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woman  作者: しは かた
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第八十八話

続きです。


よろしくお願いします。

 


「んふっ」


 私はきんつばを齧っては手の熱で周りが少しゆるくなったダッツのカップを穿くっているところ。私の平熱、三十六度三分は伊達じゃないのだ。

 固くて柔らかくて冷たくて甘いところに甘いヤツ。えもいわれぬ素敵が口の中いっぱいに広がっているところ。



「ほいふぃ」


「熟成だから」


「なるふぉろ」


 一方、幸は私の愛情たっぷりのご飯を美味しい美味しいと食べまくっているところ。

 焼いた私が言うのもなんだけれど、見るからに肉肉しくて胃もたれしそうな肉の山を、なにこれなかなか減らないねうへへへと、器用に野菜を避けて口いっぱいに頬張る幸の疲れや衰え、ストレスさえも知らない胃もまた伊達じゃないのだ。自律神経も出張しない頗る快調…む? 自律神経出張症でいいんだっけ?


ひっひょうほうらひょ(失調症だよ)


「だよね。やっぱそっちか」


「ふぁはは」


「あ、幸。お肉お代わりあるからじゃんじゃん食べてね」


 古くなった傷ましいお肉いっぱい焼いてやった。しかも黄金だからと、私がキッチンを指せば当然、幸のテンションが上がる。

 私は油断していたのだ。


「やっふぁっ」


「うわっ。なんか飛んできたぞっ」


 私は誘われるようにカップのすぐ横に落ちた、危うくダッツに混入しそうになった何かをがん見する。


「うーん」


 それに魅せられてしまうのは本能というもの。ああ米と肉かと思いながらティッシュを取ってそれに包んで横に置いた。

 それは当然。頬に付いたご飯粒なんかはともかく、いくら愛しの幸のヤツでもさすがにそれを口にする勇気は私にはないのだ。


「なに幸その顔」


「ううん。べっつにー」


「ふーん」


 そんな私を幸が見ていた。少し悔しそうな顔は的を外したからだし、私が飛んできたヤツを口に入れなかったから不満なのだ。


「あのさ幸」


「なぁに」


「食うわけないでしょ」


「なななっ。なんでっ?」


「いやいや」




 平日の夜、午後九時を十五分過ぎたところ。

 いつもの時間に帰ってきた幸はいま夜ご飯を食べている。たまに口から食べかすを発射しながら笑顔いっぱい、月日が経っても変わらず凄く美味そうに食べてくれるから私は嬉しい。


「飽きない?」


「美味しいもん。それにさ、これぞウチの味っ感じだしね」


 この味付けがほっとする。ソウルフード的な。私の元気の源だよなんて言って、幸はまたひょいひょいと、おかずとご飯を口に運ぶ。その頬はすぐさまぱんぱんのぱんになった。


「そっか。ウチの味かぁ。えへへ」


 嬉しいことを言ってくれるなぁと私が顔を綻ばせると、幸が忙しく動かしていた箸を置いて、もぐもぐ動かす口をを止めて私の髪に手を伸ばす。


「なに?」


「かふぁふぃなぁもー」


「わっ。幸。顔に何か飛んできたぞっ」


「ふぁふぁふぁ」


「ったくさぁ。ほら、お弁当付いてるよ」


「んっ。ほっへっ」


「ぶっ。だから至近距離で喋るなってっ」


 再びふぁふぁふぁと笑う幸。色々見えてしまうソレ。寧ろ、私の口はこんなに肉だらけなんだぞいいだろーと自慢して、見せつけているのかも。


「みえてるみえてる」


 取ったティッシュで顔を拭きながら呆れたふうに言いつつも、やはり魅せられてしまう口の中。


「うーん」


 よく噛んで偉いねと思いながら顎に手を伸ばす私も大概。どうかしているのだ。


「くち閉じて。なんか見ちゃうから」


「あー」


「ばかやろう」


「あたっ」


 叩かれつつも普段は鋭い切れ長の目を愉しげに弧にしている幸。その端に刻まれた少しの皺。

 それは私も同じこと。時間は着実に流れている。永遠の旅人だからひとつところに止まりはしない。

 それでもこの目尻の皺は、幸と一緒によく笑ったという証。楽しく過ごしてこれたということ。そう思えばこの要らない皺も愛おしく思えるような気にならないこともないのかも。


