第18話 だから言うなってーの
「はじめまして、私は朱坂真琴です。家庭の事情でこんな時期からの転入となってしまいましたが、仲良くしてくれたら嬉しいですわ」
「あああ!? マコっちゃん!!」
九月最初の月曜日、女子高生として安晴学園高等部に転入することになったマコトは、鈴鹿による付きっきりの指導によって言葉遣いを矯正されたのち、始業式直後の1年C組に立っていた。
そして草壁の提案に従い普通の学生として生活するつもりのマコトだったが、挨拶直後に全ての目論見が水泡に帰したことを悟ってしまう。
そこに見覚えのある女性がいたのだ。
「あら? 願念さんは朱坂さんとお知り合い? ちょうどよかったわ、朱坂さんの席は願念さんの隣の席よ。願念さん、朱坂さんをお願いして良いかしら?」
「りょ!」
担任の女教師の言葉が、マコトに追い打ちをかける。
そして満面の笑みを浮かべる、一番後ろの窓際にある席に座る金髪の少女――願念聖夜が、ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いでマコトに向けて手を振っていた。
この安晴学園は規則が緩いことで有名な共学校で、髪を染めている者は少なくないようだ。だがそれでもイブほどの金髪はクラス内では他にはおらず、可愛らしい容姿もあいまって非常に目立っていた。
席に着くよう促されたマコトは内心の動揺をひた隔しにし、願念の前までゆっくり歩いて心を落ち着かせると、自分は役者だと己に言い聞かせ、可能な限りの作り笑いをイブへと向ける。
「願念さん、ごきげんよう。またお会いできてとても嬉しいですわ」
「えっ? ……あ、うん、あ、あたしも嬉しいよ、マコっちゃん」
イブの顔が哀しそうで、寂しそうな様子に変わるが、マコトはそれで良いと思っていた。
正体を知られている以上、あまり近付きすぎるとボロが出る。一定の距離感を保ち、イブが余計なことを口走らないよう注意しなければ、と考えていたからだ。
席についてホームルームが始まると、マコトは隣のイブから何度も視線を向けられるのを感じてしまい、担任の教師が夏休み中の出来事を報告したり今学期の行事などを説明してくれたりしていたのだが、全く集中することが出来なかった。
そんなホームルームが終わると、クラス四十人中三十人が女性というクラスのうち女性のほぼ全てがマコトの周りに集まり、あっという間に黒山の人だかりができあがった。
「朱坂さんって前はどこに住んでたの!?」
「私は橋本よ、よかったらお友達になりましょ!」
「俺、田中っていいます! 朱坂さんは彼氏とかいるんですか!」
「わたし、萌花って言います! もえって呼んで! わからないことがあったら何でも聞いてね!」
一斉に飛び交う質問に返事ができず、どう収集をつけようかと思っていたマコトの目に、人だかりから押し出され、バランスを崩したイブの姿が見えた。
その瞬間マコトは人ごみの隙間から、反射的に手を伸ばしていた。
「願念さんっ!」
「マコっちゃん!?」
マコトは後ろに転びそうになっていたイブの手をなんとか掴むことに成功したが、引き寄せようと力を入れられたのは僅かな間だけだった。
逆に体重の軽いマコトはあっさりと引っ張られてしまい、何とか体勢を立て直したイブの胸へとダイブしてしまう。
前が開き気味のブラウスから覗くイブの素肌の感触が、マコトの顔面を柔らかく包んだ。
「あ、あれ? ……マコっちゃん……またあたしのこと助け痛い痛い痛いってマコっちゃん!?」
マコトはイブの胸元から顔を離しながら、他の人に見えないようイブのわき腹をつねっていた。
助けるつもりが逆に突っ込んでしまった恥ずかしさと、イブが余計な事を言いかけたからである。
一瞬しん、と静まり返ったその時、萌花と名乗った女子生徒が、まるでマコトをイブからかばうように、マコトとイブの間に割り込んだ。
