214話 たったひとつの冴えたやりかた
私から見ても、巨獣の後を追う事はそう難しい事では無いと思いました。
沢山の木や大きな藪が、とても広い範囲で踏み潰されていたからです。
明らかに巨大な何かが通った跡です。
それだけではなく、大きな地響きや何かに襲われている魔獣達の叫びも、絶え間なく辺りに響いていました。
テラードッグの足が、思いのほか速かったのも理由だと思います。
でも、酷く体力が落ちている今の私にとって、これはとても過酷な行いでした。
それにあの巨獣は、真っ直ぐに進んでいるワケではなかったようです。
街の灯りが時折見える西方向へ向かっているかと思えば、赤い光を空に浮かべた北のローハン火山の方角へと、いきなり向きを変えるのです。
フラフラと進む方向が定まらず、まるで迷走でもしているようでした。
おかげで、思った以上に早く追いつく事が出来ました。
体力が殆ど無くなっていた私にとって、その姿を直ぐに見つける事が出来たのは本当に幸運な事でした。
しかし再び見つけた巨獣の姿は、先ほど見た時より少しばかり様変わりしているように感じました。
尻尾はあんな蛇の様に長かったでしょうか?
あの太い脚に、あんなに毛足の長い毛が伸びていたでしょうか?
それよりも、巨獣の身体が一回り以上大きくなっている様な気がします。
テラードックの背に懸命にしがみ付きながら、その様子に目を凝らしていた時、巨獣が進路に居た岩の様な肌を持つトカゲを踏み潰したのを目撃しました。
踏まれたそのトカゲの魔獣も、決して小さくは無いと思います。
トカゲは身体の真ん中を踏み潰されましたが、前脚から上と後ろ脚から下は、巨獣の足からはハミ出す程の大きさを持っていました。
驚いた事に、そのはみ出たトカゲの身体が、巨獣の足に吸い付いているように見えました。
そしてその身体が、見る見る巨獣の足に吸収されて行ったのです。
その姿が完全に飲み込まれた後、気付けばトカゲを踏み潰した巨獣の右の前脚が、トカゲと同じ様な岩の皮膚になっていました。
巨獣は移動しながら他の魔獣を襲い、それを自らに取り込んでいるのだと知りました。巨獣の悍ましさを目の当たりにした思いです。
突然、悲し気な叫びが響いてきました。
思わず顔を上げてしまいます。あれは間違いなくカレンの声です!
カレンの叫びが聞こえるたび胸の奥が締め付けられ、涙が溢れて来そうになります。
同時に、テラードックに摑まる腕には自然と力が籠ります。
やがて巨獣は『シロベーンの森』を抜け、岩だらけの地熱地帯に入りました。
起伏もそれなりにあり、あちこちに岩で出来た丘の様なものも沢山あります。
巨獣がそのひとつの近くを通る時、テラードッグに岩を駆け上がらせ、それを足場にして巨獣の大きな背中へと一気に飛び移りました。
思った以上の着地の衝撃で腕が離れてしまい、私の身体は巨獣の背中に放り出されてしまいました。
それでもなんとかその大きな背中にしがみ付き、振り落とされる事だけは回避できました。
ようやく体勢を立て直せましたが、体を起こす事もままなりません。
それでも、巨獣の背中を這って移動する事は出来ました。
ふと後ろを見ると、私を乗せて来たテラードッグが巨獣の背中に半ば沈んでいるのが見えました。
やはり『線形魔力生命体』を体内に持つ者は、この巨獣にすぐさま吸収されてしまうのかもしれません。
その悍ましさに寒気を覚えます。
だけど今はそんな事よりもカレンの事です。
直ぐに私は顔を前へと向け直しました。
巨獣が走る振動はかなり大きく、受ける衝撃も大変な物になります。とても立つ事など出来そうにありません。
ゴツゴツとした大きな背中に、全身でしがみ付くしかありませんでした。
体力も残り少なくなっています。力も入らなくなってきて、今にも手が離れそうです。
それでもカレンの傍へ行きたい思いだけで、震える手を前へ前へと伸ばし続けました。
呼吸をするのも酷く辛くなっていて、目も霞んで来ていました。
