謀反
その再会の涙も乾かぬうちに、蜀を揺るがすほどの情報が届いた。
「李厳の謀反」である。これには非常に驚いたし、劉禅は強い責任を感じた。
「不甲斐ない我を見限ったか」
孔明もこれには心を痛めた。李厳は先帝玄徳からの重臣で、主に財政に係る大臣職を務めている人物だ。また、軍事にも才能があり、今回は食料などの物質の輸送を任せてある。食料の運送などは、軽く見られがちだが、食料は狙われることも多く、高い軍事面の才能を必要とする。孔明が心置きなく遠征に出られるのも、実に李厳の才幹によるところが大きい。その彼が裏切ったということは、これからの救援物質は届かないということになる。食わなければ生きられない。これは遠征軍にとって致命的な出来事である。さらに悪いことに、引き返すにも李厳は国に戻るのを拒むであろう。そうすれば戦になる。戦うのはどちらも蜀の兵、勝っても負けても国力の低下は著しい。戦が長引けば、魏に国を攻め取られてしまうのは確実である。孔明は悩んだ。
「相父、これは朕が招いた災い。朕が戻って収めてまいる。相父はここで魏に備え、必ずや中原を奪回してくれ」
劉禅がいう。勿論、劉禅が居ればこんなことにはならなった。情報によると偽の劉禅が李厳に権限を与えているようである。思い上がってしまったのか、あるいは李厳に脅されているのかは分からないが、彼が居ればこのような事態には絶対にならなかったと断言できる。劉禅は今、猛烈に悔やみ後悔している。
孔明は、再拝し
「恐れ多い。此度のことは私の不徳が招いたこと、ご心配には及びません。そのようなことよりも時は一刻を争います。策を考えましょう」
「だから、朕が直接出向き、この暴挙を収めてまいる。」
「いや、それはなりません。近々、ある男が尋ねて参ります。その者を味方につければ、100万の兵にも勝り、蜀の統一を10年は早めることができる逸材でございます。この好機を逃すことなく是非とも直接お会いして頂きたく存じます」
「何、それほどの逸材が我が軍に、してその者の名は何と申すのじゃ」
孔明は少し、いたずらっぽく笑って、
「それは後のお楽しみ。それよりも李厳をどうするかですが・・・」
ここで、強い意志を感じる声が聞こえる。
「丞相、私にお命じください」
誰かとそちらに目を向けてみれば、馬謖である。孔明は、一瞥するなり、
「小僧、これは国家の大事である。控えろ」と一喝して下がらせようとした。
しかし、馬謖は、
「国家危急の時、命がけでこの大事にあたりたいと思います。事収まらずにおめおめ帰還したときには、この首を城門に晒されても文句はありません」
と必死の形相で訴える。孔明はきつい口調で、
「ならば問う。此度の対処で一番重要なことは何だ」
「時にございます。時間がかかれば魏に利するばかり、迅速な収束が大事と存じます」
「下策は?」
「仲間同士、真っ向勝負」
「上策は?」
「一撃必殺、李厳の首」
「うむ」孔明は下を向いて少し考える。言っている事は的を得ている。しかし、この間の失策が孔明の決断を鈍らせていた。ここで劉禅が控えめに
「相父よ、馬謖に行かせてやってくれんかのう」と助け舟を出した。
「馬謖、この間のようなことはあるまいな」劉禅がにらみつける。
「勿論でございます。ご命令には二度と逆らいません」
馬謖が床に額をつけて平伏する。哀願するように劉禅が孔明を見つめる。孔明はやれやれという風にため息をつくと、
「よかろう。良いか、迅速かつ一撃で李厳の首を落とすのじゃ。二度目は無いぞ」
馬謖は、その顔をほころばせると、
「一つお願いがあります。趙統殿、趙広殿と共に行くことをお許し下さい」
先程の山上の作戦でよっぽど二人の才幹を買っているのだろう。
「許す。また、滄海と朕の騎馬隊30騎も連れて行くがよい。準備が出来次第出発せよ。挨拶には及ばん」
30騎の騎馬隊は、滄海の毎日の調練で見違えるほどになっていた。通常の騎馬隊であれば、10倍の相手と互角以上に戦えるだろう。馬謖は礼をいい準備に向かった。馬謖が去った後、劉禅と孔明は今後について話し合った。とりあえず、2週間くらいはここに駐屯し、その後、長安に向けて進行すると孔明は言った。2週間で李厳を収束できると考えているのかな?と劉禅は思ったが口にはせず、空いている時に講義をしてくれないかと頼んでみた。孔明は微笑みながら承諾してくれた。これで楽しみができた。劉禅は嬉しそうに微笑んだ。
それからは孔明の講義を聞く平穏な日々が続いた。自分一人ではもったいない。劉禅は、姜維を同席させることにした。孔明の講義の中心は、帝は民のために何をするべきか、何をしなければならないかである。最初はそんなことを言われなくても分かっていると思うのだが、孔明は、その必要性と効果、方法など事細かに論じてくれるので、直感でものを判断しがちな劉禅にとっては、まさに目から鱗である。劉禅は論理的思考というものが大事だということを再認識した、と同時に自分は苦手だなとも思った。さらに薫陶を受けたのは姜維である。彼は頭脳明晰、武勇にも優れており、天才であると思い上がっていたので、誰が相手でも引けは取らないという自信があった。しかし、孔明との出会いで彼の自信は砕け散った。彼は33歳と若い。天下の臥龍と称される孔明であっても、それほど引けは取らないであろう。あわよくば、自分の方が勝っているのではないか?と心の底では思い、講義中に頃合いをみて論戦を挑んでみた。結果は、赤子の手を捻られるようであった。それからはひどく恥じ入って、孔明を父のように慕い、己の研鑽に励むようになった。また、そんな姜維を劉禅はひどく気に入った。趙兄弟の代わりにそばに置き、武術の相手を務めさせた。姜維の得物は槍である。一つ一つに工夫のある知的な技を使う。劉禅にとって姜維はちょうど良い相手であった。そのような劉禅にとっては平穏な日々を送っていたが、孔明が現れ、魏への出兵を願い出てきた。劉禅は、
「成都が収まったという連絡もないし、先ほどの敗退で兵も疲れているのでもうちょっと先にしてはどうか」と提案したが、孔明は
「時は今しかありません。今を逃せば漢王朝復興は叶いますまい。伏してお願いします。」と頼み込んできたので、仕方なく許した。
次回は「遅い行軍」です!楽しみにしていてくれたら嬉しいです。では!




