12)嵐
本日、2話同時に投稿いたしました。こちらは1話目です。
騎士団諜報部は、偽の高魔力薬が出回っているという情報をもとに捜査をしていたが手こずっていた。囮捜査や近衛の諜報部も加わっての大捜査でなんとか薬を手に入れたが、実際に薬を飲んでいる者がなかなか見つけられない。
模索していたところ、皇太子妃であるオリハが朗報をもたらした、という経緯だった。
魔力上げの薬は薬学研究所が解析し、似た薬が出てくる可能性もあるので研究は続けることになる。万が一にも蔓延したり犯罪に使われないよう研究データは対策に使うことが決まっていた。
オリハの実家から送られてきた判定薬は父キアヌからレシピも送られてきたので帝国にある薬草や魔草を使って同じものが速やかに作られた。
帝国で問題となっている薬に使うには少し効果が薄いため、研究所の薬師が手を加えた。改良された薬は十二分に捜査に使える判定薬になったという。
こんな短期間に改良できるなんて、さすが帝国の薬師たちだ。
カイムは「そうとう無理をさせたらしい」と苦い顔だが、それでもやり遂げてしまうのだから、やっぱり凄い。
実のところ、判定薬の効果はかなり危ぶまれていた。
偽の魔力薬は、飲んだのち四日くらいは魔力を維持できる。
薬は確かに臭い。飲んでしばらくは匂う。けれど、一時間もすれば消える。
本当に何日経っても匂いでわかるのか? と半信半疑だったらしい。
ところが判定薬を試したところ、偽の魔力が続いている間は確実にわかるし、それどころか、偽の魔力が消えたのちも仄かに匂いが感じられる優れものだった。
捜査に役立つとわかると、関係者は皆で安堵し歓喜したという。
今夜は皇宮主催の夜会だった。
「秋の宵」と名付けられた夜会は毎年恒例だ。珍しい秋の実りや新酒などを皇宮で紹介する宵の催事だった。国の経済を活性化させる目的もあって行われる。
そんな夜会に紛れ込ませて、偽魔力持ちを捕らえようという計画だった。
適当な名目で夜会を何度か行うたびに確認をし、貴族で悪用している者がいれば捕らえる手はずだ。
側近や近衛と衛兵らに判定のための薬が処方された。
「緊張するわ」
オリハが呟くとオリハの手に夫の指がぎゅっと絡みついてくる。
カイムも判定薬を服用したが、オリハから異臭はしないと、なぜか楽しそうだ。残念なことにオリハは授乳があるので飲めなかった。
「オリハは疲れないように気を付けてくれ」
「ふふ。過保護すぎ」
笑うとカイムがオリハの頬に口付けた。
久しぶりの夜会だった。お産から一月以上は経っていた。産後の肥立ちは速やかに回復したのだが、カイムが「ゆっくりしろ」「夜は早く休め」とうるさいために夜会は自粛していた。他の公務は少しずつ始めており、夜会も今夜から解禁だ。
判定薬は夜会の間中効果がもつように量を増やしてあった。この度の夜会には数百人の貴族たちが参加する予定だ。
カイムが夜会用のドレスを作ってくれたのでそれを纏った。侍女のベニータが褒めちぎってくれたので大丈夫だろう。カイムも「私の妃は麗しいな」と嬉しそうにしていた。
カイムのほうが麗しいと思うのだが、褒め言葉は素直に喜んでおいた。
今宵は密かに精鋭たちが例の判定薬を飲んでいるが、すでに顔色の悪い側近を見つけた。
「スヴェンの顔色が悪くない?」
オリハはそっとカイムに囁く。
「ああ。私も気になっていたところだ」
カイムは夜会の会場を見回しながら小声で答えた。
早くも波乱の予感がする。偽の魔力持ちが一人はいそうだ。
皇太子夫妻が列席者の挨拶を受けるために王族たちと並んで立ち、オリハはいつも通りだが、寄り添っているのでカイムの動揺がわかる。おかげで、オリハも落ち着かない。
宰相と夫人、それにジュライアが挨拶のため、眼前にいる。
カイムは冷たい笑みを浮かべてオリハの肩を抱いた。カイムがことさらオリハを近くへと抱き寄せるのはわざとだろう。ジュライアを不愉快に思っていることを露わにしている夫だが、オリハはされるがままに任せた。
ジュライアは相変わらず鬼のような目で睨んでくる。オリハの肩におかれたカイムの手に視線を走らせて笑顔を強ばらせた。未だにカイムに執着しているのだから、しつこいとしか言い様がない。
本当に、この人には疲れる。もううんざりだ。
カイムのほうがうんざりしているかもしれないが。
「皇子がたった一人では心許ないですわ。三人くらいは要るのではなくて? せいぜい精進すべきね」とジュライアの不敬発言が炸裂したところで、宰相は顔色を悪くして娘の腕を掴み「失礼いたしました」と頭を下げながら慌てて退いた。
有能な宰相の唯一の汚点がこの娘だという。ここまで徹底的に令嬢の教育に失敗しているといっそ清々しいほどだ。