そしてやっとの思いで巨獣の肩付近、カレンと思わしき人の身体の近くまで辿り着いたのです。
「カ、……カレン! カレンなのでしょう?! 答えて……カレン!!」
何かを考えていた訳ではありません。
只カレンの傍に居たくてここまで来ました。
そのカレンに手が届きそうになって、思わず声を上げていたのです。
「?!!」
その私の呼びかけに、カレンの身体がビクリと反応するのが分かります。
「コ、コーディ……?」
振り返って私を見るその目は驚きに見開かれ、信じられないと言いたげに口元を震わせています。
身体中に刺青の様な赤黒いラインが走っていますが、これは間違いなくカレンです。
その時、カレンの動揺に共振する様に巨獣の身体が傾きました。
「ぅああっ! くっ! うぅっ!」
「カ、カレン?! どうしました?! カレン!!」
巨獣が進行方向を変えようと、体の向きを変えたようでした。
さらに巨獣の身体が大きく傾きました。私は、振り落とされまいと必死に腕に力を籠めます。
歯を食いしばる私の眼に、カレンが苦し気にその身を捩っている姿が映りました。
まるで、この巨獣の動きに抗う様に。
「カレン?! まさか?!」
私は揺れる巨獣の背中から振り落とされまいと、必死にしがみ付きながら巨獣に対して『従魔の加護』を使用しました。
忽ち、巨獣の意識が私の中へと雪崩れ込んで来ます。
「――――――――ッッ!!!!!」
それは混濁した無数の意識の塊でした。
恐れ、苛立ち、怒り、憎悪……。
そんな、他者に仇成さんとする感情の大渦です。
それらは全てバラバラで、統一性も無く好き勝手に感情を吐き出しているだけの物でした。
しかし唯一共通しているのが、他者に対する激しい憎悪です。
己以外を滅したいと云う激しい憤りだけが、この巨体を支配しているのです。
そんな濁った感情の大波が、私を飲み込み精神までも引き裂こうとしています。
「ッッ!??」
でも、そんなどす黒い悪念の渦の中、とても小さく細やかな一筋の光を見つけました。
闇の様に塗り潰された感情の中で、たったひとつの希望の様に、その光はか細いけれど確かな強さを持っていたのです。
激しく渦巻く黒い荒波に意識を呑まれそうになりながらも、やっとの思いでその光の筋に手を伸ばし、それに触れる事が出来ました。
「……カレン」
その光はやはりカレンの物でした。
カレンの意識が、この巨獣の行動を制御しようとしているのです。
巨獣は人の居場所を捉え、憎しみを以ってそこに向かおうとしています。
しかしそれをカレンが抑え込み、人のいない場所へとこの巨獣の身体を向かわせていたのです。
私はその事をこの一瞬で理解しました。
生きとし生きる物を踏み潰したいという、魔獣体の本能と衝動。
自分の中で暴れ駆け巡る暴風の様なそれを、カレンはたった1人、精一杯の力で押さえ込んでいる。
気を抜けばこの巨獣は、人の気配の多い場所へと向かおうとする。
カレンはソレを止めたいのです。
でもこの巨体は、思う様にカレンの言う事を聞いてくれない。
カレンの嘆き迷い苦しみ、そしてその決意が伝わって来ました。
私はスタージョンを通じ、生徒の皆が纏まり、既に避難を始めている事が分かっていました。
この巨獣は、その彼等を追おうとしているのです。
カレンは、その行動を何としても止めようとしています。
しかも生徒達が向かっているのはマグナムトル市です。
そのまま彼等を追わせれば、巨獣は間違いなくマグナムトルの市内まで辿り着くでしょう。
そうなればきっとこの巨獣は、私達2人の思い出の地でもあるマグナムトル市を、無遠慮に踏み荒らしてしまうに違いありません。
カレンにはそれを許す事が出来なかったのです。
だからこそ巨獣の衝動に逆らい、それを抑え付け進路を無理やり変えていたのです。
今カレンの思いが、私の胸の内に何の抵抗も無く流れ込んで来ます。
カレン……貴女の決意がよく分かりました。ならば私も……!