「たくっ。とれたよ」


「ありあと」


「いいよ」


 取った何かの成れの果てを摘む指をくいくいとやってみる。


「米と肉だなコレ。よく噛めてる。さすが」


 私は感心ながら顔を拭いたティッシュに指を擦り付けて脇に置いておいたティッシュとひと纏めにすると幸は哀しげに顔を曇らせる。


「ティッシュの減りが早い。幸のせいだぞ」


「あっ。じゃあさっ、夏織が食べ」


 いいこと思いついちゃった。そんな顔を私に向ける幸。

 けれど私は幸のことなどお見通しだから皆まで言わせない。


「だから食べないって」


「なんでっ」


 がーん。うううう嘘でしょう? 私の食べかけを食べられないってどういうことよと、箸とお茶碗を置いて私の肩をぐいんぐいんと揺らす幸。

 よく咀嚼されて口から溢れて顎に付いたものを食べかけとは言わない。あり得ない。


「愛があればいけるよっ」


 愛があっても無理なものは無理。ここは道理を通すべきだから、私は幸を突き放してあげる。


「ぽぽぽんんんこここつつつだだだななな」


 私は揺れているから声も揺れる。それだけ揺らされればおえってなるというもの。


「おおおえええ」


「あはは。面白いっ」


「やややめめめろろろ」




 と、わちゃわちゃしながら幸がもりもり食べるその隣で、私は時々感じる圧もなんのその、デザートのダッツときんつばを食べながら、溢すよ落ち着けとか言いつつ甲斐甲斐しく幸の世話を焼く。


 いつもの時間、いつもの構図。いつもと同じ、顔や服に付いた何やらを取ったり、幸の口から飛んできた食べかすを警戒したりなんかする騒がしいしくも楽しい食卓。

 私はまたきんつばを齧ってアイスを食べる。


「むふっ。美味ーい。やっぱ美味なこのコラボ」


「よかったね」


「うんっ。ん?」


「なぁに。どうしたの?」


「…いや、なでもないよ」


「そう」


 幸が静かな笑みを湛えて私を見ている。これもまた私と幸の夜のいつもの一幕。ちょっと怖いけれどもう慣れたもの。

 私は気にしながらも甘くて美味いヤツらを食べ進める。無粋な視線もなんのその、私の中でバニラと餡子は最強の一角。それを諦めるつもりはない。


「うまーい。って、圧…くそう」


「幸せそうね」


「だって美味もん。幸は? 箸が止まってるじゃん。もう食べないの?」


「止めてるだけ。今は夏織を見ていたいの」


「なに幸コレ食べたいの? ならそう言えばいいのに」


 どっち? と、私はアイスときんつばを交互に掲げてみせる。


「いいえ」


 幸の微笑みが深くなる。その途端、私は中に入ったことはないけれど、たぶん圧力鍋も真っ青だろうと思われる圧が私を襲う。甘くて美味いヤツらを口に運ぶ動きも鈍くなるというもの。


「あっそ」


 けれど平気。私は異様に重くなった震える手でどうにかきんつばを齧ってアイスを掬う。

 そう。こんな時は、なんのこっちゃとすっとぼけて、無言の圧をかけてくる奴の気を逸らしてしまえばいいのだ。


「あっ。そうだった」


「なによ。いきなり大きな声出して」


「幸。お肉お代わりいる?」


 フライパンにまだまだあるよとキッチンを指す。

 はい、これで詰み。幸が資格を取ってひと皮剥けてあらたなキャリアを順調に積んでいるように、この素晴らしくも大事で大切な幸との暮らしの中で、私もまた幸について多くを学んだのだ。私だって成長しているのだ。


