売れる作品とは1。
・売れる作品とは1。
「結論を言おう! 『売れる物語』の最低定義は『幼稚』であることだ!」
「セン……お前の結論は、常に暴論やな……」
「言っておくが、これは、決してディスっているわけじゃねぇぞ」
「えぇ……『幼稚』が『ディスり』やないと? また、ずいぶんと難解なトンチをもってきたな」
「幼稚だから『劣っているか』っていうと、そういう話でもないってことだ。子供向けの絵本は全部ゴミか? 違うよな? むしろ、絵本は、徹底して幼稚でないといけない。子供向けの絵本が小難しかったら、ガキ全員パニックだろ?」
「まあ、楽しむのは難しくなるかもな」
「広く親しまれる作品には、最低限の『幼稚さ』が必要とされる。ちなみに、必要とされるものは、あくまでも『幼稚さ』であって『稚拙さ』はダメだ。前者は、『子供っぽさ』が主軸だが、後者は、『出来の悪さ』が主軸。よって、正式には『幼稚』だと日本語表現的に違うんだが、まあ、ここに関してはイメージの問題だな。結局のところ、幼稚が一番、正解のイメージにぶっ刺さる。『正解そのもの』にぶっ刺さっているのではなく、『イメージのど真ん中』にぶっ刺さっているのだ」
『子供っぽいこと』と『出来の悪さ』は、
決してイコールではない。
もちろん、イコールであることも多いのだが。
「また『幼稚』であれば何でもいいってワケでもない。『愚かな幼稚さ』はダメだ。具体例をあげると『ヤンキー』が『愚かな幼稚さ』にあたる。目の前の現実から『逃げること』を主軸とし、『具体的な解決策』をないがしろにする。それが『愚かな幼稚さ』だ」
『テストや宿題から逃げる』のは『ダメな幼稚さ』であり、
『意味なく親に歯向かう』のは『クズの幼稚さ』である。
ちなみに、これは『作品の根幹』の話であり、
『ヤンキーが登場する』から『幼稚』というわけではない。
『目の前の現実から逃げているだけ』の作品ではダメという事。
「以上を踏まえて断言する。売れる物語には、いつだって『正しい幼稚さ』が必要不可欠」
「正しい幼稚さねぇ……なんというか『言葉遊び』に過ぎん気がするけど、まあええわ。――で? その『正しい幼稚さ』というのは、ちなみに、どんなもの?」
「例えば『絶対に諦めないこと』。これは、社会人の視点でいうと、『幼稚さ』に分類される。現実社会においては『諦めないこと』が求められることは極めて少ない。現実社会において必要なのは『引き際を見極めること』と『敗北に慣れること』だ。この辺の視点は、すべて『大人になる』ということ。幼稚さとは対極にある」
『負け方の習得』は、
大人になるにつれて、必ず会得しなければいけない必須技能だが、
しかし、物語を語る上だと、それではダメ。
話にならない。
『敗北との向き合い方』が『社会的に良いか悪いか』は置いておいて、
現実問題、その視点だと『売れる物語』にはなりえない。
「正しい幼稚さにカテゴライズされる概念は『諦めないこと』だけじゃない。『友情』『努力』『勝利』。この辺は全て、売れるためには重要な要素であり、かつ、間違いなく『幼稚さ』に分類される概念」
大人の視点で言うと、
『利益』『効率』『敗北』こそが、人生の真理であり、明確な現実。
「いわゆる『バッドエンドこそがリアル』という視点。それが、大人の考え方」
「お前の言い方やと、バッドエンドは流行らへんと聞こえるな」
「流行らないとは言っていない。『リアルなバッドエンド』が、奇妙に流行ることもある。そして、それは、珍しいことでもなんでもない。定期的に、その手の話は、『反面教師』として、社会に受け入れられる」
それも、社会の摂理。
人は、美味しいリンゴだけじゃなく、たまには毒リンゴも味わいたいのだ。
「しかし、その手の物語が大ブレイクすることはない。『数億部』とか『数十億部』という『高み』には立てない。せいぜい、数千万部が関の山。いや、まあ、数千万部もゲロ吐くほどスゴいんだけどな」
シェイクスピアほどの『絶対的な技能』があっても、
悲劇が多いせいで『技能に見合ったブレイク』はしていない。
シェイクスピアという名前だけは有名だが、
しかし、彼の作品は、彼の技能に見合うほど認知されてはいない。
『物語を紡ぐ技能』だけで見れば史上最強格なのだから、
彼が生み出した作品は、
指〇物語やハリー〇ッターよりも上でなければおかしい。
もし、シェイクスピアの作品が、『もっと幼稚』な作風で、
かつ、『リアリティのないハッピーエンド』で締めくくられていたら、
もっと、もっと『エゲつない作家』として、
作品もろとも、広く認知されていただろう。
――売れる作品とは2に続く!