「ぅあああああぁぁああぁぁあぁ――――――――――――ッッ!!」
「コーディ!? ダメ!!」
カレンの思いを叶えるべく、『従魔の加護』をより深く強く使う為、更に巨獣の深層へと意識を沈めて行きました。
巨獣の中で渦巻く憎悪の圧力に、忽ち精神が悲鳴を上げていきます。
「ああッ! ぅあ! ああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――――!!!!!」
「コーディ――――――ッッッ!!」
荒々しい激情が、荒波の様に私の精神を飲み込み翻弄しようとします。
身を引き千切られ、細切れにされてバラバラに砕かれそうです。
本来、たった一体の魔獣に『従魔の加護』を使う事でさえ、精神には大きな負担が強いられます。
それが、恐らくは数十を超える魔獣の感情の大波に晒されているのです。
精神がどうにかなってもおかしくは無いのかも知れません。
それでも、心をバラバラにしようとする激流に抗いながら、何としても巨獣の身体を制しようと、精神の腕を精一杯伸ばし続けました。
意識を保つのがやっとでした。
気を抜けば暴風にのみ込まれ、心が散り散りになり吹き飛ばされてしまいそうです。
自分の喉の奥から、止めどなく叫びが絞り出されているのを感じます。
「す、少しで良い! 少しで良いから言うことを聞いて!! くぅううあ――――――ッッッ!!!」
「コーディ! コーディ!! 待って! 今、わたしが…………!」
ふっと、それまでかかっていた圧力が消えました。
それどころか、まるで何かに守られている様な暖かみまで感じます。
……この暖かさは覚えがあります。間違いない! カレンのものです!
「……カレン?」
酷く疲弊していましたが、ゆっくり確かめる様にカレンの名前を呼びました。
「……コーディ。お願いだから無茶をしないで」
やはりカレンです。
カレンが巨獣の荒ぶる意識の嵐を、その身を持って遮ってくれたのです。
何故かその事がハッキリと分かります。
「お願いコーディここから離れて! ここから逃げて!!」
「それは出来ませんカレン。私達はずっと一緒です。そう約束しました」
「そんな事!! だって……だって見て! わたしは、もう……コーディと一緒に居られない」
カレンが自らの身体を指し示します。
巨獣と一体となり、人ならざる物へと変じた自分の身体を……。
でも、そんな事は私にとっては何の問題でも無いのです。
その時、大地の鳴動が地の奥底より静かに響いて来ました。
その振動は少しずつ大きくなり、やがて巨獣の脚から私達にも伝わって来ます。
前方に見えていた割れ目噴火からの照り返しの赤い光が、一際大きく強くなっていくのが分かります。
その大地の割れ目から、今にも燃え盛る溶岩が噴き出し始めてもおかしくないと思わせる程の強い光でした。
私はその光景を目にし、心を決めました。
「私達は一緒ですよカレン。どんな事があろうとも。私はもうその誓いを違えません」
「何を言ってるの?! そんな事! 今は……今はもう!」
「ふふ、心配しないでカレン。私達はもう、ひとつですよ? 分かりませんか?」
「何を言って……コーディ?! そんな! まさか?!」
「もう身体に、疲れも痛みも感じていません。カレン? 今はアナタの優しさを直に感じます」
「コーディ! コーディ!! ごめんなさいコーディ……コーディ!」
カレンは自分の事を理解していました。
どういう訳か、今のカレンには心臓がありません。
今はこの巨獣と繋がっている事で生きている状態なのです。
それにカレンの意思があるのも今だけのようです。
