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第22話 ウチかて負けてられへん

 マコトが日課のジョギングに出たのを見送り、鈴鹿は脱衣室でネグリジェを脱ぎ洗濯籠へ投げ入れる。そして意を決して浴室へと足を踏み入れるが、シャワーの蛇口を掴んだまま固まってしまっていた。

 鈴鹿の胸のうちには妖怪としての性質と、マコトと一緒にお風呂に入りたいという欲求が、シャワーを浴びるかどうかの葛藤としてせめぎ合っていた。


 鈴鹿は水が苦手だ。

 手や体の一部につく程度ならともかく、体に浴びるなんて以ての外。


 しかし鈴鹿はその考えを、昨日のマコトとの会話によって捨てることにしていた。

 普段は固く絞ったタオルで体を拭いているだけだが、マコトと一緒お風呂に入るためには浴槽に浸かれるようになるか、せめてシャワーくらい浴びられるようにならなければいけない。


 そう考えた鈴鹿だったが、その体は本能的にシャワーを浴びることを拒否し、蛇口をなかなか捻ることが出来ないまま、しばらく固まっていた。

 やがて鈴鹿は蛇口から手を離して体を起こすと、浴室内にある大きな鏡の前に立ち、自らの体を眺めて大きく息を吐く。


 張りのある大きな胸と適度にくびれたウエスト、細い手足という均整の取れた体。

 まるで二次元から出てきたように整ったプロポーションであったが、その左の脇からお腹にかけて刻まれた大きな傷跡が、美しい肢体に一点の影を落としていた。

 鈴鹿はその傷跡を指でなぞると、深く溜め息を吐いて首を横に振った。


「こないなもん見せてもうたら、真琴ちゃんに嫌なこと思い出させてまうやろなあ……」


 鈴鹿が初めて出会った際のマコトは、怒りと憎しみに支配されて暴れまわる、悪鬼を食らう鬼神の如き姿の少女だった。


 まるで剥き出しの刀身のような、マコトの強さ、激しさ、美しさ、そして危うさに、鈴鹿は強く激しく惹かれてしまった。


 鈴鹿には自分が同性愛者だという自覚はなく、マコトに対する感情に気付くと大いに戸惑った。

 さらにマコトが実は男であることを知り安堵したのも束の間、同時にマコトに取り憑いているタマという存在を知った。

 鈴鹿はタマの事を最初は蹴落とすべきライバルかと思っていたが、マコトが眠りについた深夜に話し合った結果、マコトのために休戦協定を結ぶこととなったのだ。


 ともすれば壊れてしまいかねないマコトの心をケアすることこそが、鈴鹿にとってもタマにとっても自らの恋路より大切なことだったのだ。

 だからこそお互いにアプローチを控え、共に見守ることにしたはずだったのだが、その均衡を破る存在が現れた。


 願念聖夜。


 はじめは彼女の素性を知った際、イブにはマコトの友人になってもらうつもりだった。

 マコトがイブと出会った初日はマコトが男に戻るという事故があり、思ったような結果は出なかったものの、高校への転入後は鈴鹿とタマの想定を遥かに上回り、マコトはいろいろな表情を見せてくれるようになっていた。


 想定外だったのは、イブまでもがマコトに惚れてしまったことだった。


 しかしイブがマコト以上に素直で純情であることを知ると、鈴鹿はイブに対して友人兼ライバルとして、良い関係を築けそうだと思うようになっていた。


「それにしても……昨日はちょっと、いじりすぎたかもしれへんなあ」


 そうつぶやきながら鈴鹿は昨日、露出の多いイブに対抗して久しぶりにスカートをはいたことを思い出していた。

 マコトから何も言われなかったのは残念だが、明らかにいつもとは違う視線を感じており、マコトが自分を女として意識していることが確認できたため、勇気を出してスカートをはいた甲斐があったと満足していた。

