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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 リョウは暫く茫然と天井を仰いだ。

 自分は母親から生まれ、母親は自分を愛していた。その事実がただただ己を震撼させる。信じられない、というのも違う。今までの一人で生きてきたと思っていた自分に、実は深淵に繋がる人がいて、その人が自分にひたすらかけがえのない思いを向けてくれたということが、リョウにとってどこか遠い夢物語のような感覚を覚えさせた。

 自分とは無関係と思われていた母という存在が、まざまざと目の前に昇り立ち、くるしいぐらいであった。もっと早く知りたかったというのも、違う。今、バンドで取り返しのつかない失態を犯し、ただ自分を責めるしかない事態においてであるからこそ、母はここにやってきてくれたのだとリョウは思った。リョウは俯いて、泣きながら笑った。自分の内なる力が忽然と再び姿を顕わそうとするのが分かった。

 リョウは瞼を拭い、手元に残ったもう二通の手紙を再び凝視した。上には「就職のお祝い」と書かれていた。

 これはバンドマンとして生きる自分にとって、一体どのタイミングになるのか。リョウは苦笑する。答を出すのは至難であるような気がした。初めて人前で演奏したあの時であろうか、それとも初めてCDを出したあの時であろうか、はたまた自分のギターの腕が認められ専門学校講師として初めて招聘されたあの時であろうか、それとも事務所に入った時であろうか―-

 しかしそのいずれも自分が心底冀ったものではないことにリョウはふと気づいた。自分が何よりも冀った仕事上の成功というのは、――ヴァッケンである。七万人が集うメタルのフェスに出ること。思えば上京してメタルバンドを始め、その中でそんな大規模なメタルフェスがあることを知ったその瞬間から、リョウはまだ見ぬそのステージに立つことを、自分の目指すべきものとして常に理想としてきたのである。金や名声よりも、否、そんなものは自らかなぐり捨てても何とも思わない。ただその世界的ステージに一度、立ちたかった。自分の曲を奏で、観客に勇気を与え、そしてそこから見える風景を自分の目に焼き付けたかった。それだけだった。

 自分の「就職」はそれなのだと、悪戯めいた思いがふと沸き起こり、リョウは三通の手紙を丁寧に送られてきた封筒に仕舞い込むと、そのまま部屋に戻ってメタルTシャツばかりが詰められたタンスの奥にそっと仕舞い込んだ。

 その時振り返って視界に入ったのは、ベッド脇に立てかけた、自分の分身ともいえるJacksonのKingVであった。リョウはいよう、とでも言うように微笑みかけると、ネックを握り締めステージ上のように高々と掲げた。一週間ぶりの邂逅となるそれは、いつになく美しく見えた。リョウはギターを握りしめたまま階下に降り、何やら騒々し気な音が漏れ出しているスタジオに入った。


 「キャー!」感極まった悲鳴を上げ、拍手をしながら飛び上がってリョウを迎えのたは当然ミリアである。

 「お前ら何やってんだよ。」リョウはわざと詰まら無さそうに言った。

 「とりあえずメタラーたるもの、やんのはMetallicaだろ? なのにこいつがたかがレギュラーチューニングすんのにやたら時間かけやがってよお。」シュンが堪え切れない歓喜を咳払いに滲ませる。

 「だって、だって、リョウの曲は二音半下げだから、弦が違うのよう! いつものでいきなしレギュラーチューニングなんてしたら、ネック反れちゃう! だから他の、弦が細いギター選んでチューニングするしかなくって、でも、ほら、もう、できた!」

 そう言ってミリアが得意気に『One』のリフを刻む。リョウも面倒臭そうにそれに合わせ、すぐにシュン、アキがそこに重なった。リョウはしかし、その瞬間やはりこれが自分の生だと確信する。これがなくて、自分は八十年にも及ぶとされる人生をどう消化するのかとさえ思う。想像がつかない。

 イントロが終わるとリョウの歌が入った。いつものグロウルではなく、穏やかな、低い呟きのようなクリアボイスである。ミリアはうっとりと目を閉じてそれに耳を澄ませた。リョウのクリアボイスは普段は絶対にステージ上では聴けないが、独特で、荒々しさの中にも一種の甘さと、どこか寂しげな孤高とでもいうべき感情が混じっていた。一度、それを聴いた他のバンドマンが、是非とも自分たちのCDで一曲歌って貰えないかと懇願してきたものを、リョウはそれは自分の本業ではないなどと言って頑なに拒絶したのであった。もったいないことをした、とミリアは今更ながら悔しく思う。

 やがてギターソロ前に、全ての音が同じリズムを刻むフレーズがやってくる。ミリアは笑いながら前に進み出、大仰なぐらいのヘッドバンキングをしてみせた。シュンがそれを見て一緒に頭を振る。その様があまりに楽しそうでリョウも、アキも、後に続いた。

 まるで、週末にスタジオで合わせるだけを楽しみにしているアマチュアバンドのようだった。メタルのキラーチューンを、これいいよななどと言いながらコピーして合わせるのが楽しくてならないアマチュアバンド。たしかに、リョウにもそういう時期があった。元々、自分はこういうことをしたかったんだ、と、不意にリョウは思い成した。自分は有名になりたかった訳でも、大きなホールで演奏をしたかった訳でもない。ましてやちやほやされたかった訳でも、大勢の前で演奏したかった訳でも。ただ、楽しいことをしたかった。その、楽しいことをできるだけ長く、続けていたかった。なのに、いつしかそれの持つ影響力に自分は押し潰され、そして取り返しのつかない不運に、自らが築き上げてきたものを放擲したいとさえ思ってしまったのだ。リョウはそれを今、過ちだと確信した。

 ミリアが何がそんなに楽しいのだか、大口開けながらギターソロを奏で始めた。リョウも、釣られるように笑ってリフを刻んだ。楽しかった。この上なく、楽しかった。

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