幕間5 ラーメン大好きスージィさん
そこは市民街の外れの一画。
スラムの近くで用事を済ませた帰り道。
何でもその通りには、古い庶民の味のお店がいくつもあるとかで、この機会にひとつ行ってみようかと足を伸ばしてみた次第だ。
狭い路地に入って直ぐ気がついた。
何とも懐かしい香り。
茹でられた小麦が湯気に乗って漂っている香りだ。
その香りに誘われるまま進んでみれば、それは直ぐに目に入った。
赤く分厚い布地で作られた、突き出す様に伸ばされたお店の軒先。
これは。……まさかッ!!
躊躇う事なくお店の引き戸を開け、暖簾を掻き分け店内に足を踏み入れた。
「らっしゃい!」
直ぐに力強い声が厨房の奥から響いて来る。
店内はL字型のカウンターのみ。テーブルは無い。
勿論そのカウンターも赤い色だ。
椅子の数は10脚ほど。既に3人座っている。
いずれも男性。30代が2人と、40代が1人といったところか。
わたしの様な年頃の女子が、1人で入るのは珍しいのだろうか。3人とも食べる手を止め一瞬コチラに目を向ける。
そんなおっさん達の目線を、いちいち気にしてなどいられない。わたしは空いているカウンターの椅子に向かい、そこへ徐に腰を下ろす。
直ぐに3人とも自分の器に向き直り、再び箸を動かし始めた。
座ったカウンターの向こうからの熱気が、顔にかかってくる。
カウンターの内側の厨房では、恐らく店主であろう男が白いタオルでねじり鉢巻をし、白いピチT一枚で大きな寸胴鍋をコレまた巨大なシャモジでかき回していた。
「何になさいます?」
店主が鍋を撹拌しながらコチラも見ずに聞いて来た。
「ネギチャーシューの大盛り。味玉も乗せ、て。あと半ライス」
店主がコチラを一瞥した。
こんな小柄な小娘が喰えるのか? ってな顔だな。
他の客達も同じく箸を止めて再びコチラを見た。
「……お好みは?」
店主がお決まりの問いを投げて来た。
「麺硬め。味は普通で脂多、め」
「あいよ」
店主がわたしの答えに返事を返す。
そのまま底の浅い箱の中に並べられた麺の塊を、ひとつと半を掴むと深い鍋の中へ落とし入れた。
大量の湯の中では、麺が踊っているのだろう。
例の茹でられた小麦の香りが、湯気に乗ってコチラにも来る。
まさかこんな場所で、こんな懐かしい香りに出会うとは思ってもいなかった。
思わずドキドキしててしまう。
カウンターの向こうでは、店主が大きな器を取り出し、調理台の上にゴトリと置いた。
なるほど、大盛り用の器は結構な大きさだ。
店主が再びチラリとわたしを見た。
だが、わたしはカウンターに肘を付いたまま、組んだ手の指に顎を乗せ、静かに店主の調理を見守る姿勢を崩さない。
おっと、お水を頂いておこうか。やはりココもセルフサービスなのだね、納得だ。
わたしは左手を伸ばし、カウンター前の台上に置いてあるグラス置き場からコップをひとつ取った。続いてカウンターに置いてあるウォーターピッチャーを右手で持ち上げる。
ピッチャーを傾ければ、中の氷がカラカラと良い音をたて冷えた水がコップに注がれて行く。
冷えた水で満たされたコップを持ち、そのまま自分の口元へと運ぶ。
そしてその冷えた水で口を潤したら、コップは速やかにカウンターの自分のテリトリーの端へと置いた。
わたしは再び手指を組んで、厨房内へと視線を戻す。
店主は金属のボウルの中に、刻まれた白髪ネギをひと摘み入れていた。そこへ恐らく唐辛子粉であろう赤い粉末を小さじて投入し素早く混ぜ始める。みるみる白かったネギに赤味が付いて行く。
調理台に置かれた器からは、僅かに湯気が上がっている。
ネギの入ったボウルを脇に置いた店主は、その器にかえしのタレをレードルと呼ばれる金属の小さな器具で素早く注ぐ。
そして間を置かず、店主はスープを煮込んでいる大きな寸胴鍋から、手持ち鍋でスープを一杯分掬い取った。
そのまま左手で平網を持ち、器の上で手持ち鍋から注いだスープのアラを濾して行く。
スープが器に十分注がれると、今度は平たい湯切り用の網に持ち替えた。
麵を茹でる時間は感覚で覚えているのだろう。網を鍋の中に入れグルグルと回し、タイミングを見る様にして麺を掬い出した。
そのまま網を何度か勢いよくリズミカルに上下させ、手首だけで手際よく湯切りをしている。
そして湯切り終えた麺を、手持ち網からまるで流し込む様にスープの中へと落とし込んだ。
その後はまるで時間との勝負とでも言いたげに、素早く具材を乗せて行く。
ほうれん草を乗せ、チャーシューを並べ、煮卵を置き、海苔を器の周りに壁でも作るように並べていく。
そして最後に山盛りの白髪ネギを乗せた。
わたしはそれを眺めながらポケットの中からシュシュを取り出し、それで髪を纏めておく。
「お待ち」
ゴトリ! とカウンター前の台の上に出来上がった器が置かれた。その横には小さなお椀によそられたご飯も。ご飯の脇には小さな黄色い沢庵が二切れ乗っている! 沢庵まであるのか?!
