間話:孵る瓦解
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セプレス王国は『強さ』を何より重んじる国だった。
元は山脈より襲来する魔物を撃退するための『戦いの強さ』が重視されていたのだが、転じて『精神力』『賢さ』などの『強さ』も認められていく。
現在は建国当時ほどの極端な弱肉強食主義ではないが、今でもその影響は王国内に色濃く残っている。
己の『強さ』を持ってしての勝利ならば、どれだけ卑怯な真似をしても文句は出ないし、決闘で味方の力を借りるのも問題ない。
なぜならそれは卑怯さに打ち勝つだけの『強さ』が敗者には無かったという事で、『人脈』も歴然たる個人の『強さ』だからだ。
余程の人道に反した行動でない限り、セプレスでは『強さ』は全ての免罪符となる。
しかしこのセプレス王国の特徴は悪いだけの物ではない。
実際、セプレス王国の王族は非常に優れた血統を持つ。肉体的に、外見的に、あるいは魔力的に優秀な人間が子を成してきたからだ。
王の伴侶たる王配には四人の優れた人物が選出され、それぞれ一人ずつ子供をもうける。その中で勝ち残った者が次の王となるのだ。
そうやって優れた者同士の血が作り上げた王族の血族に生まれた者は押し並べて見目麗しく、頭脳明晰で、強力な魔力を保有している。
王族はまさにセプレスの実力主義の寵児らであり、だからこそ国の頂点に相応しい『強さ』を持っているのだ。
だが、当然ながら一つの事柄に表があれば裏もある。
セプレスの裏━━━━それは弱者に非常に厳しいという事。
どれだけ醜くても、力に優れれば称えられる。
どれだけ貧弱でも、頭が良ければ賞賛される。
どれだけ馬鹿でも、大金持ちなら認められる。
どれだけ貧しくても、美しければ褒められる。
だが、何にも優れぬ輩は見向きもされない。
一人の男がいる。男は無能が蔑まれる事には納得していたが、おぞましい能力が受け入れられない事は許せなかった。見るに醜悪な才を持つ者はセプレスでは無能と同じに見なされる。
例えるならば、精神を粉微塵に壊す力、賊が女子供を殺す力、そして━━━━魔物を操る力。
男は上級貴族に生まれながらも、無能と蔑まれた者だった。確かに彼に普通の才能はなかった。身体は生まれつき弱かったし、頭脳も人並み。美術の才も皆無で、特に美しくもなかった。貴族で財力があるといっても、同じ貴族の間ではそれも突出している訳ではない。
だが男にも唯一無二の才能、誰にも真似出来ない特技があった。
魔物を手懐け、己が意のままに操る。
そんな『あり得ない』ような力。
しかし、この『強さ』は最後まで認められる事はなかった。セプレスの民にとって魔物とは純粋な破壊によってのみ超克するもので、変則的に支配するものではなかったのだ。
かくして男は無能と貶められ、『強さ』に執着するようになった。
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家族殺し━━━━それは禁忌か? この問いに、多くの者は是と答えるだろう。
だが、獣や魔物を見てみよ。親の肉を食い破り産まれるものもいれば、兄弟を食って生き永らえるものもいる。
それを思えば、己が利のために親兄弟を殺害するのも良いのではないか?
