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第28話 狐と狸と猫と朧車

「いいわけあるかあああ! 何事もなかったように会話始めてんじゃねえよてめえ!!」


 首なしの変態が突然起き上がると、倉庫の外まで響きそうなほどの大声を上げた。


「ちっ」


 変態を滅ぼし損ねたことを残念に思いつつ、マコトは今度こそ変態にトドメを刺すべく一歩踏み出すが、その足にむにっという柔らかい感触が伝わった。


「にやり」


 現すことの出来ない表情を言葉で補った変態の声に、マコトは眉をしかめる。

 その瞬間マコトの足元から何かが大きく湧き上がり、マコトへと覆いかぶさった。マコトはそれを避けようとしたのだが、いつの間にか足首までが床に埋まってしまっており、結局避けることが出来ないまま首から下を包み込まれてしまった。

 それはこげ茶色の毛がまだらに生え、生温い肉のような質感を持っており、マコトの全身を押し潰さんばかりに締め付けた。


「何だこれ?」


 マコトは身体強化の段階を上げ力任せに引き剥がそうとするが、ゴムのようにどこまでも伸びそうな高弾性をもつ何かから、逃れることは叶わなかった。


「てめえ……見たことがあるぜ。確かマジカル・フォックスとか言ったな? ……くくく、なかなか良い体してるじゃねえか」


 マコトの体を包む何かが、マコトの胸や尻を締め付けたり撫でるように蠢く中、トレンチコートだけを着た頭のない変態が、立ち上がってマコトの方へと体を向けた。

 マコトはそれを正面から見たくなかったのだが、視界の端に映る変態の股間に違和感を持ったため、視線を下へと移した。

 変態の股間からは何かが垂れ下がって床につき、それが更に伸びてマコトの全身を包む何かに繋がっていた。


 化け狸。


 相手の正体を思い出し、マコトは今()()包まれているのかを理解した瞬間、嫌悪感で全身に鳥肌が立った。

 そして一刻も早く金玉袋の拘束から逃れるため、マコトは左手で化け狸の一部を嫌々握る。


「ドレイン」


「な、何……ぐ、ぐあああ!?」


「お前が行ってきた理不尽は、このオレが全て喰らい尽くす」


 程なくしてマコトの拘束は解け、全身を締め上げていた化け狸の金玉袋は、力なく床へと落ちた。

 金玉袋に包まれてしまったことも、器用に動く金玉袋に胸や尻を揉まれたことも、マコトは記憶の彼方へと追いやった。思い出したくもないし、考えたくもなかったのだ。

 やがてその金玉袋が変態の方へと引き戻されていくのを感じたマコトは、左手で握っていた肉から手を離し、足も開放されたことを確認して軽く飛び退いた。

 そこは依頼者である少女が倒れていたはずの場所だったのだが、そこの少女の姿はなく、その代りにカーディガンをまとわりつかせた金玉袋の一部が、変態の方へと引きずられていった。


「あれ? 女の子は?」


 マコトは答えを求めるように山崎の方へと視線を向けるが、山崎はぽかんとした顔をしながら、金玉袋に引きずられるカーディガンを見ていた。


「ち、ちえりが……肉の塊に……はっ!? ちえり! ちえりはどこだ!!」


「もしかして金玉袋を女の子に擬態させて、カーディガン着せてたのか?」


 変態の方へと振り返りながら疑問を口にしたマコトの目に、床に落ちたトレンチコートの上で伸びる、一匹の狸の姿が映った。

 その狸は意識を失っているようで、そのため金玉袋が元の姿に戻ろうとしているのだと気付いたマコトは、金玉袋の端を強く踏んづけて動きを止める。

 動物は好きだが悪いことするエロダヌキは別であると、マコトは心の中で悪態をつきながら、金玉袋ではなく中にあるはずの大事な球を踏み潰すべきかどうか、またはこのまま封印すべきかと考える。