目の前に置かれた大きめの器に両手を伸ばし、テーブルへと降ろす。続けてご飯の盛られたお椀もその脇におろした。
立ち昇る湯気と一緒に豚骨の香りが鼻腔をくすぐる。
まずはレンゲを手に取り、その背で上澄みの脂を追いやってそのままスープを掬った。
それに口を付け一息ズズッと啜れば、臭みの無い豚骨の香りが程良い塩味と一緒に口の中に広がる。
更に旨味が舌の両側に痛いくらいに沁みて行く。
思わず口元が綻んでしまう。
ウン、間違いない!
テーブル奥の割り箸立てから一本引き抜き、それを開くように力を均等にかければ、パチリと綺麗に二つに割れた。
角を取るように軽く擦り合わせてから右手で持つ。
そして麺を摘み上げ、一息に啜った。
すると忽ちスープの香りと麺の小麦の風味が、鼻腔を突き抜けて行く。
そのまま麺を噛み締め、モチモチの麺の弾力を味わう。
ウンウン、そうだこれだ間違い無い。
食べたかったのはコレだよこれ!
よくぞココまで再現してくださった!!
一体どれだけの苦難苦労があった事だろう。
ネギを掻き分け摘んだチャーシューを齧りなら、この偉業に思いを馳せずにはいられない。
あぁ勇者様! いや、この場合は随行者さま様かっ!!
夢にまで見たネギチャーシュー! この香り、この歯ざわり、この再現度!
まさか再びこの味に出会えるなんてッッ!!
心より感謝いたします!!!
おっと、薬味も忘れちゃいけない。
ちゃんと揃ってるね、おろし生姜におろしニンニク、そして豆板醤!
豆板醤まで再現したのか?!
そして見覚えのある青い缶のコショー入れ! ……こんな物まで。
イカン、泣きそうになって来た。
一旦、素の味を確認した後は、どんぶりの上で缶を振り、ブラックペッパーとホワイトペッパーをブレンドしたコショーを適度に振りかける。
そして薬味を其々控えめに掬い、器の向こう端に落として行く。
あまり入れすぎるとスープが薬味だけの味になっちゃうからね!
お好みだと思うけど、こうすると食べ進むうち徐々に味変してくれるので、わたしは好きでやっていた。
麺と一緒にネギも食べれば、モチモチ、シャキシャキと違った食感と共にネギの香りも立ってこれがまた旨い!
そして海苔。
スープに浸したくらいで溶け出してしまう薄い物とは違い、やっぱりこの海苔は分厚くしっかりしていて香りも良い。
脂を吸って旨味をタップリ蓄えた海苔を一枚箸でつまみ、丸ごと口に放り込む。
スープに浸っていない部分がパリっと海苔の風味を感じさせ、直ぐに染みたスープの旨味も口に広がる。
更に海苔もう一枚、スープの海から引き上げ、これはご飯の上に載せた。
その海苔でご飯を巻いて頂けば、海苔から染み出たスープの旨味がご飯にも染みて、これがまた絶妙な塩加減になる。
美ン味ッ!!
ご飯に海苔を巻いて食べるとか、もう出来ないと思っていたのに。沢庵もポリポリと美味ひい……。
あ、なんかホントに泣きそう。
零れ落ちそうになる涙と鼻水を、ハンカチで押さえながらも箸は止まらない。
何枚もあるチャーシューの一枚に白髪ネギを乗せ、それを『ネギ巻き』にして頂く。
更にチャーシューをご飯に載せ、その上にまた海苔も載せてご飯を一緒に巻いてしまう!