 だが鈴鹿はイブと二人でマコトをからかったあと、予想外の反撃を受けてしまったことも同時に思い出す。

 近頃マコトは何か食べるたびに、料理漫画の審査員のような表情で食べていることは、鈴鹿も気になっていた。

 だがちょっとした味付けの違いを気付いてもらえるとは、思ってもみなかったのだ。

 それほどまでに味わって食べていると聞かされると、今後の料理に対して俄然やる気も出るというものだ。


 そうして今度はイブからどんな料理を教わろう、などと考えていた、その時だった。

 鈴鹿は脱衣所に、誰かが入ってきた気配を感じる。

 そこでようやく、鈴鹿は考え事に没頭し過ぎていたことに気がついた。

 鈴鹿は外にいるであろうマコトに、すぐに出るからとひと声掛けようとドアに手を伸ばしかけたその時、ドアが全開にされてしまった。

 その向こうには、汗が湯気となって立ち昇っている、全裸のマコトが立っていた。

 鈴鹿はとっさに右半身を前に出して、マコトの視線から傷跡だけは隠す。そこ以外ならどれだけ見られても構わないし、むしろ見てほしいとさえ思っているからこその行動だった。


「え……鈴鹿、さん……?」


「あ、あはは……真琴ちゃん、一緒に入ろか?」


「ちょっと鈴鹿! あんた抜け駆けするなんて――」


 呆然と立ち尽くすマコトの頭上から、鈴鹿は右手で素早くタマをかっさらうと、その耳元へ顔を寄せる。


(サトゥーのメンチカツ買って来たるさかい、見逃してえな)


(くっ……条件があるわ)