「いるっ」


「わかった。ついでにビールも持ってくるけど? いる?」


「いるっ。やったっ」


 圧は消えた。さすがの幸でも肉とお酒で防御力はゼロ、というより寧ろマイナス。スイーツを目の前にぶら下げられた私と同じ、ちょろちょろのちょろ。


「おおおー」


 幸がお決まりの、いってしまう人のポーズで雄叫びをあげる。とはいえ近所迷惑にならないように抑えているところはさすがの幸。


「よいしょ」


 私はダッツときんつばに、失くならないで待っていてねと熱い視線を送りつつ立ち上がった。


「うおおー。にくー」


「なんだよ。ぐうかわ」


 そして私は喜ぶ幸に目を遣って、いつもの台詞をそっと呟いた。





 ということで、幸と暮らし始めて五年が過ぎても私と幸は相変わらずの仲良しの良し。その愛情に揺るぎなしといったところ。


「はいどうぞ」


「やったねっ」



 さっそく箸を付けて口に運ぶ幸が私の一番目。一番大事なぴかぴか輝く宝物。私の全て。


 本気で大事だと思うものは意外と少いもの。

 私の場合は幸以外には親と、花ちゃん、恵美さんをはじめとする数人の友人と私の世界と世界に無数に存在する甘くて美味い素敵なヤツ。 


「あれ? 意外と多いな」


「あはは。生きているとさ、だんだん増えてくよね」


「あー、なるほど。さすが幸、頭いいね」


「えっへん」



 褒められて、終ぞ慎ましいままで終わりそうな胸を張る幸は、私を除けば家族とお酒とお肉のみ。意外かもだけれど、大事なものは疑い深くて眇める私よりも幸の方が少ないのだ。

 とはいえ幸は、実のところ私以外の他人に興味がない氷のように冷たい冷血人間。礼儀とか義理人情を弁えてはいてそこに感情はなく、それをただただ機械的にこなすドモアリガットな女性なのだ。幸が人間性を取り戻すのは私と身内と、例えば花ちゃんとか幸が認めた相手だけ。


「ね」


「うーん。間違ってはないような。けど、うーん」


「悩んでる悩んでる」


 そんな幸が私だけを深く愛してくれるのは当たり前。幸は実に重たくて、実に面倒くさい女性なのだ。


「ね」


「うーん。夏織よりは軽いと思う」


「いやいや。それはあり得な…ちょい待ち幸。貴様はなんの話をしているのだ?」


「体重に決まっ、あだだだだっ」


「太りやがれやー。おらー」



 訊いたくせにぃとおでこを摩る幸を見ていると飽きもせず、まぁ、なんとも胸にじわじわぁとくるものがある。愛しの幸を想う私の気持ちは恋を始めた時よりももっと深くなった。

 それは幸も同じ。


 私と幸には子供は居ない。愛情を向ける相手が身近にはお互いしか居ないのだから、仲良しなのは当然と言える。確かな愛情をベースに抱く諸々の感情もまた愛なのだ。だから私は幸せの大満足。


 わんこでも飼ったならそのバランスが少しは変わるのかもだけれど、寄る辺のなかったタロにとって私達家族がタロの全てだったように、私にとってもわんこはタロだけ。浮気はしない。私は偏愛だから。


 そう。私は狭くて重くて不器用。それを表に出すことはしないけれど、私は幸と同じくそういう人間なのだ。

 私の愛を一身に受け止める幸は、それをちゃんと知っている。だから私は幸の前では思い切り、私らしく幸を愛することができるのだ。それは幸も同じこと。

 つまり、互いに自分を認めてくれる最愛に出逢えたわけだから、尊重して大事にして目いっぱい愛情を注ぐことは当たり前のこと。だから私達が仲良しなのは必然の然と言えるわけ。


「ありがと。幸がいてくれてまじよかった」


「あはは。なに急に。それは私も一緒なのよ」


「うん」




 そして五年が過ぎたということは、私が三十六歳になったということ。

 私の辞書から四捨五入という言葉が消えて一年、以来わたしはそれを口にしていない。これからもしない。すれば確実に大台に乗ってしまうから。


「くそう。九まで捨てとけばいいのに。まじ使えない」


「残念だねー」


「にやついてるけど幸もだから」


「そうだった。あはは」



 互いに悲惨な筈なのに、それでも幸は笑っている。よく笑えるなと思う。

 なるほど幸は女性最大の敵である老化というものを、これまで生きて来た人生の証だから恥じることはないのよと本気で思っている、女性としてはあるまじき考え方をするいかれた女性。最近、堂々とした振る舞いに磨きが掛かってきたのはそういう想いも含まれているのだろう

