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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 ヴァッケンまではあと二カ月と迫った。

 そんなある日『ミリア』のDVDとブルーレイが同時発売されたことで、事務所には幾つものインタビューの依頼が来たが、それらは全て事務所によって拒絶された。どうせ受けたたところで、まだまだ世間では燻っている所のアイミの事故について、バンドと運営に非があるという形で描き出したいというのが向こうの隠された主眼なのであるから、受けるだけ時間の無駄と、そう、社長とミリアは判断を下したのである。――わかってくれる人だけがわかってくれればいい。ミリアはまだ見ぬアイミのような視聴者を思った。きっとこれを公表することで、アイミのように強く生きてくれる人が出てくるはずだと、それだけを希望に世間の憎悪と嘲笑を見て見ぬふりをし、自分の成すべきことに専念した。


 ミリアは日中は日々料理本の撮影に勤しんでいた。とはいえ、盛り付けは本職の料理研究家がやってくれるのであるし、ミリアは時折エプロン姿で料理中の様子を撮影するのと、それ以外は自分の出したアイディアが美しく作られていく様を見ているだけでよかった。

 インテリアコーディネーターなんぞがやってきて、テーブルはどこぞの宮殿かと思われる程に美しく整えられ、更には、いつものファッション撮影の現場さながらに、スタイリストが可愛らしいエプロンを一体どこから持ってきたのかと訝るぐらい幾つも携えてやってくる。そしてこれまたミリアを美しく飾り立ててくれるヘアメイクアーティストが常にミリアの傍にぴったりと張り付いて、髪の僅かな乱れさえも許さぬ。ミリアはそこであれこれ料理談義を繰り広げたり、たまに料理をする「ふり」をし、それよりは試食をしてみたり、たまには料理に関する要望を告げる、そんなことをしているだけでよかったのである。

 「これが、シリーズ化されるといいですね。」現場にやって来ていた漆原が、休憩中のミリアにそう話し掛けた。

 「うん。」ミリアはちょうど今し方撮影の終わったばかりの、カボチャ入りポテトパイを摘まみながら答えた。

 「料理について色々なアイディアが発信できれば、今までミリアさんを知らなかった主婦層などにも知って貰えるようになりますしね。」

 「ふうん。」しかし、主婦が果たしてレシピをきっかけにデスメタルを聴いてくれるであろうかと、ミリアは訝る。

 「毎月のレシピの提案も、もし大変でしたらプロの方にお願いしてもいいんですよ。ミリアさんの名前だけ、貸して頂ければ。」

 「それは、ちょっと。」ミリアは身を捩った。「……やだな。」

 「済みません。失礼なことを申し上げました。……そういう真面目な所が、ファンの方を魅了しているんですものね。」

 「真面目、でもないのよう。」ミリアはやたらフリルのついたエプロンの裾を整えながら、「そんぐらいやんないと。ミリアが考えたレシピだって思って、真剣に読んでくれてる子を裏切ることになっちゃうから……。」と呟くように言った。アイミのように、自分を見て夢を抱いてくれる人もいる。前向きに生きようと決意してくれる人もいる。それを思えば、虚偽だけは、許せなかった。「ミリア考案」とある以上、調理やセッティングが他者の手に任されるのは虚偽にはなるまい。ただ、アイディアを自分が出すということだけは譲れないのである。

 ミリアはふと、リョウの作曲に対する執念もこういうものなのではなかろうかと思った。――矜持。行きつく先は誰のためでもない。自分の自己満足かもしれない。自分がこだわり過ぎることで、周囲に迷惑をかけることさえある。でもよいのだ。ここを妥協しては自分が自分でいる意味がないのだ。もっと言えば、生きている意味がないのだ。そういう、感覚。

 ミリアはリョウの心情に寄り添えた気がして、心躍った。

 「そうですね。……でも、海外の大きなフェスにも出られるんですよね。毎日リハーサルで、忙しく、ないですか?」

 「うん。今はこのお仕事だけだから。お洋服の撮影みたく、寒いのに寒い格好したりがないから随分、楽。」ミリアはそう言って照れ笑いを浮かべた。

 「良かったです、いつでも、仕事に対して要望があれば、どんなことでも言って下さいね。……アサミさんが戻っていらっしゃるまで、私がミリアさんのマネージメントをやらせて頂きますので。」