やがてあの荒波の様な意思の渦に飲み込まれ、カレンの自我は消えてしまうでしょう。
その事をカレン自身も分かっているのです。
だからそうなる前に、カレンとしての意識が消えて巨獣の一部となってしまう前に、今の自分があるうちに何とかしようとしていたのです。
カレンの意識は今、巨獣の意識から私を護る事で精一杯です。
巨獣の行動を制する事迄は無理でしょう。だから私がカレンに代わってこの巨獣の身体を制するのです。
カレンは、自分が消えてしまう前に、あの赤い光の元へ行こうとしていました。
ずっと上げていたカレンの叫びは、消えそうになる自分を奮い起こしていた為です。
もしかしたら目的の場所へ辿り着く前に、カレンの自我は消えていたかもしれません。
そうなればこの巨獣は、間違いなく人々の元へ向かうでしょう。
この凶悪な存在は、魔獣だけでなく人間も容赦なく取り込んでしまいます。
犠牲者が増える度、この巨獣はより大きく強くなって行くでしょう。
これを討伐するために、一体どれだけの犠牲者が出るか。
きっと、私達にの大切な人達も、この巨獣に飲み込まれる事になってしまう。
カレンはそれを恐れた。それを何としても防ぎたかった。
だから今のうちに、この巨獣を何とかするしかないのです。
1人でこんな決断をしたカレン。どんなに怖かった事でしょう。どんなに寂しかった事でしょう。
でも大丈夫。アナタを1人になんてしない。
心配しないで。私が居ます。
どうしてこんな事が私に分かるのか……。
それは私の身体がもう、カレンと繋がっているから。
きっと手のひらに受けた傷から侵食して来たのでしょう。
既に腕は半ば巨獣の背に沈んでいます。脚も膝から下は埋まってしまいました。
おかげで体力の消耗はもう感じません。『従魔の加護』も直接、深く使えます。
そして何より、今はカレンをこんなに近くに感じています。
私達の意識が繋がった今なら、2人の自我が消えるまでにまだ暫く時間の猶予が出来た筈です。
「コーディ……コーディ!!」
「謝らないでカレン。私は今とても嬉しいの。それはアナタにも分かるでしょう?」
「うん……うん。分かるよコーディ。良く……分かってる」
「だから、ね? 一緒に行きましょう?」
ありがとうございます、お父様。そしてごめんなさい。もう、お父様の元へは帰れません。
でも、おかげでカレンの力になる事が出来ました。ありがとうございました。
私はカレンと共に参ります。
それこそが私のたったひとつ、唯一無二の望みなのですから。
分かりますかカレン? 私は今とても幸せです。
だってアナタをこんなにも近くに感じている。
アナタの想いがこんなにも良く分かる。
覚えていますか? 初めて二人が会ったあの日の事を。
覚えていますか? あの夏の日にアナタのお屋敷のお庭で、一緒にトンボを追いかけた事を。
覚えていますか? 日が暮れるまで二人で蓮華を編んで、お互いの頭に飾り合った事を。
昔言ったでしょう? 私たちはずっと一緒です。
さっきも約束したでしょう? アナタをもう絶対一人にしないって。
もう、大丈夫ですよ……。
「……カレン。大好きです」
「うん、コーディ……。わたしも……、わたしも大好きだよ!」
さあ行きましょうカレン。
シロベーンの伝説のようにローハンの懐へ。
私たち2人一緒なら、何も寂しい事などありはしないのですから。
◆◆◆◆◆
「ゴホッ」
ミアの背中から黒い爪が突き出ていた。
右腕を真っ直ぐに突き出した相手の身体には、多くの荊が絡み付き、その動きを確実に制限している。
だが、その黒い手刀はミアの身体を真っ直ぐ貫いていた。
