第17話 奥久慈しゃも弁当
「真琴ちゃん、お疲れやす。思たより時間かかったようやなあ?」
常陸大子駅の前で合流した鈴鹿は、大きな紙袋を両手に一つづつ持って待っていた。
「……なあ、鈴鹿さん。それって……」
「加奈ちゃんがそこの旅館に予約してくれとってなあ、今夜の食事や」
マコトは前回のやきとり弁当といい今回といい、何か釈然としない物を感じながらも、赤い小さなリュックを受け取るとベルトポーチを外しリュックへ入れる。
次いで紙袋を一つ受け取ると鈴鹿と並んで歩き、弁当を買ったという旅館の前を通り、隠れ里のある神社へと向かう。
駅から離れ人の姿が見えなくなると間もなく、Tシャツの内側がもぞもぞ動き、胸の間からタマが頭を出した。
(くんくん。揚げ物じゃないけど、美味しそうな匂いしてるわね!)
「タマちゃんもお疲れやす。はよ帰ってご飯にしよか」
「まだ出てくるなよ、気が早いだろ」
胸を押さえるフリをしてタマを体の中へ押し戻し、マコトは神社への足を早めた。
やがて神社の裏手辺りでマコトは飛んできた桃恵と合流し、その桃恵とタマの喧嘩を仲裁しながら夜行探偵社へ戻る。
今回もやきとり弁当のとき同様に音々が待ち構えており、加奈の分の弁当を持って姿を消し、その間に桃恵も弁当を持って姿を消していた。
「で、鈴鹿さん。わざわざ予約注文までする弁当って何?」
「ほんまは駅弁なんやけどな、日本三代地鶏の一つをつこうとるらしいで」
マコトは四人分のお茶を用意し休憩室のソファーに座ると、鈴鹿が紙袋から弁当を一つずつ出してテーブルに並べていた。
その弁当には『奥久慈しゃも弁当』と印刷された紙が巻かれているが、しゃも、というあまり覚えの無い単語に一瞬首をかしげたマコトに、草壁がニコニコしながら話しかけた。
「真琴君、『しゃも』はご存知ですか?」
「えーと……地鶏って言うくらいだから、にわとりの一種?」
「ええ、ですが似て非なるもの、と言うべきでしょうねえ」
草壁によると軍鶏というのは、鶏同士を戦わせる「闘鶏」用の鶏で、とても気性が荒く大量飼育できない種類だという。
運動量が多く引き締まった体のため一般的な鶏に比べると身が小ぶりだが、その分濃厚な味わいが特徴的で、そのうえこの奥久慈軍鶏というのは特に低脂肪かつ旨みが強いとされるそうだ。
「確かに前回のやきとり弁当では、鳥じゃないのかよって思ったけどさ……よりによって姑獲鳥を丸焼きにした日に……」
「真琴君。いいですか? 姑獲鳥は鶏ではありません、妖怪です。あまり気にしていては、そのうち何も食べられなくなりますよ?」
「そうよーマコトー。牛馬豚に魚介の妖怪とかもいるんだからね! 気にしたら負けよ!!」
やはりマコトは釈然としないものを感じながら、歌舞伎紐で十字に綴られたた弁当の包みに手をかけた。
だがその包みを開ききる前に、草壁が唐突な質問を投げかけてきた。
「真琴君。君は『食べる』ということをどのように感じていますか?」
「何だよ草壁さん、いきなり。……生きるために必要な行為、かな?」
「そうです。人や動物はもちろん、妖怪だって食べなければ死んでしまうのですよ」
マコトは弁当の蓋に手をかけたところで動きを止めて顔を上げると、草壁の真剣な顔つきが目に入り、弁当を一旦置いて草壁と視線を交わす。
「生きるということ、食べるということは、他者の命を自らに取り入れるということなのです。この鳥も、先日の豚も、命です。人間も、妖怪も、命なのです。命を粗末にしてはいけないというのは、自分や眼の前にいる命だけではありませんよ? 食材となった命に対しても、同じことが言えるのではないでしょうかねえ」
「食材の、命……」
「そうです。だからこそ僕たちは、食べる際に感謝と御礼を伝えるのです。肉となった動物や、野菜に穀物。それらの命を、自分の命として『いただきます』と口にするのです」
これは食べるのをためらったマコトへの苦言なのか、それとも妖怪を吸収――取り入れる能力を持つマコトへの苦言なのか。
草壁がどちらを指しているのかマコトにはわからなかったが、少なくとも自分の態度は間違いだということだけは理解した。