 しかも、実際にそうなってからではもう遅い的に、三十代こそ勝負の年代だというのに、基礎化粧品にかかる費用は私の半分以下という手抜きぶり。気合いでどうこうなるでもなし、やはり幸はいかれぽんちなのだ。


「このいかれぽんち」


 はい残念、可哀想に。そろそろ差が出始めている筈と、微かな期待を胸に私は幸をじっと見つめる。


「なぁに」



「ちっ」


 やはりコイツは殆ど変わっていない。それこそ知り合った頃から今ここに至るまで、変わらず綺麗で細く、私の前でよく笑う目尻の皺以外はどこにも皺が刻まれていないきめの細かい肌の張りとかまじあり得ないし、もはやコイツは人とは思えない。そして私はピンときてしまった。


「妖怪?」


「ん? なぁに」


「妖怪はりばばぁ」


「は?」


「はりばばぁだよはりばばぁ。砂かけ婆の親戚。ばばぁ」


「ほほー」


「だいたいおかしいんだよ。なんだよその肌、張り過ぎだろ。いたっ。ちょっ、やめろっ。引っ張るなっ。伸びるけど変なとこに刻まれるからっ」


「ほれほれ。ここの皺をを伸ばしてやるぞー」


「まじ? やった…いたたっ、違うっ。他の場所に刻まれるだろっ」


「あはははは」



 歳のことはどうしたって気にしてしまう。だって私は女性だから、いつまでも綺麗で可愛くいたいと思うのは当然。幸みたく、肌きれーとか若ーいとか、ちやほやよいしょされたいのだ。


「ちくしょう」


 されどこの歳になって、私はとうとう素敵な大人の女性の仲間入りを果たしたと思う。主に内面的に。


「だな」


 だって、少しは我慢もできるようになったし、いまだ慣れない仕事もそこそここなせているし、このくそったれな社会に悪態を吐くも、私達の界隈に何かあっても軽く受け流すこともできるようになったから。

 まあ、最後のヤツについて言えば、議論だけがされて、結局はなにも変わることはないだろうと、いよいよ諦めの境地に入ったとも言えるけれど。


「だなぁ」


「べつにそれでもいいじゃないの。今が駄目でも私達には次があるんだからさ」


「まぁね」



 わいわいあたふたふふふふあはははと幸とふたりで過ごした日々を、あっさり五年とひと言で括ってみたけれど、その間わたしの周りでは、父さんの定年と再雇用とか、花ちゃんが、千夏(ちなつ)幸太(こうた)と名付けられた二児の母親になったとか、幸を叔母さん呼ばわりする子がもう一人増えたとか、色々とあったのだ。




