第二百五十八話 フェリックスの受難
「か、閣下……大丈夫ですか?」
「お前には大丈夫そうに見えるのか、クロヴィス?」
副官の問いかけにジト目で返すフェリックス=アルジャンクロー公爵。
「い、いえ……見えないので尋ねたのですが……」
まだ三十代にもかかわらず、深く刻まれた皺、そして目の下にはくっきりと隈が出ている。
元々複数の重要ポストを兼任しており、王国で一番忙しい男と言われていたフェリックスであったが、突然死した宰相の代行、そして北部戦線の指揮と多忙という言葉が生温く感じるほどの激務まで背負うこととなり、それでも超人的な精神力と頭脳を持ってなんとか乗り切ってきた。
先日、ようやく北部戦線が終結し、ようやく一息つけると思った矢先、今度はセレスティア第二王女と愛娘リュゼの婚約問題を丸投げされてしまった。
並の人間であれば、それだけでも心が折れてしまう案件であったが、フェリックスは負けなかった。
すべては愛する愛娘に会うため。
一刻も早く重要案件を終わらせて休暇を取り、リュゼを甘やかしたい――――執念ともいえるその一念でフェリックスは寝る間も惜しんで仕事を次々とこなしていった。来月には王都で大々的なイベントが行われるため、休暇を取るなら今しかなかったからだ。
「ハハハ……今思えば――――殿下とリュゼの婚約問題なんて所詮国内の問題、問題ですらなかったんだと実感しているよ……」
フェリックスは虚ろな瞳で遠くを見つめる。
『フェリックスおじさま、フレイガルドとの国交回復と同盟をしてまいりましたので、後はよろしくお願いしますね? あ、後、ファーガソン先生がフレイガルドの王女二人と婚約しましたのでその件もついでに根回しお願いします』
フレイガルドにおいてレジスタンスが帝国の占領軍に勝利し、国交が回復した件、セレスティアから報告を聞いた時はまさに寝耳に水であった。しかも他国の王族との婚約問題まで絡んでくる凶悪な合わせ技。彼の意識が飛びかけたのは言うまでもない。
『フェリックスおじさま、辺境伯派の反乱を鎮圧しました。主要な者たちを捕縛しましたので、後処理お願いしますね? あ、後、ファーガソン先生が帝国の第七皇女と婚約しましたのでその件もついでに根回しお願いします』
ほぼ同時に起こった辺境伯領における反乱軍の蜂起と鎮圧の後処理、さらに敵国である帝国の皇女との婚約という最悪のおまけつきである。フェリックスはあやうく召される所であった。
そして――――極めつけは、
『フェリックスおじさま、帝国の皇帝と皇太子を捕らえてきましたので後処理お願いしますね? あ、後、新しい皇帝ですが、ファーガソン先生の婚約者である第七皇女のカグラさまになりましたので、その件もついでに根回しお願いします』
出来るかあああああああ!!! これにはさすがのフェリックスも二日ほど寝込んだ。いや……たったの二日で済んだというべきか。
「いやね……わかってるんだよ、王国にとっては全てプラスになるし、万歳したくなるほど嬉しいことだってね? でもさ……もう少し空気読んで欲しいなって思うのは贅沢なのかな、かな?」
「閣下……心中お察しいたします……」
そういうクロヴィスも何度か戦線離脱して昨日復帰したばかり。有能な人間ほど疲労困憊、すでに限界を超えているのだ。
「ありがとうクロヴィス、君にも苦労かけるね……なんかさ、最近殿下の顔を見るのが怖くて仕方ないんだよ……また厄介な問題を持ち込んでくるんじゃないかってね……」
「わかります!! 私も完全にトラウマになっていますので……」
互いに傷をなめ合う二人の男たち。
「あ、フェリックスおじさま、ここにいらしたのですね!!」
「ぎゃあああ!!!」
「で、出たあああああ!!!!」
セレスティアの声に悲鳴を上げる二人。
「どうしたんですか悲鳴なんて上げて?」
不思議そうに首を傾げるセレスティア。
「い、いや……な、なんでもないですよ。それよりも何かあったのですか?」
「はい、実はファーガソン先生がトライデントの第一王女アリエスさまと婚約されたので、根回しと調整をお願いしに来たのです」
にっこりと微笑むセレスティア。
「…………」
「あ、あれ? どうなさったんですかフェリックスおじさま? きゃああ!? し、白目をむいて――――だ、誰か回復魔法を――――」
「お、落ち着いてください殿下、閣下に星の癒しを!!」
「あ、ああ、そうでしたね、『星の癒し』よこの者に祝福を!!」
クロヴィスに促され、慌ててフェリックスを回復させるセレスティア。
「う……うーん……」
「あ、目が覚めましたか? いきなり倒れてしまわれたので心配しました」
フェリックスが目を覚ますと、心配そうに顔を覗き込むセレスティアと目が合った。
「……そうか、私は悪い夢をみていたのですね……良かった、この状況でトライデントの王女との婚約とか悪夢かと思いましたよ……」
「うふふ、フェリックスおじさまったら面白いことを仰るのですね。全部現実ですよ?」
現実逃避するフェリックスに残酷な現実を突きつけるセレスティア。まさに鬼畜の所業である。
「嫌あああ!!! 無理!! もう無理だからああああ!!!」
再び意識を失いそうになるフェリックスだったが、すかさずセレスティアの星の癒しによって現実に引き戻されてしまう。
どうやら彼が愛娘と再会出来る日はまだまだ遠いようであった。
「え? 私が王都のお父さまの所へ……ですか?」
「ごめんなさいね、リュゼがフェリックスおじさまのことを許せない気持ちはわかるのですが、私たちとファーガソン先生のことで苦労を掛けているのは事実だから……」
ウルシュに戻ったセレスティアは、リュゼに王都へ行ってほしいと頼み込む。激務で疲れ切っているフェリックスの癒しになればと思っての心遣いだ。
「……わかりました。お姉さまの頼みなら仕方ないですね。それに――――私も一日も早くファーガソンと結婚したいですし」
その後、リュゼの登場というサプライズに、フェリックスが感激して完全復活したのは言うまでもなかった。