ならば家族殺しは獣も同然ではないか、そう反論する者には何もわかっていないと嘲りを送ろう。所詮人間も獣となんら変わりはしない。人の本質は卑しい『ゴブリン』も同じなのだ。
己のために親類をも排除し、自分一人意地汚く生き残る。それこそが人。それこそが『強さ』。
痩身の男は幼少の砌より幾度となく思考してきた持論を再度胸中に巡らせる。
これは家督争いで兄を謀殺してから続く、痩せた男の癖だった。
男にとって『強さ』とは悪であり、同時に幼い時から憧れて止まないものだった。
あの頃から何十年か。痩せた男の地位も財力も、確固たる物になろうとしている。
小賢しい小娘は排除した。あの愚かな娘もやる事をやらせたら、毒でも飲ませて傀儡にすれば良い。一応、粗暴な男も用心棒として呼びつけている。
薄暗く埃が舞う何処かの室内に男は居た。高級そうな靴裏が汚れる事も気にしていない。男の隣には、虚ろな目をした巨大な犬が大人しく座っていた。
広々とした室内の壁や天井、床には摩訶不思議な模様が縦横無尽に走る。それは魔術的な仕掛けだったが、今は稼働していなかった。
痩せた男の目の前に、広大な部屋の一角を占めるほど巨大な石塊が鎮座している。
楕円形の石塊の中身は空洞のようで、割れた隙間から内部の闇が覗けていた。男と犬は静かにその灰色の石塊を見つめる。
不意に闇の中に赤い光が二つ、現れた。
怖気を誘う一対の赤光は闇の中をゆらゆらと揺れる。
篝火は石塊内部の闇を凶々しく切り裂き、男の傍で待機する犬を向いて止まった。
「喰え」
そう男が発すると、石塊の中にたゆたう闇が蠢き、白く長大な棒状の物が飛び出した。
それは何がしかの部品を複数組み合わせた物のようだった。石塊の闇から突き出る長大な『白』の根本は太い一本の棒。そこから全長の半ばより前ほどで二本のより細い棒に接続し、末端部では様々な細かい部品が合わさって、最終的には五本に分岐している。
正しく『白』は人間の腕の骨だった。掌の大きさだけでも痩せた男の身の丈より大きい事を除けば、だが。
石塊から伸びる『白』は完全なる一色だったが、それは一片の穢れもない澄んだ純白ではなく、凡ゆる汚れを煮詰めた闇のような白濁である。
筋肉も腱もないのに、隙間だらけの『白』は確かに腕の形を維持していた。どころかその伽藍堂の肘関節を曲げる。不気味に白い五本の指骨が淀んだ空を切って、巨大な犬をその手中に握り込んだ。
『白』は軋みをあげながら━━━━否、悲鳴をあげていたのは『白』ではなく、掴まれた犬の全身の骨だ━━━━その骨の右腕を石塊の闇に沈めた。
二つの赤い灯火が満足気に揺らめき、まるで小魚をすり潰すような音を立てた。
巨大な犬、民魔『単頭の魔狼』の絶命を知り、痩身の男は十数年来の渋面を頷かせた。男の口角が釣り上がる。
魔物を操るという稀有な才能を持つ男だったが、準備もなしに満足に支配出来るのはせいぜい民魔が限界。士魔以上ともなれば、掌握には非常に達成困難な条件が付加される。
つまり、産まれたての魔物を手ずから育てる事だ。
そもそも魔物の雛や赤子自体が珍しい。士魔以上のそれを発見、捕獲するのは容易ではなかった。
だがその問題は、かつての大魔術師ヘカテが造った『修練場』の特殊機能により補填される。
己のために誂えたようなそれを見出だした時の歓喜を追憶し、男は肉の薄い顎を撫でた。
この力はあくまでも予備、念の為。上手くいかなかった時の最後の切り札。完全な制御も出来ない。故に使う事は己の破滅を意味する。そう思索に耽り、しかし男は今度こそ明確に笑った。
━━━━私は死なん。この世全てを犠牲にしても、惨めに泥を啜てでも生き残る。それが力、人の『強さ』。
だが、自身が絶対的な死の局面に遭遇し得る事も痩身の男はよくよく理解していた。例えるならば、あの愚か者が言う『迷宮都市』との戦。
戦場に出る事もあるだろうし、矢が脳天を射抜けばそれだけで男は即死だ。
男はセプレスの重鎮だから、敗戦すれば殺されるかもしれない。
━━━━その折には『迷宮都市』もろともセプレスを道連れにするのも良いやも知れぬ。
痩身の男━━━━オレイード=リプル大臣は公魔『闇精霊:骸骨種』の卵を前に、兇悪に歪んだ笑みを見せた。