咳き込む様に、ゴボリとミアの口から血が溢れる。
穿たれたのは身体の右側。咄嗟に体を捩り心臓への一撃を逸らしていたが、それでも肺が受けた傷は十分致命的だ。
「おおおぉぉ――――!!!」
ロンバートの叫びと共に、その手のバトルアックスが大気を裂く。
装備の魔法印が光を帯びた。
バトルアックスの刃が圧縮されたエーテルの光を振り撒き、影の胴体を両断せんと刹那に迫る。
だが影は、唯一自由に動く右腕をミアから引き抜き、その腕一本を盾にして、バトルアックスの重い刃の一撃を受け止めて見せた。
先ほどまでなら確実に、その腕程度なら叩き折っていた筈の一撃だ。
その事にロンバートの目が大きく見開かれる。
ヴァンはその場で体を捻り、身を縛る荊を引きちぎった。そして右腕でバトルアックスを止めたまま、左の爪をロンバートの胸元へ突き入れた。
ロンバートは咄嗟にバトルアックスを引き戻し、その太い柄の部分で黒い爪を受け止める。
そこへすかさず、ヴァンが自由になった足で蹴りを入れて来た。
思わずロンバートは体勢を崩され、その身体が僅かに傾ぐ。
だが、ロンバートは傾いた身体をそのまま回し、今度はバトルアックスを左の下段から相手の脚を叩き折ろうと振り切った。
しかしヴァンはそれを、僅かに上げた右脚のガードで防いでしまう。
ヴァンの口元が獣の様な牙を見せ、嫌らし気に大きく吊り上がっていく。
明らかに先程までよりも、ヴァン自身の強度が大きく増している。その事にロンバートは眉間の皺を深く刻んだ。
間合いを取る様に後方に飛び退き、そして腰を落として短く息を吐く。
ロンバートの装備に刻まれた魔法印が光を放つ。
『岩石暴走』
それはスージィに教わり、アーヴィンが使った『アサルト・ダッシュ』と同種の技。
ロンバートはそれに自身の頑強さを重ね、体当たり技として昇華してみせた。
魔力を纏ったその身体は、硬度と重量を増し岩石の様相を見せる。
そこから繰り出されるショルダータックルは、並の魔獣なら進路上に居れば必ず砕く。
ロンバートの全身が魔力の光で仄めいた。
次の瞬間、大地が爆発した様に弾け、ロンバートの身体が残像を残し大気を裂いて突進した。
ベアトリスが、ポーチから取り出した傷薬をミアの傷口へふりかける。
同時に癒しの魔法も唱えた。
薬と魔法、二つの相乗効果で出血はすぐに止まったが、完治にはまだ程遠い。
先程と比べれば表情も和らぎ意識もあるが、やはりまだ1人で立つのは無理だ。
ひとまず此処から退避させようと、ミアの腕を自分の肩にかけ、そのまま立ちあがろうとした時、轟音が響いた。
押し除けられた大気が突風となり、ベアトリス達の髪を舞い上げる。
同時に巨岩が打ち付けられた様な大音が響いて来た。
ロンバートの『岩石暴走』がヴァンに突き立つ音だ。
だが、ヴァンはそのロンバートの突進を片手で受けた。
左手で岩のようなロンバートの肩を抑え、足元が地を削り後方へ下がって行く。
「ぬぅぅ!!」
「大した力ですが所詮は人の身!」
数メートル程下がった所でその動きが止まった。
ヴァンはロンバートの肩へ置いた左手に力を籠める。
岩のような硬さを持ったロンバートの肩に、ヴァンの黒い爪が突き立った。
「ぐっ?!!」
そのまま肩にナイフのような爪が喰い込み、忽ち血が噴き出てくる。
ロンバートの顔が苦痛に歪む。
「脆い! 脆いですよ!!」
「ごぁっ!!」
ヴァンは肩に喰い込ませた爪を抜くと同時に、ロンバートの顎先を真下から右の脚で蹴り上げた。
その衝撃で、ロンバートの顎は砕かれ身体が宙に浮く。
すかさずヴァンは掌底をロンバートの胸元へ鋭く突き入れた。
