第二百四十三話 根源の闇
「それにしても……皇帝はなぜ動けたんだ? チハヤの魔法は効いていたんだろう? それにあの正体不明の攻撃……」
反応できなかったわけじゃない、あの時……剣が素通りしたんだ。まるで実体が無いみたいに……。
『それはね、皇帝が――――ファーガソン!!』
「チハヤッ!!」
セリカの叫びに反応して咄嗟にチハヤを突き飛ばす。
その瞬間、チハヤが立っていた場所に大きなクレーターが出来た。
『……ハズシタカ。ダガ……オマエタチハゼンインココデ……シヌ』
くっ……何だこれは……脳内に直接響いてくる……こいつはヤバい……本能が激しく警鐘をならす!!
気付けば皇帝が座っていた玉座の辺りに黒い闇が渦巻いている。
漆黒の闇はその密度を高めて――――まるで闇そのものが質量を持ったかのように生々しく、そして禍々しい圧を周囲に向けて放ち始める。
『ファーガソン……下がってて。これは人の手には負えない……アリス、悪いけど死なない程度にフォローして』
『……わ、わかりました』
セリカが俺たちを庇うように前に出る。アリスの額に汗がにじんでいる。あれほどの強者があれほど追い詰められた表情をしているという事実に状況の悪さを否が応でも理解させられる。
「チハヤちゃん……ホーリー・ウォール使える?」
「え? あ、うん……大丈夫だよエレン」
「疲れてるとこ悪いけどすぐにお願い、あれは……マズい……」
「わ、わかった」
天と地の狭間に宿る聖なる光よ
我が祈りに応え、邪悪なるものを照らせ
偉大なる神々が授けし力を以って
力強き守護の壁を築き 一切の闇を払い 穢れを清め 我らを守り給え
至高なる神々の加護と天使の守護のもと 浄化の炎を燃やし 不浄なる敵を遠ざけ給え
千年の時を越え 絶対なる防御を示すときが来た
輝ける聖光の象徴よ この大地に蔓延る全ての暗黒を打ち破れ――――
――――ホーリー・ウォール!!!!
巨大な光の壁が、間一髪、押し寄せる闇の波動をはじき返す。
「エレン、アレは一体……なんだ?」
あの闇の波動に触れた時、一瞬だったが、本能的な恐怖、畏怖、嫌悪、あらゆる負の感情が嵐のように渦巻いた。チハヤがいなければ今頃どうなっていたかわからない。
「……根源の闇……創世のときに生まれた残滓のようなもの……かな」
「根源の闇……?」
どこかで聞いたことがある気がするが……前世の俺は知っていたのだろうか。
「セラフィルたち神獣は、根源の闇を監視しているんだよ。そして――――私たちハイエルフもまた――――そのために無限に近い寿命を神々から与えられているんだ」
そう――――だったのか。
「根源の闇は滅ぼすことは出来ないのか?」
「完全に消滅させることは出来ない。光あるところには必ず闇が存在するから。でも暴走しないようにあるべき姿に戻すことは出来る。元々闇は悪いものではなかった……すべてを包み込んで安らぎを与えるものだったんだよ……」
そう言っている間にも、根源の闇とセリカたちの戦いは激しさを増している。
『ああ……面倒くさい……これは私の役目じゃないんだけど』
セリカの吐き出す炎が闇を捉えて燃やしてゆくが、闇は衰えることなく次々と湧き出してくる。
この世界そのものを簡単に消し去ることが出来る彼女に本気を出されたら俺たちも無事ではいられない。なんというか……倒そうとしているというよりも……時間を稼いでいるような印象を受ける――――
『待たせたなセリカ!!』
空間が割れて――――光が爆発する。周囲一帯が真っ白に塗り替わってゆく。俺は――――この光を知っている。凛として絶対的な正義、揺るぎなく厳しい断罪の光。だが――――同時に温かく包み込むような――――
姿を現したのは――――翼の生えた白銀の獅子――――
『……遅いよセラフィル』
『すまぬ、他の連中を呼び出すのにちと手間取った』
他の連中……? まさか――――
次の瞬間――――空間がまるで鋭い刃で切り裂かれたかのように燃え盛る朱色の炎が現れる。
朱色の裂け目から 空間が破れ、雄叫びとともに全身の羽毛が燃え盛る炎、巨大な巨鳥が空間を裂いて猛々しく出現した。その鳴き声は周囲に響き渡り、大地を激しく揺るがす。
『久しぶりねセラフィル、セリカ、それに……あら? エレンとファーガソンもいるじゃない』
俺のことを知っている――――のか?
「エレン……あれは?」
「紅蓮のフィアライト、四神獣の一角だよ」
四神獣……つまりセラフィル、フィアライト、そしてあと二体の神獣がいるということなのか?
突然、辺り一帯が暗雲に覆われる。激しく雷鳴が轟く中、一筋の翠光が地面に突き刺さった。
――――光の中から徐々に姿が浮かび上がってくる。その神々しいまでの姿は、まるで緑の宝石が輝くかのような巨大な翠龍だった。
『根源の闇……千年ぶりか……』
翠色の鱗が光を反射し、眩しい輝きを放つ。その美しき龍の圧倒的な存在感に息を呑む。間違いなく神獣そのものであると本能が理解する。
「翠蘭のエメラルダ、もちろん神獣だよ。そして――――最後の一体が――――」
ズズンッ――――!!!
皇宮が大きく揺れた。
天を引き裂いて巨大な蒼い亀が降り立つ。その壮麗で優美な姿は、まるで海と空の神々が織りなす水平線を具現化したかのようで――――蒼い鱗は満月に照らされた銀幕のように神秘的に輝いている。
『ふわぁ……ねむいよぉ……』
「蒼海のアズライト……四神獣勢ぞろいだね」
すごい――――伝説の神獣が目の前に勢揃いしている。
微塵も油断できる状況ではないとわかってはいても、まるで神話の一ページを見ているような光景に自然と高まる興奮を抑えきれない。
四神獣がそれぞれの守護する方向へと向き、浄化の儀式を開始する。西からは紅蓮の炎、南からは黄金の光、東からは翠玉の輝き、そして北からは蒼い波が、一点に向かって収束し始める。その瞬間、四神獣が一斉に咆哮を上げ、その声が美しく神聖なる旋律を織り成す。
旋律が空気を震わせると同時に、四方から集まった光が闇を包み込む。紅蓮の炎が燃え盛り、黄金の光が輝き、翠玉の輝きが煌めき、蒼い波が渦を巻く。その融合した光が闇を貫くと、闇の中で響き渡る旋律が神聖な力を増し、闇を浄化していく。
すべての闇は光に包まれ、旋律がその闇を内から打ち破るように響き続ける。
『クソ……アト……スコシ……ダッタノニ……』
根源の闇はその意志と実態を徐々に失いあるべき姿に戻ってゆく。闇は光の中で徐々に純粋なエネルギーに変わり、新たな希望の光が世界に満ち溢れる。全てが浄化されたとき、四神獣の旋律が静まると共に――――世界は再び平穏な光に包まれた。




