63
小さな文字でびっしりと書かれた手紙であった。一番上には「亮司君へ」と記されていた。リョウは妙な胸の鼓動を覚えつつも、極力平静を装ってそれを読み始めた。
亮司君へ
成人おめでとう。
私がこんなことを言えた義理ではないのはわかっています。亮司君は私を恨み、大人を恨み、生きてきたことと思います。そんな寂しく、辛く、苦しい人生を送らせてしまったことを、私は母としてこの上なく恥じ、また、申し訳なく思っています。
一緒に暮らせず、成長を見守ることができず、本当にごめんなさい。毎日毎日、病室から見える空に向かって、届かないとはわかりつつも、あなたにお詫びの言葉を繰り返しています。けれど、それもあと三ヶ月であると今日、お医者様から言われてしまいました。
死ぬのは不思議なくらい怖くはありません。ただ、亮司君を置いてこの世からいなくなるということが、ただただ、くるしく、恐ろしく、耐え難いのです。亮司君の大きくなるところを見たい。毎日質素でもご飯を作って一緒に食べ、団欒をしながら暮らしていけたら……。そして亮司君が幼稚園に入り、小学校に入り、中学校に入り、そして高校に入って、お仕事をするようになって、それからいつかかわいいお嫁さんを連れて来る、その様を見ることができたら……。けれど、それは到底叶わないのだと知らされ、せめてあなたにその人生の節目で伝えたく、手紙を書くことにしました。
亮司君、改めて成人おめでとう。亮司君は今、どんな大人になっているのでしょう。
今日、施設の先生にあなたを連れて来て貰い、抱き締めながらずっとそんなことを考えていました。優しい人になってくれているでしょうか。そして強い人になってくれているでしょうか。私はその二つさえあれば、人として充分だと思っています。
人生は避けたく思っても、辛いことがたくさんあります。私もそうでした。でもあなたを得られたことという一点において、私はやはり自分の人生は間違いではなかった、幸福だったのだと確信しています。絶望のあまり、全てから逃げてしまいたいと思うこともあるかもしれませんが、あなたには使命があるからこそこの世に誕生し、そして今生きているのだということを忘れないでください。
私の使命は、あなたを世に誕生させることにありました。あなたを世界に必要とする人が大勢いるからです。私にはわかっています。
亮司君が産まれた時、私は世界で一番幸福でした。お父さんは私があなたを宿してすぐに別の女性の所へ行ってしまい、また、親からは結婚を反対され、そのことで絶縁されてもいましたが、それでも私はあなたがいてくれて、幸せでした。あなたが私を選んでくれたことは、人生最大の喜びです。あなたを宿し、そして産んだ時、私は人生で一番、希望と幸せに満ち溢れていました。この子だけは貧しくとも、自分の力でちゃんと立派に育てていくのだと私は決心していました。その矢先のことでした。突然のガンの宣告を受けたのは。
真っ先に思ったのは亮司君のことでした。お金もない。助けてくれる人もいない。みじめで苦しい日々、明日の生活さえどうなるかわからないという状況で、いっそ一緒に死んでしまおうかとも考えました。しかしそんな中でも、あなたはいつも私に無垢な笑みを向けてくれ、私はそれで命を長らえる決心をすることができました。その時でした。役所の人が児童養護施設を紹介してくれたのは。生きるための筋道がその時初めて立ったのです。しかし、同時にそれはとても辛いことでした。親がいないからといって、大人達から辛い目に遭わされてしまうのではないだろうか、ちゃんとご飯を食べさせてくれるのだろうか、愛情はかけてもらえるのだろうか、不安は尽きませんでした。でも他に選択肢はありませんでした。
亮司君と離れるその日、私はあなたを抱き締めて一晩を過ごしました。夜が明けなければいいとそればかりを考えていました。これも病気になんかならなければ、離れ離れになることはなかったのだ、がんの宣告を受けて初めて、この病気を憎らしく、憎らしく、思いました。
その最後の夜、あなたは夜泣きもせずに、赤ちゃんにしてはとても逞しい腕と足をしきりにばたつかせ、まるで私を頑張れと勇気付けてくれているようでした。私はあなたに励まされ、朝を迎えました。いつか病気を治して必ず迎えに行く、そう決意した朝は、とてもとても美しいものでした。朝日が病室中を見たし、窓から見える樹々も、空も、何もかもが輝いて見えました。その中であなたは笑っていました。これから訪れる不幸なぞ不幸では無いと、笑い飛ばしているようでした。その時私は確信したのです。この子は大物になる。いつか世界中の人々を勇気付け、笑顔にする、そんな子になると。夫にも親にも去られ、お金もなくたった一人になってしまった私をでさえ、こんな幸せな気持ちにさせてくれるのですから。
亮司君、周りの人々の苦悩を追い払い、笑顔にさせていってください。その中心にいるあなたが今、はっきりと目に浮かんでいます。あなたが大人になる今日を、遠くから、けれども心から祝福をしています。
あなたの母より
リョウは目を閉じて、大きく深呼吸をした。リョウは何も言わなかった。ミリアはただその隣に身を寄せた。
「……リョウ?」
話しかけようとしたミリアを慌ててシュンが引き離した。
「おお、ミリア、お前ギター弾け。ほら、俺らはジャムりに来たんだからよお。」そのままひょいと肩の上に抱き上げ、リビングを去る。アキもその後ろに付いた。
「ちょっと、ちょっと、やめてよう! ミリアはリョウの所に付いているんだから! ジャムりたければ、勝手にジャムってよう!」ミリアは必死に足をばたつかせた。
「ダメだ、ダメダメ。ギターがいねえとダメなんだ。いいから弾けって。」
「後でいいじゃないのよう! んもう、何なのよう! ……あっ! 今、お尻触った!」
「ふざけんな! てめえの尻なんか、どんだけ頼まれたって触ってたまるか!」
「何よ! だって、だって、触ったもの! 絶対触った! 痴漢! 離して! もう! もう! リョウ! リョウん所にいんだから、降ろしてよう!」拳でシュンの背中を滅多打ちにする。しかしシュンは歩みを僅かにも止めることなく、淡々とリビングを出るとそのままスタジオへと向かった。
ミリアの喧騒が小さくなり、やがてスタジオに籠ったのか、それも聞こえなくなった。リョウは再び大きな溜息を吐くと、もう一度母からの手紙に視線を落とした。
――今まで、一人で生きてきたと思っていた。自分の味方でいてくれる者など、メンバーと、精鋭たちと、ミリアと出会うまで誰もいないと思っていた。少しでも油断をすれば、努力を怠れば、世界に居場所がなくなると思っていた。そんな崖っぷちの上に自分は存在しているのだと、そう思い込んでいた。無償の愛など、そんなものがこの世に存在するなどと信じたことさえなかった。なのに、こんな人がいたなんて。己の命を引き換えに、自分をこの世に誕生させた人。それだけの使命があると、赤子に過ぎない自分を、信じた人。――愛だった。これが無償の愛、であった。
リョウは否応なしに身の震え出すのを覚えた。