オリハがため息を抑えながらそっとカイムの横顔をうかがうと、なぜか顔色が悪い。微笑んでいるが、いかにも社交用だ。
声をかけようとしたところで次の貴族が挨拶のために歩み寄っていた。
夫の様子が気になりいつもより疲れた。ようやく挨拶が済み、飲み物をいただく。
「オリハ、大丈夫か」とカイムが気遣ってくれるが、オリハにしてみればカイムのほうが心配だ。
「私は大丈夫。カイは?」
「ああ、まぁ。後で話すよ」
カイムが苦く笑った。
「そう?」
もしかして、ジュライアが偽魔力持ちなのかしら。
と、ちらりと疑念がよぎったが、あの生真面目そうな宰相の姿を見ると、そこまで娘の愚行を許すはずがないとも思う。
でも、ジュライアは先ほども公の場で愚行しまくってはいたが。
表向き、夜会は無事に終了した。
私室に戻るとカイムはぐったりとソファに座り込んだ。傍らにオリハを抱き寄せたままだ。
侍女たちはオリハとカイムの正装を片付けようと控えていたが、二人の様子を見てそっと部屋を出て行った。有能な侍女たちは空気が読めるらしい。
「オリハ。あの判定薬は皇宮に嵐を呼んだよ」
カイムが疲れ果てた声で囁く。
「どんな嵐でした?」
オリハはカイムに寄り添ったまま尋ねた。
「クレイルの妻は、偽だ」
「あ、え? リレイシャ妃が」
オリハは夫の首元に押しつけていた顔をぼんやりと上げた。
「あまり驚かないのだな」
カイムが苦笑する。
「い、いえ、驚いています。驚き過ぎて受け取りきれなくて。まさか、だって、第二皇子の妃だというのに?」
「そのまさかだ」
なるほど嵐だと、オリハはようやく理解した。帝位継承権第二位の皇子の妃が偽とは、とんでもない嵐になるだろう。
オリハは、リレイシャとは接点がなかった。会話もない。
最初に挨拶したときも、クレイルが妃を紹介し、彼女はただ優雅に儀礼的な礼をしただけだった。
カイムはリレイシャの態度に若干、気を悪くした様子だった。オリハが丁寧に挨拶をしたのに、ほぼ無視したような形だったからだ。
リレイシャは帝国では名家の出の妃で、オリハは小国の出だ。帝国では高位貴族の当然の態度だった。
「命がけだな」
カイムは目を細めて無表情だ。
「そ、そうです、ね」
確かに命がけだ。
オリハは寒気がしてならなかった。謀反ではないか。只事ではない。せめて托卵がなくて良かった。
「これまでばれなかったのが不思議なくらいだ。非常に臭かった。ずいぶんたっぷりと薬を飲んでいたのだろう」
皇族の妃になるくらいだから、魔導師になれるくらいの高魔力持ちのはずだった。それが、偽だ。
「それでカイは顔色が悪かったの?」
「そうだな。あとは、ジュライア嬢」
「えぇ? 彼女も?」
「ハハ。あまりにも酷い。こんなに蔓延してたのだな」
「まだ二人よね」
「スヴェンの妻も偽だった」
「そ、それは、子供が産まれないかも」
「生まれないだろうな。スヴェンは魔力が高い。クレイルもだが」
伴侶は同じ程度に高魔力でないと子の出来る確率があまりにも低い。だから第二皇子クレイルには子がいなかった。
「スヴェン殿と奥方は仲が良いんですか」
「なんともいえないな。恋愛結婚ではないからね」
「それなら詐欺でしょう」
「ああ、詐欺だな」
それをいうなら第二皇子の妻リレイシャ妃は大罪だが。
ジュライアは結婚相手が見つかるんだろうか。
あの性格で偽魔力持ちだ。とはいえ、名家のご令嬢で、しかも父親は宰相だから大丈夫だろう。わざわざ心配することでもない。
そもそも心配はしていない。どこかに行って欲しいだけだ。
「クレイルは事実を受け入れられるだろうか」
カイムがぽつりと呟き、これからを思うとオリハはため息が出そうになった。
「要所要所に蔓延してましたね」
「要所すぎるところにな」
カイムは苦みを堪えるような顔で答えた。
出産から三か月が過ぎてオリハとカイムは、夜の夫婦生活を始めた。治癒師の診察で、体はもう大丈夫と太鼓判を捺して貰えた。
カイムは恐る恐るオリハを抱いてくれる。
オリハはもう大丈夫なのに、と夫の気遣いが嬉しいやら、歯がゆいやら。大事にしてくれるのがこそばゆい。
まだ産後三か月なので懐妊はないだろうと、避妊はしないでいた。
側近のスヴェンは、カイムの遅刻の理由を知って「はぁ。良いですね、仲の良いことで」とぶつくさ言っている。
スヴェンの伴侶はつい二か月前に偽であることが判明した。スヴェンはショックだったらしいがそれでも薬の結果を疑うことはなかった。同じ程度に高い魔力だったというのに、四年も子ができなかったからだ。
側近たちは偽魔導師事件の始末でなかなか忙しくしている。高位貴族や王族の伴侶も関わっているために、法務部や衛兵本部だけに任せられないところがあるらしい。
それはそうだろう。クレイル殿下の伴侶が偽だったのだから。
気が重い問題だった。




