こうして周辺諸国に教訓がうまれた
相生、勝手にバレンタイン短編祭りの作品となります!
2/8(日)〜2/14(土)まで7日間、毎日12時に公開予定です!
王立学園の庭園の片隅、瑞々しい緑が滴る樹の木陰に一人の少女が座り込んでいる。
その視線は何を見ているのか。
周囲から見ても判別がつかない。
なぜなら、何もないはずのところを見ているから。
公爵令嬢セイレーフィナ。
彼女は今、社交界で流行のドレスの刺繍についてではなく、目の前で揺れる光の粒――『光精霊』の波長について思索を巡らせている。
セイレーフィナはあまり流行に興味がない。
ただ、物心ついた時から人間が発する言葉よりも、風の音や水の音、土の温かさに含まれる「精霊の意思」の方が、はるかに明瞭で信頼に足るものだと感じていた。
それは彼女の周囲の人間があまり信用できないということでもあった。
「……そう。今日の光は、少しだけ柔らかいのね」
セイレーフィナが指先を伸ばすと、実体のないはずの光や風が愛おしげに彼女の銀髪を撫でる。
「……またそんなところで手遊びか。相変わらず、何を考えているのかわからない女だな」
冷ややかな声が、庭園の静寂を破った。
現れたのは彼女の従兄弟であり、この国の第一王子であるライオットだ。
その隣には、近年、学園で彗星のごとく現れた男爵令嬢が寄り添っている。
その少女――ルリアンジェは、心の中で冷笑を浮かべていた。
(やっぱりね。この世界の『悪役令嬢』は、精霊オタクの不気味な女。ゲームのシナリオ通り、彼女が孤立すればするほど、私の『聖女ルート』は盤石になるんだから!)
ルリアンジェには幼い頃から前世の記憶があった。
この世界が乙女ゲーム『エターナルロマンス』であること。
そして、この不気味な公爵令嬢を排除すれば、王子の愛も、国中の賞賛も自分のものになるということを知っていた。ゲームのシナリオとして。
「セイレーフィナ様、ライオット様を困らせてはいけませんわ。精霊術を私的な遊びに使うなんて、公爵令嬢としての品格に欠けますわよ」
ルリアンジェの猫撫で声に、ライオットは深く頷く。
ルリアンジェと違って、ライオットとセイレーフィナは幼い頃から関りがある。
従兄妹同士であり、王子と公爵令嬢という身分ならそうなるのは当然であった。
だが、セイレーフィナはいつも花や空、土ばかりを見ていて、ライオットを見つめることはなかった。
それをライオットは気に食わなかったのである。子どもの頃から、ずっと……。
「その通りだ。お前のような陰気な女が、我が婚約者の候補であったこと自体、王家の汚点だったと言わざるを得ない」
セイレーフィナは、ゆっくりと瞬きをした。
彼女の瞳には、ライオットの怒りも、ルリアンジェの邪悪な計算も映っていない。
もちろん、ライオットとの婚約にも興味などない。
ただ、ルリアンジェの背後で「不自然な力」によって縛られ、苦しげに震えている精霊たちの残像だけが見えていた。
(あの精霊たちは、泣いているわね。助けてあげたいけれど……でも、私にも難しいみたいだわ。なんて不思議な力……)
「ふん……何も答えぬとは愚かな……行くぞ、ルリアンジェ」
「はい、ライオット様」
立ち去るふたりよりも、そこに引きずられている精霊の方をセイレーフィナは見つめていた。同情の視線で。
数ヶ月後。
学園の卒業を祝う祝宴の夜、その時は訪れた。
シャンデリアが輝く大広間の中央で、ライオットはセイレーフィナに向かって峻厳な声を張り上げた。
「セイレーフィナ・フォン・ヴォワール! 貴様の罪は明白だ。聖女たるルリアンジェへの数々の嫌がらせ、そして禁じられた精霊術を用いた呪詛の疑い……。もはや、公爵令嬢として、いや、この国の民として生かしておくわけにはいかない! その身分を剥奪し、国外追放を命じる!」
ルリアンジェは、ライオットの腕に縋りながら、勝ち誇った瞳でセイレーフィナを見つめた。
周囲の貴族たちからも、蔑みと嘲笑の視線がセイレーフィナへと突き刺さる。セイレーフィナが社交を重んじなかったことが影響しているのだろう。
(さあ、泣きなさい! 命乞いをしなさい! あなたの地位も、名誉も、すべて私が奪い取ってあげたのよ!)
