1
──ようやく、司教と神女候補たちの対面の場が設けられることになった。
カイトとしては、やっとか、とため息のひとつでもつきたくなる悠長さだ。
本来だったら、水晶に示された神女たちがこの神殿に集められ、全員が揃った時点で、すぐにでも司教からの話があって然るべきだったのではないかと思うが、ずいぶんと間が空いたものである。
これがクリスタルパレスのやり方だ、と言われたらそうなのかもしれない。宮殿や神殿は権威を保持するのを重視するものだし、規模が大きい分、諸々の手続等が複雑だというのも判る。あそこに話を通し、ここから許可を得て、あちらとこちらを調整し、などということをしていたら、ある程度の日数を必要とするのも無理はない。
しかし、カイトがこれまで在籍していた境界警備隊は、神民ばかりで構成されていたとはいえ、伝達、指示、実行を遅滞なく進ませることは当然とされていた。なので、どうもこの無為としか思えない時間のかけ方はしっくりこない。本音を言うと、苛々する。
少しは、神殿内に閉じ込められて、ちゃんとした説明もされずに放置されている神女候補たちの身になってみればいいものを。
これではまるで、神女たちを集めるだけ集めておいて、あとは故意に時間を引き延ばしてでもいるかのようではないか。
そこまで思って、いやさすがにそれは穿ちすぎだよな、とカイトは自省した。
百年に一度行われる神女選定は、アリアランテ神国にとって最も重要な儀式である。宮殿も神殿も、慎重に事を運ぼうとして当然だ。
今回は、四人であるべき神女が五人いる、というおかしな事態になっているのだから、なおさら。
もしかしたら、上のほうでもこの状況に対しては困惑が大きいのかもしれない。あるいは、混乱しているのか。少しでも神意を見極めようと様子見をしていたのがこの期間、ということなら、まだ理解も出来る。
……本当に、これから一体、どうなるのか。
その疑問と不安を持て余すように抱いているのはカイトだけではないようで、大広間に集められた神女候補たちは、一人を除いてみんな一様に落ち着かなさげだった。用意された椅子に並んで腰かけているものの、そわそわ身じろぎしたり、ちらちらと他の神女候補を窺っていたりする。
司教の前では跪くのが一般的だが、神女は教皇と同様に「位階のない者」なので、その必要はないとされている。かといって現在、未だ正式な神女ではない彼女たちは、司教の上位というわけでもない。なんとも中途半端なその立ち位置に、彼女たちも内心では心許ないものを感じているのだろう。
クーだけは、最初からずっと、正面の女神像に目をやったまま、動かない。
今日の神女候補たちは、全員がまったく同じ形の白いドレスを身につけている。この時のために、神殿のほうから用意されたものだ。
女神像がまとっている衣装と似せてあるのか、そのドレスはドレープこそたっぷりあって質も上等だが、薄手の生地で出来ており、袖もなく、この場ではちょっと寒そうだった。
クーの細い腕は付け根から剥き出しで、女性にしてはあまり肉付きのよくない身体つきが、布越しに明らかだ。中性的、と言えばまだ聞こえはいいが、この格好だとどうしても、気の毒なほどに痩せ細っている、という印象のほうが強くなる。
これなら、茶会の時にキリクが用意してくれた深い赤のドレスのほうが、よほどクーの愛らしさを引き出していてよかったのに、と思わずにいられない。
思ってから、そうか、あの時、そう言えばよかったんだなあ、と後悔した。
自分としては、「女の子らしくて可愛い」という意味のことを言ったつもりだったのだが、肝心の言葉が抜け落ちていたら、それが相手に伝わるわけがない。
……もっとちゃんと、キリクのようにクーを喜ばせてやれればいいのに。
どうしても、上手くいかない。
「…………」
ひとつ、息を吐いた。
それから気を取り直して、カイトはクーの横に並ぶ他の神女候補たちに目をやった。
今までも神殿内で何度か見かけてはいたが、これでようやく、彼女たちの姿と名前を一致させられるわけである。この機会にきちんと覚えておかなければ。
五人の中で最も大柄なのが、第三位神民のイレイナ嬢。神女候補たちは全員が同年齢だというのに、彼女はもう大人の女性と比べても遜色ないくらいに堂々としていた。肉付きも良くて、この衣装だと少々直視するのが憚られる部分もあるが、周囲の目など撥ねつけそうな気位の高さも窺える。
