第19話 あたしの王子様
「えへへー、またマコっちゃんと一緒にここ歩けるなんて、チョー嬉しいんですけど!」
イブはマコトの右腕に自分の腕を絡めながら、上機嫌さを前面に押し出した軽い足取りで、井の頭公園を突っ切り北へと向かっていた。
イブ達が通う安晴学園は井の頭公園の南にあり、イブは吉祥寺駅のある中央線の線路を挟んで北側にあるアパートに住んでいるため、毎日井の頭公園の西側を縦断している。
そしてマコトの住んでいるマンションが近所であると知るや否や、イブはマコトの返答を待たずに腕を掴み、その逃亡を阻止したのだった。
「はー……イブおまえな……さっきの萌花とかって奴はいいのか?」
「もえちゃんバス通でさー、仲良かった頃でもあんま一緒に帰ったりしてないんだよね。それに今日は体調悪いから、親に迎え着てもらうってゆってたし。……もえちゃんと仲直りできたのも、マコっちゃんのおかげだよね。ホントありがと、マコっちゃん」
「……萌花が倒れそうになったとき、隣にいたオレより早く気付いて支えたのも、保健室に運んだのもイブだ。だから仲直りできたんだろ、オレは何もしてねえよ」
イブはぶっきらぼうに話すマコトを見て、これも人に話してはいけない『何か』が関わっているのではないかと疑いを持つ。
イブとしては萌花の件はストーカー問題に次ぐ悩みのタネだったのだが、マコトが関わっただけでその萌花と仲直りできたのだ。べとべとさんの時と同様に、妖怪と言われる何かが原因だろうと感じても、何の不思議も無いのだ。
それにイブは最近話題の『マジカル・フォックス』の正体が、マコトだということを知っている。だからこそ周りに人がいるこの状態では突っ込んだ話はできないため、マコトも言葉を選んだり知らないフリをしているだけだろうと思っているのだ。
「もえちゃんってさ、前に話したじゃん? ストーカーを一緒にやっつけようって言ってくれた友達なんだよね。でも背中べとべとにされちゃってから、あたしのこと避けるようになって……それからだんだん性格がキツくなってったって言うか……でもねでもね、ほんとはそんな子じゃないんだよ! チョーいいヤツだし!」
「そうだな……多分イブを避ける罪悪感が強くて、それで自分を責めるうちにおかしくなったんだろ。面倒見良さそうだったしな」
その時マコトが一瞬見せた優しそうな顔が、イブの心の温度を更に上げる。
そのまま嬉しさを顔のみならず体でも表現すべく、イブはマコトの腕に絡めた腕に力を入れる。するとマコトが照れるような表情を見せ、その可愛さといつもの男らしい口調とのギャップが、更にイブの胸をときめかせていた。
「てかさてかさ、ガッコではマコっちゃん、チョー女の子っぽい話し方じゃね? 最初別人かと思って焦ったし!」
「この姿だと、今の口調の方がおかしいだろ……悪目立ちしちまう」
マコトは少し考えるようなそぶりを見せた後、探るような目をイブへ向けた。
だがイブはそんな目を向けられていることを気にもせず、マコトの右腕に絡めた自分の腕に力を入れて、マコトと更に密着する。
「そんなこと無いし! てか……カッコいいし」
「……え?」
マコトの顔が赤く染まっていくのを見ていたイブもまた、どんどん顔が赤く染まり熱を持ち始め、急に恥ずかしさを覚える。
イブ自身、どう見ても女性にしか見えないマコトに対して、胸の高まりを覚える自分に戸惑いはあったのだが、抑えようとすればするほど自らの想いに気付かされてしまっていた。
そして鼓動の速さがマコトに伝わるのではないかと考えると、マコトの肩に当たるよう密着させた自慢の胸を、慌てて若干引き離し隙間を空ける。
その瞬間、マコトが着ているブラウスの肩口が、内側からつままれた様に形を変えた。
(……ちっ、勘がいいわね)
「えっ? ……タマちゃん?」
マコトのブラウスが内側から盛り上がるようにもぞもぞと動いており、そこからタマの小さな声がイブの耳に届く。
そしてその肩口へと、マコトの手が静かに伸びた。
(何噛み付こうとしてんだよ! 見つかったらどうすんだ、オレはこんなところで騒ぎなんか起こしたくないぞ!)
(びぎゃー!)
(ちょ、マコっちゃん、その……ほどほどに?)
