死闘
この混乱に乗じて3人は手ごろな馬を盗み綿竹城を抜け出した。次に趙兄弟の父趙子龍の元を尋ねる。歴戦の豪傑も年には勝てない。この頃趙雲は床に就いている時間が長くなっていた。息子たちから李厳の話を聞いた趙雲は烈火の如く怒った。
「その昔、先帝玄徳様からの遺言を直に受けたのは、孔明と儂、そして李厳であった。玄徳様は息も絶え絶えのご様子であったが、儂ら3人に「幼子を頼む」と言い亡くなっていった。
あの時の玄徳様のお姿はいまでも脳裏に焼き付いておる。それを李厳の馬鹿者が・・・」
ぎりぎりと歯を噛みしめる音が聞こえる。趙雲は立ち上がると銀の甲冑をつけ、槍を握りしめた。
「よし、憎き李厳の首、一槍のもと叩き落としてくれよう」外に飛び出す。
「滄天、滄照出陣じゃ。供をせい」
滄天は滄海の弟、滄照は妹である。滄天は槍を使い、滄照は小剣を使う。彼らは趙雲の下で2年間調練を続けており、かなりの腕前を持っている。2人はすぐに馬を引いて来た。
「滄海、旗を持て」
「はっ」滄海が「趙雲」という旗を掲げる。
「皆の者遅れるでないぞ。」
6人は成都へ向かって一直線に駆けた。途中、多数の兵に出会ったが、趙雲子龍の名を知らぬ者はいない。また、たった6人での移動なので危険視するものはなく、「大将軍が珍しい。何のご用事だろう」などと言って咎める者もいなかった。しかし、さすがに成都の城門前では咎められた。
「これは趙雲様、お珍しい。どのようなご用事ですか?」
見たことのない兵士である。趙雲達は馬を降りると、
「見ぬ顔だな。新兵か?」
「はい。李玩と申します。お見知りおきください」
慇懃に頭を下げる。
李玩という若者、ひょろっとしていて色が白く、唇がやけに赤い。とても兵士には見えない。
(女子のような奴だな)趙雲は心の中で思った。
「国家存亡の大事を陛下にお知らせするのじゃ。そこを通せ」
「お待ちください。陛下へお伺いを立てて参ります」
「国家存亡の危機だと申しておろう。そんな暇はない。通せ」
「弱りましたな」
李玩は腕組みをして考える仕草をしたが、すぐに
「分かりました。お通りください」
開門といって門を開けさせた。趙雲達が入ろうとした次の瞬間、大量の矢が射かけられてきた。趙雲と滄海が槍を風車のように回して矢を弾く。その二人に李玩が飛刀を投げつける。この飛刀を趙兄弟が弾き飛ばす。蒼天が李玩に渾身の槍を突き出す。すると李玩は後方に体を捻りながら跳躍してその槍を躱した。その距離が長い。ゆうに3mは跳躍した。その李玩に向かって蒼照が小剣を飛ばす。なんと李玩はその小剣を空中で掴むと蒼照に投げ返してきた。蒼照が下がってそれを躱す。
「やめい」
城の奥から声が聞こえる。すべての攻撃が止む。
「大将軍、いやもう隠居しているから大将軍ではないな。趙雲よ、陛下のお許しを得ずなぜ御門を押し通ろうとした。謀反人のやることではないか」
そこには薄ら笑いを浮かべた李厳が居た。隣には偽の劉禅が居る。
「おう李厳、良く申した。その言葉そっくりそのままお前に返そう。もう事ここに至っては何をか言わんやだ。その首を差し出して陛下へお許しを請え」
李厳はさも意外だという顔をして、
「これは意外なことを言う。敵に利する戦いを続ける孔明は魏に降っておる。即刻打ち取れという、ここにおわす陛下からの勅命である」
「はーはっはっ、笑わせるでない」
趙雲は大声で笑った。
「そこにいるのは偽物だとお前は気付いているだろう」
その言葉を待っていたとばかりに李厳は、
「皆の者聞いたか。陛下を偽物呼ばわりしたぞ。明らかな大逆である。即刻殺してしまえ」
趙雲はさらに笑う。
「大義名分が欲しいか。器が小さいのう。そんなだからその大才を持ちながら、丞相の足元にも及ばんのだ」
その一言で李厳の表情が変わった。
「うるさい、黙れ」
歯を剥きだして怒っている。
「おっ、怒ったか。だが黙らんぞい。欲を押さえられない、欲まみれのお前さんは、すべてにおいて丞相を超えることはできない。いや、ひょっとすると馬謖にも負けとるんではないか?」
李厳の唇が捲り上がる。
「うるさい。孔明が何だというのだ。あの男は、先帝に溺愛され相父という位を手に入れた。ただ時流に乗っただけではないか。私の方が早く玄徳様にお会いしていれば、立場は逆転していたはず・・・」
「自惚れだのう。過剰な自己評価、慢心。この世に丞相を超える者など居るものか。お主も一歩下がっておれば歴史に名を残せたものを惜しいことをしたな」
趙雲から多年の同志だった男への最後の慰めである。その言葉で李厳は少し落ち着きを取り戻した。
「自惚れているのはお前ではないか?ここにいる1000人の兵士はただの兵士ではないぞ。各部族から一騎当千の猛者を金にものをいわせて連れてきた。万単位の敵を想定していたが、まさか6人だけとは・・・拍子抜けもいいところだ」
趙雲はせせら笑って、
