第二百二十六話 王女ラクス
フレイヤの妹ラクスは天使のように純真で可愛らしい王女であった。フレイヤにとってもシグルドにとっても自慢の妹だった。
「……ラクスに会わせてください」
「……わかった……案内するよ」
「フレイヤ、俺たちは遠慮しよう」
「いや、一緒に来てほしい」
ファーガソンたちはどうしたものかと悩んでいたが、フレイヤが今にも倒れそうなほど蒼白な顔をしているのを見てついてゆくことを決断する。シグルドは特に反対はすることもなく、母ソラリスは無言で俯いている。
再会した喜びの熱はすでに冷え切って、重苦しい空気に包まれている。
フレイヤは震える身体を引きずるようにラクスがいる部屋へと向かう。
仲間たちに言葉を発する者は誰もいない。ただ……嫌な予感が当たらないようにと祈るように皆押し黙っていた。
「ら、ラクス……」
フレイヤは絶句する。
「これは……酷い」
「嫌あああ!?」
「なんということだ……」
そこにいたのは可愛らしい天使のような妹――――ではなく、弱々しく蠢く肉の塊であった。
「ラクスが生きていると知った時は嬉しかったよ……。すぐに助けに向かったんだけど……ラクスは……帝国の研究のために実験台にされていたんだ……何度も殺してあげようと思った。でも……でもね……話しかけると反応するんだよ……だから……出来なかったんだ。ごめん……俺が代わりにこうなるべきだったのに……最後俺を助けたりしなければ――――」
どんな苦境にも涙一つ見せなかったシグルドであったが、こらえきれずに泣き崩れる。
「ううん……ありがとうお兄さま。ラクスを殺さないでいてくれて……生きてさえいてくれれば何とかなるもの……大丈夫、ラクスは必ず助けるから――――」
フレイヤの大粒の涙がラクスであった肉塊に零れ落ちる。
「だけどフレイヤ、どんな治療魔法も効果は無かったんだよ……」
「……神聖魔法なら助けられる」
「無茶だ、お前が神聖魔法を使えるのは知ってるけど……適性が無い者が使って無事で済む魔法じゃないだろう? 仮にラクスが助かったとしても――――お前に何かあったらそれこそ意味が無い」
「聖女なら問題ない」
「そうかもしれないが、今代の聖女はもう百年近く現れていないんだぞ?」
「…………」
押し黙るフレイヤ。これまでとは状況が違う。神聖魔法を理解するシグルドたちの前で聖女の、チハヤの力を借りるということは、彼女の秘密を明かすということになってしまう。そのことに思い至ってしまったのだ。
「ちょっと失礼するね」
「キミは――――フレイヤの仲間の――――」
「チハヤだよお兄さま。家族の時間を邪魔したら悪いかと思って遠慮してたんだけど……ね」
「チハヤ……ごめん」
「怒るよフレイヤ、言ったでしょ、フレイヤは私の家族なんだから、ラクスは私の妹でもあるんだよ? 家族を助けるのに理由なんていらない――――だからさ、私に助けさせてよ師匠」
チハヤはそういって微笑む。
「……チハヤ……ごめ……いや……ありがとう」
「あはは、私に魔法を教えてくれたのはフレイヤでしょ? 世界一の魔法使いの弟子だから格好悪いところ見せられないよね、大丈夫、絶対に成功させてみせるから」
「チハヤ……さん、まさか神聖魔法が使えるのか。貴女は一体……?」
「私? ただの聖女だよ、ちょっとだけ神聖魔法が使える……見習いのね!!」
驚くシグルドたちに笑いかけると、いつものようにステップを踏んで踊り始める。
「それじゃあ、行っくよ~!!」
シャリン――――――――
全ての音が消え――――色が消え――――まるで時が止まってしまったような世界で――――
チハヤだけがまばゆい光を纏って舞う――――
それは神話のように幻想的で――――女神のような慈愛に満ちた温かさで――――
