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万華鏡  作者: 夕月 悠里
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目覚めた時、ルカが最初に感じたのは痛みだった。体の痛みではない。網膜を焼くような、強烈な光の痛みだ。


「……う……」


ルカは瓦礫の中で身を起こした。領主の館は半壊し、天井だった場所にはぽっかりと大穴が開いている。そこから降り注いでいるのは、暴力的とさえ言えるほどの、突き抜けるような青だった。空だ。図鑑でしか見たことのない、本物の空。そして、その中心で白熱する太陽が、容赦なく地上を照らしつけている。


「セレス……!」


ルカは隣で倒れている少女に駆け寄った。セレスは瓦礫の上に横たわり、肩で息をしていた。その背中にあった光の翼は消え、機械との接続コードも焼き切れている。彼女はゆっくりと起き上がり、空洞の瞳を空へ向けた。


「……眩しい」


セレスが呟いた。


「目がなくてもわかるわ。世界が……叫んでいる」


ルカは立ち上がり、崩れた壁の隙間から眼下のアイロングレイを見下ろした。そして、絶句した。そこは、もはや灰色の街ではなかった。極彩色のペンキをぶちまけたような、混沌カオスの世界が広がっていた。


工場の煙突からは、七色の煙が毒々しく立ち上っている。錆びついた鉄塔は黄金色に、路地裏の汚水はエメラルドグリーンに輝き、アスファルトの道は脈打つような深紅に染まっている。そして、何より恐ろしいのは「音」だった。


『うおおおおおおッ!』

『悲しい!悲しいよぉぉッ!』

『腹が立つ!全部壊してやる!』


街中から、人々の絶叫が響き渡っていた。抑圧されていた感情が、色と共に爆発したのだ。路上で踊り狂う者、泣き崩れる者、取っ組み合いの喧嘩をする者。理性という堤防が決壊し、感情の洪水が街を飲み込んでいる。


「……見たか。これが、お前たちが望んだ『色』のある世界だ」


背後から、しわがれた声が聞こえた。瓦礫の陰に、ヴィリウスが座り込んでいた。彼は無傷だったが、その精神は砕け散ったようだった。彼は震える手で顔を覆っていた。


「うるさい……眩しい……。憎悪が赤い、悲哀が青い……。こんなノイズだらけの世界で、どうやって生きろと言うのだ……」


百年間、彼と彼の先祖が恐れ、封印してきたもの。それがこの生の奔流だったのだ。ルカは、狂乱する街を見つめた。確かに、これは地獄かもしれない。静寂と秩序は失われ、剥き出しの欲望が渦巻いている。だが。


「……それでも、俺はこっちの方がいい」


ルカは呟き、ヴィリウスを振り返った。


「あんたの言う通り、色は痛いし、感情は厄介だ。でも、あの灰色の沈黙の中で、誰もが死んだように生きていた頃よりはずっとマシだ」


ルカはセレスの手を取った。彼女の手は温かく、強く握り返してくれた。


「行こう、セレス。俺たちが始めたんだ。最後まで見届けなきゃいけない」


「ええ……。たとえどんなに眩しくても、私はもう目を背けない」


二人は手を取り合い、光の洪水の中へと歩き出した。崩壊した館の瓦礫には、砕けた万華鏡の破片が散らばっていた。それらは太陽の光を反射し、小さな虹を無数に生み出していた。



それから、半年が過ぎた。


アイロングレイは、以前とは全く別の都市に変貌していた。色彩都市プリズマ。人々はそう呼ぶようになった。街は相変わらず騒がしい。工場は稼働を続けているが、吐き出す煙の色でその日の市民の感情傾向がわかると言われている。喧嘩も増えたが、大声で笑い合う声も増えた。芸術家たちが他所から移り住み、灰色の壁には極彩色の壁画グラフィティが描かれた。


下層区画の片隅。看板を『アークライト&アイロングレイ硝子細工店』と書き換えた工房で、ルカは作業台に向かっていた。バーナーの炎は青く、溶けたガラスは夕焼けのようなオレンジ色に輝いている。かつては渇望として求めた色が、今では日常の中に溢れている。それでも、ルカの手が作り出すガラスの輝きは失われていなかった。むしろ、本物の光を知ったことで、その深みは増していた。


カラン、とドアベルが鳴る。


「ルカ、お茶が入りましたわ」


奥から現れたのは、エプロン姿のセレスだった。彼女はまだ杖をついているが、足取りはしっかりしている。そして何より、彼女の顔にはもう包帯は巻かれていなかった。


「ありがとう、セレス。……ちょうど、完成したところだ」


ルカはピンセットを置き、作業台の上の「それ」を手に取った。それは、一対の義眼だった。だが、ただのガラス玉ではない。あの日砕け散った、祖父の「追憶の万華鏡」の破片――その最も美しい核となる部分を溶かし込み、再結晶させた特注品だ。内部には、幾何学模様の光が封じ込められ、見る角度によって七色に変化する。


「さあ、座って」


ルカはセレスを椅子に座らせ、慎重にその義眼を彼女の空洞に嵌め込んだ。医療的な視力回復ではない。神経は繋がっていない。だが、この義眼は万華鏡の欠片だ。感情いろを光として捉える、かつてのセレスの能力を補助し、増幅する力があるはずだった。


「……どうだ?」


ルカが問いかけると、セレスはゆっくりと瞬きをした。彼女の新しい瞳の中で、虹色の光が渦を巻く。


「……見える」


セレスが息を呑んだ。


「見えるわ、ルカ。あなたの色が」


「俺の色?……やっぱり、灰色か?」


ルカが苦笑すると、セレスは首を横に振って、花が咲くように微笑んだ。


「いいえ。とても暖かくて、優しい……透き通った『透明』よ。どんな色にも染まれるし、どんな色も反射して輝かせる、一番綺麗な色」


セレスはルカの頬に手を添えた。


「あの日、万華鏡の中で見た世界よりも、今のあなたの方がずっと美しいわ」


窓の外では、通り雨が上がったばかりだった。雲の切れ間から差し込む日差しが、路上の水たまりを照らしている。かつては油膜で濁っていた水面が、今は空の青さを映し出し、街中に架かる大きな虹を反射していた。


「……外に行こうか、セレス。虹が出てる」

「ええ、連れて行って。あなたの目で見る世界を、私のこの新しい目でもっと知りたいの」


ルカはセレスの手を取り、工房の扉を開けた。湿った風が吹き込んでくる。それは鉄の匂いではなく、雨上がりの土と、どこかで咲き始めた花の匂いがした。


世界はもう、灰色ではない。痛みも悲しみも、喜びも愛も、すべてが鮮やかに混ざり合う場所。二人はその眩しい光の中へ、確かな足取りで踏み出していった。


砕けた万華鏡の魔法は解けたけれど、二人の瞳に映る景色は、これからも永遠に色褪せることはないだろう。

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