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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 朝食を食べ、ひと通りギターで基礎練習をこなしながら指を温めると、リョウは「必ず病院に行って来いよ。」と念押ししてレッスンへと出掛けて行った。

 ミリアは暫くリビングでぼんやりしていたものの、やがて意を決したようにジーンズとニットに着替え、ビニール袋とティッシュをバッグに忍ばせるとタクシーを呼んだ。

 「S総合病院にお願いします。」間もなく到着したタクシーに乗り込むと、ミリアは最も親しみのある病院の名を告げた。タクシーはゆっくりと走り出して行く。

 外は早い夏を思わせるような快晴であったが、ミリアの胸中には不安の暗雲が広がっていた。もし何か大きな病であったとしたら――、でも、リョウの夢を潰すことだけは絶対に、したくない。そんなこと、どうしたって、何があったって、絶対にできやしない。どうか無事にヴァッケンのステージにだけは上がらせて下さい、とミリアは目を閉じて切に祈った。


 「どうだった。」ただいま、も何もなく、リョウは慌てて灯りの点いていたリビングに駆け込んできた。レッスンを終え、リハまでの短い間にわざわざ帰って来たのである。ミリアはマスクをして夕飯で使うブロッコリーの下茹でをしていた。

 「寝てろって言ったじゃねえか。」

 「だって、大丈夫だもの。」

 「……で、医者、何つった。」リョウは鬼気迫る眼差しで問いかけた。

 「……うん。ただの風邪だって。」ミリアは視線を向けずに答えた。

 「マジか……。」リョウは安堵の笑みを溢した。「なあんだ、ただの風邪かよ。こんなあったかくなってから風邪引くなんて、お前、よっぽど疲れてたんじゃねえのか。まあ、でも風邪でも大事にしろよ。こじらせるとろくなことになんねえからな。で、薬は貰ってきたんか。」

 「ううん。大丈夫。」

 リョウはぎょっとして身を起こし、「大丈夫なことあるか。なんで薬貰ってこねえんだよ。病院の薬は効くんだから、ちゃんとくれっつわねえとダメじゃねえか、ったく、何やってんだよ、お前は。」

 「だから、そのぐらい大丈夫なの。もう、……治ったし。」

 リョウは訝し気にマスク姿のミリアを睨むと、「……じゃあ、何でマスクなんかしてんだよ。」と当然の質問を投げかける。

 ミリアは微笑みながら、「……治ってからも風邪のウイルスはそこいらに潜伏してるのよう。それがリョウに移って風邪引かしちゃあ、ダメでしょう? だから予防のために、付けてんの。」と答えた。

 「そんなもんか……。」病気に関しては無縁であったこともあり徹底して、無知なのである。そう言われればそうなのかと納得する他にない。

 しかしミリアの完治宣言は強ち嘘とも思われなかった。しっかりとグラタンに、白身魚のフライとサラダ、キャベツのコンソメスープまで作り終え、たしかにリョウのそれと比べれば少量ではあったが、すっかり一人分に足るだけの量は腹に納めたのである。

 「もう、……いいんだな?」リョウは神妙そうに問いかけた。

 「うん。」ミリアは、たしかに朝よりは幾分血色のよくなった頬を綻ばせて肯いた。

 「とにかくよお、体調には十分気を付けてくれよ。否、……ヴァッケンなんてどうでもいいんだよ。ただな、体が頑丈なことだけが取り柄の俺だって、ガンなんつう酷ぇ病気にかかっちまっただろ? ああいう目にお前を合わせるのは、厭なんだよ。お前が苦しんでんのを見るなんて、お前も辛ぇのかもしんねえけど、俺が、耐えらんねえ。」

 「ありがと。」

 リョウは頭を掻き毟った。「たしかにな、……お前は女の子だし、体はほっせえし、無理させたらいけねえんだよな。頭ではわかってんだけど、ダメなんだよなあ……。一旦リハが始まると、もう一つも妥協が出来なくなって。……だから、無理だって思ったら、お前は勝手に休んで構わねえから。っていうか、そうやってくれねえと、俺止まんねえし。悪いがリハ入っちまうと、お前のこと気遣ってやれる余裕はねえんだ。音楽のことだけで頭がいっぱいになっちまう。悪い癖だ。病気なのかもしれん。……だから、無理だと思ったら、否、そうじゃあねえな、無理かもしんねえなって兆しがあったら、スタジオ出ていってくれ。自分を、守ってくれ。」