ルリアンジェは自信満々にそう思っていた。
しかし、セイレーフィナはルリアンジェの思い通りにはならなかった。
それどころか、王子であるライオットの言葉に対して、セイレーフィナは特に何も発言しない。
その結果として、会場を静寂が支配する。
公爵令嬢の断罪という大事件が起きている会場とは思えない静けさ。
しばしの間を置いて、セイレーフィナから漏れたのは、嗚咽ではなく――小さな、鈴を転がすような笑い声だった。
「ふふ……ありがとうございます、第一王子殿下」
静かな会場にセイレーフィナの声は……小さくともよく響いた。
感謝の言葉。
国外追放に対して用いる語句とは思えない、それ。
しかし彼女は深々と、優雅な礼をした。
言葉通り、感謝をしているのだと誰もが理解した上で、同時になぜそうなるのかが誰にも理解できなかった。
しかも、その動作には、公爵家が長年叩き込んできた教養のすべてが凝縮されていた。
あまりにも美しい、一礼。
誰もが……王子であるライオットすら目を奪われるほどの……。
「罪の真偽を語るつもりはありません。ただ、殿下が私を『公爵令嬢』という檻から解き放ってくださったこと。その慈悲に、心からの感謝を捧げます」
「……何だと?」
ライオットが呆気に取られる。
ライオットだけではない。ルリアンジェも……他の貴族たちも、だ。
「夜会の重いドレスも、心にもない社交辞令も、精霊の声を遮るばかりで苦痛でした。身分を剥奪し、国外へ追放してくださるというのなら、これ以上の喜びはありません。どうぞ、私の地位も、宝石も、ドレスも、その全てをそちらの令嬢に差し上げてください。私には、この身一つと、精霊たちの導きさえあれば十分ですので」
セイレーフィナは、驚愕に目を見開く人々を背に、一度も振り返ることなく大広間を去った。
彼女が歩くたび、会場のあちこちに飾られた花々が、夜だというのに一斉に開花し、彼女の門出を祝福するように香りを放った。
また、彼女が通り過ぎた後は……花はすぐにしなびれて、一斉に散っていった。
「……なんなのだ、あいつは……」
「ライオット様。気にせずともよいのですわ。これからはもう……ここにはいない存在なのですから」
「……そうだな」
ライオットはルリアンジェの言葉にうなずき、床に落ちた無数の花びらを見ないように前を向いた。
異常な光景だったというのもある。
見たくないものを見ないということが……王族としての資質に欠けているとも思わずに……。
追放から三年。
セイレーフィナは、地図にも載っていない辺境の森にいた。
彼女は精霊たちと共に暮らし、精霊への祈りで日々の糧を得ていた。
寝起きしている小さな石造りの小屋も、精霊たちが用意してくれたものだ。
寒くもなければ暑くもない。全て精霊たちが整えてくれる。
なぜならセイレーフィナが……精霊たちに愛されているから。
「今日は、とても良い天気ね。土の精霊も喜んでいるわ」
セイレーフィナが微笑むと、それだけで庭の野菜たちは通常の数倍の速さで成長し、森の果実は蜜を滴らせた。
その姿はまさに「精霊のいとし子」と呼ぶにふさわしい。
セイレーフィナの言葉や想いは精霊にとっては至高の術式も同然で、セイレーフィナを喜ばせたい、またはセイレーフィナに誉められたいと精霊がその力を発揮する。
それでいて精霊たちを無理矢理操る術式ではないのだ。
かつて王国の学者たちが「理論上不可能」とした、精霊との完全な共生をセイレーフィナは実現させていた。