「こんにちは。かおりおばちゃん」


 花ちゃんに連れられて玄関先にとことこと現れた長女の千夏。四歳でこの私をディスるとか、さすが花ちゃんの娘としか言えない。


 その瞬間、私は拳を握っていた。軽く一発幻の右を入れて己の非を分からせたいところだけれど、私は大人の女性だからぐっと堪えて我慢をした。私は偉いから。


「こんにちは千夏。けど違うでしょ? かおりお姉ちゃんでしょ?」


「ママがそう呼びなさいって言ったの」


「ほーん」


 やっぱりかと、私は私ができ得る限りの鋭い視線を花ちゃんにくれてやる。


「字。叔母さんの方だよ」


「そっち? けどなんで?」


「夏織は私の妹。だからこの子達の叔母さんでしょうが」


 そんなの当たり前でしょ、いちいち怒るなと花ちゃんが笑う。

 その腕には一歳になる長男の幸太が、馬鹿みたいにでかくなったまま戻らない花ちゃんの胸に埋まりながらもつぶらな瞳でじっと私を見つめて私に向けて手を伸ばしている。

 私はまず花ちゃんの胸を指した。


「妖怪張りばばぁ」


「馬鹿だなぁ」


「まぁね。ふふふ」


「はりばばー、はりばばー」


「夏織。お前ねぇ」


「ごめんごめん」


 気に入ったのかきゃっきゃっと千夏が騒ぐ。花ちゃんが余計なことを言うなよと私をひと睨みして、それをやめないと夏織みたいになっちゃうよと嗜めている。


「いいじゃん」


「やだよ」


「まぁ、たしかにヤバいかもね」


「冗談だよ」


「いや、目がまじだって」


「バレたか。ふははは」


「くそう」



 なんだかんだで花ちゃん母親をしてるなぁと思いながら、伸ばされたままの幸太の小さな手に、張りばばぁを指したままの私の指をずらして握らせた。

 ぎゅっとしがみつくように握られた感じが庇護欲を唆られて私の中の何かに触れる。私にはこの先もあり得ない存在達。


「まぁ、そういう訳だから。この子達のこともよろしく頼むよ。夏織」


「わかった。ありがと花ちゃん」


「いいよ」


「おばちゃん泣いてるの?」


「泣いてない、あと、叔母さんだから。よっ」


 目にゴミがねと、私を見上げて首を傾げる千夏を抱き上げる。


「大っきくなったねー」


「四歳」


「知ってるから」


 腕がぷるぷると震えてしまうのは私がか弱い女性から。子育てに仕事にと頑張る花ちゃんのむきむきぱんぱんぱんぷな腕とは違うのだ。手を振ればちゃんと震えるからなっ。


「お前ね」


「なんのこと?」


「ほー」


 一歩も引かない。そんな一触即発の雰囲気っぽい中、実はあまりの怖さに再び泣きそうな私の頭を千夏が四本の指を立てていた手で撫でた。


「よしよし。泣かないよ? おばちゃんもいい子でしょ?」


「違うから。叔母ちゃんだからな」


「こだわるね。ははは」


「当然でしょ。ふふふ」


 緊張感はどこへやら、ふふふはははと、私達は笑った。


 そのあと買い物から戻った山ぐっさんも交えてこんな会話があった。さすがの花ちゃんはやはりさすがの花ちゃんだった。私はとても嬉しかった。またまた泣けるほどに。



「けどさ、そのうちに色々わかったら、嫌がらないかな?」


「馬鹿にするなよ夏織。私もぐっさんもそんなふうには育てないよ」


 花ちゃんはまじ。隣で幸太をあやすぐっさんも真面目な顔で頷いている。

 千夏と幸太の育てるふたりが私達を肯定してくれているのだから、その子供達もきっと大丈夫なのだろう。一番身近な親を見て子供は育っていくのだから。


「そっか。ありがと」


「いいよ」

「いいって」


「嬉しいなぁ、うぐ」


「幸にも伝えておいて」


「わがっだ」


「泣き虫は変わらないね」


 優しく微笑む山口夫妻。その側には楽しそうにしている子供達。その笑顔が、私とは繋がっていなくても、その先へと繋がった気にさせてくれたある日の休日の午後。


「じゃあ、千夏には料理を教えちゃおっかな」


「それについては俺からも是非頼むよ」


「あ?」


「あ、いや。だってあれじゃん。花の料理は、いてっ」


「そのままいけや。そいっ」


「いってぇ。やめてっ、花、あだっ」


「ふんっ。あ、そういうわけだから晩御飯は夏織が作って」


「ふふふ。わかった。いいよ」






「夏織さんは私の義理の妹だから当然だよねー。健一も懐いてるしさー」


 そして環さんもそんなふうに、さも当然でしょとばかりにそう言ってくれて、その子達が私のこともおばちゃんと呼ぶようになったこととか。


「あ、違うから。叔母さんだからな」


「あははは。夏織ちゃんは相変わらずおかしいねー」


「おかしくはないからなっ」




 それから幸でいえば、恵美さんの副支社長への昇進に併せて幸がその後釜、部門のトップになって、そこにとうとう由子が引っ張られてしまったとか、まぁ色々とあった。


「由子も大変だな。可哀想に」


「失礼しちゃう」


「だってさ、鬼じゃんふたりとも。鬼将軍と鬼大佐。由子まじ悲惨、ぐえ」


 幸がいきなり腕を抱えるようにきつく抱き締めて私を床に押し倒す。

 獲物を見るような目つきがまじヤバい。なんでいきなりスイッチが入るのか私には謎。


「そう言えば夏織」


「なに?」


「由子と知り合った切っ掛けってさ」


「言ったでしょ。あれは」

「あわよくばを狙って夏織がナンパしたのよね? 」


「は?」


 おかしい。私はその時の経緯をちゃんと説明した筈。しかも幸は私を偉いねと褒めてくれたのだ。


「私というものがありながら浮気な しようなんていい度胸よね? つまりこれは罰なの」


「ばっ、馬鹿。やめろ。待て。落ち着けって。ステイ」


「いやよ」


「ひゃあぁぁ、やめろー」






「はっ」


「大丈夫?」


 にこにこしている幸の言う大丈夫とはなんのこと? 


「うーん」


 なんか凄いことをされたようななくないような? 私の女性としての尊厳が蹂躙されたようななくないような?


