1年で1番熱い夜
晩ご飯が終わって少しして、オレは砦の屋上で夜風に吹かれながら外の景色を眺めていた。
日本の科学文明が発展した夜とは違い、辺り一面は闇である。周囲にうっそうと茂る木々は巨大な黒い影となって、そこに入ろうとする人々を拒むようにそびえ立っている。そんな中に明かりを灯してぽつんと存在するこの砦は、一際目立ち、暗い場所から狙いやすい。おそらく敵からしたら、攻め入るに絶好の場所なのかもしれない。
ということを頭の半分で考えながら、オレの頭のもう半分を埋め尽くしていたのはヘリウッドの会議後の言葉だ。
「まだ16にもなってないのに、結婚はないよなあ」
ていうか、付き合った彼女すらいないんだから。それを飛び越えて夫婦はマジでない。きらりじゃあるまいし。
はあ、とため息を吐いて視線を下にやると、誰かと目が合った。
「よ! とーや! そんなとこで何してんだよ」
ラヴィーだった。ラヴィーが数メートル下の地面からオレに向けて手を挙げている。
「待ってろ! 今そっちにいくからな!」
「え?」
獣人族の身体能力がなせる技なのか、ラヴィーは器用に壁をよじ登り、瞬く間にオレの居る屋上に到達する。
「すごいもんだな、獣人族って」
「な~に言ってんだよ。獣人族なら、こんなの小さな子供でもできるぜ! それよかさっきうちのオヤジと何話してんだよ? まさか、何かうまいモンでももらったのか!? なら、俺にも半分くれよ! な? いいだろ」
お前と結婚して早く子供作れって言われたよ。って言ったら、こいつはどんな顔をするだろうか。
「いや、ちょっと……な。それより、獣人族について教えてくれ。オレのいた世界じゃ獣人族はいないからさ、珍しいんだ」
「え~。絶対何か隠してる! そんな匂いがプンプンするぞ! ちょっと確かめてやる!!」
「お、おい?」
ラヴィーは納得がいかない様子でオレに近寄ると、オレの胸に顔をうめるように匂いをかいできた。
「ん~。あっやしいと思ったのにな~。はずれか」
「わかってくれよ、な?」
諦めてくれたかと思ったが、ラヴィーが次に取った行動はオレの想像をナナメ行くものだった。
「そっか。ここだ! ここに大切なもん隠してるんだろ! ここから何かいい匂いがするんだ!」
「おおおおい!?」
唐突にラヴィーがオレのズボンのチャックに手をかけたのだ!
「そこは違う! 確かに大切なモノが入ってるけど食える物じゃない! いや、食えるともいえないが食い物じゃない!!」
「な~にごちゃごちゃ言ってんだよ、それを早く俺にくれよ!」
「落ち着けって。これやるから!」
ズボンのポケットに入っていたひとかけらのチョコレートを取り出し、それをスケープゴートにしてラヴィーへ差し出す。きらりにもらったヤツがまだ残っていて助かった。
「おお!? やっぱ食い物持ってんじゃん! しかもなんだこれ、甘くてうめー!」
危ない危ない。こんなところをきらりに見られたら、呪い殺されるぞ。
ラヴィーはチョコレートが初めてだったのか、ネコ耳をせわしなく動かしながらもぐもぐ食べていた。
「なあ、ラヴィー。お前って、好きな人とかいるの?」
ヘリウッドのおっさんがラヴィーはオレのことが好きだとか言っていたが……正直な話、本当にこいつがオレのこと好きなのかどうかなんて、わからない。勝手に親に相手を決められたんじゃかわいそうだしな。もしこいつに好きな相手がいるなら、あのオヤジに言ってやらないと。
「んあ? 好きな人? いるわけねーだろ! でも、何だろな。とーやと一緒にいるとなんか楽しいからな。俺、お前とずっと一緒にいたい!」
「あ、ああ。そう……」
え? まさかこいつオレのことを? いやいや、今の感じは違うだろ。こいつ天然っぽいし、恋愛ごとには無関心って顔してる。
「そーいや、とーや。獣人族について知りたいんだっけ? うまいもん食わしてくれた礼だ。教えてやるぜ。うーん、そうだなー。獣人族は基本的に猫を先祖にした一族がほとんどだけど、南のほうには鳥を先祖にした一族とかもいるってオヤジが言ってた。他にも色々いるらしいけど、よくわかんね」
「ふーん」
「あとそうそう! 獣人族ってのはさ! みんな3月か4月生まれなんだぜ!」
「え? なんで?」
「ほら、あれだよ。えーと……はつじょうき?」
「ああ、なるほど。はつじょうきね。そうかそうか、はつじょうきか。って、はつじょうき!?」
はつじょうきって、発情期……ってこと?