皆息をすることも忘れてその姿に釘付けになっていた。
◇◇◇
チハヤの魔法は不思議なほど静かで神々しいほど荘厳だ。
天から光の雨が降ってきて――――部屋の中に聖なる輝きが満ち溢れる。
そのどこまでも優しく限りなく力強い聖なる力。
まるで女神さまに抱かれているような――――そんな感覚に涙が出るほど懐かしさを感じる。
だが――――違う……今までとは何かが違う。
そうか――――チハヤ自身が成長しているんだ――――聖女として――――
神聖魔法のレベルが上がっているのか――――駄目だ――――涙が止まらない――――
聖なる光よ、我が足元に集いて、
天の純白なる輪となり結界を成せ。
浄化の薫り高く、慈悲深き守護の力を。
天使達の翼よ、この聖域に舞い降り、
すべてを穢れから解き放たん。
チハヤの声のようでチハヤの声ではないような……天使の歌声のような詠唱のメロディ。
心の奥――――魂のその奥まで沁みてくる。
来る――――チハヤの――――存在を書き換えるほどの桁違いの神聖魔法が――――!!
『光輪聖陣シャインサークル!!』
歌声が響き渡り――――天から降臨した光の輪がラクスを包み込む。
パキーン
何かが砕け散った音が聞こえて――――光がはじけた。
ただの肉塊に過ぎなかったモノに、人の輪郭が戻って行く――――
「……お、お姉さま?」
「ら、ラクス……!! 気が付いた?」
「はい……私……一体どうなって……?」
「今は何も考えなくて良い。もう大丈夫だから……私もお兄さまもお母さまもいるから……だから……もう大丈夫だから!!」
「そうなのですか……良かった……全部悪い夢だったのですね……良かった……」
決して夢だったわけではないけれど、誰が今の彼女にそれを言えるというのか。泣きながら最愛の妹を抱きしめるフレイヤに、ちょっと困ったように嬉しそうに笑うラクスだったが、突然何かに気付いたように表情が固まる。
「あ、あの……お姉さま? わ、私今裸なんですけど……?」
「そうだけど気にする必要はない。皆私たちの家族なのだから」
「で、ですが……知らない殿方がいらっしゃるのですけれど……」
顔を真っ赤にしながら、ファーガソンを指さすラクス。
「え? ああ、ファーガソンなら大丈夫」
「……な、何が大丈夫なのかわからないのですが……!?」
「だ、だって……わ、私の……だ、旦那さまになる人だから……!!」
今度はフレイヤが真っ赤になって俯く。
「えええっ!? お姉さま……お、おめでとうございます!! まさか……あのお姉さまにそんな方が現れるなんて……これを女神の奇跡と呼ばずしてなんと呼べばいいのでしょう!!」
「……ラクス? 何となく酷いことを言われているような気がするんだけど……」
「そんなことはありません。私は世界で一番お姉さまが大好きなんですから」
ラクスに悪気は微塵もない。すべて事実を言っているだけなのだから。男になど見向きもせず、魔法を極めることにしか興味が無かったフレイヤがこうして頬を赤らめているだけで奇跡。少なくともフレイガルドの関係者ならば全員がそう思うだろう。
「初めましてラクス、俺はファーガソンだ。何も見ていないから安心して欲しい」
「まあ……ファーガソンさまは紳士でらっしゃるのですね。それに……とっても素敵な方ですわ……」
まるで恋する乙女のように瞳を輝かせてファーガソンを見つめるラクス。
えいっ――――っとフレイヤから抜け出すと――――
一糸まとわぬ姿でファーガソンの前に立つ。
「なっ!? ら、ラクス、一体何を……!!」
「ああ……私のすべてを殿方に見られてしまいました」
「ら、ラクス……?」
妹の突然の行動に理解が追いつかないフレイヤであった。




