第二百十三話 異世界の星の下で
その後、エレンの案内でエルミスラの名所を巡り――――夜は後から合流したセラフィルとセレスティアを加えてエーテリアル・バウム本店でおもてなし。皆すっかり楽しんで大満足の一日だった。特にエルフの街を楽しみにしていたチハヤとリリアの両名は喜んでいたようだったな。
「ね、ファーギーこの後少し時間ある?」
「ああ、大丈夫だ」
チハヤから誘ってくるのは珍しいな。
「こっちこっち、早くファーギー」
両手を広げてくるくる回るチハヤ。よく目が回らないなと感心しながら、どんどん先に進む彼女に遅れないようにペースを上げる。
「ファーギー肩車して」
「スカートだが良いのか?」
「にひひ、肩車してたら見えないからセーフ」
チハヤを肩車しながら指示に従って進む。
「この世界の食べ物って美味しいんだけど……やっぱりお米が食べたくなるんだよね……」
頭の上からため息とともにつぶやきが聞こえてくる。
「なあチハヤ、前から気になっていたんだが、そんなに美味しいのか? そのオコメというものは」
全てを持っているはずのかの勇者も必死に探し求めているというオコメ。相変わらず有力な情報は手に入っていない。
「そうだね……お米そのものの味もそうなんだけど、どんなものに合わせても美味しく食べられるんだよ。だから美味しい料理があると、ここに白いご飯があれば!! って思っちゃうんだよね。失って初めてその有難さを知ったみたいな?」
なるほど……料理や食材を引き立てるという意味ではパンと似たようなポジションなんだな。
「ファーギーってさ、お米みたいな人だよね」
「俺が……?」
一体どういう例えなんだそれは……
「うん、食べると幸せになってほっと安心するの」
「そう……なのか? 俺にはわからないが」
チハヤの言葉、表情を見れば、少なくとも悪い意味ではないようだが――――伝わらないのはもどかしいものだな。
「ファーギーって絶対に女の子が嫌がることしないでしょ? わかるんだよそういうの。だから私も一緒に寝たりお風呂に入ったり出来るんだよね」
「あのな……俺も一応男だからな? 何とも思わないわけじゃないんだぞ?」
もちろん、だからといって欲に負けるようなことは断じて無いが。
「へえ? 私にもそういうこと思ったりするんだ?」
悪戯っぽくにんまりとするチハヤ。
「当たり前だろ、お前は自分が思っているよりもずっと……その……魅力的だ」
その異国情緒あふれる外見だけの話ではないし、もちろん聖女だからでもない。その明るさ、優しさ、責任感、日を追うごとに彼女に心惹かれてゆくのを否定することはすでに難しい。
「ふーん魅力的かあ……あのさファーギー、一応私は今のパーティメンバーの中では最古参なんですけど? 私の記憶が正しければそれっぽいアプローチすら無かったんだけどなあ?」
チハヤがその黒い瞳で俺を睨みつける。ああ、仰る通りだ。
「まあな、それは……言い訳がましく聞こえるかもしれないが――――あれだ、お前には帰る世界があるだろう? お前くらい可愛いければ元の世界で待っている恋人の一人や二人いるかもしれない、そのあたりの事情はお前が話したくなったら聞こうと思っていたんだ」
「……ファーギーは私に元の世界へ帰って欲しいの?」
心地良い風がチハヤの黒髪を揺らす。
「お前がそれを望むのなら。だが――――俺の正直な気持ちを言わせてもらえば、もちろん帰って欲しくない」
「ふむ、正直でよろしい」
チハヤがわしゃわしゃと俺の頭を撫でる。
「ちゃんと言葉にして。ファーギーの気持ちが――――私は聞きたいの」
チハヤの言葉が俺を掴んで離さない。逃げるな言い訳はするな――――まるでそう言われているようで。
「チハヤ、勝手かもしれないが――――俺はお前に帰って欲しくない、ずっとこの世界に居て欲しい、出来れば俺の側に居てくれないか、心から大切に想っているんだ」
いつも思う、想いを伝えるのに言葉というのは不完全すぎると。
だが――――だからといって体を重ねることで伝わるとも思わない。やはり言葉を尽くさなければ伝わらないことはあるのだから。
「わかった。私は――――帰らないよ」
ふいに風が止む。
俺は――――生涯この時のチハヤの表情を忘れることはないだろう。その儚げで幻想的な美しさに彩られた微笑みに心奪われたこの瞬間を。
「向こうの世界に会いたい人はいないから。家族はお兄ちゃんだけだしね」
「チハヤ……」
会いたい人がいない……? そんな悲しいことがあるのか。
「そんな顔しない。私ね……こっちの世界に来れて良かったって思っているんだよ。もちろん最初は最悪だったけど――――ファーギーに出会えて――――仲間がどんどん増えて――――私にも家族が出来たんだから」
俺はチハヤのことを何も知らなかった。
詮索することはルール違反? 言い訳だ、知ろうとしてこなかったのは俺自身だ。
「この世界の人たちはみんな生き生きしててさ、向こうみたいに便利なモノはないけど、生きているって実感できるの。ちゃんと相手の目を見て、相手の顔を見て話してる。それってとっても素敵なことなんだよファーギー」
俺は向こうの世界のことは何も知らないが、便利になり過ぎた世界というのは――――もしかしたら案外窮屈なものなのかもしれない。
「それにね――――この世界って――――星がとっても綺麗なんだよ」
チハヤに倣って空を見上げる。
空気が澄んでいるからだろう、ここミスリールの星空はたしかに綺麗だと思うが――――
幾千もの星の輝きよりも俺は――――チハヤのその笑顔の方が綺麗だと思った。
「すまない、ここに一番星が輝いているからせっかくの星空が霞んでよく見えない」
「にゃはは、そんな歯の浮くようなセリフを言う悪いお口は私が塞いであげる」
満天の星の下――――彼女の唇の感触を感じながら初めて思う。
ああ――――お前の言う通りだチハヤ。
星が――――とても綺麗だな。