第五位神民のロンミ嬢は背が高くて、全体的に硬い感じがした。手足が長い上に柔らかみが乏しく、表現は悪いが、棒をそのまま呑み込んだかのようだ。キリクが教えてくれたのだが、彼女は非常に頭は良いものの、同時にかなり融通の利かない性格であるそうで、さもありなんと思わせる。
そういう意味では、第七位神民のサンティ嬢は、非常に女性らしい外見であると言えた。出るところは遠慮なく出て、引っ込むところはきゅっと引っ込んでいる。優美な──というか、少々品のない表現をすれば、男受けのしそうな肢体の持ち主だった。そして、確かに美人でもある。本人もそれは心得ているのか、衛士たちの視線を一身に浴びて、誇らしそうに足を組み替えたりしていた。
第八位神民のモリス嬢は、こういう言い方はなんだが、この中でいちばん記憶に残りづらい容姿をしていた。体型も普通、顔も普通、全体が無難、としか言いようがない。若干、二の腕や腰回りなどがふっくらしていて、それを隠そうとしているのかずっと姿勢が俯きがちで、そういうところがまた、彼女の個性というものを埋没させていくようだった。
──なるほど、「自信家」、「高慢ちき」、「気取り屋」、「おどおど」か。
こうして自分の目で見て、クーの人物評に、改めて感心してしまう。いや、感心してはいけないのかもしれないが。しかし、確かになあ、と納得してしまうのはどうしようもない。クーの鑑定眼は容赦ないほどに正確だ。
「……すごいな、クーは」
ぽつりとした呟きが何のことを言っているのかすぐに悟ったらしく、横でキリクが顔を下に向けて、肩を小さく震わせた。
***
待つことしばし、司教が神官を二人引き連れて、大広間に姿を現した。
神民の神女候補たちが、一斉に立ち上がる。一拍遅れて、クーが椅子から立ち上がった。
彼女たちから少し離れた後方に立つカイトら衛士たちは、護衛目的でこの場にいるため、膝をつくことはせずに、片手で礼を取って頭を下げた。
司教はそのままゆったりとした足取りで歩き、神女候補たちと向き合う形で、正面の女神像の前に立った。二人の神官が両隣に恭しく控える。
しんとした静寂の中、司教は一同を確認するかのように視線を流し、その場所に用意された椅子に重々しく腰を下ろした。
「──掛けなさい」
その声で、神女候補たちが再び座り、衛士たちが礼を解く。この広い空間内に、司教の穏やかな声だけが威厳をもって朗々と響いていた。
「まずは長い間、神女候補たちに不便を強いていることを詫びよう」
神女候補、と司教ははっきりと言った。その部分はまだ変わりなく、「正式な神女」として確定されている者はいない、ということだ。クー以外の四人が、どこか気が抜けたように、それぞれ小さく息をついた。
白髭を豊かに伸ばしたバーデン司教は、眉毛も長く垂れていて、半分ほど目を覆い隠していた。容貌だけで判断するなら、かなりの高齢であるようにも見えるが、声には張りがある。カイトにとって、神殿の責任者である司教はソブラ教皇なみに遠い存在なので、正確な年齢はよく知らなかった。
「そなたたちは水晶に選ばれし、栄誉ある神女候補たちである。よってこれからも、俗世に交わらず、清廉に孤高を保たねばならない。正式な神女となりし暁には、この神国アリアランテを支える、尊き柱となってその身を女神に捧げねばならぬ。そなたたちは、この国にとって、なくてはならぬ貴重な存在だ。神殿は、神女を一人として欠けることなく損なうことなく、大事に保護せねばならない使命がある。そこのところを、どうか理解してもらいたい」
司教の言葉に、イレイナ嬢とロンミ嬢が大きく頷いた。サンティ嬢は少し面白くなさそうだ。モリス嬢は相変わらず俯きがちだった。
クーは難しい表情のまま、バーデン司教の顔をじっと見つめている。
厳めしい顔つきをしていた司教は、そこでふと、口調を和らげた。
「……しかしながら、ずっとこの神殿内に留め置かれては、そなたたちも息が詰まろう。健やかな精神を保つためにも、気分転換は必要だ。宮殿との話し合いも整い、安全性も確認されたので、今後は、このクリスタルパレス内であれば、外に出てもらっても構わない。もちろんその場合は、衛士を必ず同行させること。正当な理由があれば、パレス外への外出も認める」