その萌花がイブを見る目は、侮蔑が混じるほの暗さを表していた。
「真琴さん、残念とどういう知り合いか知らないけど、危ないから近付いちゃ駄目だよ? 残念の周りっておかしなことばっかり起きるんだから、真琴さんも巻き込まれちゃうわよ」
「ス、ストーカーなら! ……もう、解決したもん……」
「はあ? 残念あんたあれ、ただのストーカーなわけないじゃん。どう考えてもおかしいよね? もえ思ったんだけどさー、あれって最近うわさのになってる、妖怪ってやつの仕業じゃないの?」
萌花の確信をついた言葉にマコトは一瞬動揺するものの、両手でスマートフォンを握り締めながら唇を噛んでいるイブを見て、胸の中に怒りが沸き起こる。
それは萌花に対しもそうだが、それよりも約束どおり口をつぐんだイブを見て、一瞬でも安堵してしまった自分に対しての怒りだった。
どう収めるか、そう考えるマコトに、マコトをイブから遠ざけようというのか、じわりじわりと萌花の背中が迫る。
だがマコトはその場から微動だにせず立っていると、その胸に萌花の背中が当たる。
その瞬間マコトの目には萌花から立ち登る暗い闇が見え、それが周囲に広がりイブやクラスメイトに絡み付いているのが視えた。
「っ!?」
半歩下がり萌花から距離を取ったマコトの視界には、先ほど萌花から立ち昇っていた闇は綺麗さっぱり消えうせていた。
周囲を見渡したマコトは他のクラスメイトの目つきもまた、怪しく暗い念を含むものに変わりつつあることに気が付いた。
少し考えたマコトは、萌花の隣に並ぶと背中に左手を回し、そのままイブへの方へ萌花を押しながら近付く。
「願念さん、スマホ買ったんですね。メッセージアプリは、どれ、インストールしたんですか? それとみなさん、番号交換しませんか?」
「はあ? ちょっと、もえの話聞いてた!? もえは残念なんかと!!」
マコトには萌花の体から立ち昇る闇が何なのか、全く心当たりは無かった。
ただ一つだけ、よくない物であるということだけは理解できる。
だからこその、ドレイン。
萌花の背に触れるマコトの手に、煙のように漂う闇が吸い込まれていく。
これで状況が良くなりそうに感じたマコトだが、ただ一つ誤算があった。
「あっ……」
小さく吐息を漏らした萌花の体がふらつき、バランスを崩して倒れかけたのだ。
「もえちゃん!?」
触れていたマコトよりも早くイブの手が伸び、倒れそうになった萌花の体を支えた。
萌花の顔色はやや血色が悪く、脚に力が入らないように見える。
「イブ! 保健室はどこだ!」
「っ!? マコっちゃん、こっち!」
妖力だけを吸収するつもりだったマコトだが、誤って萌花の体力までも吸収していたことに気付き、慌ててイブの手を借りて萌花を運ぼうとした。
しかしマコトは萌花に肩を貸すようにして運ぶつもりだったが、身長が足りなかった。そのためイブがほぼ一人で運ぶことになった。
そしてほぼ単なる付き添いに成り果てたマコトに、萌花が焦点の合わない目を向けた。
「真琴、さん……もえ、は……?」
「急に大声出すから、貧血でも起こしたんじゃないかしら? 大丈夫、保健室で少し休めば良くなると思いますよ」
マコトは適当な事を言って誤魔化すと、間もなく着いた保健室で養護教諭に事情を話し、その間にイブがベッドに萌花を運んで横にさせた。
そのイブへ、蚊の鳴くようなか細い声でつぶやく萌花の声が、マコトの耳に届いた。
「……ごめん……イブ……もえ……イブに酷いことしたのに……」
「もえちゃん……ううん、いいんだ……あたしこそ、変なのに巻き込んじゃってゴメン……」
イブのストーカーを一緒に撃退しようとした友達というのが、この萌花という生徒だろうか。
そう思ったマコトは二人だけにしておいたほうが良いと思い、静かに保健室を出て教室へと足を向けた。
(ふーん。マコトってば、イブみたいな子が好みだったっけ?)
