王様の悩みと、夜のランプ
小一時間後、王の寝室。
かたん、と小さな音がして、陛下がベッドサイドのテーブルにランプを置いた。
先にベッドに座っていた私は身も心もカッチンコッチン。
何故って、結婚して何だかんだで一年近く経つけれど、私と陛下は未だに所謂初夜というものを経ていない。陛下は、私の心の準備が整うまで待ってくれていた。そして、周囲の者からしたらディーノ様という申し分のない王子様がいる以上、お飾りの王妃である私に何も期待していないのだ。
だから初夜は、お子は、とは誰にも言われてこなかった。あ、レイリーネは言ってたけど、あの人はまた全然違う意味だし。
王城の偉い人達も、私がもう「お飾り」ではないことは薄々察しているけど、陛下の寵を得たところで権力も政治的後ろ盾もない、元伯爵令嬢。やっぱり話がややこしくなるから、現状維持を望まれているのだった。
やいやい言われるのも嫌だけど、全然期待されていないっていうのも何か悔しい。
いつもと違い、生地は高級だが造りはゆったりとした寝間着姿の陛下が私の隣に座った。ぎし、とベッドが揺れて、私の体は僅かに陛下の方に寄ってしまう。
「……緊張しているのか」
「してます……けど、先にさっきの話をちゃんとさせてください」
頬が熱いのが、自分でもよく分かる。
今更小娘のように恥じらえるほど初心ではないし、かといって平気なフリが出来るほど成熟してもいない。
だから私に出来ることは一つだけ、真っ直ぐに気持ちを伝えること。
「では何故拒否しなかったんだ、この状況を」
「陛下が本当に私を……お望みなら、断るつもりはありません。何故今、とは思っていますが……私だって、あなたのことがす、好きなんですから」
陛下を見つめてそう言うと、彼は優しく目を細めた。
「無論、私とて欲はある身。そなたを望む気持ちは常にあると思ってくれ」
「常に……ですか?」
「惚れた女を求めぬ男がいるか?」
今までそんな素振りは微塵も感じなかったので、驚いて言うと真面目な表情で頷かれた。
ひぇぇ……ドサクサに紛れて、とんでもないことを聞いちゃった。ひょっとして私、陛下に結構ひどいことしてるのかな? 待たせすぎ? 基準が分からないよー!!
青くなったり赤くなったりと忙しい私を、陛下は笑って抱き寄せた。
「とはいえ、私は存外気が長い。ようやく口説き落とした妃の心の準備が出来るまでぐらいは、待つ甲斐性のある男だ」
「……言動と行動が一致していない気がします」
「おや、抱擁と口づけは許されたと思っていたのだが?」
余裕たっぷりに微笑まれて、ようやく力が抜けた。そのままだらりと寄り掛かると、更にしっかりと抱き込まれる。
狼狽えたり突っ走ったりする私を、ライアン様はいつもこうしてゆっくりと構えて待っていてくれるのだ。
待たせてごめんなさい、と思うけれど、他ならぬ陛下自身がそれを許してくれているというのなら、もう少し甘えておこう。正直全然、まったく、これっぽっちも、心の準備なんて出来ていないのだから!
穏やかで心地よい雰囲気の中、時折陛下の唇がつむじや耳に落ちてきてくすぐったい。この幸せな気持ちのまま眠ってしまいたいところだけど、本来の目的を忘れてはいけないのよ。
じっと陛下を見つめると、しばらく素知らぬフリをしていたもののようやく溜息をついて彼は観念した。
「……待っていただけるのは、有難いのですが。では何故急に一緒に寝よう、と?」
「ああ……情けなくて、出来れば言いたくないのだが」
「何故陛下がここまで私に過保護なのか、理由を教えてくださる、ということですよね?」
ぐいぐいと行くと、陛下は麗しいお顔にたっぷりと苦悩の表情を湛えて、渋々頷いた。
ヘッドボードにクッションをたくさん立てて、そこに寄り掛かって私と陛下は並んで座る。灯りはベッドサイドの、先程陛下が持ってきたランプだけ。
私の腰を抱き寄せた陛下は、就寝前なので緩く編まれた私の髪を手遊びにいじる。
「……先程は、メイドも護衛もいただろう」
「はい」
最近ようやく慣れてきたけれど、二人きり、と言っても当然同じ部屋には使用人や護衛がいる。目立たないように努めてくれているが、よほどのことがなければ出て行ってはくれない。何せ相手は国王陛下、何かあってからでは遅いのだ。
しかし寝所ともなれば、さすがにこの場には私と陛下の二人だけ。扉の向こうには当然護衛が寝ず番で控えてはいるが、小声で話す分には内容までは伝わらない。
「……そんなに秘密の話なんですか?」
過保護の理由。私が頼りないから、だとかもっと単純な理由だと思っていた私は、だんだん不安になってきた。
「いいや。繰り返すが、私が情けないだけの話だ」
そう言った陛下の瞳は苦し気に曇っていて、心を晴らして欲しくてこちらから頭を抱き寄せた。
少し長く伸びている金の髪を梳くと、先程の私のようにライアン様も力を抜く。正直私よりもずっと背の高い彼に寄り掛かられると重いが、絶対に離したくなかった。