それを聞いて、神女候補たちの顔が綻んだ。やはり彼女らにとっても、今までの神殿内に限定された生活は、息苦しいものがあったようだ。
カイトもほっとした。これで、クーを一日中あの狭い部屋の中に押し込めておくようなことをしなくてもよくなる。十日に一度の母親との面会は、パレスの外へ出て行く「正当な理由」になるはずだ。
「ソブラ教皇も、無事に神女候補たちが揃ったこと、大変にお喜びであられる。いずれ、お目通りも叶おう。その時を心して待つがよい」
その場の空気に、さっと緊張が走った。
普通の神民にとって、バーデン司教も雲の上の存在だが、ソブラ教皇はさらにその上におわす方である。この国で「神の代理」とされているソブラ教皇と対面できるというのは、文字通り、「神の前に出て、直接言葉をかけられる」ということと同義なのだ。
「あの……司教様、発言を許可していただいても、よろしゅうございましょうか」
イレイナ嬢が、張り詰めた声で質問をした。他の神民の候補たちがはっとしたような顔をしてそちらを見たが、それは彼女たちの間にある壁を示しているようでもあった。
クリスタルパレスに居住が許された者と、そうではない者。
キリクも、わりと簡単に「司教に用事が」などと言うが、それは第四位以下の神民にとっては、驚くほど大胆な言動なのだろう。あまりにも自分から遠すぎるカイトなどはかえって普通に受け流していたのだが、今になってそこに気づかされた。
司教がイレイナ嬢に目をやって、静かに頷く。
「今回、水晶は、神女となるべき者として、ここにいる五人を示した、と伺いました。それは本当なのでしょうか」
やっぱりな、とカイトは思う。彼女らにとってそれは、絶対に確認しておかずにはいられない事柄なのだろう。未だに、その件についての詳細は説明されないままだ。
司教に「無論」と当然のことのように頷かれて、イレイナ嬢は少なからずショックを受けたらしい。
「ですが、神女は四人と決まっているのでは? 今までずっと、そうだったではありませんか。眼の神女、耳の神女、鼻の神女、声の神女。そしてその神女は、必ず神民から選ばれていたはず。何かの間違いではないのでしょうか、このような──」
イレイナ嬢は、そう言って端に座るクーのほうをちらっと見たが、そちらからまっすぐに視線を返されて、怯んだように言葉を呑み込んだ。
カイトは彼女をよく知っているわけではないが、その態度はちょっと意外な気がした。イレイナ嬢のようなタイプは、棄民や半民を自分と同じ「人」とも思わないことが多いものなのだが。
クーはわずかに唇を上げていた。隣のキリクも、口に手を当てて、噴き出すのをこらえている。
それを見て、ピンときた。さては、イレイナ嬢を相手に、何かやらかしたな。
──いつの間にか、クーとキリクの間に共通の秘密が出来ていることを知り、カイトは妙にうろたえている自分に気がついた。
「水晶に間違いなどない」
司教はきっぱりした調子で言い切った。以前、ソブラ教皇が口に出したとされる言葉とまったく同じだった。
「水晶が五人を示したというのなら、そこには必ず理由がある。神殿において、ここにいる五人はみな等しく神女候補である。よろしいか、イレイナよ、もともとの出自や位階など、神女となればなんの意味も持たぬのだ。神意を疑ってはならぬ。水晶の導きはすなわち女神のお心であると心得よ」
「……では、この五人が全員、正式な神女になると?」
「それはまだ判らぬ。水晶がそなたたちの存在を示したと同じように、これから順に、正式な神女になる者が水晶によって示されていくであろう。誰がどのお役目を授かることになるかは、ひとえに女神のお心次第。誰もそれを事前に知り得ることは出来ない。時間と共に、すべてが明らかになろう。そなたたちは、心を鎮め、身を清らかにして、ただその時を待つのだ」
「では、それは、いつ頃に」
「判らぬ」
「…………」
イレイナ嬢が眉を寄せて黙り込んだ。ロンミ嬢、サンティ嬢、モリス嬢も似たような顔だ。無理もない。司教の言っていることはあまりにも曖昧で、不確定なことが多すぎた。