このチャーシューの食べ方のバリエーションを楽しめる至福といったら!!
味玉をひと口齧れば、トロリとした黄身が口の中をまたまろやかにしてくれる。
半分にした味玉は一旦スープに沈めておく。
勿論、麺を啜るのも忘れない。
思い切り啜れば、脂を纏い香り立つ麺の隙間に毛細管現象でスープも一緒に上って来る。
お口が旨味の洪水やぁ!!
ついつい一気に啜り過ぎて、口の中が麵で一杯になってしまう。
口の中一杯のモチモチとした麺を噛み締め、レンゲで掬ったスープで流し込む。
適度に麺が減った所で、スープに浸った卵をレンゲで掬って半分ほどになっているご飯の上に乗せた。
そのまま卵を潰し、グチャグチャとご飯と混ぜ合わせ『味玉ご飯』に仕上げてしまう! ご飯には、さっきから乗せている海苔やチャーシューからのスープが十分に染みている。そしてそれをレンゲを使って一気にかきこむ!
ああ! なんというチープな味わい!
至福ッ! ま・さ・に、至福ぅぅ!!
気付けば、あれだけあった器の中身がスープだけになったいた。
スープの底には、まだまだ麺の切れ端や具材の欠片が沢山沈んでいる。
わたしは蓮華を使い、それをスープと一緒に掬い上げて頂いて行く。
この頃になると、もうスープは既に豆板醤の赤みで色付き、ニンニク風味も強く感じる物になっている。
おろし生姜の刺激もいい具合だ。
スープに全ての味が濃縮され、最後の仕上げと言った感じになって来た。
レンゲを左の親指で、お箸を右の親指で其々抑え、器を両手で掴んで持ちあげた。
それを口元に運んで器の端に口を付ける。そしてそのまま傾け、濃縮されたそのスープを口の中に流し込んだ。
こんな旨味の塊、一気に飲み下すなど勿体ない。
スープを口の中に迎え入れたら、一口ごと噛む様に味わってから嚥下する。
今のこの身体は、塩分過多など気にする必要の無い健康体だ! スープを飲み干す事に、何の遠慮があろうものか!!
ゴクリゴクリと喉が鳴り、スープが喉奥に流れ込む。
喉の奥を暖かい旨味が流れ落ちるこの感触! この快楽!!
器の傾きは一口飲むごとに大きくなり、見る見るスープは減って行く。
ぷはぁ――――――――。
気付けば最後のひと口迄飲み干していた。
ゴトリ! とテーブルに空の器を置けば、沈んでいたコショー粒と一緒に僅かに残ったスープが、器に纏わり付くようにその底へと落ちて行く。
そのまま水の入ったコップを手に取り、中の水を一気に空けた。
ゴクゴクと水を飲み干せば、フゥ……と思わず口から息が漏れる。
そしてお箸を器の上に揃えて置き手を合わせた。
わたしは空になった器とコップをカウンター上の台に返し、そこにあったダスターで自分が使っていたカウンターを軽く拭く。
そしてポケットから中銀貨を一枚取り出して、空の器の脇へ置いた。
ネギチャの大盛一杯100Cか。納得のお値段だ。
「ごちそうさま」
店主に言葉をかけながら席を立つ。同時に髪を纏めていたシュシュも外した。
「ありがとうございました!」
威勢のいい店主の声が背中越しに聞こえる。
その声に押される様に暖簾をくぐり外へ出て引き戸を締めた。
その時一陣の風が流れ、髪を揺らし頬を撫でる。
フッ! 火照った体に外気の風が心地良いぜ!
ついつい爪楊枝を咥えたまま、ニヒルな笑みなんぞ浮かべちまいましたですわよ!
なにか魂が、懐かしいエナジーを補給したような心地よさを感じている!
うん、また来ますとも。
今度はミアやビビも誘ってみようか。気に入ってくれるかな?
アーヴィン達男子勢なら絶対気に入る筈!
いや? ひょっとしたら既に知っているかも?! 知っていたら……ちょっと許せなくなる……かな?
……まあ、いいか。
よし! 次はキャベツ増しで海苔ラーメンを頂くぞ!
やっとの事『大盛ネギチャーシュー』が食べられたというお話。