「獣人族はだいたい15歳くらいになると、発情するんだってよ。1年に1ヶ月間しか発情しないから、1年で一番熱い夜になるんだとかオヤジが言ってた。俺の母さんとオヤジも毎日燃え上がったって言ってたけど、これどういう意味だ?」
「あ、ああ。そうなんだ。猫が先祖だもんな。1年に1月なら、激しく燃え上がるよね、うんうん」
ていうか、ヘリウッドのおっさん娘に何を吹き込んでいるんだ。オレもなにうんうんうなずいてんだ! ……話題変えよ。
「そういやラヴィーっていくつなんだ? 見たところオレと同じくらいか?」
「この前15になったぜ! 俺、3月生まれだしな! あとさ、獣人族は女のほうが性欲強いんだってよ! んん? ところでとーや。性欲って何だ?」
「性欲はまあ……人間の三大欲求の1つだよ」
何で15歳の女の子に性欲について語らねばならんのだ! 何の罰ゲームですか、これは!!
「あ、3月生まれってことは、一応学年的には同い年だな、オレたち」
そう言ってラヴィーに振り返ったのだが、彼女は屋上の床を見たままブルブルと震えていた。
「どした、ラヴィー?」
あまりに突然のことだったので、オレの思考が追いついたのは数秒後のことだった。
「なあ、とーや。俺さ。最近おかしいんだ。何だかわからないけれど、お前を見たら体の芯が熱くなって、いてもたってもいられなくって……」
現状を把握すると、オレはラヴィーに押し倒されていた。
「え? おい。どうしたんだよ、ラヴィー?」
「体の奥がキュン! ってなってさ! 自分でもどうしたらいいのかわからねーんだ!!」
たいまつの明かりでわずかに見えたラヴィーの顔は、真っ赤に染まっていた。
「胸が張り裂けそうで、めちゃくちゃ苦しんだよ。お前がアリスやきらり、レリアにアーシャと一緒にいるのを見るだけで、焦っちまうんだ! 早くしないと、誰かにお前を盗られるって!」
その時、オレの脳裏に人の妊娠期間は約10ヶ月間だという知識が思い起こされた。獣人族も同じかどうか知らないが、もし同じとするなら……3月生まれから逆算すると……発情期は、5月?
えっと、つまり。ラヴィーは3月で15歳になって。獣人は15歳で5月になると発情する。そして今は5月……その答えは!
「とーや。俺、俺、俺。お前が!!」
ラヴィーはTHE発情期!?
「お前が欲しくてたまらないんだ!!!!」
「な、何を言ってるんだよ、お前!?」
そうか。それでヘリウッドのおっさんはオレに結婚話を持ちかけたのか! 獣人族にとって1年で一番熱い夜が続く5月に!
「ちょ、ちょっと待てよ。ラヴィー」
「待てるか!! 目の前に最高のごちそうがあるってのに、ハアハア……お預けなんか、ごめんだぜ!!」
ラヴィーは荒い息の吐きながらオレの上着のボタンに手をかけた。
すっかり欲情してしまったラヴィーをどうしようか迷っていたオレだったが、爆音と振動でラヴィーは動きを止めた。
「な、何だ?」
『敵襲だーー!! オーガに囲まれたぞ!!』
『武器が使える者は応戦しろ! 女子供は砦の奥へ!!』
敵? こんな時間に?
「ラヴィー。こんなことしてる場合じゃない。敵が先手を打ってきたみたいだ!」
オレはゆっくりラヴィーをどかすと、屋上から下を見た。暗くてよく見えないが、邪悪な気配をたくさん感じる。
「何で……ここがわかったんだ? それに、ここはシャランの結界魔法で守られてて、敵対する魔族は入れないはずなのに……まさか、シャランの奴、殺されたのか?」
「シャラン?」
「さっき会議に出席していたエルフの代表者だよ。あいつがこの森周辺に結界魔法を展開してたんだ。同時に、敵の動きがわかれば真っ先に知らせる役目も担ってた」
あの傲慢なエルフのイケメンのことか。嫌なヤツだったけど……。
「そうか。だけど今それは置いておこう。この現状を何とかするぞ、ラヴィー!」
「あ、ああ!」
「勇者殿!」
屋上から下へ向かおうとした矢先、オレ達の目の前に現れたのはエルフの代表者……シャランだった。
「あんた、無事だったのか!」
シャランは荒い息を整えながら、オレに掌を向けた。大丈夫だ、構うな。ということか。
「いや、私のことよりも勇者殿が無事でいて何よりだ。外は囲まれている。勇者殿も一刻も早く前線に出てくれ。そうすれば兵達の士気もあがるはず。この状況もすぐにでも収まるだろう」
「ああ。それはいいんだけど……」
シャランはさっきの会議のときと違って、柔和な笑みを浮かべていた。そして、懐に何か入れているのかへんに盛り上がっている。
――こいつ、なんだか様子がおかしい?