これから、神女候補たちの誰かが、女神から役目を与えられ、正式な神女になる。しかしそれはいつのことか判らない。誰がどういう順で選ばれるのかも判らない。五人いることの理由も現在においては判らない。何もかも水晶任せだということだ。
「前例に鑑みて、さほどに先のことではあるまいよ。この先水晶が神女を示したなら、その結果はすぐに本人の元へ知らされる。女神からお役目を授けられるという栄誉にあずかり正式な神女となれば、その御方はもはやただびとではなく、神も同然の存在となられる。人には決して許されぬ高みへと昇り詰めるのだ。その時には、神殿の一室などは畏れ多いため、もっと相応しき場所へとお移りいただく。その時点で、神女の決定は世にも広く知らしめられ、国民は歓喜することだろう。……「人」である今のうちに、ゆっくりとした時間を過ごされるのがよろしかろう」
クー以外の神女候補たちは、互いの顔を見合わせた。神殿よりも上の場所というと、それはソブラ教皇の住まう宮殿以外にない。
パレス内で最も大きく、最も美麗な宮殿に自分の居室が持てるとしたら、それは確かにこれ以上ない誉れだ。彼女たちの瞳は、期待と興奮できらきらと輝いていた。
しかし逆に、カイトの胸の中には漠然とした不安が湧いた。
ただびとではなく、神も同然の存在へ。人には決して許されぬ高みへと昇り詰める。
今までなんとなく頭で判っていると思っていたものが、はっきりとした形になって目の前に突きつけられたら、それは自分が思っていたのとまるで違うものだった──そんな気分になった。
「よいか、神女候補たちよ、そなたたちは水晶に選ばれし者」
バーデン司教は、顔を巡らせて、五人の娘たちを順に見やった。
「あるいは誇り高く」
イレイナ嬢が頬を紅潮させる。
「あるいは才気に溢れ」
ロンミ嬢が鼻腔を膨らませる
「あるいは美に恵まれて」
サンティ嬢が唇を上げる。
「あるいは慎み深く」
モリス嬢が目を見開く。
「──あるいは、勇気に満ちている」
クーは、司教をじっと見返した。
「それぞれ素晴らしき資質の持ち主だ。そなたたちが神女として必ずやこの国に貢献してくれると、私もソブラ教皇も、心より信じている」
司教は静かな口調でそう言って、一瞬、ちらりと視線を神女候補たちの後方に向けた。
その目が確かにこちらを見た──ように思ったが、それはカイトの気のせいだったかもしれない。
***
司教が神官二人を連れて大広間を出て行くと、真っ先にサンティ嬢が喜びを隠しもしない顔で、声を上げた。
「素晴らしいわ! 神女になれば、宮殿で暮らすことが出来るのよ! あそこにお部屋が与えられるのは、第一位神民に限られるのに!」
「それはそうよ。だって神女は、第一位神民よりも格上なんですもの。いいえ、格というもの自体が無意味なくらい、わたくしたちは誰よりも上の存在になれるのよ。神女の名は、歴史に刻まれ、後世に残る」
精一杯冷静な表情を保とうとしているが、そう言うロンミ嬢の声も上擦っている。
「神も同然……みんなが、わたくしたちを敬って頭を下げるのだわ。ああ、なんて夢のよう」
モリス嬢が、両手を組み合わせて、うっとりとした目を中空に向けた。
「みなさま、落ち着きになって。バーデン司教も仰っておられたでしょう。心を鎮め、身を清らかにせよと。もしかしたら水晶は、これからのわたくしたちの心がけや行動次第で、授けてくださるお役目を決定する、ということなのかも」
イレイナ嬢のその言葉に、三人がはっとしたような顔になった。
「そう──そうですわね、イレイナさまの仰る通り。わたくしたちは神女に相応しい、聡明さと高潔さを保っていなければ」
ロンミ嬢が表情を引き締める。今こうしている間も、誰かが自分を採点しているかもしれない、というように、きりっと背筋を伸ばした。目だけを動かし、女神像を一瞥する。
「ええ、そうね。たとえ卑しき者がここに混じっていようとも、そんなものに関わっている場合ではないのよ。わたくしは美しいものだけを見て、美しい言葉だけを聞くことにするわ」
そう言いながらも、サンティ嬢の目はクーに向かった。嘲笑するように上がる唇は、とても美しいとはカイトには思えなかったが。
「……水晶が五人を示したことにも意味がある、と司教は仰ってましたけれど」
