第29話 タマは狸が嫌いらしい
「あんた、朧車やんなあ? ワゴン車に変怪しとるとは、盲点やったわ」
ワゴン車に変怪した妖怪朧車が、スキール音を響かせて逃げようとしていた。
だが紅蓮に燃える虎のような本性を表した鈴鹿が、朧車を前足で抱えながら噛み付き、その逃亡を阻止すると、マコトへと視線を送った。
その視線を受けたマコトは一足でワゴン車の上へと跳び乗ると、左手を車体の屋根につけて大きく息を吸う。
「お前たちが子供に向けた理不尽の代償は、決して安くはないぞ! ドレイン!!」
するとガタガタと揺れるワゴン車が木製の車体へと変化し、その両側に炎を纏った大きな木組みの車輪が姿を現した。
同時に車体の正面にも、左半分が潰された顔が浮かび上がる。その顔は獣と化した鈴鹿の両前足に挟まれ、右目の辺りに噛みつかれ、苦悶の形相を現していた。
それらが半透明になる頃、鈴鹿が車体から離れマコトの方へと顔を向けた。
「それくらいにしとかんと死んでまうで、フォックスちゃん」
「ああ、そうだな。ところで朧車って?」
「平安時代に使われとった牛車という乗り物の前面に、おっきな顔がついた妖怪なんよ。妬み嫉みから生まれた妖怪やからなあ……ちょっと待っててな」
すると鈴鹿は体中から拭き上げていた炎を消し、赤毛の大きな猫姿になった。そして鼻をスンスンと鳴らしたあと車体の横へと回り込み、前足で車体側面を引き剥がした。
同時にマコトの鼻も若木のような香りを捉え、鈴鹿の行動の意味を把握した。
「山崎さん、ちえりちゃんはここだ。早く救い出してあげてくれ」
「なっ!? そこにいるのか! ちえり!!」
鈴鹿の姿を見たせいか腰が引けていた山崎だったが、マコトの呼びかけに即座に応えると破壊された朧車へと駆け寄り、猛獣姿の鈴鹿の脇を抜けて車内へと滑り込んだ。
「ちえり! ちえり!! ……無事か、よかった……ああ……すまん、ちえり……」
気を失っているらしい少女を抱え、山崎が車内から降りてきたのを確認したマコトは、ポーチから小さな壺を取り出し朧車の屋根へと当てる。
「この変態一味め。暗く狭い壷の中で、お前が犯した罪と向き合え」
足元の朧車が封魔の壺へと吸い込まれると、車内にあったと思われるポリタンクやカバンなどの荷物が封印されずに弾かれて、コンクリートの地面に転がった。
宙に投げ出されたマコトはそれらを踏まないように着地しようとして、失敗した。
『バキッ!』
「あ」
マコトがふんずけたのは、薄いカバンだった。
恐る恐る中を確かめると、そこには大きくひしゃげ明らかに再起不能であろうノート型PCが入っており、マコトの頭の中に弁償の二文字がよぎった。
だがそれは、カバンの中にある短いケーブルを見た瞬間に、霧散した。
屏風のぞきが持っていたペン型カメラを取り出しケーブルをあわせ、USBコネクタのサイズが一致する事を確認したマコトは、ペン型カメラをカバンの中に入れると、無造作に放り投げる。
「狐火・陽火」
恐らくこのノート型PCの中に盗撮映像が入っているだろうと考えたマコトは、データの復旧もできなくなるほど完全に焼き払うことにしたのだった。
ひと仕事終えて一息ついたマコトのもとへ、獣姿の鈴鹿が近付いた。
マコトは目の前で座った鈴鹿の顔を正面から見たあと、鈴鹿の左側へと回ってその脇腹へと視線を向けた。
「す……お姉ちゃん、ごめん。『また』……助けられた」
「……やっぱり、思い出してしもたんやね……」
「少しだけ。お姉ちゃんが『火車』という猫の妖怪だということと、あのときオレを庇って大怪我したことくらいだけど……ありがとう、お姉ちゃん」
そう言って頭を下げたマコトに、鈴鹿が頭をゴツン、とぶつけた。
驚いて顔を上げたマコトの正面では、鈴鹿が口の端を吊り上げて牙をむき出しにしていた。
「フォックスちゃん、あない炎の前に立つなんて無謀やないの。帰ったら説教やね」
「ちょ、オレを庇って大怪我したお姉ちゃんがそれ言う? 理不尽すぎないか?」
「ウチはいいんや、そうせなあかん理由があったさかいな」
そう言って鈴鹿が、再度牙をむき出しにした。マコトはここでようやく、その表情は火車姿の鈴鹿が笑った顔であることに気がついた。
そして再度鈴鹿に反論しようとしたその時、どこからかか細い声が聞こえてきた。
そのか細い声は助けを求めている声で、そちらに顔を向けたマコトの視線の先に、いつの間にか炎を上げていた資材の山があった。
「……そういえば、朧車のヘッドライトが消えたのに、明るいなあとは思ってたんだよ……」
「朧車が吐いた炎が、あちこちに引火しとったようやね。……助けを求めとったんは、あれと違う?」
マコトは鈴鹿の視線を追ってその先を見ると、狸が一匹倒れていた。
しかもその狸は背中から炎を上げているだけでなく、股間からだらしなく伸びた金玉袋にも引火しており、虫の息で助けを求めていたようだった。
「山崎さんは娘さんを連れて、お姉ちゃんと外へ。オレはあの化け狸を封印したら外へ向かう」
