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BLOOD STAIN CHILD Ⅴ  作者: maria
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 夕飯に運ばれた料理は頗る豪勢であった。テーブルを埋め尽くすほどの和皿が並び、地元で採れた新鮮な刺身に鍋、意匠を凝らした吸い物やら茶碗蒸しやらに加え、約束のシラス丼も付いていたのである。

 「うわあ、シラス丼! リョウはインタビューしてたから、食べれなかったのよねえ。」

 「そうだな。」リョウは力なく微笑む。

 「ねえ、美味しそう。食べようよう。」

 「そうだな。」

 『頂きます。』二人の声が重なる。

 「美味っしい!」ミリアはお吸い物を一口飲んだだけで歓声を上げた。「どうしてこんな味になるの! まるで、まるで、美味っしいのよう!」ミリアは正座をしつつ飛び上がった。

 リョウはさすがに頬を綻ばせた。「……何か、こういうの、初めてだよな。」

 ミリアは満面の笑みで首を傾げる。

 「否、何か、……楽器も持たねえでどっかに行って、泊まるのってさ……。」

 「ツアーばっかしだもんねえ。台湾のライブが新婚旅行、だったしねえ。」ミリアは今度は大きなエビの塩焼きを丸ごと頬張りながら、しきりに肯いた。

 「何か、……本当に夫婦みてえだな。」

 リョウがあまりに予想外のことを言い出したので、ミリアは笑みを咥えたまま目を丸くした。

 「否、……何か、お前と改めて夫婦になったみてえな気がすんな……。何でだろう。」

 ミリアは慌てて咀嚼をすると、口許をごしごしと手元のおしぼりで拭い、「リョウ、今、始めてミリアのこと、自分のお嫁さんって思ったの?」と身を乗り出した。しかしその素振りと意気込みはリョウを非難するそれではないのである。「何でだろ? ギター持ってないから? ステージの話しないから? 何で? 何で?」と首を左右に傾げながら矢継ぎ早に問いかけた。

 「否、……よくわかんねえんだけど。俺はお前がギターが弾けるから、俺の曲を解釈できるから都合よくて側に置いてんじゃなくて、……こう、何つうか……、精神的に支えてくれてんだなって。そう、思ったから、かな。何か、それが俺の中で思った夫婦のイメージっつうか。まあ、そんなん元々俺ん中にあったんかっつう話だけど。否、……入院中も多分そんな感覚はあったと思うけど、何せあん時は色々てめえのことで手一杯だったから……。」リョウは訥々と呟くように言った。

 ミリアは涙ぐみながら頻りに肯いた。

 「そうなの。そうなの。おめでとう。」

 リョウは眉間に皴を寄せる。「おめでとう?」

 「リョウはね、たまには普通の人になってもいいと思うのよう。いっつも気張って、強そうにしてて、デスメタルのフロントマンはそうしなきゃなんないのかもしんないけど、ミリアはリョウが弱くなっても、ベソ掻いても誰にもチクらないし、優しくしたげるから、ミリアの前ではそういう風にしなくっても、別にしても、何でも構わないのよう。」

 リョウは不思議そうにミリアを見詰めた。

 「作曲だって、ギターだって、バンドのこと考えるのだって、お休みした時はすればいいし。ね。だってリョウがミリアのこと、一番弱ってた時に優しくしてくれたんだから。そういうことを、お互いにし合っていったら、いいと思うのよう。だって、夫婦だもの。」

 リョウは不意に微笑んだ。

 「……今リョウは、バンド辞めるって言っちゃうぐらい、哀しいの。苦しいの。傷だらけなの。だのに、……我慢してんの。」ミリアは宣告するように言った。「わかってる? リョウは今、もっとちゃんと哀しくなっていい。美味しいもの食べて、温泉にも入って、ベソかいて、少しゆっくりしておうち戻ったらいいわよう。せっかく社長がこんないいお宿取ってくれたんだから。今だけは。ね。」

 リョウは茫然としながらミリアの言葉を聞いて、なぜだかそれが胸中にどこまでも染み入っていくような感覚を覚えた。自分はこう、言って貰いたかったのではないか。無条件に受け入れられたかったのではないか。そんな感覚がリョウの身を震わせた。