かすかに聞こえるタマの悲鳴と、マコトが自分の右肩を強く握っているところを見ると、タマの頭がマコトに握られているのだろう。
なんとなくタマに親近感を覚えていたイブは、助け舟を出すべく話題を変えることにした。
「そうそう、マコっちゃん! あたしもスマホにしたんだよ!」
「知ってる。ずっと握ってたしな」
「えー、あっさりしすぎじゃね? これね、あのあとストーカーが親と一緒にうちに謝りにきてさー、慰謝料置いてってくれたんだよねー。それで買っちゃった! 制服とジャージも新品にしたんだよ!」
さすがに制服は高かったが、何度もよだれまみれにされてしまったことを考えると、イブとしては耐え難いものだった。更に他にもいろいろと買い替えていたため、貰った慰謝料はほぼすべて使い切ってしまっている。
「それと、これ……」
「ん? 何だこれ?」
イブはトートバッグから小さな紙袋を一つ取り出し、マコトへと差し出す。
これはマコトに助けられた次の日に買ってきて以来、常に持ち歩いていたものだ。
マコトが包みの中から一枚のハンカチを取り出して広げると、それはイブが半日かけて探した、真っ白なキツネの刺繍がされたハンカチだった。
「あの時マコっちゃんから借りたハンカチ、べとべとにしちゃったから……代わりに貰ってくれないかなあ?」
「お、おう……ありがとな、イブ」
相変わらずぶっきらぼうな返事を返すマコトだが、その顔は先ほど同様に赤くなっているのを、イブは見逃さなかった。
イブはいつかまた会えると信じ、持ち歩いていた自分の判断を褒める傍ら、どこからか自分に向けられる敵意に満ちた視線にも気付いており、すぐさま対応するために、トートバッグからもう一つの包みを取り出す。
「それと、このブラシ! ほらこれ、チョー可愛くない? これでブラッシングしたら、タマちゃんも喜ぶんじゃね? タマちゃん、もっと可愛くなっちゃうんじゃね?」
イブは自分に向けられていた敵意が一瞬にして消えたように感じ、自分で自分の選択を褒めたくなった。タマの反応が見られないのは残念だが、喜んでくれているのは間違いないと確信する。
周りを歩いている人にはどうせペットの話だと思われるだろうし、周りに人が多い今は無理でも、二人っきりになる機会があればマコトともっと話せるし、タマとも話せる。
そう考えわくわくしていたイブだったが、そこへマコトが大きなため息を吐くと足を止め、イブの目をじっと見つめた。
お礼でも言われるかと胸の高鳴りを覚えるイブだったが、マコトの口から出た言葉は期待を大きく裏切るものだった。
「イブ……お前はこれ以上オレに関わるな」
「ヤダ」
期待は裏切られたが、イブはその言葉を予想はしていた。
だからこその即答だった。
「知らないままなら、問題は無かったんだ。でもイブは、『知って』しまった。……危険だって、あるんだぞ……」
「ヤダ!」
周りに聞こえないようにするためか小声で話すマコトに対し、イブは大声で返す。
「あたしはマコっちゃんと、友達になりたい!」
「へあっ!?」
周囲の視線が、一気にイブへと突き刺さる。
だがイブはそんなものお構いなしで、挙動不審にキョロキョロしているマコトの目を、真正面から見続ける。
「あたしは! マコっちゃんが! 好き!!」
「ちょ、ま、おまえいきなり何言ってんの!?」
これはイブの嘘偽りない気持ちだ。だがイブ自身、男の人にも言ったことのない告白に、恥ずかしさを覚えて顔が熱くなるのを感じているが、ここで逃げ出すわけにいかないと、マコトの真っ赤に染まる顔をじっと見つめる。
すると二人の周囲の人が足を止め、黄色い悲鳴を上げたりヒソヒソと言葉をかわしたりしている中、赤い髪をした一人の女性が観衆を避けながら、イブの方へと近付いてきた。
するとニコニコしながら近付いてくるその女性の方にマコトが目をやると、急にオロオロと慌てふためくような様子を見せた。
「真琴ちゃん……あんた転入初日から隅に置けんなあ。あら、アンタ……イブちゃんやないの」
「す、鈴鹿さん!? 何でここに?」
「お参りはしとくもんやねえ、弁天様の帰りにええもん見してもろたわ、うふふ。立ち話もなんや、イブちゃんうっとこおいでえな」
「え、あの……うえぇ?」
イブは自分の事を知っている様子の知らない女性に手首を掴まれ、問答無用で引っ張られ連れて行かれてしまう。
静止を求めるマコトの声を背に、イブはわけが分からずされるがままだった。
「えっ……ここって……」
「ウチと真琴ちゃんが住んどるマンションや。遠慮せんと入り」