人気の無い廊下。髪に隠れて周りから見えないよう、マコトの襟からこっそり顔を出すタマの小声が、マコトの耳元で聞こえてきた。
(何のことだ? つーか出てくんな)
(ふんっ。萌花って子のこと、ちょっと懲らしめてやろうとか思ったでしょー? だから生命力まで吸っちゃったのよ)
(マジか……気をつけるわ、ありがとな)
確かにマコトは萌花がイブの事を『残念』と呼んでいた点に、強い憤りを感じていた。
さらに自分に対する怒りの八つ当たりもあったせいでのコントロールを誤ったのだろうと考え、もっと訓練が必要だと感じ溜め息を吐く。
そしてマコトは以前ACTの小咲から生命力を吸った時ほどではないが、萌花も艶めかしい吐息が漏れていたことを思い出していた。生命力を吸うと何らかの副作用があるのではと想像するが、それをタマに聞くのは地雷を踏み抜くような気がしたため口をつぐんだ。
(つーかさっき萌花から出てた黒いのって何だよ)
(あーあれねー、妖気で自分の姿すら作れない下級の鬼よ。不安とか後悔みたいな心の隙間に入り込むのが好きないやらしい鬼で、育っちゃうとさっきの小娘みたいに、周りに影響与えたりすることもあるのよ)
(へー……物知りなんだな)
タマの博識に感心すると共に、マコトは自分の無知について思い知らされる。
妖怪と人間の橋渡しなどという活動をしているくせに、自分は妖怪についての知識が少なすぎることに、今更ながら気付かされていた。
(ふふふ! もっと褒めなさい! そしてわたしにもっと揚げ物を貢ぐのよ!)
(そんなに余裕ねーよ、カラアゲサンで我慢しろ)
マコトは耳元でぶーぶー文句を言うタマを無視し、妖怪についての勉強は草壁もしくは鈴鹿に聞くのが一番だろうと考えながら、そのまま足を進める。
しかしその時、教室に向かうマコトの背後に一つの影が迫っていた。
疾走する足音に気付いたマコトが振り返るのと、その影がマコトに飛び掛るのは、ほぼ同時の出来事だった。
そしてマコトの顔面は、柔らかいものに包まれる。
「マコっちゃん!」
「びぎゃっ!」
マコトに抱きついたイブの腕が、マコトのブラウスの中で顔だけ出していたタマの顔面を締め付けた。その声に驚いたようでイブはすぐにマコトを開放するが、直後棒立ちになっているマコトの耳へと顔を寄せた。
(タマちゃんもいるの?)
(いるわよ! もー、痛いじゃないのよー!!)
(声出すなよ……それに返事してんじゃねえよ、タマ……)
マコトとしては、イブが同じクラスだった時点で、普通の学園生活を送ることを諦めていた。
だがそれでもダメージは最小限にしなければいけないと考えると、イブから一歩下がってその目を正面から見る。
そしてマコトが口を開こうとしたその一瞬前に、イブが深々と頭を下げた。
「マコっちゃんありがと、マコっちゃんいなかったらもえちゃんもストーカーも『ビタンッ!』あ痛っ!?」
「だから言うなってーの! 誰かに聞かれたらどうすんだ!」
イブのおでこを平手で軽く叩いたマコトは、耳元から聞こえるタマの笑い声とイブの存在に、この学園生活が前途多難であることを確信していた。
マジカル・フォックスであることと男であることの、両方無事に隠し通せるだろうかと、頭を抱えたい気分を抑えつつ、腕に抱きついてくるイブとともに教室へと向かった。




