ触れると、頭の中に声が響いてきた。
その声は弱々しかったが、イブに聞き取れないほどではなかった。
「セリちゃんの方がサイガ、ユズちゃんの方がシリュウって名前なんだね。 チョーかっこいいじゃん! セリちゃんの口調ってもしかして、サイガから?」
「そうですぞ。自分が小学校に入る前からの付き合いで、兄とも言える家族なのですぞ……って、イブ殿にも聞こえたのですかな!?」
「……やはりイブさん、貴女も妖怪と関わりがございましたのね。ストーカーを無事に撃退できたと聞き安堵しておりましたが、ストーカーの正体は妖怪だったのではありませんか?」
イブは柚香の言葉に息を呑み、目を見開いて柚香を凝視する。
しかしマコトとの約束があるため、喉まで出かかった言葉を辛うじて飲み込んだ。
「申し訳ありません、シリュウとサイガが妖怪の気配を感じたため気付いてはいたのですが、わたくしどもにはどうすることもできず……」
「サイガやシリュウの手を借りようにも二人共話をするのが精一杯で、無理をすれば消えてしまうのですぞ……」
「あ、ううん、いいって! 気にかけてくれてただけで、ジューブンだし!」
イブは言葉通り見てくれている人がいた事実に喜びを感じ、そしてストーカーのおかげでマコトに出会えたのだから、何一つとして不満はなかった。
そして上機嫌のまま気絶したように動かないタマへと伸ばして抱き上げて、柔らかい毛皮を優しく撫でつける。
そして薄目を開けて様子をうかがっているタマに気が付き、見やすようにマコトの方にタマの顔を向けて抱き直す。
するとそのとき、柚香がマコトに向け深く頭を下げた。
「朱坂さん、さっきは試すようなことをして申し訳ありません」
「こっちこそやり返すような真似をしてごめん」
イブは謝罪合戦をする二人を尻目に、タマが出現時に散らかした本等を片付けるためしゃがみ込む。
程なくしてマコト達も床に散らばる本やスクラップブックを集め重ねていくが、マコトが一冊のスクラップブックに手を伸ばそうとしたその時、イブの手に抱かれているタマの体に、今にも飛び出さんばかりの力が入った。
それに気づいたイブは素知らぬ顔でマコトの前からスクラップブックを掻っ攫い、片手のままテキパキと片付けを行い、タマが気にかけていたスクラップブックを一番下にして本を重ねてテーブルに戻す。
そのスクラップブックこそ、タマが出現した際にイブとマコトが読んでいたものだった。
「それで、朱坂殿に憑いているお狐さまに、お聞きしたいことがあるのですぞ」
イブの腕の中で気絶したふりを続けるタマだったが、芹奈がポテトチップスの袋を開けたとたん耳と鼻をピクピクと動かし、ガバっと顔を上げた。
「セリナって言ったわね、あんた気が利くじゃない!」
「タマ殿、どうぞお収めくださいなのですぞ」
イブの膝の上からテーブルへと飛び乗ったタマが、芹奈が広げたポテトチップスの袋へと顔を突っ込み貪り食い始めた。
それを見たマコトが両手で頭を抱え、イブは苦笑いを浮かべつつ柚香へと視線を向けると、柚香は頬を朱に染めうっとりとした表情でタマに釘付けになっていた。
「これがポテチなのね! マコトったらお菓子とか全然買ってくれないんだもの! セリナもユズカも恩返しのつもりなら、もっと貢いでもいいのよ!」
「ん? タマ、恩返しって何の話だ?」
「マコトったら……セリナもユズカも、マコトが「こーつーじこ」から助けた子じゃない。気づいてなかったの?」
「……は? ……はああ!? ま、待ってタマ、何を……えええええ!?」
イブはそのマコトの驚きようから、やはり本気で気がついていなかったのだと察したが、鼻をスンスンと鳴らしていたタマの問題発言で、それどころではなくなっていた。
「ちょ、タマちゃんそれ言ったらマズくね? 正体とか……」
「……あ」
今更ながらに気づいた様子のタマが、ゆっくりとマコトから遠ざかるように、イブの方へとそろりそろりと足を運んだ。
しかしその後頭部に伸びたマコトの左手が、小さな頭を一瞬にして鷲掴みにした。
「……ドレイン」
「ぴぎゃー! 死ぬ、死んじゃうからあああ!!」
程なくしてイブは若干体が透けたタマをマコトの手から救い出し、我に返った芹奈と柚香の北条姉妹はマコトに対して深く頭を下げた。
以前、炎上寸前の事故車両からマコトに救い出されたのは、北条姉妹とその父親だった。
三人とも何度もテレビに出ていたのだが、イブはマコトの家にテレビが無いことを思い出し、知らなくても無理がないかと納得する。
そして芹奈がタマに聞きたかったこととは、狐つながりでマジカル・フォックスについて知らないかという内容だったのだが、まさか本人だとは思わなかったと謝罪していた。
そんな二人に対してマコトが照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに対応しながら、マジカル・フォックスについては秘密であることから、自分を恩人扱いするのもやめてもらえるよう頼んでいた。
受けた恩は同等以上で返すのが北条家の習わしと譲らない二人だったが、迷惑をかけるのは本末転倒として、結果的に渋々受け入れることに決めたようだった。
「はぁ……オレのことも『マコト』でいいよ。特に柚香さんは歳上なんだから、朱坂様はやめてほしいかな。もう隠すようなことじゃないから正直に言うけど、オレは妖怪についてあまり知らないんだよ。だから妖怪について知りたくてこの同好会に入ろうと思ってるんだけど、そんな持ち上げられたら居辛くなるよ」
「そういうことなら、家に古い文献や妖怪に関わる資料の他、貴重なお宝もたくさんあるのですぞ。付喪神のサイガとシリュウも紹介したいですし、我が家にお招きしたいのですが、どうですかなマコト殿?」
「それはいいですわ。このあと、イブさんもご一緒にいかが?」
「りょ! チョー楽しみ!」
マコトの助けを求めるような視線を感じていたイブは、即答で了承する。
しかし少し考える素振りを見せたマコトが、小さく首を横に振った。
「……すまん、今日はイブと約束があるんだ」
「それは残念です。では後日お招きいたしますので、ぜひいらしてくださいね」
イブはマコトと一緒にオカルト研究会の部室をあとにし、吉祥寺駅の北口へと向かって一緒に井の頭公園を歩く。
マコトに救われた、思い出深い公園である。
「……何?」
「あ、いや、あたしとペットショップに行くって約束あるからって、セリちゃんとユズちゃんの誘いを断ると思ってなくって……」
「先に約束をしたんだから、当然だろ。それになんか、あーゆー扱い慣れてなくて……イブと約束があって良かったよ」
マコトが照れくささから居心地悪く感じていたのだと思ったイブは、好ましい人柄を感じて益々惹かれていくのを感じていた。
そしてマコトの可愛らしい横顔を見つめながら、オカルト研究会の部室で見たスクラップブックの中身を思い出す。
タマが現れスクラップブックの薙ぎ払う寸前、イブは開かれていたページをはっきりと見ていた。
今年の七月二十三日に出雲で発生した、凶悪殺人事件。
連日ニュースで取り上げられていたその事件では、二つの家族から六人が死傷し、イブと同い年の少年が一人行方不明になっている。
その少年の名は、久世真。
イブはその名を、深く心に刻みこんだ。