 しかし万が一鈴鹿がちえりを見つけられなかった場合、この化け狸に居場所を聞く必要があるため、潰さず封印もせずこのままにしておくことにした。


 そしてかろうじて立ち上がり、フラフラと歩み寄ってくる山崎へとマコトが視線を移したその時、マコトは不自然なほど濃いガソリンの匂いを感じとった。

 その瞬間、山崎の背後からマコトたちを照らしていたワゴン車が炎を噴出し、荒れ狂う爆炎の奔流が山崎とマコトを飲み込むべく襲いかかった。


「しまった!」


 山崎を連れて逃げる余裕は無い。

 そう判断したマコトは山崎に駆け寄り、その腕を掴んで自らの後方へと引き倒すと、山崎を庇う位置で仁王立ちする。


「狐火・陰火!」


 マコトの正面に青い炎の壁が作り出されるのと同時に、その壁へ紅蓮の奔流が激突した。

 果たして陰火の青い炎は紅蓮の奔流を受け止めることに成功したものの、青い炎の壁を遥かに上回る大きさの紅蓮の奔流は、青い壁の横や上方から溢れマコトたちの後方へと流れていった。

 マコトは徐々に小さくなっていく陰火の壁へと妖力を送り続け、周囲を炎に包まれた状態で、辛うじて拮抗状態を維持するのがやっとだった。

 息苦しさと肌の焼けそうな熱に耐えながら、マコトはこのままでは危険だと打開策を探ろうとしたその時だった。


「フォックスちゃん!」


 鈴鹿の声が聞こえてくるのと同時に、陰火の青い炎の壁に当たる炎の奔流が止んだ。

 そしてマコトが陰火を消したその時、ワゴン車から放たれた炎を遮るように立つ、鈴鹿の後ろ姿が見えた。

 その全身は炎に包まれ、身につけた衣服が次々と炭となってボロボロと崩れ落ちていた。


「鈴鹿……さん? ……な……何してんだよ!!」


 マコトは慌てて駆け寄ろうと脚に力を入れるが、その前に鈴鹿の燃えるような赤い髪の毛が、文字通り紅蓮の炎へと姿を変えた。


「フォックスちゃん、名前呼んだらあかんやないの。……良かったわあ、山崎はん気絶しとるようやね」


 鈴鹿の言葉を聞いたマコトは後ろを振り返ると、山崎は白目を剥き胸を押さえて倒れていた。

 それを見たマコトは、周囲を炎に囲まれ息苦しかったことを思い出す。


「酸欠か? やばい!」


「これくらいの炎やったらどうってことあらへんから、こっちはお姉ちゃんに任しとき」


「わかった、頼んだよお姉ちゃん!」


 マコトは山崎へと駆け寄ると片手で抱えて場所を移し、右手から癒やしの力を垂れ流しにしながら往復ビンタをする。

 これで駄目なら人工呼吸をするしか無いと覚悟したマコトだが、幸運なことに山崎は小さく呻くと目を開け、マコトの顔を見て驚いた表情をしていた。


「良かった、死んだかと思ったよ。邪魔にならないよう、静かにしてもらえると助かる」


「あ……ああ……ああっ!?」


 目を覚ました山崎は娘を探しているのか、辺りへキョロキョロと視線を巡らせると、炎に包まれた鈴鹿の後ろ姿を見て息を呑んだ。

 マコトもまた鈴鹿へと視線を向け、その美しさに見惚れてしまう。

 炎に包まれ全裸になった鈴鹿だったが、その姿は炎に焼かれているのではなく、まるで真紅の仮面と紅蓮に燃え上がるドレスをまとった淑女のようであった。


「この姿になるんも、久しぶりやねえ……あんた、フォックスちゃんと相性悪そやさかい、ウチが始末したるわ」


 その鈴鹿が四つんばいなりお尻を高く上げると、その体が徐々に姿を変えていった。

 手足が太さを増し全身を真っ赤な毛皮で包んだかと思うと、赤く長い髪だったものが背中に張り付き炎を上げた。

 お尻からは長い尻尾が生え、ピンと天を向いて立っていた。

 

 それは赤毛の獅子のようでもあり、大きな山猫のようでもある、四足の獣であった。


 そして一匹の獣と化した鈴鹿がワゴン車から放たれる炎の奔流を逆行するように突き進み、前足を高く上げて振り下ろした。


『フシャー!』

『ゴキン!』


 重い音を生み出した鈴鹿が振るった前足は、いつの間にかワゴン車の正面に浮かんでいた巨大な顔を切り裂き、その後ろにある運転席を叩き潰していた。


「あんた、朧車やんなあ? ワゴン車に変怪しとるとは、盲点やったわ」


 スキール音を立てて逃げようとするワゴン車、妖怪『朧車』。

 それを両前足で押さえ、機嫌良さげに尻尾を立てる鈴鹿は、妖怪『火車』。


 奇しくも『車』同士の対決となったが、軍配は車と無関係な外見の火車・鈴鹿に上がったようであった。

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