子犬のジルバ
昼。
貴族って夜会とかがあるので午前中はのんびり過ごす人が多いんだけど、おちびちゃんの多い実家ではそんなことはなかった。
誰かが朝早くに起きだすと、連鎖反応で次々に起きる。そうなれば、ハイさようならベッド、おはようございます可愛いおちびちゃん達。
母乳だけは私にはどうしようもないから、義母や乳母に任せ、あとは世話役達と一致団結して慌ただしい時間。
使用人達も手が空いていれば弟妹の相手をしてくれるけど、午前中って彼らも本当に忙しいのよね。義母は赤ん坊の夜泣きにも対応しているから、眠れる時は寝かせてあげたいし。
騒がしくも愛しい日々。私がチームから抜けたら、世話役達は困っていないかしら? 弟妹達は元気だろうけれど、人手が足りないようならば、王妃として私に与えられるお小遣いから人を雇った方がいいのかな。今度実家と相談しよう。
などと、つらつらと考えながら廊下を歩く。
今日も護衛のエリックと侍女のファニーと一緒。夜会に出ることになったから、ドレスとか装飾品とかは美容部門の人達も交えて相談して、あとは始まったばかりの妃教育もマナーの方から前倒しで教えてもらっている。
このマナー講師のメイフェア夫人という人が、そりゃあまぁ厳しい人で。二言目には、
「ルクレツィア様はお出来になりました」
と言われてしまう。
正直そう言われちゃうと何も言い返せない。ルクレツィア様が完璧な令嬢な上、稀代の才女だから出来たんでしょ!? と思わなくもないのだが、今の私は彼女と同じ立場なのだから、無理でも何でも、出来なくちゃいけないのだ。
陛下に王妃としての役目を果たしたい、何て偉そうに言っておいて実際教育が始まったらへこたれる、なんてカッコ悪い真似出来ない。
「妃殿下、歩調が乱れていますわ」
「わわっ」
いけない、いけない。
ファニーにそっと注意されて、慌てて足先を意識する。授業の時だけ出来ても意味ないからね、ファニーにバシバシ指摘して欲しい、と頼んだら本当にバシバシ言われちゃう。
それにライアン様はそのままの私が……す、好き、って言ってくれてるけど、こんなことも出来ないのか、て嫌われちゃったらいやだもの。
特に彼は何でも出来ちゃう上に食べ物の好き嫌いもない、完璧超人。凡人の凡人たるところを見られて、見限られないとも限らない。
「妃殿下」
「ひゃい!」
また歩調がトボトボ、みたいになってて、ファニーの穏やかだけど頑とした声に、私は背筋を伸ばすのだった。
そうして、ようやくディーノ様の部屋までたどり着いた。
いつもの倍の時間がかかった気がする。妃教育をかなりなめていたことを反省しているわ……何が令嬢としては普通、よ。本当に思いあがっていたわ、妃としては落第もいいとこね。
でも暗い顔をしていたら、敏い王子様に気付かれてまた心配をかけてしまう。気合をいれて笑顔を作ると、私は扉前に立つ衛兵に合図をして、扉を開けてもらった。
「ごきげんよう、ディーノ様」
視線の端でファニーがニコ、と笑ったので、挨拶の所作は及第点!
「……ああ、ウィレミナ」
おや? 王子様の方が元気ない。
今日は陛下と朝学出来なかったのかな。さきほど貴族は朝はゆっくり、と言ったが、この親子も朝から活動するタイプだ。
陛下は午後からは謁見など人と会う仕事がひっきりなしに入る為、午前中は執務室で書類仕事。比較的その仕事内容が落ち着いている時は、ディーノ様がそちらに言ってお喋りしたり最近読んだ本の話をするのだとか。真面目な親子ね……
「元気ないですね、陛下と喧嘩でもしましたか」
「お父様と僕が喧嘩なんてするわけないだろ」
ぷく、と頬を膨らませちゃって可愛い! つついたら怒るだろうなぁ……実際この前無断でつついてすっっごく怒られたので。
「では誰と喧嘩したんですか? あ、わかった、レナード様ですね!」
「こういう時だけ勘がいいのは、ずるいぞウィレミナ」
どうやら当たりのようだ。王子様はぷいっ、と顔を背けてしまった。もーそんなことしても可愛いだけですよ!