激しい衝撃と共にロンバートの胸部装甲は大きくへこみ、その巨体が後方へと吹き飛ばされる。
そのまま背後にあった、一抱え以上もある巨木に激しく打ち付けられた。その衝撃で巨木の幹が大きく陥没する。
ロンバートの身体はその幹からズリ落ち、そのまま力なく崩れ落ちた。
「ロンバート!!」
ミアに肩を貸したまま、ベアトリスがロンバートへ向け『癒しの風』を飛ばした。
「目障りな!」
その事に気付いたヴァンが、忌々し気に吐き捨てる。
同時にベアトリスに向け右手を伸ばし、黒い爪を槍のように伸ばした。
「!!『石壁』!」
ベアトリスが咄嗟に『石壁』で、自身の前に防壁を作り上げた。
石の壁は30センチ以上の厚みを持つ堅固な物だ。脅威値が1や2の魔獣程度では、まず貫けない強度だ。
だが黒い槍はその防壁を、泥の壁でも貫く様に容易く抜いて来た。
「ぁぐぅッ!!」
「ビ、ビビちゃん……!」
黒い槍はベアトリスの肩を、腹を貫いた。
ベアトリスの口からは血が溢れ、支えていたミア共々その場に倒れ込んだ。
「忌々しい治癒者だ! いちいち小技が小賢しいのですよ! これからその眼も貫き、もう何も出来ない様に手足も潰して差し上げます! くふっ! 芋虫のようにのたうって、精々いい声を聞かせてください……クフフフ」
先程自分を追い詰めた連中は、全て戦闘不能にして転がっている。
これからジックリと時間をかけ、その借りを返させて貰う。
身動きひとつ出来ない状態にして、指先から少しずつ潰し、出来るだけ痛みを味わわせるのだ。
これから行う蹂躙劇を思い浮かべ、ヴァンの口元が禍々しく吊り上がり、目元は悍ましい程の喜悦の色に染まっていた。
先ずはこの小柄な娘から堪能させて貰おう。と、地に倒れ伏すベアトリスへ向け、ヴァンが邪な笑いを洩らしながらユックリその足を運んで行く。
「ちくしょう! ビビ!!」
アーヴィンが身を預けていた樹木から、やっとの思いで身体を起こした。そして横に置いてあったツーハンドソードに手を伸ばし、そのグリップを再び握る。
アーヴィンは両肘と肩の関節が外れ、靭帯も断裂していた。
おまけに肘先の尺骨橈骨にも骨折が見られる。
ロンバートによる骨接ぎと、ベアトリスの治癒魔法で辛うじて骨の位置は整えられたが、とてもまだまともに腕を動かせる状態ではなかった。
それでも!
「クッソッ!!」
ツーハンドソードを両手で握り締め、アーヴィンはスキルを発動させた。
『アサルト・ダッシュ』
一足飛びに距離を詰め、アーヴィンのツーハンドソードが背中を見せているヴァンの脇腹に迫る。
「そう何度も同じ手が通用すると思いますか?」
「うがぁあぁぁ!!」
ヴァンは自身に迫るその刃を、右手ひとつであっさりと受け止めてしまった。そのままツーハンドソード捻り上げ、未だグリップを離さぬアーヴィンの腕に負荷をかける。
再び肘、肩に大きな負担を強いられ、アーヴィンは叫びを上げてしまう。
「どうしました? 先程までの元気は?」
「……ぐっ! こ、この! ぐぁあぁぁッ!!」
それでもツーハンドソードを離さぬアーヴィンに、ヴァンは僅かに眉を顰める。
ヴァンは刃を右手で握ったまま、左手でアーヴィンの顔を掴み込んだ。そしてそのままアーヴィンの身体を高く持ち上げた。
「は、離せ! ぐあぁッッ!!」
「まだまだ元気は有り余っているようですね! 借りをお返しするにはちょうど良い」
「ぐぁ! こ、この!」
「まともに腕も動かせないのに、威勢だけは良い。その元気、いつまで持つか見せてもらいましょうか!」
その時、大地の奥深くから地鳴りが響き、細かな振動が足元に伝わって来た。