「すみません、草壁さん。それにせっかく買って待っててくれた鈴鹿さんにも、予約した加奈にも、失礼な態度だった。ごめんなさい」
「……真琴ちゃん……っ!」
頭を下げたマコトだったが、すぐに鈴鹿に頭を起こされると、そのまま豊満な胸へと押し付けられた。
息が苦しくなるほどに抱きしめられているマコトの頭には、鈴鹿が何度も頬ずりしている感触がある。
「ちょっと鈴鹿! どさくさにまぎれて抱きつきすぎじゃないかしら!!」
「んもう、ええやないの。素直な真琴ちゃんがかいらしくてなあ、我慢できひんわぁ」
鈴鹿とマコトの頭の上に飛び乗ったタマの「しゃー」や「がるる」といった威嚇音を聞きながら顔をずらすと、スマートフォンにメッセージが着信していることに気がついた。
【素直なガキは嫌いじゃねえぜ。冷めちまうから早く食べな( ´∀`)b】
みんなに許してもらえたと安堵するマコトは、頭上のタマをつまみ上げ鈴鹿の腕を外し、弁当に視線を向けてお腹が空いたことをアピールする。
すると鈴鹿もタマも即座に自分の弁当の前に座りなおし、早速包みを開け始めた。
マコトも遅れまいと歌舞伎紐の綴りを解き蓋を開けると、とたんに醤油の甘い香りが部屋中に広がり、そのせいで食欲がそそられたマコトの口の中に涎があふれ出した。
なおタマは若干開いた口の端から、涎が溢れて垂れていた。
「では、いただきましょう」
「「「「いただきます」」」」
草壁の合図で、三人と一匹は声と両手を合わせる。
食べるということを深く考えたことが無いマコトだが、今回は食材一つ一つをできるだけ感じ、命をいただくことに感謝しようと思いながら箸を持つ。
ご飯の上に乗る醤油色に染まった鶏肉を持ち上げると、その下にはささがきにしたごぼうや炒り卵が乗っていた。
マコトはまず、しゃもを一口噛んでみることにした。
醤油などで煮たと思われるしゃもの胸肉は、しっかりとした歯応えを持ちつつも決して硬くはなく、噛めば噛むほどに濃い鶏肉の旨みが染み出してくることに、マコトは驚きを隠しきれなかった。
「鶏肉って、こんな美味しかったっけ……?」
「それはもう、日本三大地鶏の一つですからねえ」
マコトは草壁の笑顔を見て、食べる前に言われた意味の一つがわかった気がした。
命を頂いているということを意識すると、余すとこなく味わおうという想いが強くなり、いつも以上に舌へ意識を向けて味を感じようとしている自分に気がついたのだ。
命を頂いているという意識を持ったまま、次いでごぼうと炒り卵が乗ったご飯を一口ほおばる。
ごぼうと炒り卵の相性もよく、ごぼうの甘みと香りを強く感じられた。
マコトはこの時まで木の根にしか見えないごぼうというものを、好んで食べようと思ったことはない。だがそれが間違いだったということに、この時初めて気がついたのだった。
次はしゃものモモ肉を箸で取り、一口かじる。
鶏の油の甘さと濃縮されたような旨みが口いっぱいに広がり、やはり噛めば噛むほど強い旨みが染み出して来るため、いつまでも噛んでいたいと思わせるほどだった。
しかも脂っこ過ぎず、ごぼうと炒り卵が乗るご飯を口に入れると、胸肉とはまた違った旨さを感じ取ることができた。何より鶏肉とごぼうの甘みと香りが混ざり合い、より深い味わいを感じられた。
更に付け合せの大根やきゅうりの漬物も、程よい塩味と酸味で口の中の油分が消えて爽やかに初期化されるようで、新しい気持ちで次の一口を楽しむことができた。
そしてまたたく間に全て平らげてしまってたマコトは、もっと食べたいという想いと満足感の葛藤の中、静かに手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
頂いた命に感謝する。それを意識して食べることで、こんなにも味をはっきり感じるなんて思わなかったマコトは、今後の食事も少し楽しみに思えるようになった。
そしてマコトは現場に出るたびに、その土地の食べ物をついでに買って帰ることに対する釈然としない気持ちは、綺麗さっぱり消えてしまったのだった。
食後マコトは報告を済ますことにした。
