第二百六十四話 代償
「キミに見せなければならないものがある」
レーヴに連れられてやってきたのは――――白獅子宮の一番奥にある祭壇のような場所。
そして――――ここに満ちている気には覚えがある。そう――――あの神獣セラフィルの異界の空気に似ているのだ。
「……あの棺の中にエステルがいる」
レーヴの放った言葉に理解が追いつかない。
「ど、どういうことですか父上っ!?」
代わりにセレスが声を上げてくれた。
「セレスティア、お前がエステルの件を調べているのは知っていた。今まで教えてやれずすまなかった」
「そ、そういうことじゃありません!! エステル姉さまが埋葬もされずにいるのはどういうことかと聞いているのです」
仮に保存の魔法をかけているにしても――――理由もなく遺体を埋葬しないとは思えない。
「理由は――――見てもらった方がわかってもらえると思う」
どういうことだ――――? だが――――姉上と再び対面できるのか……複雑な感情が襲ってくる。
今までは――――心のどこかで完全に姉上の死を現実のものと受け止めきれていなかった……。
何かの間違いで――――どこかで生きていてくれているのではないかと――――思っていなかったと言えば噓になる。
でも――――実際に姉上と対面してしまえば――――いや……今更だな。
覚悟はしていたはずじゃないか。
「あ、姉上……」
「エステル姉さま……」
綺麗だった――――まるで生きているんじゃないかと思うほどに。
棺の中で静かに目を閉じている姉上は――――眠っているようにしか見えなくとも――――まるでそのまま時が止まってしまったようなその姿を見てしまえば――――理解できてしまった――――たしかに姉上は死んだのだと。
たしかにこれだけ綺麗な姿を見てしまえば埋葬することを躊躇う気持ちもわかる。
「ファーガソン、エステルに触れてみてくれないか」
泣き続けていた俺が少し落ち着いたのを見計らって、レーヴがそう声をかけてくる。
「……良いんですか?」
「もちろんだ」
そっと頬に手を触れる。
「あ、温かい……!? ま、まさか……姉上は生きて?」
「いや……心臓も完全に停止しているし成長も止まっている、間違いなく死んでいるはずなのだが――――」
そうか……埋葬するに出来なかった理由は――――これだったのか。
「可能性があるとすれば――――神獣の乙女であることによる加護の影響としか――――」
レーヴにも理由はわからないらしい。
「先生、母上のところへ行くべきでは?」
セレスの言葉にハッとする。そうか……神獣の乙女とはつまり――――セラフィルの加護を受けている者ということだ。であれば――――教えてくれるかはわからないが、行かない理由は無い。
「お父さん、姉上を連れて行っても構いませんか?」
「無論だ、そのためにキミを呼んだのだからな」
快く了承してくれたレーヴに感謝する。
「セレスはどうする?」
「もちろん一緒に行きます!!」
強い決意と覚悟を決めた瞳を見れば連れて行かない理由は無い。
「それじゃあ行こうセレス、母上の所へ――――!!」
『……来たかファーガソン、セレスティア』
母上は俺たちが来ることを知っていたようだ。驚く様子もなく――――ただいつもと違ったのは――――常に湛えている微笑みを浮かべていなかった。
「教えてくれセラフィル!! 姉上はどういう状態なんだ? 死んでいるのか? それとも――――まだ生きているのか?」
『……結論からいえば死んでいる。ただ、我が与えた加護の影響で肉体はそのまま維持されている――――状態ということだ』
ということは、レーヴが考えていた通りだということ。
「セラフィル、姉上を……生き返らせることは……出来ないのか?」
チハヤが言っていた……蘇生魔法は無いのだと。つまり――――神々は死を覆すことは望んでいないということになる。わかってはいるが、縋るように聞かずにはいられなかった。
『お前もわかっていると思うが――――生き返らせることは出来ない』
神獣であるセラフィルにはっきりそう告げられてしまえば――――諦めもつくと――――そう思っていた。
「うくっ……ううう……」
でも――――そんなはずなかった。こんな綺麗でこんなに温もりがあるのに――――二度と目を覚まさないなんて――――
「母上、何か方法は無いのでしょうか? 必要であれば私の命を差し出しても構いません!!」
『落ち着けセレスティア、それにファーガソン、そんなに泣くな……我も悲しくなってくるではないか。たしかに生き返らせることは出来ないが――――抜け道が無いわけでもない』
セラフィルが優しく微笑む。
「「……抜け道?」」
『今回は特殊な状況だからの。我にも多少なりとも責任はあるゆえ……。まあ……簡単な話だ、生き返らせることが出来ないなら――――死んだことを無かったことにしてしまえば良いのだ』
「そ、そんなことが可能なのか?」
むしろ生き返らせるよりもよほど大変なことな気がする。
『可能か不可能かで言えば可能だ。ただし、これは――――過去に遡って事象を改変することになる。その影響は言うまでもなく大きい。そしてその結果――――エステルは死ぬことは無くなるが――――それは――――もはやお前の知る姉ではなくなるということ。それでも良いのか?』
過去を変えるのではなく事象を改変する……つまり――――俺の知っている姉上ではなくなるということ。それは――――辛い。だが――――それでも俺は――――姉上には生きていて欲しい――――笑っていて欲しいんだ。
「ああ……構わない」
『そうか……わかった。だが――――問題はそれだけじゃない。世界線が変わる影響を最小限に留めるためには、この世界でもっとも大きな変数であるお前にその代償を肩代わりしてもらう必要がある。その覚悟はあるか?』
「もちろんだ。俺に出来ることがあるのなら引き受ける」
「せ、先生!! それなら私も引き受けます!! 母上、私にもその一端を肩代わりさせてください!!」
「セレス……お前……」
俺は――――お前にどうやって報いればいいのかわからない。本当にお前はいつでも真っすぐで――――眩しくて――――俺の誇りだよセレス。
『その覚悟は美しいが――――本当に良いのか? お前たちが引き受ける代償は――――二人が永遠に結ばれないこと――――なのだぞ?』
「……なっ!?」
「そ、そんな……」
それは――――駄目だ。俺がどんなに辛い思いをしたとしても、それは我慢できる。だが――――セレスは違う。彼女の幸せを台無しにしてまで――――そんな運命を背負わせることは絶対に出来ない。
『……冗談じゃ』
「……へ?」
「……は?」
『代償が必要なのは事実じゃが……すでに代償は十分もらっている、安心するのだファーガソン』
「ど、どういうことだ? 代償を払った記憶はないが……?」
『代償は――――お前がこれまで苦労してきた人生そのもの。それは事象が改変されたとしても消えることの無い悪夢。よく耐えたな……ファーガソン』
セラフィルのやわらかい毛並みに包み込まれる。
そうか……俺の苦労や苦しみは――――無駄じゃなかったんだ。
全ては姉上を救うために――――
そう考えれば俺こそが救われたように感じるよ……ありがとう、セラフィル。