鈴鹿の回答に、イブの胸が大きく鼓動する。
イブが連れて来られたマンションは、イブが母親と二人で住むアパートから、本当に文字通り目と鼻の先だったのだ。
そしてマコトの私室の位置を聞いたせいか、マコトに警戒の目を向けられながら、イブはダイニングの椅子へと通される。
そしてそこで目にした光景に、頭を悩ませるのだった。
「マコトー! ブラシ! 早くブラシを出しなさい!!」
「わかったから……つーかイブにお礼言えよ」
「イブ! あんたなかなか気が利くじゃない! 今回も特別にこのわたしを撫でさせてあげてもいいわよ!!」
テーブルの上でタマが、二本足で立ってふんぞり返り、イブの方を見上げていた。
そのタマの頭へと、マコトの手が伸びる。
「お礼言えっつってんだろ」
「ぴぎゃー! あたま、あたまつぶれちゃうー!!」
タマの頭を鷲掴みにするマコトは、疲れたような顔でため息を吐いていた。
そして鈴鹿はその様子を目を細めてニコニコしながら見守っており、イブとしては鈴鹿が何をどこまで知っているのかわからず、口を開くことができないでいた。
「うふふ。ウチは朱坂鈴鹿、真琴ちゃんの戸籍上の母で、わけあって一緒に住んどるんよ。ウチも夜行で仕事させてもろうとるから全部知っとるさかい、そない緊張せんでもええよ?」
「ちょ、鈴鹿さん!? なんでそんなあっさり話してんだ!?」
「そないゆうたかてこの子、真琴ちゃんが普通の人間やないこと知っててあれやろ? そないな子、簡単に諦めへんとちゃうかな。それにな……往来であないな目立つ真似されるくらいやったら、ある程度知っといてもろうた方がええ思うんよ」
イブは鈴鹿の言葉を聞いて、自分の失態に気がついてしまった。
初めて会ったときも目立ちたくないと聞いていたし、学校でも目立たないために口調を替えていると聞いたばかりだったというのに、自分の気持ばかりに気を取られて失念していたのだ。
そうして己の行動を鑑みたイブは、マコトと鈴鹿に対して深く頭を下げる。
「マコっちゃん、騒いじゃってごめんなさい。鈴鹿さん、迷惑かけてごめんなさい、教えてくれてありがとうございます」
「うふふ、素直な子やねえ。どういたしまして。これからも、真琴ちゃんのことよろしゅうな」
「は……はい!」
イブには二人の関係はよくわからないが、どうやら鈴鹿はマコトの保護者であると認識し、その保護者からの公認を得たことに喜びを隠せなかった。
マコトがタマをブラシで撫でながら文句を言いかけていたが、鈴鹿はそれを笑顔で黙らせるとイブの方へと顔を向けた。
「ところでイブちゃん、真琴ちゃんの活躍についてはどんだけ知っとる?」
「えーと……あたしが助けてもらった次の日に、吉祥寺の交通事故で人命救助。そんで次の週に北海道のビル火災で十人救助! 翌々日に茨城で行方不明の子供三人を救助! マコっちゃんチョーかっこよかった! もーアップされてる動画見まくり!!」
「どんだけ見てんだよ!!」
イブは話すうちにどんどんテンションが上がってきてしまい、もっと話したかったのだが、マコトが絞り出した嘆きの声に、我に返ってマコトの方へと顔を向ける。
そこには赤く染まった顔を両手で覆うマコトと、ひっくり返ってケタケタと笑うタマの姿があった。
「イブちゃん、その動画見せてもろうてもええかな? ウチらテレビは見ーひんし真琴ちゃんは見せてくれへんし、ウチはスマホの扱いに慣れてへんで困っとったんよ」
「わたしにも見せなさいよね! マコトのマジカル・フォックス!! ぷーくすくす!!」
その後イブは鈴鹿とタマの希望通りスマートフォンで動画を再生しまくると、マコトは「どうしてこうなった」とつぶやきながらソファーへと移動し、そのまま突っ伏してしまった。
イブにはマコトが恥ずかしがっているように見え、少しばかり申し訳ないと思ったものの、格好いいマコトの動画のことを誰かと遠慮なく話せる機会を逃す気は無かった。
最初の交通事故現場の映像では、救助した父娘に何も言わず立ち去るマコトにキュンとた。
ビル火災では救助者をかかえ、隣のビルへ飛び移るカッコいいマコトにドキドキした。
その際至近距離からマコトを撮影できた救助者に、少しばかり嫉妬した。
救助を終えた後『助けたいから助けただけだ、他に理由が必要か?』と言った際に見せたドヤ顔に惚れ惚れした。
行方不明の子供たちを連れて山から現れたマコトが、再会した親子の様子を見てこぼした微笑にうっとりした。