姑獲鳥は二体いた事、ACTの隊員二名と会ったこと、そして姑獲鳥を二体封印し、ACTの二人の手を借りて子供を救助したことを離す。
そして二体の姑獲鳥を封じた小さな壺を草壁に渡すと、草壁はその壺を一通り眺めるとキャビネットの一つにしまいこんだ。
「真琴君、よくやってくれました。しかしACTが二人に姑獲鳥が二体とは……ともあれ無事で何よりです」
「真琴ちゃんACTと会うたって……どないやった?」
「最初はオレを妖怪として敵視してたけど……子供の命を救うために、力を貸してくれた。それと人間に味方する妖怪が居るってことを話したら、ぽかーんとして驚いてたよ」
マコトは鈴鹿の息子の仇とも言える相手と馴れ合っていた事実を伝えることで、鈴鹿が気を悪くしないかと危惧していたが、鈴鹿は静かに目を閉じると、マコトへと両手を伸ばし抱きしめてきた。
「……仲良うできたら……ええな……」
「……ああ。そうだな……」
そう答えながら鷹人と小咲のことを思い出していると、鈴鹿の肩に乗ったタマが、前足でぽこぽことマコトの頭を叩き始めた。
「大丈夫なんじゃなーい? マコトったら、ACTの女隊員にデレデレだったしー。ふんっ!」
その言葉でマコトからゆっくりと離れた鈴鹿の顔は、笑顔だった。
ただし目だけが笑っていない、凍りつくような笑顔だ。
「真琴ちゃん。詳しく話してくれへんかな?」
「タ、タマ!? 違うだろ、むしろ小咲のほうが――」
「へえ? 呼び捨てにする仲なんやねえ?」
どうしてこうなった。理不尽な鈴鹿とタマの視線を受けながら、マコトは何をどう説明するべきか考えるので精一杯だった。
―――――
「……以上が今回の姑獲鳥による、連続児童誘拐事件の顛末です」
鷹人は警察庁警備局特殊公安課の課長、土御門宗貴へ報告書を見せながら、口頭でも補足の説明を入れる。
土御門はその報告書を見ながらしばらく真剣な顔をしていたが、やがて小さく息を吐き出すと、報告書を机に置いた。
「大崎くんは?」
「術式による診断の結果、明確に魅了された痕跡はありませんでした。ですが……診断に引っかからない軽微な魅了は、間違いなく受けていると思われます」
「ふうむ。困ったものだねえ」
特殊公安課がマジカル・フォックスを妖怪として認識したのは、吉祥寺で初めて目撃された日から数日後のことだった。
そのためマジカル・フォックスが触れた事故車のフロントガラスは既に廃棄されており、指紋を検出することが出来なかったことは、小咲も知っているはずだった。
そして今回鷹人は、マジカル・フォックスが小咲の銃に触れたところを、間違いなく見ていた。このとき鷹人は小咲の行動を内心で褒めていたのだが、帰投して調査してみると銃についた指紋は綺麗に拭き取られていた。
しかも気弱な小咲が、正面から鷹人に言い返すという異常事態等、その他諸々のマジカル・フォックスに対する小咲の言動は、明らかに味方に対するものだったのだ。小咲が魅了されたと考えるのも、無理はないことである。
「ま、いいや。それでマジカル・フォックスだけど……どうだった?」
「……正直……俺と義嵐隊長の二人がかりでも、討伐可能とは言い切れません」
「妖化しても?」
「はい。それとあれは妖狐かと思われていましたが……別の妖怪の可能性があります」
妖狐といえば有名なのは九尾の狐だが、相手の妖力や生命力を奪ったり譲渡したりという能力は、その九尾の狐ですら所持していたという記録は無い。生命力や精力の吸収能力を持つ妖狐であれば確認されているが、譲渡能力に関してはどのような文献にも記録はなかったのだ。
それどころか譲渡能力を持つ妖怪は、記録上に存在しなかったのだ。
「義嵐は西から戻せない。向こうはこっちより妖怪犯罪が多いからねぇ……それに吸血鬼『カーデュアル』に対抗できる戦力って、うちには義嵐しかいないんだよ」
西日本では妖怪による強盗や殺人等の事件が、頻繁に起きている。
その多くは暴力団を乗っ取った吸血鬼『カーデュアル』が絡んだ犯罪であり、様々な神社仏閣が襲撃されている。中でも出雲で二つの家族が惨殺された事件は、鷹人の記憶にも新しい。
