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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 ペットホテルに寄り、愛猫を連れて帰宅をすると、既に自宅周辺に屯していたマスコミの姿はなかった。社長の反論が効いたのだか、別の面白い事件が勃発したのだかはわからないが、ともかく自宅は静まり返っていた。伊佐木は白を抱いているミリアの荷物運びを手伝いながら、二人と共に家の中へと入った。

 「お前、自分で自分の荷物ぐれえ運べよな。」そうリョウに睨まれるが、ミリアは白の入った籠を愛おしそうに抱き締めながら「だって、だって、白ちゃん運ばないとなんないんだもの。」と言い訳をする。

 「大丈夫ですよ、ミリアさんの荷物なんて、これっぽちですから軽いモンです。」伊佐木はミリアの猫柄ボストンバッグを肩まで軽々と持ち上げた。

 「本当、何から何まで申し訳ねえな。……良かったらさ、コーヒーでも淹れっから飲んでってくれよ。」リョウは哀願とも言うべき口調で言った。

 「そうなの。最近リョウ、コーヒーに凝ってるんだから。苦いけど、飲んでって。だって、伊佐木さんが一番お疲れ様なんだから。あんなにいっぱい運転して。」

 「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて。」

 リョウは荷物をリビングにさっさと放り出し、台所に立つと、最近買ったミルでコーヒー豆を挽き始めた。

 「ねえ、お手紙明日着くね。」ミリアは一番気になっていたことを、こっそりと伊佐木に問いかけた。

 リョウは台所でコーヒー豆をゴリゴリと音を立てて挽いている。

 「リョウ、お手紙気になんないのかな。ママからの、お手紙。」

 「あんまり周りから突っついては気の毒ですよ。……リョウさんは、今までお母さんのことを、よくご存じなかったのでしょう?」

 ミリアは大きく肯いた。「ちっとも何にも知んないから、樹の股から生まれたかもしんないって、言ってたわよう。」

 伊佐木は噴き出しそうになる口を、慌てて腕で塞いだ。

 「でも、人が樹の股から生まれるはずがないから、ちょっとはママがどういう人か、考えてたのかもしんない……。」

 「そりゃあそうでしょう。もし親の顔を知らず、自分がどうやってこの世に誕生したのかがわからなかったら、それを気にしないでいられる人なんていないですよ。……ミリアさんも、だから、明日、その手紙が来るまではリョウさんにいたずらに聞いたりしないで、そっとしておいてあげてくださいね。」伊佐木はそう耳打ちをした。

 ミリアは再び大きく肯く。「うん、……わかった。」そして心配そうに、台所で安堵の笑みを浮かべながらコーヒーを淹れているリョウを眺めた。「……リョウが嬉しがれるようなことが、書いてあるといいんだけど……。大丈夫よね、だって、リョウのママだもんね。」

 「病気で、自分が子供の成長を見られずに死んでしまうなんてことになったら……、」伊佐木は愕然と肩を落とした。「私だったら耐えきれないですよ。……手紙を書くでも何でもして、子供を勇気づけて、全力で愛していたと、そう言ってあげるしかないでしょう。それだって、ちょっと想像さえできない程辛いことだ……。男親だってそうなんだから、自分でお腹を痛めて産んだリョウさんのお母さんはどれほど辛く、苦しく、切なかったでしょうよ。」

 ミリアも眉根を寄せて小さく肯いた。

 「もしね、ミリアさん、あなたは病気で死んじゃうから、もう、リョウと生活できるのはあと三か月だけです、なんて言われたら、頭がおかしくなっちゃうかもしんない。」ミリアの双眸がじんわりと濡れだした。

 伊佐木は大きく肯く。「そうです。だから、そういう思いで、おそらくは必死になって遺言として書いた手紙なんだと思います。リョウさんだってそれは十分にわかっています。だから、それ以外の人間がああだこうだ言うのは、あまりに無責任ですしナンセンスです。」


 暫くするとリョウは「できたぞ。」と言って三人分のコーヒーカップをトレイに置いて持ってきた。「本当はよお、もちっといいカップが欲しいんだよな。このコーヒー豆買った所じゃあ、何だか洒落た器で出してくれてよお、それでまあ、旨く感じる訳だよ。何でだろうな。」

 伊佐木はリョウの淹れたコーヒーを飲み、ひと通り絶賛しリョウを図に乗らせると、「さて、じゃあ、そろそろお暇します。」と立ち上がった。

 「ええ、もう帰っちゃうの?」ミリアが不満の声を漏らす。

 白ももう帰るのか、とばかりに伊佐木の足首に体を擦りつけ始めた。

 「出前取るから、一緒に食べてけばいいのに。」

 「まあ、そうしたのはやまやまなんですけれど。」伊佐木は申し訳なさそうに言った。

 「まあ、あんまコーヒーだの店屋物如きで引き留めんのもな。伊佐木さんには家族が待ってる訳だし。」

 ミリアは寂し気に俯くと、「そっか。伊佐木さんはパパだもんね。パパは世界に一人しかいないから、おうちにいないと寂しいわよう。……じゃ、本当に、ありがとうね。ツアーからずっとお世話になってるからお別れは寂しいけれど。」と呟いた。

