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幼馴染の恋愛模様  作者: こ~すけ
4章 幼馴染と熱い季節
47/69

15.

(あと十分で九時か……)

 奈亜は携帯で時刻を確認し、心の中で呟く。

 峻との約束の時間からは、約二時間が経過している。連絡はいまだに取れていない。コール音の一つもならない携帯をいくら見ても、状況はなに一つ変わらないことは理解しているが、どうしても視線はそれに引き寄せられてしまう。

(『夕凪』は、もう間に合わないよね……キャンセルか……)

 楽しみにしていたイタリアンの店だったが、これだけ遅れると、行くことは不可能だろう。奈亜は内心落胆しながらも、怒りは湧いてこなかった。

 それより、峻と一刻も早く連絡が取りたかった。こうして待たされると、どこか不安になる。七年前のことを思い出してしまうからだ。

 峻の身になにかあったんじゃないか。そう考えると、やはり携帯を見ずにいられなかった。

「愛沢さん?」

 そう声をかけられて、奈亜はハッとなる。隣から、同級生の浅田脩一が心配そうな顔で奈亜の様子を窺っていた。

 脩一とは、今から一時間前ほどに偶然会った。それから気を遣ってくれているのか、奈亜と一緒に居てくれている。この一時間、他愛無い話をしてくれているのだが、奈亜は上の空で聞いているため、何度も話の腰を折ってしまっているのだ。

「あ、ごめん……なんの話だった? えへへ、ちょっと聞いてなかったかな……ごめん」

 奈亜が申し訳なさそうに言う。その反応を見た脩一は、小さく息を吐きながら、「いいよ。そんなに大した話じゃなかったし」と言った。

「それにしても、峻のやつ遅いなー」

「うん……」

 この会話も何度したことだろう。話が止まって、沈黙しそうになるたびに、脩一は明るく声をかけてくれていた。

 奈亜も、脩一の心遣いは嬉しかったが、同時にこれ以上引き止めておくことは心苦しかった。脩一の着ているものが、明らかにトレーニングをしていた途中だということが一目で分かる格好だったせいもある。

「浅田君、もういいよ。私一人で待てるから……トレーニングの途中だったんでしょ? 脩一君、毎日野球の練習とかもあるし、帰った方がいいよ」

 奈亜がそのことを指摘しながら言った。

「あー……うん……」

 すると、脩一は顔をしかめる。それがあまりに深刻そうな様子だったので、奈亜は思わず問いかけた。

「どうしたの?」

「あ、いや……」

 自分の表情を読み取られて、焦ったのだろう。脩一は、奈亜から顔を背ける。

「なにか悩み事なら、私でよければ相談に乗るよ?」

「えっ?」

 奈亜の言葉に、脩一は驚いた表情で視線を戻してきた。奈亜はそれを見て、頬を膨らませる。

「意外そうな顔してる。私が相談に乗るタイプじゃないって思ったでしょ? ……まぁ、それは間違ってないんだけど……峻がいつも相談に乗ってくれているし、私もできるよ」

「それってどういう理論?」

「まぁまぁ、いいからいいから。今からはちゃんと話を聞くし、言ってみてよ」

 にこやかに笑いながら奈亜が言う。さっきまで脩一を帰そうとしていたのだが、なにか悩みがあるなら別だ。約一時間、自分に付き合って待ってくれた脩一になにかお返しがしたいと思ったのだった。

 実はいうと、奈亜は、峻がいなければ聞き手にまわることが多い。とはいえ、ほとんどの場面で峻がいるため、あまりそういった場面にならない。だから周囲の人には、自分の話ばかりするイメージ――それも間違いとはいえない――が定着してしまっている。

(ちか)ちゃんの相談にもよく乗っているし、大丈夫!)

 奈亜は心の中で意気込んだ。『(ちか)』とは、峻の家によく遊びに来ている従妹のことだ。奈亜と峻より年は三つ下で、奈亜にとっても妹のような存在だ。今年はまだ会っていないが、どうしているだろうなと、奈亜は頭の隅で考えた。

「……愛沢さん?」

「あ……あははは、ごめん」

 奈亜は、また別のことを考え始めていたことを笑って誤魔化す。脩一は、本当に大丈夫なのかと疑わしげな顔だ。

「はい、浅田君。聞くから喋って」

 しかし、強引に話を聞く方向に持っていく。とてもうまい聞き方とは思えないが、脩一は、それを奈亜らしいと感じたのか、どこかホッとしたように微笑むと、前方を見ながら口を開いた。

「……俺、野球ができなくなったんだよ」




「えっ?」

 奈亜が驚いた表情になる。脩一は、自分の言葉は、かなり語弊が含まれているのを察して言い直した。

「あ、病気とか怪我で、っていうわけじゃないんだ。なんていうのかな……野球が怖くなったんだ」

「野球が怖くなった?」

 奈亜が不思議そうに聞き返す。脩一の話の全容がいまいち把握できていないようだ。

「うん。えっと、先月の試合……たしか愛沢さんも応援に来てくれていたよね?」

「行ったよ! すごくいい試合だったね」

「……でも、負けた」

「あ……」

 脩一は、「負けた」という単語を言った瞬間、辛そうに顔をしかめた。またあの時の気持ちは胸に甦ってきたからだ。奈亜もその顔を見て、心配そうな表情になる。

「あの一球……あそこでもっといろんなことができたんじゃないかと思うと、どうしようもなくて……」

 脩一は肩を落として、自分の心境を吐露していく。今まで誰にも話すことができなかったことだ。だけど、奈亜に対しては、なぜかスラスラと喋ってしまう。たぶんそれは、奈亜が野球を知らないからだと、脩一は思った。野球を知らない、けどあの試合を心の底から「いい試合だった」と思ってくれているからだろう。