それを感じ取ったヴァンの顔に、喜色が浮かぶ。
「おお! ついに目的を達せられましたか! おめでとうございます! 心よりの御祝いを申し上げます」
ヴァンは左手でアーヴィンを掴み上げたまま、その場で恭しく深々と首を垂れた。
「さて! あの方より授かったこの身を傷付けた、誠に罪深い愚者ではありますが! この際です、祝いの捧げものとして差し上げましょう! 誉に思う事です!!」
ヴァンに掴まれたアーヴィンの顔に、血管の様な筋が浮かび上がって来る。
それはまるで生き物の様に、アーヴィンの顔面に広がって行った。
「生きたまま身体の内から喰われる気分は如何ですか?! 骨の髄まで食い尽くされ、贄としての存在を示しなさい!!」
「うがぁあぁ! がぁあああぁぁぁ――――ッッ!!」
「クフッ! 良い様ですね! 精々良い声を上げて下さい! クハハハハハハ!」
アーヴィンの叫びを塗潰し、ヴァンの嘲笑が木霊する。
悍ましい笑い声は、光の届かぬ木々の間を響き渡り、更に闇を深めて行く様だった。
突然、その闇を断ち切る様に光の柱が幾つも立ち上がった。
ミアが、ベアトリスが、ロンバートの傷付いた身体が、光の柱に包まれて行く。
そして勿論アーヴィンにも。
そのアーヴィンの頬に浸食していた『線形魔力生命体』が、光を受けて一瞬で蒸発してしまう。
「ごあぁぁあぁ――――ッ?!」
アーヴィンを掴んでいたヴァンの左手も、同時にその光で焼かれた。
突如支えを失ったアーヴィンの身体が宙に浮く。
「ぅがッ! ……って、あれ? これって……」
そのまま背中から地面に落ち、アーヴィンは苦悶の声を上げたが、直ぐに自身の異変に気付き腕を動かし身体の状態を確かめる。
そして自分の怪我が全快している事に気が付いた。
ミアがガバリと身体を起こした。
ベアトリスは傷を受けた場所に手をやり、身体の状態を確認する。
そしてロンバートは、ゆっくりと巨木の根本から立ち上がった。
4人は覚えのある光の温かみと、それを行なった者の気配を感じ取り、揃って顔を上へと向けた。
突如、ゾクリとヴァンの背筋が粟立つ。
嘗て味わった事のない感情が身の内から溢れ出す。
不死者であるにもかかわらず、大量の汗が噴き出すような感覚に襲われていた。
間違いなく何かが居る!
ヴァンは反射的に上を見上げていた。
風も無いのに、太い幹が大きく揺らいでいる。
揺れる木々がまるで巨人の指の様で、それが上から自分を握り潰そうとしている錯覚に囚われてしまう。
そして、ソイツはそこに居た。
ソレは上方から、コバルトグリーンの瞳をユラユラと仄めかせ、只静かに此方を見下ろしている。
まるで木々の間の空間に、見えない何かを足場にして立っている様だ。
空気が途轍もなく重く、押し潰されそうな圧力を感じる。
今は動く事のなくなった心臓が、まるで力強い手に握り込まれている様な感覚だ。
見上げるヴァンの喉が、我知らずに音を立てた。
雲に覆われ、星の光も届かぬ森の夜。
その身を照らす明かりも無いはずなのに、紅玉色の髪は荒ぶり燃え盛る炎の如く、その煌めきを辺りに激しく振り撒いていた。
お読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字のご指摘、ありがとうございます!
ブクマ、ご評価もありがとうございます!いつも励みになっております!!
コミカライズ版も好評連載中でございます。
https://gammaplus.takeshobo.co.jp/manga/onna_heiwanasyomin/
何卒よしなに!