 「でもミリアだって中途半端は厭だもの。せっかくドイツの晴れ舞台まで行くんだもの、日本のデスメタルバンドはものすんごいって思って貰いたいし、リョウの曲を聴いた人がみんなみんな力強く生きていけるようになるように、していきたいもの。そのためには、妥協なんて、しちゃダメなんだもの。」

 リョウは困惑したような瞳でミリアを見下ろした。それは確かに自分の平生の主張であったので、真向切っては否定が出来ないのである。でも今のミリアにはそれよりも己の身体を大切に考えて欲しかった。ミリアがいなくなってしまうことと、ヴァッケンに出られないのとでは、無論前者の方が自分にとって耐えられないということに、リョウは今更ながらはっきりと痛感したのである。

 「まあ、……しばらくは、ゆっくりしとけ。これからモデルの仕事は、入ってんのか?」

 「雑誌のが来週一日入ってるけど、後はお料理の写真集だから、ミリアがメインに撮影されるわけじゃないから、のんびりやれんの。」

 「それじゃあ、良かった。」

 「……うん。」ミリアは我知らず涙ぐんだ。

 「な、何、今度はどうした?」

 「だって、……リョウが優しいから。」

 「……お前、んなことで泣くんじゃねえよ。何だよ、風邪とかいって、実は精神的に不安定なんじゃねえの。」それとも生理か、と言おうとして慌てて口を閉ざす。

 「大丈夫。」

 しかしそれからは特にミリアはいつもと変わった様子はなく、リョウはヴァッケンの話をしながら夕飯を平らげ、「何かあったらすぐに電話をしろよ。」と言い残して、リハへと出立していった。

 ミリアは大人しく風呂に入るとそのままベッドに潜った。しかし目を閉じてもなかなか寝付くことはできなかった。胸の奥がいつまでも高鳴っていて、おさまりがつかなかった。わあ、と突如叫び出してしまいそうな、そんな不安と落ち着かなさがあった。

 ミリアはやむを得ず、ベッドから出るとリビングに行き、父親の仏壇をそっと覗き込んだ。そこには柔らかな笑みを讃えたジュンヤの写真が飾られている。

 「パパ……。」

 ミリアはそっとその額縁を手に取った。

 「大丈夫だよって、言って。……ミリアなら、大丈夫だって。」

 ジュンヤはいつだってミリアには特別優しかった。ミリアの全てを肯定し、大きく包み込んでくれた。その温かさが今、ミリアは他の何よりも欲しかった。

 「パパ。……近くにいてくれてるんでしょう? ミリアのこと、全部、わかってくれてるでしょう?」

 ミリアはそう言って泣き出しそうな顔を歪め、そのまま目を閉じた。「パパ。ミリアに力を下さい。お願い。」その時、体がすっと持ち上げられるような妙な感覚がした。それは暖かく、心地の良いものであった。ミリアはそれがジュンヤからの回答であるとしか思えなかった。そっと目を開けると、あたかも「大丈夫だよ。」と自分を勇気付けているようなジュンヤの写真が目の前にある。ミリアはにっこりと微笑んで、写真を仏壇の奥にそっと立てかけ、随分足取りも軽く部屋に戻って行った。


 その夜、リョウは帰宅をすると、ベッドの中で静かな寝息を立てているミリアを確認し、ほっと溜息を吐いた。

 その後シャワーを浴び、さっさとベッドに入ったが、その晩、リョウは妙な夢を見た。

 ミリアがリビングのソファに腰かけながら、白ではない猫を胸に抱いて、愛おしそうに撫でているのである。

 「何だそいつぁ。」リョウが驚いて訊くと、ミリアは「新しい猫ちゃん。大事にしてちょうだいね。」と微笑んで答える。

 「な、何で、俺に相談もなしにんなことすんだよ!」

 ミリアは不思議そうに首を傾げる。「リョウが連れて来てくれたんだよ。」

 リョウはえっと驚いて、果たしてそうだったかと考え始める。

 「リョウが連れて来てくれたんじゃん。忘れないでよ、もう。ミリア、この子がとっても可愛くて可愛くて。ありがとうね、リョウ。」ミリアは一層にこにこしながら、その新しい猫を抱き上げ、愛おしそうに接吻をした。しかしリョウはわからない。果たして本当に自分がその猫を連れて来たのか……。たしかに白は自分が連れてきたが、ミリアはその件と間違えているんじゃあないだろうか。でもとにかくミリアが幸せそうにしているので、猫を奪って摘まみ出すことなどできやしない。

 「おい、間違えてねえか? 本当に俺が連れて来たんか?」恐る恐る確認をしてみる。

 しかしミリアはくすくすと笑うばかり。

 「覚えてねえなあ。わかんねえなあ。」リョウは頻りに呟いた。

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