「白ちゃんもスウィートルーム気に入ってるんだから。なんも心配すること、ないわよう。」

 リョウは噴き出した。「一泊8000円のな。」

 「それは白ちゃんにとっても嬉しいことだけど、リョウがゆっくりするためでもあるから、いいのよう。ね。」

 リョウは俯いて小さく微笑んだ。目の前の豪勢な食事にはまだ何も手に付けてはいなかったが、既に胸は至極満ち足りていた。


 夕飯を食べ終わると、リョウはミリアに促され庭に出、露天風呂に入った。遥か上空では朧月が雲中から出たり隠れたりしている。リョウは溜め息を吐きながらその空を見上げた。

 現実を離れて、随分遠くに来てしまったような気がする。東京の灰色の夜空を眺めながら、リハを繰り返していた日々が、とてつもなく遠い昔の出来事のように感じられる。それよりも、苛立ちだけを募らせていた施設での子供時代の方が、自分の近くにあるような気がする。ギターを出会う前、ここで自分は何を考え、何を見、何を聞いていたのだろう。負の感情だけに覆われていた。あたかも決して晴れることのない雨雲のように。だからそれ以外は、何も思い出せなかった。

 「お邪魔しまぁす。」そこに突然手ぬぐい一枚だけで体を隠したミリアが侵入して来た。

 「ああー?」リョウは仰天して風呂の中で身を仰け反らせた。

 「だって、一緒に入りたいんだもの。」

 「お前な! んな破廉恥なこと勝手にしてんじゃねえよ! 戻れよ、戻れ!」慌ててしっしと追い払おうとするものの、ミリアは問答無用にお湯に脚を入れ、あっという間に腰まで浸かってしまった。

 「ああ、あったかい。」

 そのまま肩まで一気に浸かる。

 「お前、何考えてんだよ! 俺が上がったら入りゃあいい話だろ! 馬鹿か!」

 「あんまし大きい声挙げたら、お隣の人に聴こえちまうわよう。」それはリョウを黙らせるのに十分であった。

 「だって、いいじゃない。さっき夫婦だって言ってくれたんだし。こんくらい。」

 「お前な……!」息を潜め、ミリアに顔を近づけてリョウは叱咤した。「んなことしに来た訳じゃねえんだぞ!」

 「そんなの、わかってるわよう。……でも、リョウが哀しがってるから、傍にいてあげるって決めたの。リョウは自分で自分の気持ちがわかってないから。」

 「別に側にいるっつったって、何もこのクソ狭ぇ風呂ん中で、んな至近距離でいることねえだろう!」

 「だって、裸だと素になれるもの。そういう、もんだもの。」ミリアはリョウの困惑も私憤も一向に介することなく、「ふう、気持ちがいいわねえ。あったかい。」などと言いながら、濡らした手拭いを頬に押し当ててうっとりと目を閉じている。

 リョウは最早諦めたとばかりに、極力身を遠ざけようと痛みさえ堪えて岩間に背を押し付け、極力ミリアとの距離を取った。

 「露天風呂ってだあいすき。」ミリアは無邪気に微笑んだ。「おうちにもあったらいいのに。」

 「そうかい。」リョウはそっぽを向いて答えた。

 「そしたら、しょっちゅうこうやってお空を見ながら一緒に入れるわねえ。」ミリアは白い喉を見せて空を見上げた。

 そんなことは絶対に日常化させてたまるか、とはしかし言い出せない。

 「リョウも露天風呂、好き?」

 「……まあ。」

 「なんか、こうやってお空見てると、お空って全然遠くじゃなくって、すぐ近くにあるみたいな気になるわよねえ。だから死んだ人がお空に行っても、それって実は近くな気がする。」

 リョウは遠い目をして押し黙った。

 「パパも園城さんも、……そしてアイミちゃんも、本当はすぐ近くにいるんじゃあないかな。だってこんなにお空、近くにあるんだもん。」ミリアはそう言って白い腕を夜空に伸ばした。「そんで新しく生まれて来る子も、お空からすぐひょいっとすぐ来るんだと思う。死んだ人も生まれる人もも、生きてる人も、ほんとはそんなに違う所にいるんじゃあなくって、すぐそこいらにいるんじゃないのかなあ。」

 「そうか。」リョウはそう言って吐息をつくと立ち上がった。

 「もう出ちゃうの?」ミリアは糾弾するように甲高い声を上げた。

 「俺はもうだいぶ浸かってんだよ。お前はもちっと入ってればいいだろ。」

 ミリアは眉根を寄せて、「一緒に入ってたかったのに。」と恨めしそうに言った。

 「まあ、せっかくだからゆっくり入ってろよ。」

 リョウは決して湯の熱さだけではなく赤くなった背を見せながら、部屋へと上がっていった。

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