「あの最後の一球かぁ……」

 奈亜が呟く。そして下を向いて思案顔をしている。「うむむっ」とかなり考え込んでいる様子だ。脩一はその整った横顔をしばらく見ていた。どう見ても相談される側ではない奈亜が自分のことについて一生懸命考えてくれているのだ。脩一は、奈亜がなにか結論が出るまで待とうと思った。

「えーと……」

 少し間があって、奈亜が脩一をチラリと見ながら言った。

「ごめん!」

「は……?」

 脩一が待った末に、奈亜が発した言葉は、なんと謝罪だった。もちろん、脩一には訳が分からない。思わずポカンとした表情を見せる。

「脩一君があの一球を投げる前に、ほかになにができたか考えてみたんだけど……思いつかなかった」

 しゅんとして奈亜が言う。どうやら奈亜は、脩一の言葉を聞いて、他になにができたかを考えたようだ。

「ごめん……いくら考えても打たれないところに投げるのと、バッターにぶつけないようにするしか浮かばなかった」

 野球をやっている人間にとっては、まったくもって当たり前の、それこそ寝ていても答えられるような答えだ。だが、それを真剣に考えていた奈亜が可笑しかった。しかも、あの場面での答えとしてはどちらも正解だ。

「は、ははは……」

 思わず口から笑いが零れる。あの日から表情では笑顔が作れても、自然と笑えたことがなかった脩一にとって、驚くべきことだった。

(たったこんなことで……)

 今まで何百回と自分の中で、自問と自答を繰り返した。かなり深く考え込んだこともあった。その中で、いくら答えを出しても晴れることのなかった心が、今、もっとも浅いと思われる答えで晴れていく。

「あ、今確実に私のことバカだと思ったでしょ」

 脩一の視線の先で、奈亜が頬を膨らませている。奈亜の表裏のない表情を見て、脩一の晴れ始めた胸がトクンと鳴った。

 言い知れぬ感情が、脩一の胸に膨らみ始めていた。

「じゃあ、今度はちゃんとアドバイスしてあげる」

 そう言うと奈亜はベンチから立ち上がった。そして、また考え出す。いや、今度はなにか思い出そうとしているようだ。

「えっと、二年くらい前に、W杯を見てた時、峻が教えてくれた言葉があるの。たしか有名な選手の言葉だったはず……」

 脩一は、奈亜の顔を見つめていた。ころころと変わるその表情から、今はもう目が離せなくなっていた。言い知れなかった感情に、名前が付きそうになっていく。

(ダメだ……そんなの……)

 脩一はその感情を必死に否定する。けして名前を付けてはいけないものだと分かっているからだ。もし、名前を付けてしまえば、止まれなくなる。そして、止まれなくなるということは、親友に対する究極の裏切り行為になってしまう。

 しかし、そんな脩一の葛藤を知る由もなく、奈亜は脩一に向けて言った。奈亜本人は、なんの他愛もないアドバイスのつもりで、

「そう、たしか『PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ』だったはず。あの時、浅田君は最後にボールを投げてしまったけど、それを投げられたのも浅田君だけなんだよ。あの場面で、勝負することを唯一許されていた浅田君はやっぱりすごいと思う。だって、あの瞬間、あそこにいたすべての人の期待を背負って投げたんだから。それって誇るべきことだと思うな、私は。――それに、あの試合が終わった後も、私はもう一度浅田君の投球が見たいって思ったよ。それは、あそこにいた人たちみんな同じ気持ちだったと思う。だから、もう一度見せてよ。浅田君が、今度はど真ん中に投げ込むところ……ってそれじゃあ、打たれちゃうか……えへへへ」

 この言葉が、脩一の胸を貫いた。最後まで心に残っていた黒雲も、この言葉で突風に吹かれたように消え去った。そして、晴れ渡った心の中で、脩一ははっきりと見てしまった。胸の中にある感情の名前を。――『好き』と名のついた感情を。

 それを知覚すると同時に、ドクッドクッと胸が高鳴っていく。顔の温度が上昇するのが分かって、思わず顔を下に向ける。

(俺は……好きなのか? 愛沢さんのことが)

 自分自身に問いかける。しかしこれこそ、もう意味のない問いかけだった。

(峻……俺は……)

 頭の中に、親友の顔が浮かぶ。

(俺は……愛沢さんのことが好きだ。お前を裏切ることになる……けど、もう止められない。すまん……峻)

 この場にいない親友に、精一杯の謝罪をする。それが意味のないことだと分かっていても、脩一はせずにいられなかった。

「浅田君、どうしたの?」

 頭の上から、奈亜の声が聞こえる。脩一は、下を向いたまま溢れる想いを切り出した。

「あの、愛沢さん」

「ん?」

「あの……俺、もう一度頑張るよ。もう一度、あの場所に立てるように、野球頑張るよ」

「ホント! うん、頑張って!」

 奈亜が無邪気に喜ぶ。脩一は、下を向けていた顔を上げて、奈亜を見る。そして、ベンチから立ち上がると、真剣な表情で相対した。

「だから、俺のその姿を一番近く見てくれないか?」

「え?」

「俺が今度はあの場所で、あの場面を乗り越えるところを、一番近くで見てほしい」

「どういうこと?」

 奈亜が困惑したように聞く。脩一の胸から溢れた感情は止まらない。その感情のままに、脩一は想いを伝えた。

「君が好きだ。俺と付き合ってくれないか?」

 奈亜の目が大きく開かれる。煌めく瞳には脩一の姿が映っていた。脩一はその瞳に映る自分の姿が、勇ましくも、卑しくも見えた。


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