 記憶を辿ると段々と顔が赤くなってくるのが分かる。私は思い出してしまったのだ。


「うぐぐ」


 今のヤツが明日から幸のメニューに加わるのかと思うと恥ずかしくていってしまいそうになる。私は照れ隠しと抗議のへろへろパンチをお見舞いする。


「このっ、このっ、このっ、えろ鬼女めがっ」


「ごめんごめん。けど、まだなんか足りない感じなんだ。だから、ね?」


「え」


「んー」


 と、幸が寄せてくる唇を迎えてしまうのは条件反射というもの。幸のキスを断る選択肢は私には存在しないない。幸の歯に挟まった肉なんかを見つけた時以外にはなっ。くっ。






 こうして時が過ぎても私の世界も幸の世界も変わらず今もそこに在って、顔を出せば優しく迎えてくれる。集う顔触れが少しずつ変わったけれど私を私らしくいさせてくれる。


「ラブだな」

「ラブだ」


 そして私と幸は他の追随を許さないほど仲良しの絶好調。

 マンションの住民にひそひそされるようなことも何度かあったかもだけれど、特に何かを言われることもされることもなくその人達は越して行って今に至るって感じ。


「ピース」

「ピースっ」


「ふふふ」

「あはは」


 つまり、私達は至って平穏、ラブアンドピースといったところ。

 だだひとつばかり、私の立てたライフプランがおかしくなっていることを除けば。




「うーん」


「あららー」


 私が見ている紙を幸が横から覗いている。私の全てを知る幸だからそれは構わない。それに私は今それどころではないのだから。


「幸。わたし目が悪くなったみたい」


「一.二あるよね?」


「いや、あるけどさ」



 辞令 屋敷夏織を営業四課の課長に任ずる


 私は紙を遠くに放り投げたつもりだった。けれどソイツは私を馬鹿にするようにひらひら舞ってすぐ近くに落ちた。私はそれを踏みつけてやった。


「終わったなぁ」


「なにが? 始まったんじゃないの?」


「だって幸。日がな一日デスクにはりついているとか、もう平日は素敵な出逢いできないじゃんっ。取引先の人からおやつ貰えないじゃんっ」


「けど夏織。これでもう夏織が心配している麻呂っぽくとかならなくて済むし、お肌かさかさになることも減るんだよ?」


「はっ」


「それにさ、同行するとか言って、たまに誰かについて行けばいいじゃない」


「はっ」


 私は幸の言わんとすることに思い至る。なるほど先ずは夏の暑さや冬の乾燥。それに晒されることもなくなる。

 なるほどなるほど、そしてその行き帰りに、先に帰っててとか言って、街をふらふら歩いて色々と物色すればいいのだ。

 その手があったかさすが幸と、半ば神を見るような視線を送る。


「ね」


「天才かっ」


「そうよ。もっと私を褒めなさい」


「幸素敵」


「あはははは」


「素敵。抱いて」


「はは? がっはぁ」





 と、色々あった五年間。私は凄く楽しかった。振り返るととてもきらきらした日々だと思う。




「だなぁ」


「ね」


「今は落ち着いて心地いい感じがする」


「ねー」


 幸は嬉しそうに笑った。


 それからさらに時は流れて私の大事で大切だった宝物はだいぶ少なくなった。父さんや母さん。私の世界も変わった。今もあるけどそこに集う女性達はもはや私の知らない人達。

 今でも連絡を取り合うのは恵美さんとか由子とか莉里ちゃんとかほんのひと握りの人達だけ。

 私はもうそこに足を踏み入れることはないけれど、どうかいつまでもそこにあってと私は願う。


 そうした大事な人達とのお別れは、生きている以上、決して避けることはできないから仕方ないと思うけれど、悲しいことはやはり悲しい。