その時刑事から犯人扱いされているマコトを見て、悔しさで体がわなないた。
イブは何度もこの動画を見ているにも関わらず、毎回こうなるのだ。
そしてイブにとっては意外なことに、タマだけではなく鈴鹿もイブと似たような反応を見せていた。
「タマちゃんってマコっちゃんと一緒にいるんじゃないの?」
「いるけどわたしが体動かしてるわけじゃないし、外からマコトを見るのって新鮮よ!」
「どないやったんか、真琴ちゃん詳しく話してくれへんさかいなあ」
結果イブはマコトの映像を肴に鈴鹿・タマとの間で話が盛り上がり、奇妙な連帯感にも似た安心感を覚える。
小一時間もするとイブはタマと鈴鹿と一緒にファッション誌を広げ、マコトに似合いそうな服や下着を選ぶような仲になり、それぞれ好みの服装の話になるが、ここでタマが悲しそうなうめき声を上げた。
「ううう……わたしねー、こうやって女の子同士でわいわい楽しく話すの、夢だったのよ……。ねえイブ、わたしあんたのこと気に入らないけど、仲良くしてあげてもいいわ! だからあんたも、わたしに揚げ物を貢ぎなさいよね!」
「おいタマ、おまえイブにまで集るつもりか……」
「仕方ないでしょー! 早く人間の格好して可愛い服着たいのに、今のわたしじゃ食べるくらいしか楽しみが無いんだから!! マコトは『がーるずとーく』してくれないしさ!!」
ソファーに突っ伏したままだったマコトが、タマに呆れたような顔を向けると、ようやく起き上がってソファーの上にあぐらをかいて座った。
そのためイブほどではないが短めのスカートを履いているマコトの、可愛らしい下着が丸見えになってしまったが、マコトは気に留める様子もなく溜め息を吐いた。
「オレにガールズトークを求めるなよ、オレはお――」
「あらあら真琴ちゃん、かいらしい制服がシワになるやないの。着替えたほうがええんやないの?」
その時マコトの言葉を途中で遮って発せられた鈴鹿の言葉に、マコトがハッとした顔のあとバツの悪そうな顔をして立ち上がった。するとタマもまた立ち上がると、やれやれといった顔をしながら、マコトの頭へと飛び乗ると、前足の肉球でマコトの頭をぽふぽふと音を立てながら叩きはじめた。
「悪い鈴鹿さん、助かった。……着替えてくる」
「早く着替えて戻りなさいよねー。わたしもう少しイブと話したいんだから!」
「イブは少しそこで待っててくれ」
イブはマコトに返事をすると、リビングを出るマコトとタマを見送る。
何が『助かった』なのか理解できず首を傾げたイブの肩を、鈴鹿がちょんちょんと突っついた。
何事かと振り向いたイブの前には、細い目をさらに細めてニヤニヤする、鈴鹿の顔があった。
「イブちゃんあんた、真琴ちゃんのこと好きなん?」
「うぇ!? あ、はい! メッチャ好きです!!」
いきなりの質問に頭が真っ白になりかけたイブだったが、恥じることのない正直な想いであると感じていたため、鈴鹿の目を真っ直ぐに見つめ返して返事をした。
するとその視線を受けた鈴鹿は、嬉しさと寂しさの混じったような、優しい笑顔をイブへと向けた。
「女の子同士の友達として、やんなあ?」
「……正直、わかんないです。でも友達より、もっと……なんてゆーか、マコっちゃんに触れると、ドキドキするんです。一見メッチャ態度悪いのにホントはチョー優しいとことか、あんな可愛いのに実は男らしくてチョー格好いいとことか、マジで大好きです!」
「あらあら、真琴ちゃんモテモテやねぇ。……イブちゃん、ウチは応援せえへんけど、せいぜいきばりや」
イブには鈴鹿の言葉に込められた意味を、ライバル宣言だと受け取って満面の笑みを返す。
鈴鹿はその笑みを見て一瞬困ったような表情を浮かべたあと、すぐに優しげに目を細めるが、ちょうどその時着替えを終えて戻ってきたマコトの格好を見て、残念そうな顔で頬に手を当てて深く息を吐いた。
「イブちゃん、真琴ちゃんがもう少し女の子らしい格好できるよう、力貸してくれへん? 真琴ちゃん服装の組み合わせがちょっと……おかしなっとるときがあるさかい、できればかいらしく着飾らせたいんよ」
「りょ! チョー頑張ります!」
「え……オレ、センス無いってこと……? てか待って、着飾らせたいって何!?」
マコトの格好は赤いプリーツスカートと赤いTシャツに赤いジャージの上着を羽織った姿という、単色でのコーディネートだった。
イブはそのマコトの姿を見ても、個性的で格好良いとすら思っていたが、それは『アバタもエクボ』と言われる錯覚であることに、気がついてはいなかった。