 「何言ってるんです。これからミリアさん、写真集出すでしょう。あのロケ、僕が担当しますからね。バンドのツアーはとりあえずなくても、モデルの仕事ではまたご一緒しますよ。」

 「あら、そうなの。」ミリアはぱちんと両手を叩いた。

 「何お前、写真集なんてモン出すのか。聞いてねえぞ! まさか男と絡んだり裸になるんじゃあねえだろうな!」リョウは頓狂な声を上げた。

 「裸じゃあないわよう。」ミリアはリョウの、あまりに古臭い固定観念に呆れ果てる。「写真集って、ミリアのお料理本のことだわよう。」

 リョウは「なあんだ。」と溜め息交じりに脱力した。「料理じゃあ、いいや。」

 「うわあ、伊佐木さんと一緒だなんて、楽しみ! あの連載はメニュー考えるの、とっても楽しくって、読者さんからの評判も良かったから、ご本にしてもらえるのすっごい嬉しいのよう! だから、連載そのまんまにするんじゃあなくって、新作お料理も考えて載っけてもらうことにしてあんの!」

 「そうか。」リョウはもうどうでもいいとばかりに言い放った。

 「じゃあ、それでは、ミリアさんまたその節はよろしくお願いしますね。では、リョウさんもゆっくり休んで下さい。白ちゃん、またね。」

 「にゃーう。」白が再び伊佐木のくるぶしに背中を擦り付けた。


 「さて、飯でも取るか。」伊佐木を送り出すと、リョウはスマホ片手に、「いつもの千龍でいいよな。……俺は五目飯にすっかな。お前は?」と言った。

 ミリアは白を抱き上げ、そっと頬擦りし、「天津飯。」と答えた。

 リョウはその場で電話を入れ、注文を終わらせた。

 「奴ら、夜だから帰ったんかなあ。明日また来やがったら、スーパーに買い出しはいけねえなあ。だからといって、伊佐木さんを私物化して食材買ってこいっつうのも、なんだしなあ。……そしたらまた、千龍にでも頼むか。」リョウはソファにどっかと座り込んだ。そうして無意識にギターに手を伸ばしかけ、そして、止めた。

 「……どしたの?」

 リョウはそれには答えず、ソファから立ち上がるとパソコンの前に座り、メールをチェックし始めた。

 「……うわ。」

 「どしたの?」

 「メールの量。……見たことねえ数になってやがる。……んな見れるか。」リョウはそう言い捨てるとさっさとパソコンの前から離れ、ソファに再び座り込んだ。

 「リョウ、ギター弾かないの?」

 リョウは不機嫌そうに鼻息を漏らす。

 「ミリア、耳塞いでようか?」

 「別にお前に聴かせたくねえから、弾かねえんじゃねえよ。」

 「リョウ、ギター辞めないでしょ?」

 リョウは再び黙りこくる。

 「ミリアは、リョウのギターが世界一好き。」ミリアはそっぽを向いて独り言のように言った。「リョウの作る曲がさ、ミリアに生きる道を教えてくれたの。どうすれば幸せになれるのか、リョウが教えてくれた。だからリョウの音楽はミリアにとって神様みたいなもので……」

 言い終わらぬ内に、「……俺にはこれしか、ねえんだよ。」リョウはそう絞り出した。その顔は苦渋に満ちていた。「ギターで初めて世界と繋がれたんだ。これがなけりゃあ、ただの不貞腐れた親無し子だ。だから、これしか、ねえんだよ。」

 しかしリョウはいつまでもギターに手を触れようとはしなかった。

 仕方なしにミリアは代わりにギターを爪弾き始める。リョウが練習曲として弾くことの多い、古いジャズの曲である。

 リョウは目を閉じてそれを聴いていた。ミリアはリョウにもう一度音楽の楽しさを、ギターの奥深さを感じさせたいとそればかりを願いながら弾き続けた。


 その時インターフォンが鳴った。

 「千龍さんだ。」ミリアは玄関に駆け出し、扉を開けると、案の定、いつも世話になっている近所の中華料理屋の跡継ぎ息子が銀色の岡持ちを手に立っていた。

 「ご注文ありがとうございます。お待たせしました。」

 「どうもありがと。」ミリアは財布から一万円札を取って差し出す。

 「……あの、色々、大変でしたね。」千龍の息子は、どもりつつ言った。

 「色々? ……あ、ねえ、もしかして千龍さん所にも、迷惑かけた?」ミリアは身を乗り出す。

 「い、いえ、とんでもないです。」男は釣銭を数えながら、「ただ、……親父がもし困ってるようだったら、用聞きしてこいと。……うちで出来るのは、飯運ぶぐらいですけれど、あの赤髪の兄さんが悪いことする訳ねえからって、そう、言ってて……。そんで、これ、兄さんに頑張ってくれって、男は辛抱が大事だって言伝してくれって、……」そう言って跡継ぎ息子は岡持ちの中から、五目飯と天津飯の丼二つに加え、餃子の皿を二皿ミリアに手渡した。

