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「お前ソト行ってたんか。」
会場への扉を開けるや否や、ステージ上からシュンに目ざとく見つけられ、ミリアは仕方なしに肯いた。「今日はシークレットだから、ソト出ちゃあダメなんだぞ。」
「……うん。」ミリアは力なく答えながら、ステージに上がった。「ごめんなさい。」
「精鋭たち来てたか。」
「……うん。」
「俺も会いてえなあ。」
ミリアは驚いて顔を上げた。
「だっていっつも精鋭たちと上で喋ってから大串屋飯食いに行って、本番だもんなあ。そんぐれえのルーチンワークはやらして欲しいよな。せっかくの聖地なんだからよお。それでこそ聖地じゃねえかよなあ。」
「うん。」ミリアは黙って俯いた。
「あいつら元気にしてたか?」
「うん。」
「そっか。あいつらが全員チケット取れたってさあ、何か神様信じたくなるよなあ。」
「メタルの神様?」
「そうそう。メタルゴッド。きっとロブ・ハルフォードみてえな奴だな。」
ミリアは微笑んだ。
「精鋭たち喜んでたわよう。それ見てミリアも嬉しくなっちゃった。」
「そりゃあな。うちの精鋭たちは筋金入りだ。お前よりLast Rebellionを長く聴いてる人も大勢いっかんな。名誉称号でも授けてやりてえぐれえだ。」
「そうだわねえ。だからリョウのことも大好きなんだわねえ……。」
「リョウの話なんかしてたのか。」
「リョウが、精鋭がライブに来るためにはいっつも大変な思いしてんだって言ってるよって言ったら、なあんと、倒れて泣いちまったのよう。」
「あはははは! マジか! そりゃあ凄ぇ! 筋金入りだ!」
「リョウのことが大好きみたい。」
「そうだな。あいつは人間としてはダメな所満載だけど、ステージに出たら、まあ比類ねえ圧巻だからな。ああいうのが天性のフロントマンっていうんだろうな。」
ミリアは真面目な顔付きで肯いた。
「一体どういう星の下に生まれたんだよ。……あいつの話だと、親父さんは相当な酷ぇ人間だったみてえだな。……だとすっと、お袋さんにそういう輝きっつうか、魅力があったのかもしんねえな。」
――リョウの母親。リョウも知らないと言っていた。だからミリアも到底知るべくもない。でもあの父親の子でありながらこんなにも人を惹き付け得るフロントマンになったことを思えば、きっと相当に母親は魅力的な人であったのだろうとミリアは想像した。
「ミリアのパパはギタリストだったから、……リョウのママもギタリストかな。」
「ボーカリストかもしんねえぞ、デスメタルの。」
ミリアは目を丸くする。
「……ママ、デスボイス?」
「そうだ。アリッサみてえな人。リョウがあんなにがなれるっつうことは、血もそうだけど子守歌からデスメタルだった可能性がでけえ。」
それは一体どんな子守歌だろうかとミリアは頭を捻る。
「お前は立派なギタリストの親父さんだったことに加え、リョウに育てられたからギターが巧くなったんだしな。リョウだって突然変異で産まれた訳じゃあねえんだろうし、そういう血が流れてんだろうよ。」
「ふふん。もしかするとどっかの星からやって来た、王子様かもしんないよ。」
ミリアはそう満足げに呟くと、その「王子様」に会うがためステージ袖から楽屋へと向かった。
楽屋の扉を開けると、リョウがその真ん中で胡坐をかき目を閉じていた。
「……リョウ?」ミリアは恐る恐るリョウに近付き、その顔を目前にしてまじまじと見詰めた。相変わらず鼻梁は高く、唇は固く引き結ばれている。頬も引き締まっていて、ツアーを通じて己と戦ってきた男の姿を髣髴とさせた。まるでギリシア彫刻のようだ、とミリアはほうと溜め息を吐いた。
ぴくり、と瞼が動き目が開く。眼は目前のミリアに驚きもせず、厳しく睨んだ。
「お前な、ボーカリストの邪魔すんじゃねえ。精神統一中だ。」
ソファの上でうたた寝をしていたアキがそうだったのか、とばかりに目を見開く。
「ふうん。そうだったの。」
「一回一回のライブに全身全霊を尽くす。その延長線上にしかヴァッケン出場はねえ。わかってんのか? 追加公演はただのお祭り騒ぎじゃねえんだぞ。」
「うん、わかってる。」あまりにも軽々しくミリアは笑顔もて答えたので、リョウは拍子抜けした。
「本当にわかってんのか? 成功は突然棚から牡丹餅式に現れてくるモンじゃねえ。血の滲むような努力の果てに初めて姿を現す。だからな、俺はヴァッケンに向けて、このライブに全てを賭けて挑む。」
