将軍登場
後藤信尹は川縁で兵が引き上げてくるのを見て、終わったのか、と考え忍びに探りを入れさせ始めた。味方の様子を探っているのを見られるのは後に疑われる元になるので今までは何もせずに我慢していたのだがもういいだろう。
引き上げてきた兵は五千、途中で逃げ出した者もいるという。敵はからくり人形で攻撃してきたそうだ。兄上の物だろうなと想像する。前田利家、利長、それに主だった幹部級は皆死んだそうだ。やれやれ、立花様になんと言おうか。それにまた戻る機会を失ってしまった。次の機会まで待つ事はない気がする。後藤信尹は戻ってきた兵を集めるように部下に命じた。
味方の損害がだんだん正確になっていく。秀吉の忍びが山から襲い掛かり武田信豊を討ったと言う話も聞こえてきた。兄者は無事なのであろうか?
武田陣営では武藤信之が兵を纏めている。怪我をした者は下がらせ簡易的な治療を施し、元気な者達で川に向かって兵の壁を作った。また攻めてくる事はないだろうが念の為だ。
武田信豊、丹羽長秀、滝川一益が死んだ。織田信忠と武藤喜兵衛は遺体の前で佇んでいる。
「殿に死なれては影の死が報われませぬ。何をしているのです」
喜兵衛は死体に向かって叱りつける。目は涙を流し、怒っている声もだんだんとしどろもどろになっていく。信豊が、そんなこと言うなよ、と答えたような気がした。ま、まさかと顔を見ると笑いかけたように見えた。横に付いていた特殊部隊ゼットのチーム戊のリーダーあいが、
「今、大殿が笑いませんでしたか?」
喜兵衛にもそう見えたが首を振り、そんな事はない、気のせいだと身振りで伝える。全く、困ったお人だ。喜兵衛は武田信玄に仕え、次に勝頼、信豊と主君を変えた。信豊は信玄、勝頼と比べても遜色ない主君だった。しばらくしてその場を離れ、死者を一ヶ所に集めさせ始めた。このまま放置もできない。河原で火葬するつもりだった。織田信忠の元へ行き、
「織田様、丹羽殿と滝川殿も一緒に焼きましょう」
と言うと信忠はしょぼくれている。
「喜兵衛、俺はどうしたらいい。皆死ぬか離れていってしまう。俺だけが生き残ってなんの意味があるのだ?」
「織田の血筋を残す事。それだけをお考えなされ。お松様とのお子である三法師様が跡を継ぐまで生きなければなりませんぞ。三法師様は織田と武田の血を引くお方なのですから」
喜兵衛は軍の指揮を自分が取ると皆に伝えた。誰も反対はしなかった。
「向かうは坂本城、近江を抑える」
そう言ってから川向こうを見つけた。すまんがまだ会えそうもないぞ、と心の中で呟いた。
後藤信尹はここにいても仕方ないと大阪へ引き上げ始めた。同じように川向こうを見つめて、兄者、無事で何より、またですな、と心の中で同じように呟いた。
京を抜け近江に入ると通る時には無視した豊臣側の城を一つ一つ落としていった。京には丹波勢を牽制して離れていた上杉景勝が入り豊臣に従う者達を懐柔していっている。前田利家が死んだと言う情報が京に拡がるのは早かった。利家は豊臣が京を取った時の第一功者であり、京の民でその名を知らぬ者はないほどだったので、京の民にとっては衝撃だった。また、戦の犠牲になるのか、と。
ところが上杉景勝は、力で攻める事はしなかった。とはいえ兵の数は多く威圧により従わせた。戦いは望まない、従うなら殺さない、と。
上杉謙信の名は京では有名で景勝は初めて見るものの義を重んじる姿勢が徐々に広まり、戦う事なく京を手に入れた。武藤喜兵衛が近江を攻めているのも駿府から京までを武田の領地にしたいからだ。せめてそのくらいはやらないと信豊が報われない。
京を上杉に任せたのは上杉の名声を利用するためだったが、景勝は何も言わずにそれがいいと思ったのか従った。喜兵衛と景勝の最初の出会いは春日山城でのバーベキューだ。お互いがどんな人間かはよく知っている。
景勝は忍びを呼び、
「兼続に戻るように言ってくれ」
それだけ言って忍びを放った。直江兼続は今、勝頼と共に東北にいるはずだ。京を抑えた今、東北よりこっちにいる方が奴にとってもいいだろう。勝頼がこっちにくるまでに何が起きるか?
武藤喜兵衛が城を落としながら坂本城へ向かおうとすると反対側から進んでくる軍勢が見えた。事前に与助から聞いていたので驚きはしなかったが予想より3日も早い。喜兵衛は軍勢の中央で馬に乗る武士に跪いて項垂れた。
「お屋形様。申し訳ありません」
軍勢は今の将軍、武田信勝のものだった。横には信平、天海もいる。
「信豊には信豊の考えがあったのだ。ならばそちのせいではない」
「せめて近江を手に入れようと周辺の城を落としてまいりました。京は上杉様が」
「琵琶の海だ。だが焦るな。秀吉がすぐに動くかもしれん」
近江の街道沿いだけでなく琵琶湖全体を手に入れろと言う事だ。琵琶湖は大きい。信勝は続けた。
「坂本城は細川幽斎の城だ。天海が言うには味方になり得るらしい。細川を説得し琵琶の海は細川に攻めさせる。その後は丹後へ国替とする」
「丹後は秀吉が」
「ならばこそだ」
「それで従いますでしょうか?」
「使者は信平と天海にやらせる。まあ見ておれ。喜兵衛は一度尾張へ帰れ。跡目は嫡男の次郎に名を与える。信正とする。支えてやってくれ」
信勝の軍勢三万は坂本城へ向かい、喜兵衛は尾張へ引き上げていった。織田信忠はお市と共に岐阜へ帰った。