レナード様、というのはオルブライト侯爵のご子息で、ディーノ様の乳兄弟、幼馴染だ。
つまり、ディーノ様の乳母は何と、侯爵夫人なのである。レベルが高すぎて意味がわからない。
他の国ではどうなのか私は知らないけれど、このアディンセル国では乳母とは母乳を与える役目を担う女性のことをいう。
当然、母乳の出る状態なのだから、そのお世話をする赤子に年の近い実子が存在し、その子は乳兄弟と呼ばれる。王子様の乳兄弟ともなれば、将来は側近候補。
だから王子の乳母になりたがる貴族夫人は多いのだ。噂だと、王妃懐妊の報が出れば自分も授かろうと努力する人もいるぐらいなのだとか。
まぁ、レナード様をディーノ様の乳兄弟とする為に、侯爵夫人は乳母という役に便宜上就いてはいただけで実際は他の乳母達がディーノ様に母乳をあげていたとは思うけどね。王子様の乳母ともなれば、何人か選ばれる筈だし。
私の実母、アマンダの場合は元々王城務めをしていたことと、ライアン陛下がお生まれになる少し前に兄を生んでいたことが理由で乳母の一人として選任されたのだと聞いている。
そうなると、うちのあの兄は陛下の乳兄弟なわけだけれど……まぁ、必ず側近になるとも限らないのね。
城内政治って複雑ぅ。今まさに渦中にいるわけですけれど、私!
喧嘩の内容は他愛のないことで、でも男と男の譲れない意地の張り合い、といったものだった。
「意外です。ディーノ様はすごく頭がいいので、そういう喧嘩はしないのかと思ってました」
「……」
昼食を摂りながらも、ディーノ様は不機嫌なままだ。
レナード様には挨拶程度だが何度か会ったことがあるが、ディーノ様に負けず劣らずのなかなかヤンチャなお子様だった。普段は既に末恐ろしい悪友感のある仲の良さなのに、こうして一度拗れるとかなりヒートアップしちゃうみたい。
「……僕は悪くない」
「ふーん」
あ、今日のお肉は鶏だ。かかってるソースが美味しい~! て叫んだりしちゃいけないのよね。美味しゅうございます……
「なんだ」
「え、いえ、別に」
お肉に気を取られていた私に、ディーノ様は突っかかる。
不機嫌だなぁ、でも彼は普段とても大人びているので、こういう年相応な面が見れるのも嬉しい。伸び伸び感情のままに怒ったり泣いたりするのも、大切なことよね。
我慢ばっかりしてると、私みたいにひねくれた大人になっちゃうし。
「何か言いたいことがあるなら、言え」
ムスッとしながらディーノ様も食事を続ける。
「言いたいことっていうか……ディーノ様、本当に自分は悪くないって思ってます?」
私がそう言うと、ディーノ様の手が止まる。
その場にいたわけじゃないし、一方の言い分だけ聞くのは公平じゃない。そもそも子供同士の喧嘩に大人が入っていくなんて野暮もいいところ。
そして五歳児だけど天才で、優しくて気遣いの出来るディーノ様は、ちゃんと分かってる筈だ。
「ディーノ様」
促すと彼は本当に渋々、小さく呟いた。
「……僕も…………ちょっとは、悪かったと、思う」
「うん」
私が微笑むと、ディーノ様は溜息をつく。それは安堵の吐息に見えて、また心の解き方が分からなかっただけなんだなぁ、と感じた。
はっきり言って、ディーノ様に私が教えられることなんてほとんどない。でもこうして話を聞いて一緒に考えたり、ディーノ様自身が心の整理をするお手伝いなら、出来る。
「……ありがとう、ウィレミナ」
「私、何もしてませんよー?」
「ん……」
きゅっ、て小さな手で私の手を握ってくる癖、本当に可愛い。
ライアン様も嫌味なところはあるけど変に素直だし、この親子育ちがいいなぁ、本当に。このままいいところ伸ばしていってあげたいな。
「さぁ。ご飯食べましょう」
「うん」
互いに皿に伏せていたカトラリーを手に取り、食事を再開した。
その後、レナード様がディーノ様を訪ねて来て二人してちゃんと謝罪し合って、最後は何かわんわん泣きながら仲直りしていた。ええ……微笑ましい……いい友達持ちましたね、ディーノ様!




