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「これは、君のお母さんから、君に渡してほしいと託されていたものなんだ。」
リョウの目は僅かに見開かれた。
「済まない。君のお母さんは、君が二十歳になった時に渡してくれと言っていたんだ。そのつもりで大切に保管してはいたのだが、機を逃してしまって……。」
「済みません。俺が勝手に出て行ってしまったから。行き先も知らせずに。」
政木は苦笑を浮かべ、「……君は今幾つになる?」と訊ねた。
「四十です。」
政木はにっと笑い、「まあ、二十年遅れてしまったが、……君のお母さんはきっと笑って許してくれるだろう。何せ優しい人だったから。」と言った。
「優しい、人……?」リョウは驚いたように繰り返した。
「ああ。強くて優しい人だった。」
「政木さんは、……俺の母親を知っているんですか?」
「ああ。」
リョウは小箱を持ったまま体を硬直させた。母親について聞いてみたいような気もした。でもそれは特にミリアの前では非常に恥ずかしいことのように思われた。リョウは何と言い出すべきか考えていると、政木は楽し気に、「さあさ、中を開けてみてくれ。」とリョウの手の中に大切そうに包まれた小箱を指差した。
リョウは自然な動きに見えるよう極力配慮しながら、小箱を取り上げ蓋を開けた。
中には更に小さな白い箱と、小さな封筒が出て来た。白い箱には「A産婦人科医院」と、薄れた金文字で刻されていた。これは一体何であるのか、リョウの手は止まった。
「それは、君とお母さんを繋いでいた、へその緒だ。」
「へその緒?」
リョウは政木を見上げて、それから意を決して箱を開けた。そこには確かに黄土色した小さな肉の破片のようなものが、ガーゼの中心に収まっていた。グロテスク、には感じなかった。ただ、これが自分の体に付属していたという事実についてリョウは考えた。これは、自分がかつて誰かの胎内にいて、そこから生まれたということを意味していた。今まで考えようともしなかった自分の出生が、ここに、明白な形を取って現れ出たことにリョウは震撼した。
「俺は、これで、繋がれてたんですか? その、……母親、と?」
「そうだ。それを通じて、十か月の間お母さんから栄養を貰って、君はお母さんのお腹で大きくなった。この世に生まれ出る準備をした。」
リョウは暫くじっと見つめてからへその緒を仕舞うと、次いで一緒に入っていた封筒を開けた。そこには古びた一枚の写真が入っていた。
――簡素なベッドに一人の女性が座りながら、赤子を抱いている。言うべくもない。リョウと、その母親だった。長い髪を横に緩く結び、軽く微笑んでいる。その頬にはもう少し肉が付いていたら良かったのにという思いを抱かせたが、美しかった。化粧っ気のまるでない、そしておそらくは髪さえもろくに梳いていない状態であったが、大きな目は意志の強さを表していた。
リョウは撃たれたように、微動だにせず暫くその写真を見つめていた。疑うべくもなくその、母親という人はたしかに自分に似ていた。完璧に自分を父親似だと思っていたリョウは、その少しはにかんだようになってしまう笑い方、その肘から手にかけての骨張った形などが、母親そっくりであることに衝撃を受けた。
「……僕にも、見せて貰っていいかい。」政木が言い、リョウは写真を下げて、政木とミリアにも見られるようにした。
「……わあ、これ、……赤ちゃんのリョウ? かっわいい!」
「……これ。」政木が震える声で言った。「これ、僕……、僕が病院で撮ったやつだ。……君のお母さんに頼まれて。たしか、君を初めて施設に連れていく時に……。」
「病院……?」
「そうだよ。君のお母さんはね、闘病生活を送っていたんだ。だから、やむを得ず、君を施設に入れることになってしまった。」
「え?」リョウは目を見開いた。「どういうことです? 俺は父親の元から逃げてここに来たんですよ?」
「否、……違うんだ。君は二度ここの門を潜った。」政木は深刻そうに俯きながら呟いた。「君が最初にここにやって来たのは、君がまだ生まれて三か月の頃だったんだよ。」
ミリアも呆気に取られてリョウを見上げた。
「……どういうことです?」リョウは片目を瞑り静かに問うた。
政木は大きく肯くと次のような話をした。




