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車に乗ってからもミリアはしゃくり上げ続けていた。少女たちから聞かされた、アイミの一人の希望ある少女として生きた姿に、再びアイミが目の前に浮かび上がってきたような気がしていた。まだどこかにいるのではないか、ライブをやればまたいつもの笑顔で観てくれているのではないか、またファンレターが届くのではないか、そんな思いが絶えずミリアの胸中を去来した。
リョウは無言でミリアの肩を抱き寄せ、暫く泣くに任せて泣かせていたが、ミリアは次第に落ち着きを取り戻し、やがて目を閉じてじっとリョウに身を凭れ掛けさせた。
「もうすぐ着きます。」伊佐木は落ち着きを取り戻しつつあったミリアに、そう優しく語り掛けた。
ミリアはぱちりと目を見開き、「リョウが住んでたところ?」と問うた。
「そうだ。」
「……懐かしい?」
リョウは暫く考え、「大して覚えちゃいねえ。」と答えた。「……忘れようと、したんだ。そんで、うまく忘れた。」
「何、それ。」ミリアはぎこちなく笑んだ。
「あんまり、いい子供じゃなかったっつうことだ。」
「そんなの、なんか、わかるわよう。」
リョウは苦笑しながらミリアの横腹を小突いた。
車が停車したのは、広々とした芝の庭のついた平屋の一軒家だった。リョウとミリアはゆっくりと車を降り、暫くそこに立ち竦んだ。葬儀から帰って来たばかりの子供たちが中を駆け回っているのが見えた。
「ここ……?」
リョウは茫然と眺めながら、「こんな、……小さかったんか。」と呟いた。
「リョウジ君。」中から普段着に着替えた施設長が柔和な笑みを浮かべて、駆け寄って来る。
「わざわざ来てくれてありがとう。さあさ、中に入って。」宗は赤錆の付いた錠を外し、扉を開いた。リョウは意味ありげにそれを凝視する。
「ああ、これ。覚えてるかい? リョウジ君が壊したんだよ。」宗は面白そうに言った。
リョウはぶっと噴き出す。「だ、誰かと間違えていませんか?」
「まさか。リョウジ君が工具を持ち出して夜中にガンガン叩いてたのを、今でもはっきり覚えているよ。あの時は、近所の人も来るし、参ったもんだったなあ。」宗はあはは、と笑ってリョウたちを中へと招き入れた。「ほら、お客さんだよ、挨拶をなさい。」
玄関先で新聞を巻いた棒切れで叩き合っていた男の子二人が、慌てて「こんにちは。」と声を揃える。自分と同じような境遇の子たちかもしれない、そんなことを思いながらリョウは目を細めて二人を見詰め、「こんにちは。」と言った。
そして視線を上げた先に、職員室、応接室と可愛らしい小さな木札が掛かっているのを見て、小さな嘆息を漏らした。
「懐かしいかい?」
「……思い、出した。」
ミリアは見えぬものを見ようとするかのように、じっとリョウの視線の先を凝視した。
「これ、……あん時のまんまだ。」
「残念ながら県からの援助も微々たるもので、リフォーム費用なんていうものは、なかなか捻出できないんだよ。まあ、やんちゃな子が壊したりすると、職員がペンキ塗ったり、補修したりはするがね。」
宗に続いて廊下を歩いていく。やがてリョウはガラス張りの職員室の前に来ると中を覗き込んだ。そこには数人の職員が机に向かって何やら仕事をしていた。そして中を眺め回していたリョウの視線が、入口付近の古びたストーブで、止まった。
「ここ……。」
「そうだね。ここが、ギターを弾く時のリョウジ君の特等席。」そう言って宗は錆びた備え付けのストーブの脇に置かれたソファを指さした。
「ああ。ここで。俺は……。」リョウはごつごつした喉の奥の痛みをどうにか堪える。
「さあ、中に入って。」宗はリョウとミリアを職員室の中へと招き入れた。何人かが振り返り、「こんにちは」と挨拶をする。リョウとミリアは小さく会釈をした。
「ここで、君は毎日のようにギターを弾いてたね。」
リョウは目を細めながら、その、破れの目立つ黒革のソファをじっと見下ろした。
「リョウジ君にギターを教えていた政木君はね、あの時たしかまだ二十二、三だったかなあ。とにかく大学を出たてだった。その分子供たちに一番年代が近いから一番の理解者になれるはずだって、それはそれは張り切って働いていたよ。学生時代はロックバンドをやっていたとかで、ギターもピアノも巧くてねえ。よく歌の伴奏を教室のオルガンで弾いてくれたり、キャンプファイヤーの時にギターを弾いてくれたりもした。そして心閉ざしている子にギターを教えて仲良くなってくれたり……。」
リョウは妙に輝きを帯びだした目を見開いて小さく肯いた。
「政木さんが、……俺にギターを教えてくれたんです。古いフェンダーのストラトで。」
「ああ、あの青いギターか。」
「凄ぇ、かっこよく見えた。何つうか、それまで俺にとって世界は白黒にしか見えてなかった。色付いてるなんて、気付きやしなかった。でも突然あの青いギターが目に飛び込んで来て、一気に色付き始めたんだ。俺はそれまで誰とも喋りたくなくって、教室でも部屋でもずっと一人でいて、誰かが喋り掛けてくると苛立ってしょうがなくて、……そんな俺にやたら絡んでくるのがあいつだった。ぶん殴っても蹴っ飛ばしても、懲りずに何だかんだ喋ってきやがって……。あん時もたしか、夜寝る前に部屋の見回りに来て、どっかのガキに請われて、あいつがギターを弾いてやってたんだ。俺がたまたまその部屋の前を通りがかった時、俺は息が出来ねえぐれえの衝撃を受けて、……それなんだっつって……、多分あの時、ここに来て初めて、俺は誰かに喋りかけた。政木さんは凄ぇ喜んでくれて、ギターだよ。弾いてみるかって言ってくれて……。」
「それから職員室通って、毎日ギター教えて貰ってたのか。」
リョウは生唾を呑み込んで苦し気に肯いた。
「それが約束だった。ギター教える代わりに、ちゃんと挨拶をしてここに入って来ること。」リョウは懐かし気に職員室を見回した。「政木さんは、俺にギターを通じて社会と繋がる方法を、教えてくれたんだ。」