「ふん、見くびられたものじゃ。わしも五虎将軍の一人、老いたりとはいえそう易々と討ち取られはせん。李厳、すぐに行く。首を洗って待っておれ」
趙雲が槍を構える。
「老将軍、話が出来て楽しかった。大逆人である。この者どもを皆殺しにせい」
李厳の大声が響き渡る。その声と同時に一本の矢が趙雲の胸を襲った。それを槍で払い落とす。
(正確な良い矢だ。黄忠の矢を思い出す。だが、まだ甘い。黄忠の矢ならば我が槍は粉々に砕け散っている)趙雲は心の中で思った。それと同時に油断ならじという思いも新たにした。
「蒼照とわしで弓矢部隊を殺る。その間、お前たちはわしが動けるように援護せよ。決して打って出てはいかん。敵は相当な手練れだ。見くびってはいかんぞ」
「はっ」4人が一斉に返事をする。
趙雲が矢を払い落とし蒼照が小剣を投げる。蒼照は片手に3本の小剣を、両手で一気に6本の小剣を投げることが出来る。敵兵が次々と倒れる。それを見て敵の隊長が「物陰に隠れて矢を放て」と命じる。敵の隊長は、先ほどの李玩であった。
(しめた)
趙雲は、物影に隠れた兵の元に素早く移動して、一人また一人と突き殺してゆく。攻撃しようと飛び出す兵士を蒼照の放つ小剣が襲う。敵の弓隊は全滅した。
「これで良し!」
趙雲が4人の方を見てみると、防戦で必死のようである。特に息子たちは危なっかしい。
「弓は片づけた。暴れてよいぞ!」
「お師匠、暴れたくても数が多すぎる。こいつらかなりやる」
蒼天が情けない声を上げる。
「仕方ないのう。蒼照、援護せよ」
4人に群がっている敵に向かい蒼照が小剣を放つ。その小剣が飛刀に弾き飛ばされた。
「そうはいきません」
李玩の声が聞こえる。
「やるのう。女にしておくのは勿体無い」
「私は男ですよ」
「ならばわしが相手をしよう」
「ならばとは、どういう意味ですか?」
「女は殺らない主義でな」
「間違えました。私は女です」
「ふざけた男だ。蒼照、不甲斐ない息子たちを助けに行け。ここはわし一人で十分じゃ」
頷き駆けだそうとする蒼照に、李玩が飛刀を放とうとする。
「お前の相手はわしだというに」
趙雲は李玩に猛然と近づき鋭い突きを放つ。
「シュッ」
鋭い呼吸音がして、李玩がその突きを屈んで躱す。二の槍を繰り出そうとする趙雲に下がりながら飛刀を放つ。それを趙雲が槍で弾く。
十分な距離が開く。
「素早いですね。流石は伝説の武人趙子龍殿、とても御老人とは思われない」
「お主も変わった技を使う。戦場に出て30年を超えるが、そのような動きは初めて見るわい。面白いのう」
「ええ、これだから武術はやめられません」
「うむ、同感じゃ。始めるか」
「少々お待ちください」
李玩は、集団の戦いを見つめた。蒼照の加勢で趙雲軍が優勢に見える。
「甘光、寧江、遊びは終わりだ。死力を出せ」
大声で命じる。すると少し離れたところで闘いを見ていた大男が、
「すまねえ、隊長。わかりやした」と返事をした。
李玩は、一つ頷くと
「失礼しました。始めましょう」といって趙雲に向き直る。
「では参る」
趙雲は槍を低く構えた。
「うらぁ」
二人三人と滄海の槍が敵を貫く。蒼照の小剣が敵を襲い始めてから敵は前にのみ集中することが出来なくなった。趙兄弟・蒼天も優位に立っている。
(これはいけるぞ。目指すは李厳だ)
滄海がそう思った時、もの凄い矢が滄海の上を通過した。
(速い!)
滄海は反応できなかったが幸いなことに矢は彼の頭上を通過した。
「きゃー」
女の悲鳴が聞こえた。
「???」
何とその矢は滄海ではなく。蒼照を狙ったものであった。滄照の左太ももから大量の血が流れている。矢は貫通し後ろの壁に突き刺さっていた。蒼照は倒れている。
「蒼照!!!」
4人が叫んで助けに行こうとするが、目の前に巨大な男が立ち塞がった。その男は滄海よりも頭一つ分でかい。体つきも岩のようである。
「どけー」
滄海の渾身の突きが胸に突き刺さった。しかしその槍は後ろに突き抜けずに男の体の表面で止まっている。驚く滄海に男の拳が見舞われた。槍を持ったまま滄海が後ろに吹っ飛ぶ。
「よくも、兄上を」
蒼天の槍がでかぶつの喉を襲う。でかぶつがその槍先を素手で掴む。槍ごと持ち上げられ壁に叩きつけられる。
「ぐえっ」
蒼天の口から血が噴き出した。槍を放しずるずるっと下に崩れ落ちる。その顔にでかぶつの拳が見舞われる。ぐしゃっと変な音がして蒼天は動かなくなった。
趙兄弟は、蒼照の前に立ち塞がった。そこに第二の矢が向かってくる。趙広がその矢を剣で弾こうとしたが、その矢の威力は強く弾くことが出来ずに彼の腕に突き刺さった。思わず剣を落とす。
「趙広!」
趙統がその前に立ち塞がる。受けられる自信は無い。それほどの弓だ。しかし、逃げるわけには行かない。三の矢が放たれた。
(来る)
趙統が身構えたときに、その矢は、飛び込んできた彼の父により弾かれていた。趙雲は着地と同時に血を吐いた。
「父上ー」
趙兄弟の叫び声がこだまする。