 「餃子は頼んでないわよう。」

 「ですから、これ食って、兄さんに頑張ってくれってことです。」

 「……リョウのこと、おじさん知ってんの?」

 「い、いえいえ、よくうちのラーメン好きで食いに来て下さってて、そんでうちの親父も昔っからバイク好きなモンですから、それ関係でちょくちょく話してたみたいなんです。ほら、兄さん最近ハーレーにしたでしょ。うちの親父もハーレー狂で。……で、この間も、その、……兄さんのこと報道してた朝のワイドショー見ながら、怒っちゃって。あの兄さんが、そんなことする訳ねえだろって。ちょうどこれとおんなじ餃子の皿投げつけちまって皿は粉々……。んで、今度見に来て下さい。テレビの端っこ、割れてますから……。」

 ミリアは目を丸くする。

 「なので、もし、何かありましたら何でも言って下さい。別に、中華飽きたら、メニューにない、和食でも何でも作って持ってくるって、親父言ってますから……。」

 「どうもありがとう。」ミリアは俯いて言った。「……実はね、ああいう大変なことが起きちゃって、リョウ責任感じて、ギター辞めるとかバンド辞めるとか、言い出しちゃってんの。でも、そうやって応援してくれてる人がいるって、わかれば、また頑張れるかもしんない。」

 「ええ、そうなんですか。」跡継ぎ息子は困惑しながらも、ミリアに向かい力強く言った。「……あの、本当に何でも言い付けて下さいね。親父も今度一緒に、兄さんとツーリング行く約束してんだなんて言って楽しみにしてるんで、本当に。」

 ミリアは釣銭を貰い、丼に餃子を手にすると「ありがとう、おじちゃんに、そう言って下さい。」そう言って小さく頭を下げた。


 リビングに戻ると、リョウは箸と緑茶とを二人分用意してテーブルについていた。ミリアがそこに皿を並べていく。

 「おい、餃子は頼んでねえぞ。」

 「おじちゃんがリョウに頑張れ、ですって。」

 リョウは目を丸くした。

 ミリアは自分の席に天津飯を置き、ラップを外す。一気に湯気が昇り立った。

 「リョウ、ここのおじちゃんと仲良しなの?」

 「ああ。」リョウの顔から緊張と不穏さが霧消する。「あそこの親父さん、バイク詳しいんだよな。んで、カスタムのこととか色々教わってたんだ。……何、配達に来た人、息子さんだろ? んなこと言ってたんか?」

 「おじちゃん、テレビぶっ壊しちゃったんだって。」

 「何でだよ。」リョウは思わず身を乗り出す。

 「リョウの、この間の……、悪いニュース朝やってて、怒っちゃったって。おじちゃん、リョウは悪くないって、餃子のこのお皿、テレビに向かってぶん投げたんだって。」

 リョウは唖然としたように目を見開いた。

 「リョウのこと、応援してくれてんだよ。そんで、つ、ツーリング? 行く約束あるから、それおじちゃん行くのとっても楽しみにしてるんだって。」

 「……そうだ。」リョウは俯きながら呟いた。

 「ね、リョウ、頑張れるでしょう? だってだって、リョウのこと応援してくれてる人たっくさん、いるんだから。」

 「……だな。」リョウは柔らかな笑みを浮かべると、箸を手に、「じゃ、食うか。いただきます。」と低く呟くように言った。

 「いただきます。」ミリアも不安げに繰り返した。


 おそらくはギターレッスンか何かで、帰宅が夜遅くになった時であった。ミリアは泊りがけの撮影だとかで、家にはいなかった。

 リョウは家で一人、今から晩飯を作るのが億劫だと思いなし、それで突然家のすぐ近所にある中華料理店の前にバイクを停めたのである。それが千龍だった。なんの変哲もないどこにでもありそうな小さな店であったが、リョウは有名店だの仰々しい店は苦手であり、そういう小ぢんまりとした店の方が肌に合っていた。

 暖簾をくぐると、真っ先にカウンターの中から親父が「今のバイクの音、お兄さん?」と顔を覗かせた。

 「え、ええ。……夜遅いのに、うるさくて済みません。」と頭を下げると「なあに! ありゃ、ハーレーの音だろう! さあさ、同志よ、ここに座って下さいや。なあに! 気兼ねすることはあないよ! 私もハーレーオーナーでね!」と目の前のカウンターに無理やりリョウを座らせると、そこで一通りのバイク談義が始まったのである。


 「さすが、おやっさん。……旨いな。」リョウは五目飯を頬張りながらぼそりと呟いた。

 「なんでも、大変だったら、手助けできることは言って下さいって。……中華が飽きたら、メニューにないものでも、なんでも、作って持ってきますって。」ミリアは恐る恐る話しかけた。

 リョウの空の一点を見詰めていた瞳から、一筋の涙が伝い落ちた。

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