これ以上の犠牲を出さないためにも、ACTの最高戦力である義嵐を西日本から戻せないのは仕方のないことだった。
「うーん。マジカル・フォックスの件はひとまず向こうの希望に沿うことにして、様子見しておこうか」
「……敵対しない、ということですか」
「そうそう。九尾じゃなかったとしても、複数の尾を持つ妖怪だ。……例の予言に関係するかも知れないからね。予言は覚えているかい?」
「もちろんです。『一つの時代が終わるとき、黒い太陽が全てを飲み込み世界が失われる。しかし数多の縛鎖が黒い太陽を地に堕とすなら、闇は払われ世界は滅びを免れる』ですね」
自分たちの存在理由を忘れるわけがない。
この予言があったからこそ、ACTが創設されたのだと鷹人は聞いていた。
「そうだね。黒い太陽は空亡に違いない。もう何年も見ていないけど、あれは必ず復活する」
「では数多の縛鎖が、マジカル・フォックスの尾を指していると?」
「可能性はあると思っているよ。予言ってのは曖昧なイメージしか伝わらないものだから、縛鎖の数もはっきりしないんだよ。ただ十本はなかったそうだから、仮にマジカル・フォックスが九尾だとしても可能性はあるだろう?」
そう言いながらニヤリと歯を見せる土御門の表情に対し、鷹人は憮然とした顔のまま微動だにしない。
鷹人は、人類の天敵である空亡を倒すのは、人類とそしてACTであると信じてこれまで戦ってきた。だというのにそれの役目が、同じく人類の天敵と思っていた妖怪に奪われるかもしれないのだ。納得したくないと思うのも無理のない話であった。
「といっても、積極的に味方になる必要は無いよ? あくまでも可能性だから、しばらくは様子見だねえ。それに今の僕たちには、敵を増やせるほどの戦力が無いんだ。全く……この失われた三年は、大きいねえ……。でも来年度は一気に忙しくなるから、そのつもりでいてくれないかな?」
危機感のない為政者がACTの予算を大幅に削ったおかげで、現在ACTの隊員は三年前の半分以下になっていた。
今では正常に戻りつつあるが、妖怪と渡り合う力を数年内に取り戻せるのか甚だ疑問ではある。
それでも鷹人は、たった一人でも妖怪を斬り続ける覚悟だった。
全ての妖怪は人間の敵。
だからこそ自らの身体に流れる烏天狗の血を恥じていたし、その元となる妖怪全てを憎んでいた。
そうして妖怪に対する憎しみの炎を胸の内で燃やす鷹人だったが、先程話題に上がったマジカル・フォックスも妖怪であることに思いが至ると、暗い炎が鎮火していく錯覚に囚われた。
鷹人はマジカル・フォックスのせいで、人間に味方する妖怪がいることを知ってしまったのだ。
それは半妖である鷹人が、自らが否定する自分自身という存在を揺るがすほどの衝撃だったことを思い出す。
「……人と妖怪が、仲良く……そんな未来、課長は来ると思いますか?」
その言葉に目を見開いた土御門を見て、鷹人は失言に気がついた。
「忘れてください。では、失礼します」
そんな未来は、ありえない。
あってはいけないのだ。
そう考えながら鷹人は、一礼して踵を返した。
―――――
まだまだ暑さの続く九月最初の月曜日、吉祥寺井の頭公園の南に建つ安晴学園高等部。
始業式を終えた1年C組の教室に入ったマコトは、壇上で上品に微笑んだ。
「はじめまして、私は朱坂真琴です。家庭の事情でこんな時期からの転入となってしまいましたが、仲良くしてくれたら嬉しいです」
「あああ!? マコっちゃん!!」
マコトは挨拶のため下げていた頭を上げると、金髪に褐色肌という見覚えのある少女が、一番うしろの席からブンブンと音が聞こえそうな勢いで手を振っていた。
それを見たマコトは辛うじて表情を変えずに耐えたものの、前途の多難さを感じ心の中で深い溜め息を吐き出した。
しゃも弁当は茨城県水戸市と福島県郡山市をつなぐJR水郡線の、
常陸大子駅にて駅弁として販売されております。
また、駅前にある旅館にてお食事としていただくことも出来ます。
大子町には日本三名瀑の一つである「袋田の滝」や「奥久慈温泉郷」もございますので、
ご興味を持たれた方は訪問されてみてはいかがでしょうか。