 そう言ったタマがマコトの頭上に戻るのを見届けると、鈴鹿はマコトの視線が自分の胸や下半身に注がれているのを感じながら、立ち尽くし固まるマコトを浴室に引きずり込む。


「……はっ!? ちょ、いやいやいやいや、それは駄目だろ!?」


「なんでやのん、今は女同士やないの」


「いや、ちょ、タマあ!?」


「女同士なんだから、別にいいんじゃないのー? それにもう何度も見せてるじゃない」


 鈴鹿はマコトに下着の付け方をレクチャーするため、引っ越してきてすぐの頃は何度もマコトの裸を見ていた。

 その後も風呂に入る際にパンツだけしか着替えを持っていかない癖があるマコトの、風呂上がりの裸体を何度も目にしている。

 こんな可愛い生き物に裸で眼の前をうろうろされ、それでも理性を保てていた鈴鹿は、自分自身を内心褒めていたくらいなのだ。


「や、でも、鈴鹿さんも裸で……」


「それならマコトは目を閉じてればいいんじゃないのー?」


「あ、そっか、それなら見なくても……いやそれ解決になってないだろ! って、わぷっ」


 マコトが素直に目を閉じた隙に鈴鹿はシャワーを準備し、タマがマコトの頭上から飛び降りるのと同時に、マコトの頭からお湯をかける。

 タマの言った条件とは、マコトに目を閉じさせることだったようだ。

 そのままマコトが混乱しているであろう間に、鈴鹿は素早くマコトの全身の汗をシャワーで流し、ボディーソープを手に取って泡立てる。

 この間に跳ねたシャワーのお湯が鈴鹿にもかかっていたが、鈴鹿の頭の中からは水が苦手だという事実は最初から無かったかと思われるくらい、綺麗さっぱり消え失せていた。


「あ、あの、鈴鹿さん?」


「ほら体洗ったるさかい、おとなしくしとき」


「え……えええ!?」


 そのまま泡のついた両手で、マコトの肩から腕を撫で回しながら洗い、そして目を強く閉じたマコトの顔を正面から見ながら、衝動的に自分の体の前面に泡をつけて広げる。


「ああ……かいらしなあ、真琴ちゃん」


 そのまま目を閉じて抱きつこうとした、その瞬間。


「ちょ、鈴鹿! それはアウトよ!!」


 鈴鹿は抱きついた相手に、違和感を感じた。

 マコトの顔にしつけるはずだった自分の胸と、相手の胸が同じ高さにあったのだ。

 鈴鹿は目を開けてよく見ると、抱きついた相手のお尻から銀色の太いしっぽが三本伸びており、その向こうではマコトが尻餅をつき、真っ赤な顔をして両目を見開いていた。


「タ、タマ?」


「……きゅぅぅぅ」


「わ、わー! リリース・ストレンジパワー!」


 鈴鹿は抱きついた相手がぽんっと音を立てて姿を消し、へろへろと落ちていくタマを見て、ようやく抱きついた相手の正体に気がついた。

 そして自分が正気を失っていたことにも。




「タマちゃん、真琴ちゃん、ほんまに堪忍な……」


「い、いいんだけどさ……それより、前は自分で洗えるから……背中、お願いしてもいいかな?」


「……真琴ちゃん、許してくれるんやね、おおきに! ほなウチにまかせとき!!」


 そう言って背中を向けてバスチェアに座ったマコトに、鈴鹿もバスチェアに腰掛け、泡のついたままの両手を伸ばして洗い始める。

 そしてマコトの背中を洗うその向こうでは、マコトがタマを洗っており、鈴鹿はそれを少しだけ羨ましそうに見ていると、マコトがその視線に気がついたのか、自分の手元を見ていた。


「そ、その……鈴鹿さん、ありがとう。オ、オレも、その……背中、流」

「お願いしてええ?」


 鈴鹿は食い気味で返事を返し、くるんとマコトに背中を向ける。

 そしてドキドキしながらその時を待っていると、泡まみれのタマが回り込んできて、鈴鹿の前で寝そべった。


「洗いなさいよ。そしたら許してあげるわ!」


 鈴鹿は背中を洗ってくれるマコトの手の感触に集中したかったのだが、先程の醜態もあってタマの言葉には逆らえなかった。


「今度イブちゃんも誘って、一緒に入らなあかんなぁ」


「鈴鹿、それなら温泉がいいわ。家族風呂、ってのがあるとこなら、私が一緒でも大丈夫よね!」


「何勝手に決めてんだよ……」


「昨日、みんなでお風呂入ろうって約束したやないの。今日はシャワーだけやゆうても、イブちゃん仲間はずれにすんのは可愛そうやない?」


 その一言でマコトは沈黙したため、鈴鹿は背中から伝わる温もりに高揚感を覚えつつ、温泉旅行に思いを馳せていた。


 そのあと自身の体についた泡を洗い流すため、嫌いなシャワーを浴びなければいけないという事実を忘れて。




 いつもより少し遅い朝食をとると、この日はマコトが学校を休むことになっていたため、鈴鹿はマコトの担任に体調不良であることを電話で伝える。

 そしてリビングで勉強するマコトから少し離れて、鈴鹿はタマと小声で話していた。


(多分明日やんなあ、真琴ちゃんが男に戻るん)


(ねえ鈴鹿、抜け駆けしたら本気で噛み殺すわよ)


(……嫌やわあ、ウチかてそれくらいわきまえとるよ?)


(……さっき、我を忘れていたじゃない)


 鈴鹿はタマからそーっと目を逸らしながら、勉強に集中しているマコトを見る。


(そないなことも、あったなあ)


(とにかくわたしの鼻は良いんだから、変なことしたらすぐわかるからね!)


(……それよかさっきタマちゃんが人化した時……真琴ちゃん、すぐにタマちゃんだって気がついとったねえ。あらどないなことやろな?)


 鈴鹿はタマに視線を戻すが、今度はタマがそーっと目を逸らし、勉強に集中しているマコトの方を見た。


(仕方ないじゃない、マコトがあのこと思い出しそうになるたびに意識逸らすの、ネタにだって限りがあるわよ)


(……とにかく、まだ当分は……真琴ちゃんのケアが最優先やしね……)


(だいぶマシになってきてるけど、こればっかりは焦ってもどうにもならないわよ)


 鈴鹿としても焦ってはいけないことくらいわかっているのだが、イブやタマを羨む気持ちが徐々に大きくなっているのを感じていた。

 特に自分も早くマコトに撫でてもらいたいという欲求が強く、そのためにはマコトの心のケアを優先させなければいけないというジレンマもある


 しかし明日は、恐らくだがマコトが男になるという一大イベントがある。

 タマも眠りにつくため、鈴鹿はマコトと二人っきりになれるのである。

 本来の姿でマコトに撫でてもらうことが出来なくても、このようなご褒美があるのなら耐えられると、鈴鹿はマコトと過ごす時間に思いを馳せる。


 唯一の懸念事項は、鈴鹿自身が我を失ってしまわないかということだけであった。

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