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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 ミリアがゆるゆると朝日に瞼を動かすと、リョウは既に起きていて、スポーツウェアを身に纏い、ストレッチに励んでいる最中であった。

 「……おはよう。」

 「ああ。」リョウは真剣な眼差しで、丹念に肩を回す。

 ミリアは枕元に置いた腕時計を確認して、「まだご飯まであと一時間もある。」と呟いた。

 「今日が本番だっつうのにいつまでもぐーすか寝てられっか。ほら、天気もいいぞ。雨天曇天ばっかのドイツにしちゃあ、上出来過ぎる程上出来だ。俺、今からちっと一っ走りしてくっから。」

 「本番前に、車にぶつかったりしたら大変だわよう。」

 「ちっとこの周り行ってくるだけだ。」

 リョウはそう言ってイヤホンを耳に突っ込むと、部屋を飛び出して行く。

 ミリアはベッドの中から窓越しの空を見上げた。眩しいぐらいの快晴である。それはあたかもLast Rebellionの初ヴァッケンのステージを祝福しているようにも見えた。ミリアは嬉しくなって、半身を起こしてうっとりと窓辺に身を寄せた。

 その時、突如ミリアは口許を押さえ立ち上がった。慌てて洗面台に駆け込む。喉元から突き上げる熱いものが一気に噴き出した。何も混じっていない黄色い胃液が洗面台にぶちまけられる。ミリアは水を勢いよく流し、肩を激しく上下させながら顔を歪めた。恐る恐る、鏡を見る。酷い顔色だ。リョウに見られたら、きっと心配する。さっさと化粧をしてしまおう。そうすれば気付かれない。そう思い立ち、ミリアはそのまま顔を洗うといそいそとベッドに戻り化粧を始めた。

 下地を丹念に叩き込み、ファンデーションを幾度も叩く。モデル撮影時にメイクアップアーティストが教えてくれた、肌荒れを見せない方法。何度も何度も薄く重ねるように、丁寧に――。しかしミリアは不安だった。ようやく辿り着いた最上の舞台なのに、どうして嘔吐なんて……。リョウに知られたら、きっと悲しませてしまう。それだけは避けなければならない。ミリアは大丈夫、大丈夫、と低く呟きながら化粧を済ませると、Last RebellionのTシャツを着て、ジーンズに足を通した。

 そこにリョウが帰って来る。

 「いやあ、外、凄ぇぞ。もうメタラーたちが大勢歩いてた。あいつら、朝早ぇな。」

 「ええ、本当に?」ミリアはどうにか笑みを作り、リョウに応える。

 「朝日を浴びたメタルTシャツの群れは、なかなかの壮観だったぞ。お前にも見せてやりたかったな。」などと言いながら、額の汗を拭ってシャワールームに入る。顔をじろじろと見られることもなかったので、ミリアはとりあえず安堵の溜め息を吐いた。そしてシャワーの音を聴きながら窓から長閑な田園風景を見下ろした。とにもかくにも、今日だけを乗り切ればいいのである。ヴァッケン以降のライブの予定は、おそらくは凱旋と称して聖地ででもやるのであろうが、確定はしていない。だからせめて、リョウの長年の夢を叶える今日、このステージだけを乗り切れば――。ミリアは拳に力を入れて朝日に照らされた麦の穂を一心に見つめていた。


 食堂に降りテーブルに着くと、昨日と同じ女性が何やらドイツ語で語り掛けながら、温かなパンを次々に四人の前に並べてくれた。遠藤が女性の言葉を日本語に言い換える。

 「今日何時頃にステージに立つのか、って聞いていますよ。」

 「十二時。」ミリアは両手を見せ、それからピースサインを作り、女性に直接語り掛けようと試みる。女性は驚いたような笑顔をして、何やら再び言った。

 「じゃあ、その頃に行ってみると言っています。」

 「ええ、本当? チケット持ってるの? メタラーおっかなくない? 大丈夫?」

 「地元の協力店にはパスが配布されているようですよ。それに、……去年もこちらに宿泊したバンドのライブを観に行かれたそうです。」

 「へえ、そうなの! メタラーなのかしら。」

 「あはは、……ええと、このフェスが始まってから興味を持つようになって、お気に入りはHELLOWEENとRAGEだと言っています。」

 「やっぱしジャーマンメタルが好きなのね!」リョウとシュン、アキも笑って女性を見上げた。

 「メロディアスな曲が好きだそうですよ。」

 「さすがだわねえ。……あのね、ミリアたちのもとってもメロディアスな曲あるかんね。楽しみにしててねって、言って。それから、バンド名はこれね。Last Rebellionっていうのよう。このロゴ。」と言ってミリアは自分の着ているTシャツを見せつける。「バックドロップもこれとおんなしのが掲げられるから、間違わないでって言って。」

 女性は遠藤からドイツ語訳を聞き、ミリアに向かって何度も頷いた。

 「女の子がギターを弾くバンドはそうそうないから、大丈夫だと言っています。」

 「ありがと。絶対気に入ってくれると思う! あ、そうだ。物販とこにCD置いてあるから、おばちゃんにひとっつあげる。ね、いいでしょう。」

 「まあな。一宿一飯の礼ってやつだ。」リョウは白パンを齧り、パンプキンスープを啜った。ミリアは白パンを選んで小さく千切ってどうにか一つ、二つと口に入れたが、それ以上はどう我慢しても入らない。まだ、朝の吐き気というよりは、口の中にあまりに刺激的な胃液の味が残っているような気がして、飲み込むのが苦痛なのである。

 「お前、食えよ。」リョウは心配そうにミリアを見詰めた。

 「……緊張しちゃって。」ミリアはそう言って微笑んだが、リョウの苦渋に満ちた顔は変わることがなかった。

 「でも食わなきゃあ、満足なパフォーマンスができねえだろうよ。」

 「できるわよう。」

 「お前、顔色悪いな。」アキに真顔で言われミリアは慌て出した。「そんなこと、そんなこと、ないわよう!」ファンデーションは十分に塗って来た筈なのに、なぜ気付くのか、ミリアは内心アキの観察力に恐れ入る。

 リョウもまじまじとミリアを見詰め、「……お前、今日やれんのか。」と囁くように言った。

 「やれるわよう! だって、だって、リョウの夢でしょう? それって断然ミリアの夢でもあんだから! 絶対に、何が何でも、くたばったってやるのよう!」

 ミリアは焦燥とも怒りとも付かぬ思いで、心配そうに自分を見詰める三人を順繰りに睨んだ。その内にリョウはとりあえず納得はしたようである。ミリアは見せつけるように目の前のパンプキンスープを一気に飲み下した。

 「よし、行くか。」満足げにリョウが言ったのを合図に、四人は立ち上がりホテルを後にした。目指すは、ヴァッケン・オープン・エアである。

 眩い陽光が四人の姿を照らし出す。これが天高く上る頃、自分たちは七万人を前にあのステージに立つのだ。そう思うと、四人は突き上げるような歓喜を覚えた。

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