「とにかく行こうぜ、とーや! 頭よりも先に体を動かそうぜ!」
ラヴィーの言うとおりか。今は早く加勢にいかないと。
「うん。行こう、ラヴィー」
ところが、駆け出したラヴィーの腕をシャランはつかんで首を横に振った。
「待ちたまえ、君には大事な役目があるんだよ、ラヴィー」
「な、何だよ。離せよ、シャラン! 俺の役目は敵をぶっ潰すことだろ!?」
「いいや、違う」
その瞬間、明らかに場の空気が変わった。
「君には魔王軍に差し出す人質という大事な役目がある。ここに居てもらわねば困るのさ」
「なんだと!?」
急にシャランは愛想のいい笑顔を歪ませ邪悪に笑ったのだ。そして懐から黒い液体の入った瓶を取り出すと、歯をむき出しにして夜空に向けて吠えた。
「くくくく! まったく、思い通りにことは運ばないものだ! 偽の王女の情報をつかませて単独行動をとったラヴィーを拉致しようと思っていたのに、よもや代わりの旗印に貴様ら勇者を連れ帰って来るとは。ケモノの分際で、私の計画にドロを塗ってくれる!」
「シャラン? お前、何言ってんだよ」
ラヴィーはシャランの変化に気付いていないのか、ひたすら頭の上にクエスチョンマークを浮かべたままだ。
「これでは、バルバトス殿に合わせる顔が無いではないか! かくなる上は貴様らの首を手土産にするしかないだろうよ!」
「バルバトス、殿?」
「左様。我が主こそは魔王様ただ1人。貴様ら人間との王国ごっこもおしまいだ。ここで貴様らを根絶やしにして、この私がランドールの新しい王となる……見よ! これが魔王様にいただいた力ぞ!」
シャランがさっき取り出した黒い液体を勢いよく飲み干すと、彼の全身に黒いオーラが噴出した。
「く、ふう! はははは。これが魔王様の血の力か!! すごいぞ! 全身に力がみなぎってくるぞ!!」
魔王の血?
「この力があればランドール5聖将など、ザコ!! 異世界の勇者など、ゴミ!! いや、魔王軍四天王すらも今の私の前では赤子同然!!」
シャランの皮膚が褐色になって……美しい金髪は真っ白に変貌していく。
「なんだ、こいつ。エルフなのに、まるで魔族みたいに邪悪な魔力を宿して……」
邪悪な魔力をまといながら、シャランは赤い瞳でオレを見る。
「勇者よ。我こそは闇の祝福を受けたエルフ、ダークエルフ」
「ダーク……エルフ!?」
ダークエルフ。ネトゲとかでも良く見る、エルフとの敵対種族?
「闇の祝福を受けた我が魔力。貴様の体で試してくれる」
シャランがオレに手のひらを向けてきた。
「ふひ!!」
邪な笑みを浮かべ、闇の眷属となったシャランの体から黒い霧があふれる。
「我が黒き炎にひざまずけ! ヘルファイア!!」
掌に黒い霧が収束され、それが巨大な手になってオレに向かって迫ってきた。迫力は満点だが、スピードはない。簡単にかわせる。てゆうか、どこの中二病患者のセリフだよ。
「当たりはしない!!」
ヘルファイアをかわすと、シャランとの間合い一気に詰めるべく駆け出した。
「ふひ! ふひひ!!」
攻撃を避けられたというのに、シャランは奇怪な笑みを浮かべたままオレを見つめていた。
何だ? こいつ、何か企んでる?
「とーや、後ろ!!」
ラヴィーがオレの背後を指差し、叫ぶ。
振り向いたときには遅かった。かわしたはずの巨大な黒い炎の手――ヘルファイアがブーメランのように戻ってきて、再びオレに迫っていたのだ。
「とーや!!」
ラヴィーがシャランの手を振りほどき、オレに向けて突っ込んでくる。オレはラヴィーに押し倒されて……ラヴィーは黒い炎に焼かれた。
「ラヴィー!?」
オレの代わりに? そんな。
「う……とーや。無事か?」
ラヴィーは背中に火傷を負いながらも、健気にオレのことを心配そうに見つめる。
「何で……こんなこと」
「そんなの、わかんねーよ。頭よりも先に体が動いちまったんだからよ……へへ」
「ごめんな、オレのせいで……ごめん」
「何でお前が謝んだよ? 男がいちいちこまけーこと気にするんじゃねえよ! 俺なら、大丈夫、だから」
ラヴィーの額を大粒の汗が伝い、彼女の体は激しく上下していた。アリスの回復魔法なら、治療できるはず。そのためには、まずはあいつをどうにかしないとダメだ。
「少しそこでガマンしててくれ。アリスの回復魔法なら、その背中の火傷だってきれいに治るはずだ」
「へへ、頼むぜ……。俺だって一応、乙女なんだから、よ……」
ラヴィーはそこまでしゃべると、気を失った。
「小汚いケダモノの丸焼きが一丁あがりか? ふひ! ふひひひ!!」
「黙れよ、外道が」
「何だと。人間の分際で、この私に口ごたえするか!? この偉大なるダークエルフ、シャラン様に!! 殺してやるぞ貴様ぁ!!」
シャランは赤い瞳をらんらんと輝かせると、再び手のひらをオレに向ける。
ラヴィーを床に寝かせオレも立ち上がると、手のひらをシャランに向けて叫んだ。
「教えてやるぜダークエルフ。オレを怒らせた今この瞬間が……お前の死亡フラグだ!」