「ね」


「だね」


 今日のここまで私はいっぱい笑ったけれど、別れを迎えるたびにいっぱい泣いたりもしたのだ。

 幸がいなければ、私はそれに打ちひしがれてどうにもならなかっただろう。その幸は今も私の傍にいて、私を愛してくれている。


「ありがと幸」


「こっちこそだよ。夏織」


 そう言って、幸はまた優しく微笑んでくれた。



 きんつばを齧って渋いお茶に手を伸ばし、ずずすと飲む。


「美味い」


「よかったね。くくく」


 最近、私の歩いてきた道を振り返ることが多くなった。私を知って、どうしようもなくて、不安で、敢えて強がっていた頃を除けば、私の人生は幸と出逢えてからは概ねいい人生を送ってこれたと思う。取り巻く世界はいまだ燻り続けたままだけれど、もはや私は蚊帳の外。ただそれを眺めているだけ。ここまで来ると私自身について言えばどうでもいいこと。気になるのは私と幸のこの先のこと。思いはそれにシフトしているのだ。


 そんな懐かしくもくそ面倒だった日々を振り返る。


「色んなことあった」


「ね」


 私はいよいよそういう歳になったのだ。来年は後期高齢者になってしまうのだから。


「くそう」


「夏織お婆ちゃん」


「幸もだって」


「そうだった。あはは」


 私はまた渋くて美味いお茶に手を伸ばす。幸は隣でゆったりとグラスを傾けて、私の作ったつまみを摘んでいる。


「早かったな」


「そうだねぇ」


 暖かい春の日差しを浴びる縁側。私の前には渋いお茶と甘くて美味いきんつば三つ。幸の前にはつまみとビール。

 こうしてふたりで歩いて来た道を幸と一緒に振り返って笑う。


「あの時はさ、とうとう幸が壊れちゃったかと思った」


「それを言うなら夏織でしょうに。いやだー、食わせろーって。ぶっ壊れ」


「そうだっけ?」


 今日は平日だからお客さんはあまりこない。訪ねてくるとすれば、私達に遅れて近所に越してきた花ちゃんとか恵美さん、陽子さんくらいなもの。


「そうよ。ぷぷっ。あの顔。思い出したらやっぱり笑っちゃう。あっはっは」


「なんのこと?」


 お互いに、昼間っからいい御身分だなぁって思う。





お疲れ様です。いつもありがとうございます。


さて。私はついに夏織と幸のお話を畳むことを決意いたしました。

私の予定通りであれば月曜日の夜、最後のお話とあとがきを投稿してお終いになります。上手くいったかどうかはともかく私は頑張った。けどまずは怒られないと。


「えっと」


「お前ちょっとって言ったろっ。進め過ぎだぞっ。急に歳とるとかまじありえないからなっ。うらぁっ」


「あだあだあだあだ」


「私もいるんだけど?」


「いだだだだ。二人とも落ち着いて。終わりだけどちゃんと考えたからっ」


「「あ、本当か」」


「本当です」


「じゃあ、読んでみてからだな」

「そうね」


「た、助かったのか?」


「あ?」

「は?」

「ひっ」


しはかたの明日はどっちだっ。


あと、あとがきについてはその時の私の想いとかなので、興味があれば読んでみてくださいませ。


読んでくれてありがとうございます。


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[一言] 一気に時間が進んでて、あれ?と思ってあとがきを読んだら… ついに終わってしまうのか…と こういう話では結ばれたり、幸せになったりしたところで終わる話が多い中で2人の本当の意味での最期まで書か…
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