第61話 隣に立っているのは(アリシア視点)
◇◇◇
どこまでも続く暗闇を、幼いあたしが歩いている。
これは夢だ。だってあたしはもうこんなに幼女じゃないし、幼女なあたしをあたしは少し離れた場所から観測しているから。
「ねえたま、どこ?」
幼いあたしは不安そうな声と眼差しで姉さまを探していた。姉さまの姿はどこにもなくて、胸がキュッと締め付けられる。
幼い頃のあたしは、姉さまが視界のどこかに居ないと泣いてしまう女の子だった。どうしてそんなに姉さまに依存していたのか、今となってはわからない。姉さまと一緒だと安心できて、暖かくて、幸せで。とにかく姉さまと一緒に居るのが大好きだった。
それは、たぶん、今も……。
いつしか姉さまは大人になって、あたしも姉さまが居なくちゃ何もできない子供じゃなくなった。
姉さまが家出した時も、あたしは姉さまを探しに行こうとはしなかった。
だって、姉さまがあたしを置いて行くはずないって信じていたから。長くても2~3日で帰ってくるって、そう思っていたから。
その信頼はやがて不安に変わって、失望に変わって、怒りになって……。
それでも、あたしは姉さまを嫌いにはなれなかった。姉さまが大好きだったから。
だから、姉さまと再会出来たのは嬉しかった。また、姉さまと一緒に居られるってそう思ったから。
だけど、姉さまと一緒に居るのはあたしじゃなかった。
「待って、姉さま!」
いつしか幼い頃のあたしはあたしになっていて、手を必死に伸ばした先の姉さまの姿は遠ざかっていく。その隣には、銀色の髪に赤い瞳をした、あたしじゃない誰かが居る。
「いや……っ、置いて行かないで!」
あたしは必死に叫んだ。叫んでも、叫んでも、姉さまとの距離は縮まらない。伸ばした手は闇に深く沈んでいくようだった。
「姉さま……っ!」
遠くで姉さまが振り返る。
姉さまはあたしに向かって、何かを言っていた。
その声は――
「二人が帰って来たというのは本当ですの!?」
唐突に勢いよく開かれた扉の音と、飛び込んできたロザリィの声にあたしは肩を跳ね上げる。び、びっくりしたぁ……!
生徒会室で後片付けに追われていたあたしは、どうやら作業途中に転寝をしてしまったらしい。嫌な夢を終わらせてくれたロザリィには、いちおう非難の目を向けておく。
「ちょっと、ロザリィ。いきなり何なのよ、びっくりしちゃったでしょ」
「も、申し訳ありませんわ。アリスさまとミナリーが帰って来たと知らせを受けたものですから、つい……」
「よかった、ちゃんと届いたのね」
姉さまたちの帰りを王城に居たロザリィに伝えたのはあたしだった。フクロウがちゃんと手紙を届けてくれるか心配だったけど、上手くいって何よりだわ。
「アリスさまとミナリーはどちらに?」
「自分たちの部屋で休んでるわよ。一晩かけて転移妨害結界の外周から歩いて帰って来たらしいわ。そうとう疲れた様子だったから、もうしばらく寝かせておいてあげましょ」
「怪我はありませんでしたの……?」
「姉さまが少しだけね。けど、応急処置はミナリーがしてくれたし、ニーナが〈ヒール〉をかけてくれたから傷一つないはずよ」
「それは何よりですわね……」
ロザリィは安堵した様子で息を吐いて、生徒会室にある応接用のソファに腰掛ける。ようやく一息付けたといった様子で、ロザリィはそのままソファに寝そべった。
「お行儀の悪い王女殿下ですこと」
「別に構わないでしょう? ここにはわたくしとアリシアしか居ないのですから」
「急に来客が来るかもしれないわよ?」
「その時は口減らしを頼みましたわ」
「そんな物騒なこと頼むな」
まったくもぅ。姉さまや他の人の前じゃキッチリしてるくせに、あたしの前でだけだらけるんだから。付き合いが長いっていうのも考え物だわ。
「王城の方はどうだったのよ」
昨日の一件の後、ニーナに治療をして貰ったあたしとロザリィは、それぞれ学園と王城で後始末に奔走していた。こっちは怪我人の手当てやら騎士団の調査協力やら色々と大変だったけど、王城の方もこっちと同じかそれ以上に大変だったはず。
「どうもこうも、上から下まで右から左へ大騒ぎでしたわよ。アメリア様が戻られてようやく落ち着きましたけれど、混乱があのまま続いていたらと思うとゾッとしますわ」
「時期が時期だものね」
この頃の王城は再来月に控えた終戦記念式典の準備でそもそも慌ただしかった。それに昨日の一件が加われば王城が機能不全に陥っても不思議じゃない。ロザリィが早い内に王城に入って場を引き締め、ニーナの〈ヒール〉で無事に職務復帰した母様が落ち着かせたって感じかしら。
混乱が続いていたら終戦記念式典に影響が出て、最悪の場合は帝国との外交問題になっていたかもしれない。……それが黒幕の目的だったりしてね。
「それで、白幕もとい、あのバカの処遇は?」
あたしが尋ねると、ロザリィは寝ころんだまま首だけこっちに向けてくる。
「気になりますの?」
「そりゃ気になるわよ。あんなのでも、昔からの付き合いだもの」
ほとんど嫌な記憶しかないし、姉さまを馬鹿にしたあいつをあたしは一生許さないけど、それでも処刑された後に手を合わせるくらいはしてやらないとね。
「まだ何も決まってませんわ。アメリア様の見立てでは精神を操作されていた可能性もあるとのことでしたし、母様も調査結果次第では情状酌量の余地はあると。もしかしたら処刑は免れるかもしれませんわね」
「ちっ」
「本音が駄々洩れですわよ?」
ロザリィは苦笑しつつソファの上で仰向けになった。
「寝るんなら自分の部屋で寝なさいよ」
「少し休むだけですわ。アリシアも休んだ方が良いですわよ。さっきから思っていましたけれど、酷い顔をしていますもの」
「……一言一句そのままあんたに返してあげる」
あたしは膝掛けをロザリィに投げつけて、ロザリィが寝ころんでいるソファの対面のソファに倒れこんだ。そのままゆっくりと目を閉じる。
まだ仕事は残っているけれど、ロザリィに言われるまでもなく限界だった。
「姉さま……」
あんな夢を見ちゃったからかしら。姉さまの温もりがほんのちょっと恋しかった。