「あ、ああ……マジカル・フォックス、だったな。また助けられた、礼を言うぜ」
マコトは女の子を抱いたまま頭を下げた山崎に、一度微笑みを向けてから踵を返した。
「た……たす、けて……」
「自業自得だな。狐火・陰火」
マコトは化け狸の背中の火を陰火で打ち消したが、なぜか金玉袋の方には陰火が発動しなかった。
不思議に思ってもう一度陰火を使おうとしたが、発動すらしない。
マコトは自分の中にある力に意識を向けると、どうやら力の行使をタマが拒否しているということがわかった。
「火ぃ……消して、くれよぉ……」
「なんかオレの中にいる狐の妖怪が、消火を拒否してるみたいで力が使えないんだ。仕方ないからそのまま封印するぞ」
マコトも内心では焼き尽くしたほうが良いと思っていたこともあり、そのまま封魔の壺を取り出し化け狸へと押し当てる。
すると化け狸が透けた体を何度もよじらせ、壷から離れるように必死な抵抗を始めた。
「や、やめ、このまま封印されたら、ずっと燃え続けたまま……アッー!!」
「ちょっと何言ってるかわからないけど、お前が女の子にした理不尽はこんなもんじゃ許されないぞ。壺の中で反省しろ」
そうして化け狸も封印したマコトは、燃える倉庫内に陰火の青い炎を無差別に放り、赤く燃え上がる炎を鎮めていく。
やがて消防車のサイレンが聞こえるころには消火を終え、鈴鹿たちを追って倉庫をあとにした。
外は既に薄暗くなっており、そこには意識を取り戻したちえりに撫でられゴロゴロと喉を鳴らす鈴鹿と、それを恐々と見つめる山崎の姿があった。
そしてマコトに気づいた鈴鹿がスッと立ち上がり、ちえりの体に一度頭を擦り付けると、その足元にあるポーチを咥えマコトの方へと軽快な足取りで向かって来た。
マコトはその鈴鹿からポーチを受け取って中を見ると、それは鈴鹿のスマートフォンや鍵などの小物が入った、鈴鹿の私物だった。
マコトはそれを懐に入れると、鈴鹿の頭から首筋にかけて優しく撫でる。
するとちえりがマコトたちの方へ一歩進み、キラキラとした期待に輝く眼差しを向けてきた。
「あ、あの! マジカル・フォックスさんも、夜行探偵社の方だったんですね? 動画たくさん見てます! 助けてくださって、ありがとうございました!」
「あ、あはは……どういたしまして? とにかく他の悪いやつもこっちで掴まえてあるから、これで依頼完了だね。でもちえりちゃん、夜行に関することは内緒だよ? 約束できるかな?」
「はい、約束します! あ、あの……握手、してもらえますか?」
マコトは頬を染めながらおずおずと右手を伸ばしてきたちえりを見て、変態たちの手にかからないで良かったと思っていた。
しかもこうして自分を知ってもらい好意的な態度を取られると、マジカル・フォックスも悪くないなと思い始めていた。
そしてマコトは自分を見て頬を染めるちえりと握手をすると、その頭を撫でて山崎の方へと向き直る。
「……山崎さんもちえりちゃんのため、夜行に関しては口をつぐんで欲しい。これはあんたらを守るためでもあるんだ、頼む」
「お、おう……正直俺には夜行ってのが何なのかわからねえが……恩人に仇ぁなすことはしねえよ。つーか、犯人はどうなったんだ?」
「こっちで責任もって封印しておく。何年か何十年か、もしかしたら何百年。こんな変態、矯正が終わらないうちは絶対外に出したりしないから、任せてくれ」
マコトは山崎が軽く首をかしげたのが気になったが、そろそろ消防車が着きそうだと判断し退散しようと考える。
そして鈴鹿と一緒にこの場を離れる方法を考えたその時、にゃーとひと鳴きした鈴鹿の体が成猫ほどの大きさまで縮んでいった。
「フォックスちゃん、抱っこして行ってくれへん?」
「わかった、任せてくれ」
マコトは鈴鹿を抱き上げべとべとさんの妖力で透明になると、山崎とちえりをその場に残して大きく跳んだ。
直後に到着した何台もの消防車を眼下に収めながら、マコトは埋立地にかかる橋の方へと足を向ける。
数台の貨物車やバスの屋根を経由して駐車場に戻ると、マコトは周囲に人影がないことを確認して透明化を解除し、変身を解く。
そして赤毛の猫を抱いたマコトがテンの助手席に乗り込み一息つくと、マコトの腕の中で寛いでいた鈴鹿が、ハッと何かを思い出した様子を見せたあと、困ったような顔でうなだれた。
「真琴ちゃん……ウチの服全部燃えてしもうたさかい、人化したら全裸になってまうんやけど……運転どないしよ」
それは衝撃の告白だった。
いくら陽は沈んでいるとはいえそのまま運転を頼んだら、トレンチコートの化け狸を遥かに超える変態になってしまう。
鈴鹿にそんなことはさせられないと、マコトは必死に解決策を考えるのだった。
「えっと……あ、タマ! 変身した時のオレの服って、タマが幻術で作ってるんだよな? 同じこと出来ないか?」
幻で服を作れば少なくとも裸には見えない、そう考えたマコトはタマを呼び出すのだった。




