11.
お腹を満たした峻と奈亜は、そのまま駅中のショッピングエリアに行き、買い物を楽しんだ。といっても二人が買ったものはほとんどない。
峻は映画が観られなかった腹いせに、本屋で『金田小五郎』の最新シリーズを、奈亜は悩みぬいた末に新作夏物の服を購入した。それ以外は二人で雑談を交わしながらウィンドウショッピングという名の冷やかしをしていた。
奈亜が服屋でかなりの時間を費やしたせいもあって、時刻はもう夕方だった。徐々に日は長くなっているが、今日はすでに太陽が傾き始めていた。
買い物も一段落し、もうそろそろ帰るかなと峻が思い始めた時だった。
「あー!」
奈亜が突然大きな声を出す。その声に驚いた峻が聞き返す。
「いきなりなんだ? ビックリするだろ」
「えーっと、買い忘れを思い出したの」
「買い忘れ?」
バツの悪そうに言う奈亜に、峻は首を傾げた。
「さっきまで散々回ったじゃないか。……なにを忘れたんだよ?」
すでに洋服店も回ったし、本屋にも寄った。他に奈亜自身がいつも行きそうな店の前も通った。だから峻には奈亜の買い忘れがなにか分からなかった。
「ほら、あの、私と高木君って明日で付き合って一ヶ月なんだよね。だからなにか記念にプレゼントしようと思ってたんだけど……」
奈亜が申し訳なさそうに言う。そんな奈亜を見て峻はため息をついた。
「お前なぁ……そういう大事なことは忘れるなって言ってるじゃないか」
「でも、峻だって忘れてたでしょ?」
「俺にはまったく関係ないからな! 忘れてて当然だ」
口をとがらせて反論してくる奈亜を一蹴して、峻はもう一度ため息をついた。
「で、なに買うんだ?」
「うーん……実はまだ決めてない。……ねぇ、峻だったらなにがほしい?」
奈亜が悩ましげな目で聞いてきた。
「それはお前が決めろ。俺が考えていいことじゃないよ。……まぁ、俺だったらお前が選んでくれたものならなんでも嬉しいと思うぞ」
「ホント?」
「あぁ、ホントだよ。だから、自分で選んでやれ。……高木のためにもな」
「うん! 分かった。そうする」
そう言って峻に笑顔を見せると、奈亜はキョロキョロと辺りの店を見回し始めた。どこかいい店がないか探しているようだ。
「奈亜、俺のことは気にせずにいろいろ見てこい。俺はあそこのベンチで待ってるから。いいものが見つかったら帰ってこい」
ショッピングエリアの一角に木製のベンチが並んでいるところがある。自販機等も設置してあって、買い物客が小休止できるようになっている場所だ。峻はそこを指差して奈亜に言う。
「分かった。じゃあ、少し待っててね!」
「おう」
奈亜はそう言うと、プレゼントを決めるために歩いて行く。その背中は行きかう人たちに遮られてすぐに見えなくなってしまった。
「そうか、もう一ヶ月か」
峻はそう呟くと、奈亜が向かった方向に背を向けて、一人ベンチへと向かって歩いて行った。
峻はベンチに腰かけて奈亜を待っていた。座ってすぐに買った缶コーヒーは五分と持たずに空になり、次いで峻が取り出したのは買ったばかりの小説だった。
待望の『金田小五郎』の最新シリーズだ。本当は家に帰ってゆっくり読みたかったのだが、この際仕方がないと割り切って峻は本を開いた。しかし、あれほど待ち望んでいたはずの小説の内容が一向に頭に入ってこなかった。いつもならページが流れるように進んでいくのだが、今回に限ってはあり得ないことに同じ行を続けて読もうとまでしてしまう。
峻は十ページほど読んだところで諦めて本を閉じた。
すると、どうしても頭に浮かんでくるのは奈亜のことだった。しかも今日一日、峻に笑顔を見せてくれていたはずなのに、頭にこびりついて離れないのは先ほど高木のためにプレゼントを選ぼうとしていた時の奈亜の顔だった。他の誰かに向けた奈亜の笑顔が峻の頭の中でグルグル回る。
「くそ!」
峻はその映像を吹き飛ばそうと頭を振った。しかしその映像は簡単には消えてくれない。峻は軽く握って拳で二、三度額を小突く。
(……俺はなに考えてんだ? もう終わったことだろ? もう一年も前に潰えたことだろ?)
そう自分の心に問いかける。いや、言い聞かせていると言った方がいいだろうか。
峻が顔を上げた。すぐ近くにある店のショーウィンドウに映った峻の顔はどこか悲しげだった。
(こんな顔してたら、奈亜は感づくぞ。それだけは避けないと駄目だろう?)
峻は大きく一つ深呼吸をする。目を瞑って気持ちを落ち着かせた。そして目を開ける。先ほどのショーウィンドウに映るのはいつもの峻の顔だった。お節介を焼くただの幼馴染の顔だ。
それを見て、峻がホッと息を吐いた瞬間だった。
「しゅーん!」
雑踏の中から聞き慣れた声が届く。振り返ると奈亜が人波の中を歩いてくるところだった。
(間一髪だったな……)
峻は苦笑しながら奈亜に軽く手を振った。
「買ってきたよー」
峻のところまで来た奈亜が誇らしげに言う。
「なにを買ってきたんだよ?」
峻が聞くと、奈亜は「じゃーん!」と言いながら隠していたプレゼントを取り出す。手に乗るくらいの小箱が、赤い包装紙と緑のリボンで装飾されていた。
「ネックレスなんだー。どう思う?」
「どう思うって……包装紙で中が見れないのに感想なんて言えるわけないだろ」
「あ、それもそうだね。あははは!」
奈亜が笑ったのを見て、峻も同じく笑顔を見せた。そして、心の中でうまく笑顔を見せれた自分へよくやったと労いの言葉をかける。
「でもほら、よく見てよ。可愛い包装紙でしょ? クマさんの絵柄なんだよ!」
そう言って奈亜がプレゼントの箱を峻に手渡してきた。峻はそれを受け取った。周囲はまったく気にしていなかった。自分の気持ちをコントロールできたと思っていて、逆にその心に隙ができていた。いや、この人混みの中だ。峻と奈亜が気づかなかったのも無理ない。……ただ、それは起きてしまった。それも最悪のタイミングで。
「……これはどういうことだよ」
いきなり聞こえてきたどこか聞き覚えのある声に反応して、峻と奈亜がその方向を見た。
「あ……」
そしてその人物を見た瞬間、奈亜が思わず声を漏らした。峻は驚きのあまり声すら出なかった。
「これはどういうことだって言ってんだよ!」
そこには、峻と奈亜の二人を睨みつけて、体を怒りに震わせる高木竜司が立っていた。