「うん、わかってる。」ミリアは再び満面の笑みを溢しながら言った。「あのねえ、ミリアだって一度だってライブに手抜きはしないの。そんなのやったら精鋭たちに失礼だし。だって精鋭たちはさ、お仕事、お金、全部苦労して来てくれてるんだものねえ。」
「そうだ。」リョウは言下に断言した。
「そう言ったら、精鋭たち喜んでた。」
「お前んなこと言ったんか!」リョウは思わず声を荒げた。
ミリアは照れて身を捩った。
「んなこた一々言わなくっていいんだよ! ステージ上から教えてやりゃあいいんだよ! 俺らはバンドマンなんだからよお!」
ミリアは微笑んで、自分のFlyingVの入ったGibsonと大書きされたギターケースの前にしゃがみ込み、蓋を開けた。「うん、わかったわよう。」
既に開場の一時間も前から、先頭の精鋭たちを皮切りに長蛇の列を作っていた観客たちは、会場と同時に会場へと駆け込んだ。すぐにかつて聞いたことのない、「前方に詰めて下さい。お客様が入りきれません。ご協力をお願いいたします。」というアナウンスが立て続けに流れ出した。
「そんなにいっぱいチケット出したの?」ミリアは相変わらず心配そうにステージ袖から客席を見つめていた。
「いやあ、200だろ、200きっかり。」シュンは暫く考え込み、「でも、その全員が開場時間には既に集まってたっつうことか……。何か、凄ぇな。」と呟くように言った。
「やる気満々なのねえ……。」
気付けば後ろにリョウが立っていた。シュンとミリアはぎょっとして振り返る。いつもステージから客席を覗き込み、あれこれと雑談に耽るのは自分達二人で、リョウは一人、開演間近まで楽屋にいるのが常であった。
「何だ、お前。」だからシュンはほとんど糾弾するよう指さした。
「いや、……なんかさっきから妙なアナウンスが流れてんなと思ってよお。」
「見てみろ。」シュンはそっとリョウの腕を引っ張り、客席を見下ろせるギリギリの所に連れ出した。「このザマだ。」
リョウは既に隙間もなくなった観客席を眺め下ろし、唖然とした。「……オープンしたばっかなのに。もうこんなにいんのか。……スタートは三十分後だぞ。つうか、これ、大丈夫なんか。既にぎゅうぎゅう詰めじゃねえか。」
「わからん。」シュンは即答する。
「……なんか初めて、……俺らの集客が増えたってことを実感した気がする。」
シュンは思わず口を塞いで仰け反った。
「おい、お前ら。」そう後方から小声で声を掛けてきたのは、聖地の店長、有馬大であった。四人は微笑み返そうとして、その表情があまりに固く深刻そうなのに息を呑んだ。
「どうしたんすか。」シュンも小声で返す。
「ダメだ。」店長は静かに首を振る。「シークレットどころの騒ぎじゃねえ。もう、外にチケット買えなかった客が大勢集まって来てる。」
「マジで?」シュンが目を剥く。「何で来てんだ? 入れねえんだろ?」
「入れなくたって、」店長は腕組みしながら言った。「音が漏れ聞こえてくるのを期待してんのか、それともお前らの出待ちを期待してんのかはわかんねえが、とにかく大勢来てんだよ。」
「つうか、何でバレた?」シュンが頓狂な声を上げた。
「まあバレんだろ。ここはお前らがなんだかんだ、一番多くライブやってる所だしな。節目節目には必ずここだ。あらかじめ見当付けてた奴もおそらく大勢いたんだろう。そしてそこにお前らのTシャツ着た客が並び出した。……うちのスケジュール一覧にも『一般貸出』なんてごまかしてはいたけど、もしかするとそれが裏目に出たのかもしれないな。」
「ライブできんの?」ミリアが心配そうに尋ねる。
「まあ、何としてもチケットがねえ限りは入れねえし、近所迷惑になっから帰ってくれと、うちのスタッフに説得にソト行かせている。お陰でだいぶ中が手薄になっちまったが、しょうがねえ。ま、実際始まれば納得して帰ってくれるだろうし、そしたらライブ自体には影響は出ねえはずだ。」
三人は目配せをし合って、渋々肯いた。
「まあそこは俺らの仕事だ。お前らは、そんだけの期待が込められたライブっつうことを頭ん入れて、全力で掛かってくれ。ヨーロッパ回って、全国回ってそんで戻って来たLast Rebellionを他の誰よりも俺が一番楽しみにしてるからな。」
「任せて下さいよ。」リョウは即答して、有馬の肩に手を乗せた。「俺らがどんだけ成長したか、有馬さんに見せるためにここに帰って来たんすから。」