そこには妬みも、策略も、偽りの愛もない。
ただ、世界の本質と溶け合うような、至福の平穏があった。
一方で、王国は崩壊の危機に瀕していた。
セイレーフィナという「精霊のいとし子」を失ったことで、術式によって支配されていない精霊たちが一斉に姿を消したから。
大地は枯れ果て、河川は荒れた。
それをどうにかしようと精霊たちを術式で縛れば縛るほど、この国に残された精霊たちは力を失っていく。
少ない精霊たちの力で一時的に環境が改善しても、すぐにまた荒れていってしまう。
かつて「聖女」と呼ばれたルリアンジェは転生者だった。
しかし、彼女は前世の知識にそこまで詳しくはなかった。
飛行機が飛ぶことは知っていても、なぜ、どのようにして飛んでいるのかは知らない。
そういう普通の女の子でしかなかった。
乙女ゲームの知識では、精霊に頼らず機械や科学を発展させることなどできはしない。
シナリオの知識で王子と恋仲にはなれた。でも、それだけ。
当然だが、荒れ果てていく大自然を元の姿へと戻すことなど……到底できなかった。
もし現代科学の知識があったとしても……精霊が実在するこの世界でどこまで通用したかはわからないけれど。
民衆には「聖女」として期待されていたというのに、その期待に応えることができず、ルリアンジェは次第にその地位を失っていった。
「セイレーフィナ!? どこだ、セイレーフィナ!?」
かつての従兄弟、ライオットが泥にまみれた姿で森を彷徨っている。
彼は、国の危機を救うため、かつて切り捨てたセイレーフィナの「力」を求めて必死に捜索を続けていたのだ。
しかし、彼の声が彼女に届くことはない。
セイレーフィナの住む聖域は、精霊たちが編み出した不可視の結界によって、醜悪な人間の欲望から永久に隔絶されているから。
セイレーフィナは今日も、精霊たちを友として穏やかな午後を過ごしている。
その顔に、かつての「不気味な公爵令嬢」の面影はない。
そこにあるのは、ただ世界を愛し、世界に愛された、一人の幸福な女性の横顔だった。
それはセイレーフィナが望んだ幸福の姿でもあった。
王国は、文字通り「精霊に見捨てられた地」へと変貌した。
ルリアンジェはもちろん、ライオットも無力で、滅びゆく王国をどうすることもできなかった。
むしろ、悪化させていたとも言える。
ルリアンジェが「聖女」として祈りを捧げても、激しい雷鳴と豪雨が返ってくるのだから。
やがてルリアンジェのかつての美貌は心労で削げ落ち、誰もが「偽聖女」と彼女を罵り始める。
最終的にルリアンジェは、民衆たちの憎悪の矛先となり、地下牢へと幽閉される末路を辿った。
セイレーフィナを追放したもうひとりであるライオットは、荒れ果てた王宮で正気を失いかけていた。
精霊の加護を失った大地からは食糧が消え、民の暴動が止まらない。
「……暴れても食糧など、手に入りはしないというのに……」
ライオットは数少ない兵を連れて、幾度も森へ踏み込んだ。
しかし、精霊たちが操る深い霧と幻覚に阻まれ、セイレーフィナの姿を見つけることはできないまま。
ライオットは滅びゆく王国の形だけの王として、死を迎えるその瞬間までずっと後悔し続けることになったのだった。
周辺諸国では「人と積極的に関わらず、何もないところを見つめるような者がいたら、その個性を大切にするように。その者は精霊のいとし子かも知れぬのだから」という教訓が伝えられたという。