「あら、でも、司教は五人が神女になるとは仰っておられなかったでしょう? わたくし、判ったような気がするの。五人のうちの一人は、きっと神女のお役目を決定するための試金石として選ばれた、ということなのだわ」
疑問を呈したモリス嬢に、ロンミ嬢が早口でそう答えた。
「試金石?」
「ええ、つまり──」
言いかけて、口を閉じる。ぽかんとしているモリス嬢を見て目を細め、「いいえ、お判りにならなければいいのよ」と馬鹿にするように笑った。
「では、わたくしはこれでお部屋に戻ります。みなさま、ごきげんよう」
さっさと踵を返すロンミ嬢に続いて、サンティ嬢もふわふわとした足取りで歩き出した。モリス嬢が首を捻りながら、大広間を出て行く。
イレイナ嬢は、クーに対して何かを言いかけたようだったが、結局何も言わずに去っていった。
「……すごいな。みんな、自己完結して行っちゃったぞ」
クーは呆れるような顔をして言った。キリクがくすくす笑う。
「じゃあ、僕らも部屋に戻ろうか、クー。司教の話は判ったかい?」
その問いに、クーは肩を竦めた。
「わかるわけない。結局、神殿の外に出てもいい、ということ以外は何も変わっていないじゃないか。とにかく待て、いいから待て、黙って待て、詳しいことは何も判らないから聞くな、ってことだろ?」
その感想はカイトと同じようなものだったので、ちょっとほっとした。彼女はちゃんと本質だけを掴む賢さがある。鼻先にぶら下げられた「栄誉」というものに、大して価値を置いていないという証だ。
そのことに、安心している。どうしてだろう。
クーが神女になって、みんなから頭を下げられるような立場になったら、自分は嬉しいはずではなかったのか。
「君の意見は明確だね」
キリクは目元を和らげた。
「でも、これで多少は、君もここの居心地がよくなると思うよ」
「そうかあ?」
「たぶんね。……それに、司教のお許しも出たことだし、ようやくクリスタルパレスのあちこちを案内してあげられる。最近、本ばかり読んでいるから、運動不足だろう?」
「うん、まあ──」
そこでクーの口から、くしゅん!というくしゃみが飛び出した。薄い衣しか身につけていないから、身体が冷えたらしい。
「ほら、早く部屋に戻って、熱いお茶を飲んで温まろう」
キリクの手が、剥き出しになっているクーの肩に置かれた。
おそらく、その仕草に他意はなかっただろう。少しでもクーを冷やさないように、と思っただけだ。もちろんそんなこと、判っている。
なのに、その瞬間、カイトの腹の底のほうで、もぞりと何かが蠢いた。
「カイト? どうかした?」
クーがこちらを覗き込んで、首を傾げる。その場から動かないカイトを怪訝に思ったらしい。咄嗟に、笑みを浮かべた。
「いや、別にどうもしないよ? ほら、クー、キリクの言うとおりだ、早く部屋に戻ろうぜ」
カイトはそう言って、クーを促した。クーはちょっと変な顔をしてこちらを見返したが、うん、と素直に頷いた。
クーを挟み、三人で並んで歩く。カイトは余計なことを考えないように、目先のことにのみ思考を向けて、口を動かした。なんだっけ? ああそうか、外に出ようという話か。
「パレス内はけっこう広いから、馬に乗って廻るか」
「それじゃ運動にならないんじゃないか?」
「どうせだから、クーにも馬の乗り方を教えてやるよ。慣れるまではけっこう大変だし、疲れるぞ」
「それはいいね。カイトは馬の扱いが上手いから、きっといい先生になる」
にこやかに賛同するキリクに、俺はおまえと違って勉強方面ではクーの役に立たないからな──という言葉が出そうになって、慌てて止めた。
……何を言おうとしてんだ。
いや、その台詞は、特におかしなものではないはずだった。普通に笑って口にすれば、クーもキリクも笑って言い返して、それでお終いになるくらいのものでしかなかった。
ただ。
……ただ、キリクが開いた本を指してあれこれとクーに教える、ここ最近よく見られる光景が、束の間、脳裡を過ぎって。
その時の二人の顔を思い浮かべながらそう言った自分の声に、自分の表情に、滲んでしまう何かがありそうな気がしたのだ。それを二人にも知られてしまうのではないかという危惧が、カイトの喉を塞ぎ、外へと押し出すのを止めた。
「…………」
ぶんぶんと頭を振るカイトに、「何してんだよ、カイト。顔に虫でも止まったか?」とクーが不思議そうな顔で聞いた。