 「宜しくお願いします。」ミリアは丁寧に頭を下げた。

 漆原は優しく微笑み、「では続きを撮影しましょうか。ね、菜の花のロールキャベツ。」と言った。ミリアは満面の笑みで大きく肯いた。


 撮影が終われば夕方、夜以降はスタジオでのリハが待っている。もう、ほとんど何を目指しているのだか、人に聴けぬ範疇の音さえ聴いているのではないかと訝らずにはいられない程の過敏な神経をしたリョウが一音一音、チェックを入れていくのである。

 壁の時計は夜中の二時を指している。

 ようやく一曲、納得がいったのであろう。

 リョウは血走った目で、「七万人。」と、もう既に何度目かわからない言葉を吐く。「七万人の耳が俺らの音を聴く。右左合わせて十四万の耳っつうことだ。」

 シュンとアキはもう聞き飽きたとばかりに、疲弊し切った体をぐたりと休ませ、ペットボトルを開けて水を飲んだ。

 「じゅうよんまん。」その中でミリアだけは素直に謹聴し、復唱する。。

 「しかもだ。ドイツだのヨーロッパだの、その辺からだけ集まってくるわけじゃねえ。全、世界からだ。」

 「精鋭たちも来てくれるって言ったもんね。お仕事大丈夫かな……。」

 「日本からも、その他アジアからも、アメリカからも、ロシアからも、……世の中のメタラーっつうメタラーが、集結するんだ。ごまかしは、利かねえ。」

 ミリアは神妙に肯いてみせた。

 「だからだ、お前二曲目の頭遅れただろ。」

 意想外の追及にミリアは怯んだ。

 「十四万の耳がだまくらかせると思うな。もう一回頭からやる。」アキを睨み、「カウント入れろ。」と命じた。アキはぎくりとして、慌ててペットボトルを足元に置くと、怒涛の如きドラミングをほとんどやけっぱちのように叩き放った。

 今夜は何時までこれが続くのだろうか。否、夜の内に終わればまだ、いい。

 社長がLast Rebellionのために押さえた最新機器を揃えたこのスタジオは、もうほとんど自分たち専用となっていて時間を気にせずに使えるのであるが、それをこれ程疎ましく思ったことはなかった。

 一時間幾ら、と金を払わされ、しかも完全予約制で延長厳禁の昔使っていたスタジオが恋しい。シュンはうねるベースラインを弾きながらそんなことを思った。そしてそれが伝播してしまったのか、時折リョウに睥睨される視線を感じ、そのたびにぎくりと肩を震わせるのだった。


 そんな日々を過ごしながら、リョウが懸念していたのはひとえにミリアの体調であった。

 病院に行って以来嘔吐することもなく、寝込むこともないのだし、顔色も悪そうだという訳では無いのだが、どうにも音に気迫が欠けているし、日毎ぼうっと何やら考え事をする時間が増えた。

 食事は摂れる時と摂れない時がはっきりしていて、本人は料理本の撮影後、皆で食べて来たからお腹が空いていないのだ、などと真偽の分からぬことを言い、帰って来るなりさっさと寝てしまったりもする。

 家に帰れば必ずギターを手にするという習慣はリョウ同様に保たれているが、やたら寒がって、初夏だというのに床暖房を入れていたのにはリョウは驚嘆した。やはりどこか悪いはずに相違ないから病院に連れて行こうと言うと、もう行ったのだから大丈夫、それよりリョウのバイクは揺れて敵わないから絶対に乗れないと我を張る。じゃあ、タクシーでもハイヤーでも伊佐木でも何でも呼べと言うと、風邪は治った、自分の体は自分が一番よくわかっている。自分は女で男のリョウとは体力が違うだけだ、と真っ当なことを言い出すので、リョウは病院に連れて行くことに毎度、失敗する。

 まさか、大病というのではなかろうが、とは思うものの、やはりヴァッケンを控えるこの時期だからこそ、とりわけ心配でならない。ヴァッケンは自分にとっての夢であると同時に、ミリアにとっても長らく抱いてきた夢であろうから。万全の体調で臨ませたいと、そう思うのは至極当然のことであった。それでリョウは再び病院へ行こうと提案し、ミリアになんやかんやと却下される。リョウとミリアはそんな無益で些細な諍いを毎日のように繰り返すのだった。

 ヴァッケンに出立する日は刻々と近づいて行った。

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